第3章 互いに利用し合う関係

第11話 星祭りの伝説

「セオ……俺は今、なにを見せられたんだ?」


 セドリックとイェリナの逢瀬の様子を保存した記録魔法を見せられていたアドレーが、頬を引き攣らせてため息を吐いた。アドレーの口から愛称が漏れるほど、衝撃的だったらしい。

 まあ、仕方がない。セドリックは、男女差や身分差を物ともしないイェリナの様子を思い出し、微笑んだ。


「最高でしょう、イェリナは」

「どこが最高なんだ。図々しくて洗練されてもいない、お前に対して遠慮がないし、うるさく喋りすぎている女の、いったいどこがいいと言うんだ?」


 憮然とした表情でアドレーが首を振る。それを見たセドリックは、不機嫌であることを隠さず深く息を吐き出した。

 イェリナは、カーライル大公家にかけられた呪いを解く鍵であるメガネなるものを知っている。絶対に逃してはならない。

 だからセドリックは、イェリナとの逢瀬はいつでも見返せるように記録魔法で残しているし、学年違いのイェリナとすれ違わないように透視魔法で監視をしている。

 普段のアドレーならば、セドリックの思惑を読み取って、イェリナがカーライル大公家にとって重要人物であることをすぐに理解しただろうに。


「アドレー。君、マルタン令嬢と悪巧みをするようになってから、目が悪くなったんじゃない?」

「どういう意味だ。俺はお前の将来を考えて動いている。家格の釣り合わない田舎令嬢なんかより、お前はロベリアと結ばれた方がいい」

「マルタン令嬢の婚約者はどうするの」

「ロベリアだって、普段の舞踏会や晩餐会でもエスコートしてくれず、昨年の星祭りにも代理を寄越して本人は手紙のひとつ贈らなかった婚約者との関係を解消したがっている。渡りに船じゃないか。ロベリアと縁を繋いでおけば、不毛の地セーリング領で苦労することはない。マルタン侯爵家は金融家だ。侯爵も溺愛する娘のためなら支援は惜しまない」

「結局それって、領地のためっていうよりも、君の婚約者のためでしょ。不毛な地であるセーリング領で彼女に苦労をかけたくないってだけ」


 セドリックの指摘に、アドレーの肩がぎくりとすくむ。

 今でこそ凛とした姿で学院アカデミーに通うアドレーの婚約者は、今では健康そのものであるけれど、幼い頃は病気がちでベッドに臥せっていることが多かった。

 それをセドリックがカーライル大公家の力を使い、病を癒す霊薬を取り寄せ、アドレーに渡した。アドレーはその霊薬を使って婚約者の命を救い、婚約を結んだのだ。


「大事にすることと過保護なことは違うと思うけど。アドレー、君、ちゃんと婚約者を見ているの?」

「なんの話だ?」


 アドレーに睨まれたセドリックは、反射的に強く言い返しそうになって、やめた。

 手のひらで展開したままの魔法の窓に、イェリナがクリームをたっぷり乗せたホットケーキを美味しそうに頬張る映像が流れているのが見えたから。

 はあ、とひと呼吸。短く吐いて、気持ちを落ち着けたセドリックは、普段通り柔らかくまぁるい声でアドレーに忠告した。


「わかっていないなら、わかるべき。僕より彼女を優先することを、僕は許している。だから、しっかり目を開けて彼女を見たほうがいい」


 セドリックはそう言いながら魔法の窓を展開していた手を握り、名残惜しそうに記録魔法を消した。

 そうして、メガネなるものをキラキラした目で語るイェリナの可愛らしい姿を脳裏に浮かべ、アドレーに向けて片目を瞑る。


「もちろん、イェリナのこともね」


 §‡§‡§


「イェリナ・バーゼル男爵令嬢。お話がありますの。少しお時間よろしくて?」


 第三講義を終えたイェリナが教科書やノートを抱えて講義室を出たところで、聞き覚えのある声に呼び止められた。

 振り返った先にいたのは、三名の令嬢だった。


(後ろに控えておられる金髪巻毛は……ビフロス様。ということは、先頭に立っておられるのは……マ、マ……マリラン侯爵令嬢様? 違う、そんな家名は存在しないわ)


 イェリナは、ロベリアの名前を思い出そうと必死でもがいた。眼鏡をかけていない人間の顔と名前には興味を持てない。興味が持てないものは、覚えられない。

 それでもイェリナは、かつて紋章や徽章と家名を結びつけて覚えた自分の努力を信じて頭を回す。


(ああっ! どうしてこの御令嬢は襟止めブローチをつけていないの!)


