第9話 監視するほど気に入っている

「アドレー、僕は今からイェリナのところへ向かうから。同行は不要だ」


 講義中にも関わらず、手のひらの上で魔法を展開していたセドリックが、隣に座って真面目にノートを取っているアドレーにそう告げた。

 今朝、イェリナを巡って仲違いをしたはずのアドレーは、セドリックの忠実なる従者であった。多少の意見の食い違いで離れるような人間じゃない。

 アドレーは万年筆を走らせる手を止めて、ため息を吐いた。


「セドリック、お前……講義中だぞ。よく透視魔法なんか展開できるな」

「今はテスト時間じゃないし、監視している先はイェリナだ。なにも問題はない。そうでしょ?」

「……堂々と監視してることを認めるなよ」


 アドレーは、あんなにもイェリナに敵意を抱いていたはずなのに、どこか同情的な表情を浮かべていた。

 セドリックが展開していたのは、透視魔法だ。手のひらに魔法の窓を作り、窓を通して監視対象の様子をリアルタイムで映し出す。

 少ない魔力で展開できるこの魔法は、セドリックにとっての、とっておきだ。使う魔力が少なければバレにくいし、なにより生命魔力を消耗せずにすむ。

 セドリックの事情を一切教えていないアドレーが、不遜な態度でセドリックを睨む。


「監視するほど、あのお嬢さんを気に入ってるのか? 今までこんなこと、したことないだろ?」

「彼女を逃してはならない、という気持ちがあるだけ」

「やっぱり本気になったのか? あんな田舎娘に。今まで、聞き分けのいい寡黙で慎ましやかな令嬢ばかりだったのに?」


 セドリックはアドレーの問いかけには答えずに、柔らかく微笑みを返した。

 アドレーが言う通り、セドリックがこれまで側に置いてきた女性は皆、謙虚で慎ましく、寡黙で知的な令嬢ばかりであった。

 万が一、カーライル家の血の呪いの存在が表に出たとしても、その知恵と賢さで自分の身を守れるような令嬢ばかり。そんな令嬢たちが困っているときに手を差し伸べて、利用してきた。


「アドレー。今なら君がご執心のマルタン侯爵令嬢側に寝返っても許すよ」

「バカ言え。俺はお前に返しきれない借りがある。俺がお前を裏切ることはない。俺の忠誠心を試すような真似はするな」

「はは。頼もしいな、アドレーは。それ、僕が呪い持ちでも言える?」

「はぁ? 呪われてるなら話は別だろ。普通、呪い持ちに関わろうとするヤツはいない」


 アドレーが、なにを馬鹿なことを言っているのだ、と顔を顰めた。予想通りの言動なのに、セドリックは酷く傷ついた。

 本当に大公家が呪われていると知ったら、きっとセドリックを憎むだろう。はじめから呪いの存在を知っていたら、セドリックを頼りもしなかっただろう。

 ひとり静かに落ち込むセドリックに、アドレーが呆れた表情で言葉を放つ。


「お前、その試し行動をやめろ。歴代の彼女たちにしてドン引きされた行動を、俺にするな。そんなことをしなくても、俺はお前のためになる行動しかしない」

「それ、僕のための前に『俺の婚約者と』が抜けてるでしょ」

「う、うるさいッ! あいつは俺の命なんだよ!」


 セドリックは、頬を赤く染めて認めるアドレーをからかう気にはならなかった。

 気の置けない親友であり、忠実なる従者であっても、やはり呪いは駄目なのか。


(呪いさえ、なければ。けれど、呪いのおかげでイェリナに出会えた。そのイェリナの存在が呪いを解いてくれるかもしれない)


