第30話 マザーズ・アクシデント
「ランジェリーショップじゃないかっ!」
天城さんが指差したマネキン人形は、黒いレースの下着を身につけていた。
それもそのはず。天城さんが俺を誘った先はランジェリーショップだったからだ。
「俺に下着を選ばせるつもりか?」
「あっ! そうなっちゃいますねっ。気がつかなくて申し訳ありません」
俺がジト目を向けると、天城さんは頬を赤く染めて慌てふためく。
何度真っ赤になれば気が済むのだろう。天城さんのドジなところがまた露見してしまった。
(黒のレースか……。天城さんはああいう下着を欲しがっているのか)
洗濯も俺の仕事のうちだが、さすがに肌着は天城さんが自分の手で洗っている。
けれど、何度もマンションを出入りしているのだ。脱衣所にこっそり干してあった下着を目撃する機会は少なくなかった。
天城さんが普段使いしている下着の色は、白やピンクばかりだ。
千鶴さんに憧れているようだから、黒や紫といった大人な色合いの下着を求めているのだろう。
(大人っぽい下着を身につけた天城さんか。それはそれでありだな……)
そうやって俺が下着姿について思いを馳せていると、天城さんが上目遣いでぽつりと訊ねてきた。
「本当に選んでみますか?」
「えっ……!?」
「マネキンを見て難しい顔をなさっているので下着に興味がおありなのかと。もしくは……」
天城さんは少しだけ言いどよんだあと、消え入るような声でそっと呟いた。
「興味があるのは、わたしの下着姿だったりして」
「ば、ばかっ。冗談でもそういうこと言うな」
「ですよねっ。ごめんなさいっ」
お互いの顔が熟れたリンゴのように真っ赤に染まる。
本当にいきなり何を言い出すのか。図星過ぎて、思わずバカと言ってしまった。
店の前で騒いでいるのを不審に思ったのだろう。女性店員が怪訝な顔を浮かべてこちらを見つめている。
「迷惑になるから次の店に行こう」
「そ、そうですね」
俺と天城さんは居心地が悪くなり、そそくさと店の前から離れる。
すると、そのとき――
「
聞き覚えのある女性の声で俺の名前を呼ばれた。
振り返って声の主を探す。相手はショップの店員だった。
その名前と顔には見覚えがありすぎた。
「母さん……!?」
「おっすー」
『風馬』と書かれたネームプレートを下げた母さんが、気さくに手を上げて挨拶してくる。
母さんは白いブラウスに濃紺色のスキニーデニムを着ており、長髪をポニーテールにまとめていた。
普段のだらしない格好とは印象が異なる清潔感がある見た目なので、一瞬誰だかわからなかった。
「どうして母さんがショップで働いてるんだ!?」
「出かける前に言わなかったっけ? 店の子が知り合いでね。風邪で休むからって応援を頼まれたよの」
「ヘルプってそういうことか……」
母さんはクラブの雇われママの他にも、いくつかパートの仕事をこなしていた。
顔が広くて何かと器用な人なので、代打として臨時に雇われることも多い。
「って、今はそんなことよりも……!」
俺は慌てて隣にいる天城さんへ視線を移す。
天城さんは母さんの顔を見て一瞬驚いたあと、丁寧なお辞儀をした。
「お初にお目にかかります。風馬くんのクラスメイトの天城
「ご丁寧にどうも。颯人の母親の
「いえ、そんな。わたしの方こそ風馬くんにはお世話になりっぱなしで」
「息子とは学校で?」
「はい。同じ委員会に所属しておりまして、いつも仲良くさせていただいています。今日はたまたま偶然一緒に映画を見にいくことになりまして」
「映画って何を見たの?」
「ボッチィング・オブ・ザ・デッドです」
「あ~、CMで話題になったあの映画ね。こいつ、めっちゃビビってたでしょ。幼稚園の頃からホラーが苦手でね。小学校に上がる前はよくお漏らしを……」
「おいこらっ」
放っておくと暴露話が始まりそうだ。
俺は慌てて母さんの腕を引っ張って、天城さんに聞こえないように小声で注意する。
「天城さんの前で恥ずかしいことを言うな」
「まだ苗字で呼び合うような仲なのね。予想と違ったけど可愛い子じゃない。やるわね」
「そういうんじゃない。放っておけと言っただろ」
「そのつもりだったけど、こうして逢ったが百年目。せっかくだから根掘り葉掘り訊いちゃおっと」
「え? あっ、おいっ!」
母さんはチェシャ猫のように歯を見せて笑うと、俺を押しのけて天城さんに近づいた。声のトーンを上げて営業スマイルを作る。
「本日はどういった下着をお求めなんですか?」