 セドリックやアドレー、サラティアやオレンジ髪の令嬢——彼女の徽章はいつも髪に隠れて全貌が見えないけれど——は、家名を示す徽章をつけているというのに。

 学院アカデミーの理念は自由と平等だ。権威の象徴である徽章や襟止めブローチを身につけないことで、自由と平等をあらわす伝統がある。その伝統も、守っているのは下位貴族だけだけれど。

 イェリナが戸惑っていると、周囲を警戒しながらもロベリアが距離を詰め、声を潜めて耳打ちをしてきた。


「ジョルジオ・ゼントの件はごめんなさいね。彼はマルタン侯爵家に忠実なだけなの。私がなにも言わなくても、善意であなたに痛い目を見せてやらなければ、と義憤に駆られる家臣が、この学院アカデミーには大勢いるから」

「わ、わたしに単位を取らせない、ということですか!?」


 気を許した途端、グサリと深く刺された気分でイェリナが青褪めた。それを見たロベリアがクスリと笑う。


「あら、単位が必要なの? あなたが欲しいのはセドリック様なのではなくて? 星祭りの伝説を利用して、身分差を越えようとしているのでしょう?」

「あの……星祭りの伝説……って?」

「無知なふりがお上手ね。そうやってセドリック様に取り入ったの? 星祭りの伝説は、幼い子供でも知っているわ」


 ロベリアは呆れたように息を吐き、無知なるイェリナに説明しはじめた。


「昔、美しい姫と身分の低い家門出身の宰相が恋に落ち、結ばれないことはわかっていても思いを積み重ねていた。けれど、姫を我がものにしたいと思った隣国の王が、姫の想い人である宰相に呪いをかけた。姫は隣国の王を招いた舞踏会で、真実の愛を示して呪いを宰相の呪いを解いたのよ。その日は星降る夜で、夜空の美しさと愛し合うふたりが涙ながらに踊る姿に心打たれた国王が結婚を許し、ふたりは結ばれた——という伝説よ」


 なんと、そんな伝説があったとは。


「それ以来、真実の愛で結ばれながらも、身分差で婚姻が難しい男女が星祭りで踊るとき。夜空の星が降るような奇跡が起こったのなら必ず結ばれる、といわれているの」

「待ってください、その伝説とわたしは無関係ですよ!? 単位……単位が欲しいんです!」

「言葉に気をつけなさい、バーゼル男爵令嬢! ロベリア様の慈悲深さがわからないの!?」

「リリィ様、彼女はまだ対高位貴族への礼儀作法の授業を受けていません。ロベリア様、御身には御婚約者様もおられるのですし、カーライル様の婚約者になるなどというお戯れは終わりにされた方がよろしいのでは」

「あら、サラティア。この田舎娘の肩を持つつもり? あなた、それでも私の友人なの?」


 ロベリアの傲慢な態度と言葉に、イェリナは反射的に言い返していた。


「あの、すみません。ビフロス様を責めるのは筋違いではないでしょうか」

「ち、ちょっと、イェリナ様!? な、なにを言っているの、口を閉じなさい!」

「えっ、嘘っ!? ビフロス様がわたしを名前で呼んでくださるなんて……授業中のあれは聞き間違いじゃなかったんですね! ああ……嬉しいです。やっぱりビフロス様は親切でお優しい方!」


 あっ、やっぱり女神様がここにいる。イェリナは自分の名前を呼んだサラティアをキラキラした目で見つめ、思わず距離を詰めて手を握った。途端に、サラティアの頬が、顔が、真っ赤に染まる。