 セドリックは自分の身体を巡る血を、呪いを、恨んでいる。

 短命なだけならば、まだ耐えられた。けれど、生きているだけで魔力が減衰してゆくなんて、それだけは耐えられなかった。

 去年使えた大規模魔法が、今年はもう使えない。

 先月使えた広範囲探索魔法が、今はもう使えない。

 減衰してゆく生命力のせいで、省エネで生きるしかなかった。

 他人とのトラブルを避けるために、常に微笑みを浮かべるような。親しい人間を作らず、孤高の人生を行くような。

 それが、イェリナの登場によって覆されようとしている。この機を逃すなど、もってのほかだ。

 だからこそ、イェリナをいつでも助けられるように、あるいは、イェリナが不用意にメガネなるものの話を誰かにしようとしたときに、透視魔法で監視をしているのだ。

 セドリックはイェリナを監視していた魔法の窓を、手を握り込んで消すと、アドレーの顔も見ずに一方的に告げた。


「アドレー。今は君に自由を与えているのだから、僕がすることに口を挟まないように」

「……それは、命令か?」

「うん、命令。僕らはしばらく喧嘩していることにしよう」


 セドリックは、ようやくアドレーを見ながらニコリと微笑んだ。

 そうして、講義中にも関わらず堂々と席を立ち、講義室を後にしたのであった。


 §‡§‡§


 一方その頃、錬金術基礎の講義室では。


「しっかりしなさい、イェリナ・バーゼル男爵令嬢!」


 俯いて震えるイェリナを叱咤するように、鋭く凛とした声が響いていた。

 講義室の後方に座っていたサラティアが、イェリナを真っ直ぐ見つめて立っていた。彼女はゆっくり歩いてイェリナの元へ向かう。


「……ビフロス、様……? ど、どうして……」

「愚問ですわ、バーゼル男爵令嬢。鉱物と加工を専門とするビフロス家のわたくしも学んでいない知識を披露しました。笑われるのではなく褒められるべきです。あざけられるのではなくたたえられるべきです」


 サラティアの発言で講義室中に満ちていた嘲笑が消えた。それまで笑っていた学生たちは、みな居心地悪そうに縮こまる。


「そうですよね、ゼント教授。では、バーゼル男爵令嬢の評価を。……あら、ゼント教授? どうなされましたか?」


 話を振られたゼント教授は苦虫を噛み潰したような顔をして、乱れてもいない教科書を整理してから頷いた。


「……バーゼル嬢、素晴らしい解答だった。これからも励むように」

「あ、ありがとうございます、教授」

「もうひとつ。そのうるさく鳴っている腹の音を静めてきたまえ」


 そう告げたゼント教授が、右手をひと振りする。途端にイェリナの身体が光だす。

 イェリナは強制退去の魔法によって、あっという間に講義室外へと放り出されてしまったのである。




「……よし。ご飯食べよ」


 講義室を追い出されてしまったことで、他人の目を気にしなくてよくなったイェリナは、すぐさま気持ちを切り替えた。

 空腹を訴えることを覚えたお腹は、もう何度か、ぐぅ、と鳴り続けている。鳴き止みそうにないお腹を抱え、イェリナはふむ、と思案する。


「今日はお弁当サンドイッチを用意できなかったから……喫茶カフェテリア食堂ダイニングね。うーん……喫茶カフェテリアにしよう」


 イェリナは目的地を決めると、喫茶カフェテリアへと向かって歩く。

 学院アカデミーでは、喫茶カフェテリアでの飲食代はすべて学費に含まれる。ブッフェ形式で提供される喫茶カフェテリアには、学才はあれどお金がない下位貴族の子息令嬢が多く出入りしている。

 一方で食堂ダイニングは、金銭面で余裕のある子息令嬢や、私的空間プライベートを重要視する高位貴族の子女たちの利用が多い。メニューも決まったものはなく、メインとなる食材を選んでから調理が開始されるコース料理が提供されている。

 ぐうぅぅぅ。

 再びイェリナのお腹が空腹を訴えた。一刻も早くこの荒ぶる空腹を鎮めなければ。そんな義務と焦燥感に襲われて、イェリナの足も早くなる。

 急ぎ足で廊下を曲がり、学舎を出た。大庭園に面している喫茶カフェテリアへ続く道を駆け出しそうになったところで、


「やあ、イェリナ」


 と。ばったり出会でくわしたのは逆台形ウェリントン型フレームの幻覚眼鏡……いや、セドリックである。


(なんてこと。学院アカデミー逆台形ウェリントン型フレーム、合う。制服に眼鏡ウェリントン、最高!)


