第12話 はじめてのお友達と冷たい婚約

「元々、ロベリア様とは友人ではなく、わたくしの婚約者が勝手に押しつけた関係でした。わたくしなら、ロベリア様に気に入られるだろうから、と」


 イェリナが投げた疑問は、サラティアの凛々しく美しい顔に影を落とした。


「気に入られる……? なにか共通点でもあったのですか?」

「あるわ。わたくしもロベリア様も、冷たい婚約を交わした者だから」

「冷たい婚約?」

「ロベリア様は昨年の星祭りで、婚約者の方から代理の者をつかわされたそうよ。それ以外にも、夜会や王家主催の催し物でのエスコートもなく、贈り物もない。わたくしも、今年の星祭りは婚約者から代理人を寄越すと言われているから……」


 冷めた目を伏せて首を振るサラティアの姿は、衝撃的だった。

 他人の噂話や嫌味な視線に動じなかったサラティアが、イェリナの女神様が、こんなにも哀しそうな姿を晒しているなんて。


「こんなに素敵なサラティア様に、代理人をあてがうなんてその婚約者の方正気ですか!?」

「ふふ、ありがとう。でも仕方がないのよ、彼にも役目があるのですから」

「……サラティア様は、そんな仕事人間な婚約者の方をお慕いしているのですか?」

「わたくし、昔は病弱だったのよ。ある日、風邪を拗らせて生命が危うくなったことがあって……その時に彼が万病に効くという霊薬を持ってあらわれたのです」

「命の恩人じゃないですか!」


 思わず叫んだイェリナに、サラティアは目を伏せて続けた。


「ええ。でも、婚約することが条件だったのよ。両親はわたくしの命が助かるのなら、と急ぎ婚約を結んで霊薬を譲り受け、そうしてわたくしは今、ここにいるのです」


 命と引き換えの婚約だなんて。けれど、その身勝手な行動がなければサラティアは今、ここにはいない。


「婚約後、彼とは特に距離が縮まるようなこともなかったわ。ダンスも家族パーティーの時くらいしか踊らない。公的な夜会や行事で踊ったことがないの。ロベリア様に言われた通り、冷たい婚約なのよ」


 イェリナは寂しそうに微笑むサラティアの姿に、なにも言うことができなかった。

 俯き加減で奥歯を噛むイェリナをどう思ったのか。サラティアが気持ちを切り替えるような明るさでパチンと手を叩く。


「そんなことより、イェリナ様は星祭りの日はカーライル様とダンスを踊るのよね? 推薦人と保証人はどういたしますの? 二日後までに申請を出さないと参加自体ができなくなりますわよ」

「す、推薦人と保証人……」

「まさか貴女……」

「ち、違います違います! ちゃんと知ってます!」


 星祭りの舞踏会ダンスパーティーへ参加するために必要条件が、推薦人と保証人である。

 星祭りは、学院アカデミーの学内行事である一方で、これから社交界へ足を踏み入れる学生たちがその予行演習として、婚約者や家門にとって重要な人物などを紹介する場でもある。この人物は社交界に出しても問題ない、と保証し推薦する人間が必要なのだ。


「知っては、いるんですけれど……」


 イェリナは思わずサラティアから目を逸らしてしまった。

 アドレーに認められればなんとかなるんだろう、という浅薄な考えをサラティアに知られたくはない。アドレーが認めざるを得ないような、謙虚で慎ましく、寡黙で知的な振る舞いなど、イェリナは少しもできていなかった。

 すべては幻覚眼鏡セドリックのせいだ。あの麗しい幻覚眼鏡のおかげで、感情のコントロールがまったくできない。


(眼鏡を前に、冷静でいられるなんてそんなこと、ある? ないわ)