「な、な、なにを言っているのか理解できません! わたくしはただ、身分の壁を簡単に乗り越えてくる貴女が危なっかしいと思うから……」

「ほら、やっぱり! やっぱりビフロス様は親切な方です!」

「なにが『やっぱり』なのかちっともわかりません! ……ああ、もうっ! 貴女、わたくしのことはサラティアと呼びなさい、名前で呼ぶことを許すから!」

「〜〜っ、サラティア・ビフロス伯爵令嬢ッ!! 私を見なさいッ!」


 雷のような、爆ぜる炎のような、力強いロベリアの声が辺りに響いた。その声の強さに、凛としていたサラティアの肩がビクリと跳ねる。

 ロベリアはその美しい紫色の目を苛立ちで吊り上がらせて、身体を震わせていた。それを見たイェリナの口から、反射的に言葉が飛び出した。


「ロベリア様! 失礼ながらひと言申し上げますが、ご友人というものは、強要して作るものではなく、自分で望んでなるものです!」


 イェリナは怒るロベリアを無視して、サラティアの手を引いた。冬の泉のような青緑色の目が驚愕で見開かれる。

 この場を離れなければ。これ以上、怒りをぶつけられてはたまらない。焦燥感に駆られたイェリナは、サラティアを強引に連れ出そうと一歩踏み出した。


「サラティア様、行きましょう! わたし、はじめてです。お友達と授業を受けるのって」

「い、イェリナ様っ!? ななななにを勘違いされているのか知りませんが、まだわたくしと貴女は決してお友達というわけでは——」


 イェリナもサラティアも、もうロベリアのことは見ていなかった。

 その存在と怒りを無視されたロベリアは、静かに寄り添うリリィとともに、ふたりが去った講義室の扉を、ジッと黙って睨み続けていた。




 翌日。

 イェリナは今朝も二時間前倒しでセドリックとともに学院アカデミーに登校した。


『さようなら、イェリナ様。また明日』


 と。昨日の帰り際に、凛として透き通った声に挨拶をされてから、イェリナの心は最高潮に高まっていた。はじめてできたお友達という事実は、とろけるほど甘美である。

 だから、昨日とはまた違う理由——早くお友達に会いたいという理由で、イェリナは早朝に登校したのである。

 イェリナは、サラティアが来るまでの時間潰しを兼ねて、予習復習のために図書閲覧室へ引きこもり、始業時間も近くなったころに講義室へ向かった。

 その廊下の半ばで、イェリナは周囲のざわめきが昨日とはまた違う音を持つことに気がついた。


「あら見て、どこかの田舎娘に心酔してマルタン侯爵令嬢様に逆らった、身の程知らずの御令嬢が来ましたわ」

「ねぇ、あの方……確か婚約者がいたのではなくて? 冷たい婚約らしいけれど」

「冷たい婚約? あらあら、なんて惨めで虚しいこと……お気の毒にね」


 ヒソヒソ、ヒソヒソ。いくら貴族に噂好きな面があるといっても、これは酷い。


「サラティア様は……サラティア様は、とても親切でお人好しで、それでいて凛々しく美しい素敵な方なのに」


 世界はこんなにもわかりやすく変わるものなのか。怒りを胸に収めてひとり歩くイェリナの肩に力が入る。無意識に頬を膨らませそうになったところで、凛とした涼やかな声がイェリナを呼んだ。


「イェリナ様、おはようございます」

「さ、サラティア様……お、おはようございます!」


 イェリナと親しげに挨拶を交わすサラティアの姿に、周囲がざわりとどよめいた。噂と冷笑の標的にしていた人物が堂々とあらわれたのだ、狼狽うろたえもするだろう。

 けれど一番驚いたのは、イェリナだった。うっかり淑女らしからぬ顔でサラティアをジッと見る。


「なんですの、変な顔をして」

「あの……いいんですか? わ、わたしと仲良くしたらサラティア様が……」

「貴女、わたくしを見くびらないでくださる? わたくしを取り巻く状況が変わったのは、わたくしの選択によるものですわ。貴女、わたくしの意志を踏み躙るおつもりかしら?」


 周囲の視線と囁きで気弱になってしまったイェリナを叱咤した。その凛々しい微笑みに涙腺が緩みそうになって、イェリナは慌てて首を振る。


「い、いえ、そんなつもりは!」

「でしたら、なにも問題はないわ。わたくしはわたくしのお友達を自分の意思で選んだだけよ」

「さ、サラティア様……ッ!」


 やはりサラティアはイェリナの女神であった。

 もう他人の視線も囁きも、気にならない。イェリナはサラティアのように胸を張り背筋を伸ばし、口さがない噂が飛び交う廊下をイェリナがニコニコと上機嫌で歩く。

 イェリナは自分と同じようにまったく気にしていない様子のサラティアに「そういえば……」と呟いた。


「サラティア様と、ええと……ろ、ロベリア様とは、どのような関係だったのですか?」

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