第10話 天城瑠璃は一緒に歩きたい


 マンションから出てきたところを人に見られたら厄介なので、俺と天城さんはタイミングをずらして外に出た。

 途中の公園で合流したあと、肩を並べて新緑の桜並木を歩く。



「なるほど。お母様とそのような約束を」


「ああ。次のテストで10位以内に入らないとバイトを辞めさせられるんだ」


「お勉強も大事ですからね。お母様の言い分はごもっともです」



 道すがら昨晩の家族会議について話をする。

 天城さんは自分のことのように聞き入り、こくこくと頷いた。



「ワガママを言って困らせたのはわたしです。わたしでよければお力になりますよ」


「助かる。俺の学力だと授業についていくのでやっとだからな」


「得意な科目は数学、苦手な科目は英語でしたよね。わたしは英語が得意ですのでお役に立てると思います」


「俺の苦手科目がよくわかったな」


「英語の授業で先生に当てられて困っていらしたので。それに比べて数学はスラスラと答えを導き出していました」


「なんだと?」


「あっ、ごめんなさい。人様のことをジロジロと観察して失礼でしたよね」


「い、いや。同じクラスなんだ。それくらい知っててもおかしくない」



 天城さんが困っている。また無意識に圧をかけてしまった。俺は自省をしながら頬を掻く。困ってる様子を見られてたのは恥ずかしいが、説明する手間が省けたのでヨシとしよう。



「天城さんは人をよく見てるんだな。俺はクラスメイトの名前と顔も一致してないのに」


「一致しないのはわたしもですよ。あまり他の方とお喋りしないので」


「それならどうして俺のことはよく知ってるんだ? 同じ美化委員だからか」


「そ、そうですっ。同じ美化委員ですから」



 どうやら正解だったようだ。

 俺が自己解決すると、天城さんはその答えに便乗したように何度も頷いた。

 俺も同じ理由で天城さんのことを目で追っていたわけだけど……。



「天城さんがお嬢様だって話は知らなかったな。噂くらい流れてもおかしくないのに」


「担任の先生と校長先生に事情をお伝えして、素性を隠してもらっているんです。ですので、わたしはとして学校生活を謳歌できています」


「担任もグルだったか……」



 学校に協力者がいなければ、天城グループのご令嬢の噂はすぐに広まるだろう。

 金か圧力かは知らないが、学校側に気を遣わなくていいのは助かる。



「どうしてそこまでして素性を隠そうとするんだ?」


「お父様のご意向です。天城の名を使わず、わたし自身の力で生きるように言われていまして。高校進学を機に一人暮らしを始めたのもそれが理由です」


「部屋がな惨状だったのもそれが理由か。千鶴さんが手伝っていたらゴミ出しくらい訳ないもんな」


「うぅ……。アレって言わないでくださいよぉ」


「悪い悪い」



 今のは失言だった。天城さんが涙目になっている。でも、泣き顔も可愛かった。

 天城さんは甘やかされて育った節がある。だから一人暮らしを始めて、あっという間に汚部屋になったのだ。



「一人暮らしさせているのは社会経験を積ませるためか?」


「それもありますが……、わたしが家にいると空気が悪くなりますから」


「え?」


「あっ、いえ……。なんでもありません」



 天城さんは慌てたように首を横に振る。いつも穏やかに笑っている天城さんの顔が、一瞬だけ曇ったのを俺は見逃さなかった。

 それぞれの家庭にそれぞれの問題がある。事情を知らない赤の他人に土足で家に上がり込まれたら俺だってぶち切れる。

 だけど……。



「何か悩みがあったら遠慮なく言えよ。俺は天城さんの付き人なんだ。俺でよければ話くらいは聞くから」


「風馬くん……」


「家の件はクラスの連中にも黙ってた方がいいよな」


「そうしていただけると助かります」


「だったらこれまで通りの俺たちでいこう。人も増えてきた。そろそろ離れた方がいい」



 校門に近づくにつれて学生の姿が増えてきた。俺と天城さんは距離を離して通学路を歩くことにした。天城さんは前に、俺は後ろに回る。



「むぅ……」



 すると、数歩歩いたところで天城さんがピタリと足を止めた。すぐに追いついてしまう。



「どうした?」



 隣に並んだ天城さんの顔色を窺う。

 天城さんはすねた子供のように頬を膨らませていた。



(怒らせたのか?)



 俺が天城さんの付き人になったことは親にも学校にも秘密だ。

 人前で距離を取るのは、秘密を守るためにも理にかなった行動だと思うんだが……。



「強権発動してもよろしいですか?」



 天城さんは頬を膨らませたままそう言うと、俺の肩に自分の身を寄せてきた。



「これでよし」


「よくないだろ。こんな近いと俺たちが仲良しみたいじゃないか」


「わたしと風馬くんはクラスメイトなんですから仲が良くてもいいんです。これくらいならいい、むしろやれと千鶴さんも仰ってました」



 天城さんはツーンと顔を逸らすながら、「テコでも動かないぞ」とばかりに俺の隣に立ち続けた。

 道行く女子生徒が「おや?」と驚いたように俺たちの様子を窺うが、すぐに興味を失ったように立ち去った。



「見てください。わたしたちが仲良しでも他の方は気にも留めません。これくらい普通なんですよ。傍目からはクラスメイトがたまたま偶然道ばたで出会い、話をしながら歩いているようにしか見えませんから」


「言われてみればそうかも?」


「うんうん。言われなくてもそうなのです」



 天城さんは「はい論破」とばかりに両手を合わせて話を終わらせると、俺に肩を寄せてきた。それから急にモジモジとし始める。



「というわけで、楽しくお喋りしちゃいましょう……」


「お、おう……」



 天城さんは頬を赤く染めながら困ったように目を泳がせる。

 勢いで話をまとめたが、いざ喋るとなるとネタが浮かばなかったのだろう。


 積極的なのか恥ずかしがり屋なのか、よくわからない子だ。

 けれど、この不安定さ(挙動不審とも言う)は天城さんらしくて可愛かった。




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