第31話 名前で呼んで


 ショッピングモールは廃棄された魚市場跡に建てられたもので、数分ほど歩けば浜辺にたどり着く。浜辺沿いにはレンガ畳の歩道が敷かれており、棚橋たなばし親水しんすい公園として市民の憩いの場となっていた。

 天城さんは人気のない遊歩道をゆったりと歩きながら、眼下に広がる砂浜と水平線の向こう側に沈む夕日を眺めていた。



「今日はありがとうございました。風馬くんが付き合ってくれたおかげで楽しい一日になりました」


「俺の方こそありがとう。友達と一緒に遊びにいく機会なんて滅多になかったからな」


「滅多に、ですか? まったく、の間違いでは」


「うるさい。そのネタは昼にやっただろ」


「ふふふっ。ごめんなさい」



 この1日で天城さんとはすっかり打ち解けた気がする。

 天城さんも同じなのか、気兼ねない素の表情を浮かべているような気がした。



「それにしてもお母様とお逢いするとは思いませんでした」


「俺もだよ。ごめんな、ウチの母さんが迷惑をかけて」


「迷惑だなんてそんなっ。風馬くんとの仲を認めていただき嬉しかったと言いますか……」



 天城さんは下を俯いて、自分の手を握ったり開いたりしてモジモジとしている。



「あの……。わたしたち、お友達……でよろしいんですよね」


「俺はそう思ってる。昨日も言っただろ。バイトとか関係ない。天城さんの友達として傍にいるって」


「ですよね……」



 俺の答えに天城さんはまだ不安そうに下を俯く。



「もしかして、バイトだから仕方なく付き合ってたと思っていたのか」


「違うのですか? 苦手なホラー映画に付き合ってくれたのもお仕事だからかと」


「違うよ。誘いに乗ったのは天城さんに誘われて嬉しかったからだ」


「本当ですか?」


「嘘をついてどうするんだ。付き人のバイトを始めたのも同じ理由だよ。天城さんと仲良くなれるかもと思って」


「おウチの事情じゃなかったんですか?」


「もちろんそれもある。金は喉から手が出るほど欲しい。けど、それ以上に理由があって。もしも天城さんとお近づきになれたら……」


「なれたら?」


「何かと便利だ」


「便利……」


「クラスメイトで同じ委員会だからな。教科書の貸し借りとか、美化活動の手伝いとか。何かと融通が利くだろ? だからさ」


「風馬くん」


「なんだ?」


「わたしの目を見て言ってくださいますか?」


「い、いやだ」


「あっ。こらっ。逃げないでくださーい」


「やなこった」



 天城さんが両手を挙げて追いかけてくる。俺は背中を見せて逃げ出す。

 夕日より赤く染まっているであろう自分の顔を隠すように。


 便利だなんだと言い出したのも、語っている途中で恥ずかしくなったからだ。

 我ながらヘタレだと思うが、『お近づきになって付き合いたい』とは口にできなかった。そんなことを口に出したら、この楽しい時間が壊れると思ったから。



「はぁ……。まあいいです。答えは今度お訊きします」



 追いかけるのを諦めたのか、天城さんはため息をついて歩みを止めた。

 遊歩道と砂浜の間を走る鉄柵に両手を置いて、沈みかけの夕日を眺める。



「天城さんこそどうなんだ? 俺が付き人だから映画に誘ったんじゃないのか。別のヤツが付き人だったら、そいつを誘ってたんだろ」


「そんなことはありません」



 今朝から抱いていた疑問と不安をぶつけてみる。天城さんは迷うことなく、首を横に振って微笑んだ。



「風馬くんだからお誘いしたんです。他の男性が付き人に選ばれていたら諦めていたでしょう」


「たまたま偶然奇跡的に、付き人がクラスメイトで誘いやすかったから?」


「ふふっ。そうですね。偶然って怖いですね」



 俺の冗談に天城さんは穏やかな表情で微笑む。涼やかな夕風に前髪が揺れていた。



「前にも言いましたよね。風馬くんを千鶴さんに紹介したのはわたしだと」


「ああ。美化委員の仕事っぷりを評価してくれたんだよな」



 自分で言うのはアレだが、天城さんから”伝説の掃除屋”と呼ばれていた。

 天城さんの推薦と前評判もあって、千鶴さんは俺を付き人として雇ってくれたのだ。