 そして、イェリナのお友達は、できたばかりのサラティアだけ。学院アカデミーに知人すらいないイェリナは頼る先がないのである。


「わ、わたしのお友達は……サラティア様が、その……はじめてで唯一なので」

「よろしい、わかりました。わたくしが貴女の推薦人兼保証人になりましょう」

「そ、そんな即決で!? 大丈夫、大丈夫なんです! わたしがアドレー様に認められれば、どうにかなるんです! ……多分」

「どうにもなりませんわよ、イェリナ様。あの男は一度、否と言ったことを簡単に覆すような男ではありません。わたくしがイェリナ様を推薦し、保証いたします」


 神さま眼鏡さま女神サラティアさま! イェリナは確信した。サラティアは神々が遣わした地上に降りた女神であったのだ。

 その女神がイェリナの手を恭しく取り、微笑んだ。


「イェリナ様、もしもカーライル様と踊れなくなっても、心配しなさらないで。わたくしが責任を持ってお相手をお探しいたしますわ、よろしくて?」

「よろしいです! わたし、星祭りの単位が取れれば、それでいいので!」

「困るな、ビフロス令嬢。僕からイェリナを取り上げないでくれないか」


 いつから話を聞いていたのか。サラティアとの会話にセドリックが割り込んできた。

 柔らかな笑みを浮かべたセドリックはすぐさまイェリナの側へ寄り、サラティアから奪い取るように腰へ手を回して引き寄せる。どこか遠くの方から悲鳴のような声が上がったような気がするけれど、イェリナの耳には届かない。

 いつもながら、セドリックは距離感が近い。イェリナは至近距離に迫るセドリックの顔をジッと見上げた。


楕円形オーバル型フレーム……。安心する優しい丸さとセドリックの柔らかい雰囲気がマッチして、最高の仕上がりだわ……素敵。さすが楕円形オーバルね、細身の金属素材メタリックだと制服にめちゃくちゃ似合って、最高以外の言葉がないわ!)


 うっとりとセドリックの幻覚眼鏡を見つめるイェリナをよそに、サラティアがキョロキョロと周囲を見渡しながらセドリックに話しかけた。


「カーライル様、あの男は一緒ではありませんの?」

「ちょっと今、喧嘩中なんだ。アドレーはイェリナが気に入らないらしくてね、イェリナに余計な忠告なんかをするから彼女の素晴らしさを説いたんだけれど……頑なになってしまって」

「なんてこと! あの男、イェリナ様になにを言ったのです!?」

「え、と……ロベリア様にセドリックを譲って欲しいとか、サラティア様には近づくなとか……」


 セドリックの腕の中で、イェリナがチラリとサラティアを見る。サラティアの凛々しい顔には、怒気を孕んだ恐ろしい気配が漂っていた。


「そうですか、わかりました。イェリナ様、わたくし、喫緊にしなければならない用事ができました。今日の講義はすべて欠席いたします。カーライル様、イェリナ様をよろしくお願いいたしますね」


 にこりと美しく微笑むサラティアに、イェリナは小さく頷くことしかできなかった。

 背筋を伸ばして踵を鳴らし、颯爽と立ち去るサラティアの凛々しくも恐ろしい後ろ姿が見えなくなったころ、息を詰めていたらしいセドリックが、長々と息を吐き出した。


「ビフロス令嬢は味方につくと頼もしいな。イェリナ、いい友人ができたね」


 セドリックの言葉には、完全に同意しかない。イェリナは、サラティアだけは怒らせないよう気をつけよう、と心に固く誓って講義開始十分前のベルが鳴る音を聞いたのだった。




「イェリナ、アドレーの籠絡はうまくいっている?」

「ろ——!? 物騒なことを言わないでください! 全然うまくいっていませんよ、アドレー様には避けられているし、認められるって、どうすればいいのか……」


 講義室へ向かう道すがら、イェリナの隣を行くセドリックが何気なく言った言葉に動揺しながらも、イェリナは行き詰まっていることを正直に話した。

 アドレーに認められること、という条件はイェリナが言い出したことだ。けれど、イェリナは自分が、ひと一人の意志を変えられるような力や魅力を持っているようには思えなかった。


(アドレー様の忠告に反してサラティア様とお友達になってしまったし)


 悩めるイェリナは、穏やかな微笑みを浮かべるセドリックの横顔をチラリと見た。イェリナが助けを求めるのを待っているかのような、慈愛に満ちた目。まあるく弧を描く唇と眉の形。