 空腹を忘れ、ひとり静かに胸の内で猛るイェリナに、セドリックが心配そうな顔をして近づいてきた。高い背を屈めてイェリナの顔を覗き込む。


「どうしたのイェリナ。僕の顔に、なにかついてる?」

「セドリック、あ、あのですね……」


 イェリナにしか視えない眼鏡に萌えていたのです、とは言えずに言い訳を探す。すると、空腹を忘れるなと主張するように、けれどか細く控えめな声で、くぅ、とお腹が鳴いてしまった。

 途端にイェリナの顔に血が昇る。


「あっ、あの、これは……!」


 咄嗟に言い訳をしようとしたけれど、頭の中が白く染まってしまって言葉がなにも出てこない。顔だけが首まで真っ赤に染まり、背中は汗がじわりと滲む。

 イェリナは心の中で、落胆の息を吐いていた。

 どうしてセドリックの前だと、謙虚で慎ましく、寡黙で知的ないつもの自分になれないんだろう。少しも淑女レディらしく振る舞えない。

 ここは貴族が治める王国で、身分差のある世界だ。けれど、知識としては知っていても、完全には理解できていないのかもしれない。

 だから、つい、うっかり。男女が限りなく平等だった前世での振る舞いをしてしまう。それが周囲の令嬢方やアドレーの顰蹙を買うことを理解していても。


(セドリックが幻覚眼鏡をかけているからかな。貴族令嬢としての感覚が薄れてきている気がする)


 これではアドレーに認めてもらうどころか、セドリックだってイェリナを認めてくれないだろう。

 セドリックは高位貴族にありがちな気まぐれと優しさでイェリナのパートナーになろうとしてくれている。けれど、気まぐれと優しさなんて、いつ変わってしまうかわからない。

 今、セドリックにそっぽを向かれてしまったら、イェリナの単位は燃え尽きる。落第待ったなしだ。落第すれば、眼鏡開発から遠ざかってしまうことになる。

 それだけは嫌だ。絶対に避けなければ。

 イェリナは、淑女たる自分を主張アピールするように、呼吸を整えて背筋を伸ばした。お手本にしたのはサラティアだ。彼女の姿勢は凛としていて筋が通っているかのようで美しいから。


「わたしはこれから昼食ランチへ行くところです」


 お腹などなにも鳴らなかった、というようなすました顔でイェリナは告げた。するとセドリックが、なにもかもわかっているというように優しくまぁるく微笑んだ。


「イェリナ、それなら一緒にどう? 外へ行く? 目立ちたいなら、食堂ダイニングでも構わないけれど」

「一緒に食べるのは決定事項なんですね、セドリック。……あのですね、わたしには王都で外食できるような余裕はないんです」

「知ってる。知っていて提案している。イェリナは大人しく僕に奢られて、分不相応にもデートして奢らせた、という不名誉な噂を立てられるのを甘んじて受けるのがいいんじゃないかな」

「セドリック。それ、本気で言ってます?」


 不名誉な噂を立てられる代わりに奢られろ、だなんて、なんて傲慢な。とはいえ、学院アカデミーでのイェリナの評判は、もうすでに地に落ちている。不名誉な噂が流れたとしても、イェリナの評判はこれ以上落ちようがないだろう。

 イェリナはジト目でセドリックを見つめながら、深く息を吐き出した。

 随分無礼な態度であったけれど、セドリックの表情が曇ることも爆ぜることもなかった。セドリックは頬を柔らかく緩めたまま、逆台形ウェリントン型フレームの幻覚眼鏡の奥で片目を瞑ってみせた。


「僕はいつでも本心しか言わないよ。僕と外食、したくないの?」


 幻覚眼鏡越しのウィンクは、とてつもなくイェリナの眼鏡心によく効いた。顔だけじゃなく、全身を真っ赤に染め上げて、イェリナは激しく首を横へと振った。


「でも、それって、わたしが得するだけじゃないですか!」

「君は本当に貴族令嬢らしくなくていいな。まだ足りないようなら、イェリナが時々口にするメガネの話を」

「行きます、奢られます。ぜひ、わたしとデートしてくださいませんか、セドリック!」


 そういうわけで幻覚眼鏡をかけたセドリックの口から、眼鏡の話と言う言葉を聞き取ったイェリナは、後先考えずに反射的にセドリックの提案を即決で受け入れてしまったのである。

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