「ご存じの通り、わたしは家事がまるでダメで。代行をお願いしたのは、風馬くんなら立派に務めを果たしてくださると思ったからです。でも、それ以外にも理由があって……」


「他の理由?」


「風馬くんはわたしの素性を知ったあとも普通のお友達として接してくれました。そんな風馬くんとお近づきになれたら、そ、その……」



 それまでずっと下を俯いていた天城さんは手をぐっと握りしめると、俺の方を振り返って。



「便利、ですもんね」


「教科書の貸し借りとかな」


「それです。英語の授業も助かりました。やはり持つべきものは便利なお友達です」


「天城さん」


「なんでしょうか」


「顔が真っ赤だぞ」


「~~~~~~~っ!!」



 俺が笑って指摘すると、天城さんは声にならない声をあげて身悶えた。

 夕日の中でもわかるくらい真っ赤になって涙を浮かべる。



「うぅ、ひどいです風馬くん。わかっててからかってますよね」


「どうだかな」



 今度は俺が困る番だ。けれど、答え合わせをしたらそこで何かが変わる気がして。

 俺はあえて見て見ぬフリをして、その場で回れ右をした。



「そろそろ帰ろう。日が落ちたらこの辺りは暗くなる。千鶴さんも心配するだろ」



 俺はモールで買い込んだ荷物を手にして帰宅を促す。

 千鶴さんは週末だけマンションを訪れて、天城さんの様子を窺っているようだった。今頃は一人で留守番をしているだろう。待たせるのも悪い。



「あの……」



 けれど、天城さんはその場で立ち止まり俺に声をかけてきた。



「ご迷惑でなければ、これからもお友達として傍に置いてくれませんか?」


「傍に置く……か」



 天城さんの言い方が引っかかる。どうして俺が天城さんの傍に”いてやる”前提なのか。俺の軽い苛立ちに気がつかず、天城さんは不安そうに言葉を並べた。



「その方がお母様への言い訳も立つので。もちろん契約内容は今までと変わりません。なんでしたら毎月のお友達料もお支払いいたしますので」


「いらねーよ。金払ってダチになるヤツがどこにいるんだ。そういうのは、なんとなーくで付き合っていけばいいんだよ。……たぶん」


「たぶん?」


「俺も友達がいないからな。勝手がよくわからない」


「それでよく偉そうなこと言えましたね」


「うるさいな。そんなこと言うなら縁を切るぞ」


「わーーー! 待ってください。謝りますから切らないでください」



 天城さんは涙目になって俺の腕にしがみつく。

 百面相が面白くて俺は笑いながら天城さんの頭をそっと撫でた。



「友達なんだから遠慮せず、ぶつかってくればいいんだよ。俺もそうする。だから瑠璃もそうしろ」


「え……? いま、瑠璃って……」


「まあ、そのなんだ。名前で呼んだ方が打ち解けた感じがするって千鶴さんも言ってたから」


「風馬くん……」



 自分で言っておきながら恥ずかしくなってそっぽを向いた。いま顔を見られたら死んでしまう。自分史上最大級に顔が赤くなっているだろうから。



「嫌ならやめるけど」


「いえそんなっ。わたしもずっと千鶴さんだけ名前で呼ばれてズルイなと思ってたんです」


「そうか?」


「そうなんです。ですので、わたしも颯人くんとお呼びしますね」


「お、おう……。天城さん……瑠璃がそれでいいなら」


「えへ、へへへっ」



 瑠璃はモジモジと指を動かしながら、照れたように小声で俺の名前を呼んだ。



颯人はやとくん」


「なんだよ」


「呼んでみただけです」


「恥ずかしいからやめろ」


「いいじゃないですか。颯人くんもわたしの名前を呼んでみてくださいよ。癖になりますよ」


「俺はいいよ。いいから早く帰ろうぜ」


「あっ、待ってくださいよ。颯人くぅ~ん」



 恥ずかしさが極まってしまい、俺は小走りで遊歩道を後にする。

 天城さん……瑠璃は嬉しそうに俺の名前を呼びながら、急いで後ろをついてきた。




 ◇◇◇



 ――帰宅後。



「うおぉぉぉっ! なんて恥ずかしいことを口走ったんだ……っ!」



 俺はボロアパートの片隅で顔を押さえて身悶えた。

 気分が昂ぶりすぎたのだろう。翌日は熱を出して一日寝込んだ……。


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