「え? ああ、えっと。とっておきの日に穿けるような下着を探していまして」
「ほほう? 彼氏さんを連れてですか。つまり勝負下着をご所望だと」
「いえっ! 風馬くんはただのクラスメイトでしてっ」
急に営業トークを始めた母さんに対して、天城さんは戸惑いながらも正直に語る。
母さんはニタァといやらしい笑みを浮かべながら、ぶりっ子のような声をあげた。
「あれれ~? おかしいぞ~。さっきお店の前で仲良くイチャコラしてましたよね? ただのクラスメイトに勝負下着を選ばせるなんて、やーらーしーいー。天城さんちの瑠璃ちゃんとウチの颯人くんは、いったいどういうご関係なのかしら?」
「そ、それは……」
「いい加減にしろ。天城さんが困ってるだろ」
さすがにこれ以上は目に余る。俺は天城さんの手を取ると、母さんの魔の手から救った。天城さんを背中に庇いながら、実の母親を睨みつける。
「デートじゃないと何度言えばわかるんだ。俺と彼女はたまたま偶然奇跡的に一緒にいるだけだ。深い意味はない」
俺はキメ顔でそう言った。我ながら決まった。
そう思ったのだが、何故か天城さんはションボリと顔を俯ける。
「深い意味はないんですか……」
「どうして天城さんが落ち込むんだ!? 話を合わせてくれっ」
天城さんと一緒にいるのは付き人のバイトをしているからだ。
それ以上の理由はない。ないはずなんだけど……。
(嘘をついてるような、この罪悪感はなんだろう……)
「ふ~ん。なるほどね。だいたいわかったわ」
何をどう納得したのかわからないが、母さんはそれ以上追求することなく身を引いた。それから苦笑を浮かべて天城さんに謝った。
「試すような真似をしてごめんなさいね」
「試す……?」
母さんの含みのある言葉に天城さんが首を傾げる。
母さんはそんな天城さんにズバっと言い放った。
「最初は金持ちの火遊びかと思ってたの」
「母さん!」
「はいはい。だから悪かったって。お店の前なんだから大声出さないの」
「だけど……」
俺たちを捨てて逃げたクソオヤジの一件もある。
俺と天城さんの関係に思うところがあったのかもしれない。
だが、たとえ親でも天城さんを悪く言うのは見過ごせなかった。
「そうやって彼女のために怒れる男の子に育ってくれたのね。母さん嬉しいわ」
「え……?」
俺が呆けていると、母さんは天城さんの手を握って優しく微笑みかけた。
「瑠璃ちゃんはいいところのお嬢様でしょ。立ち振る舞いを見ればわかるわ」
「それは……」
「秘密ってことね。わかった。ならそうします」
「よろしいのですか?」
「人に話したところでアタシに何の得もないからね。息子をたぶらかすつもりなら大声で警察を呼ぶけど」
「そのようなことはありません。清く正しく交際……ではなくて、クラスメイトとしてお付き合いさせていただいております」
「ならオッケー。瑠璃ちゃんは素直でいい子みたいだから交際……じゃないんだっけ? とにかく一緒にいるのを許可します」
「本当ですか?」
「もちのろんよ。ウチのも瑠璃ちゃんに気を許してるみたいだから仲良くしてあげてね」
「はい!」
急に親睦を深めはじめる天城さんと母さん。
よくわからないが母さんは天城さんを認めたらしい。
「連絡先を教えておくわね」
母さんはブラウスの胸ポケットから名刺入れを取り出した。
名刺を受け取った天城さんは、ぽかんとした顔を浮かべる。
「ジャスミンさん……ですか?」
「源氏名は気にしないでいいから。何かあったら連絡して。息子の息子が粗相したときとか」
「はぁ……?」
「よしそこまでだ。母さんは店に戻れ。店長さんがこっちを睨んでるぞ」
「ありゃホントだ。またね瑠璃ちゃん。今度お茶しましょ」
いつもの下ネタが炸裂する前に、俺は母さんの背中を押した。
母さんは名残惜しそうにしながら、天城さんに手を振って店に戻っていった。
◇◇◇
逃げるようにしてランジェリーショップを離れたあと、俺と天城さんはショッピングモールを一通り回った。
気がつけば日も暮れはじめ、そろそろ地元に戻ろうかと提案すると――
「もう少し歩きませんか?」
そう言って天城さんは駅とは反対側を指差した。
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ここまでお読みいただきありがとうございます。
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