 セドリックの柔らかな雰囲気に、イェリナの心が少し緩んだ。呼吸をひとつ吐き出して、イェリナは廊下の真ん中で立ち止まる。


「どうしてセドリックは、わたしの話を聞いてくれるのですか? だって……わたしの眼鏡の話をあんなに真剣に聞いてくれるなんて、普通、できない」


 吐き出すようにポロリと吐露して、イェリナは両手を組んできつく握り締めた。

 イェリナの心が緩んで元に戻らないのは、セドリックが柔らかく微笑んでいるからじゃない。

 セドリックはこの世界ではじめてイェリナの眼鏡話を真剣に聞いてくれたひとだ。聞いてくれただけじゃなく、興味を持ってアドバイスまでしてくれた。

 故郷の家族も、馴染みの商人や職人たちも、イェリナの話に真面目になってくれたひとはいない。眼鏡を生み出す過程で産まれた技術や伝手に興味はあれど、眼鏡そのものに興味を持ってくれたことは、一度もなかったから。

 だから、どうしても期待をしてしまう。セドリックは眼鏡をかけていないのに。

 イェリナが顔を上げると、セドリックの顔にかかっていた楕円形オーバル型フレームの幻覚眼鏡が揺らいでいた。フレームの輪郭が薄れ、レンズは視えない。色形やあやふやで、今にも空気に溶けてしまいそう。

 待って、消えないで! とイェリナが心の中で叫んだのと、セドリックの柔らかな声が返ってきたのは、同時だった。


「イェリナが僕を利用するように、僕もイェリナを利用しているだけ」


 その言葉は、幻覚眼鏡が儚く揺らいで動揺するイェリナの心に、深く深く突き刺さった。

 返ってくる言葉に期待したわけじゃない。セドリックの言葉はただの事実確認だ。そんなこと、わかっている。頭ではわかっているつもりだった。それなのに、心を槍で貫かれたように、酷く痛い。

 イェリナは再び俯いて、首を緩く横へと振る。


「大丈夫です、理解しています」

「……そんな悲しそうな顔、しないで。利用はしているかもしれないけれど、イェリナにしかできないことがあるから」

「えっ、……え?」

「イェリナ、僕はね。イェリナに呪いを解いて欲しいんだ」


 呪い、という言葉にイェリナは思わず顔を上げた。

 貴族にとって呪いは致命的だ。解呪できなければ穢れた血として、社交界から追放される。追放ですめばいい方で、一族や関わりのある人間すべてが殺されてしまうこともある。それくらい、イェリナも知っていた。


「の、呪い!? こんなところで悠長に話している場合ではないのでは!? 呪術系魔法専門のラデリア教授は訪ねましたか!? 解呪する条件はなんですか!? わたしはなにか協力できますか!? 少しでも効果抵抗があった方がいいですよね、護符を作りましょうか!?」


 イェリナは伊達に第二学年の主席ではない。自分が有する知識を総動員して呪いに対する対抗策を思いつくままに吐き出した。

 けれど、こんな基本的な対応をセドリックがしていないはずがない。イェリナは必死で頭を回転させて、ある知識に辿り着いた。


「呪い、呪い……呪いなら、乙女のキスが必要ですか!?」


 完全に物語知識であるそれを、イェリナは躊躇わず実行した。イェリナの焦燥に唖然とするセドリックの手を掴んでグイ、と引き寄せ、高さが足りないことに気づいて背伸びをする。


(このひとを絶対に失ってはならない!)


 そんな衝動に突き動かされて、イェリナはセドリックの柔らかく滑らかな頬に、自分の唇を押し付けた。

 セドリックと出会ったおかげで、イェリナは眼鏡を思う気持ちが救われたから。

 たとえ、お互いが利用し合う関係であったとしても、失いたくはない。

 セドリックをいつか失ってしまうかもしれない。喪失を想像しただけでイェリナの目尻が濡れる。その熱い涙に我に返ったイェリナは、途端に恥ずかしくなって、濡れた目を手で拭いながらセドリックからそっと離れた。

 すると、である。


「……ふっ、ふふ。ははは、そうか、君はそういう反応をするのか」


 セドリックが肩を震わせて笑っていた。


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