第6話ーHelp outー

 衛兵に案内され、地下室の扉を勢いよく開けると、暗い部屋の内装が浮かび上がった。銀の燭台を、片手に持ったアロイスが、両手を石柱に縛られたカオルの瞳に蝋を垂らそうとしている。扉の音に振り返り、アロイスが私の名を叫んだ。

「レジス!」

 ……蝋が、今にも垂れそうだ。熱い火に溶かされて、液状になった蝋が、固体の蝋にしがみついてぶら下がっている。————危な……

 私はアロイスに駆け寄り、前腕を手刀で叩いた。燭台が彼の手から落下し、床に当たって硬い音を立てる。間髪入れず、痺れる腕をさする彼の右腕を背中に捻った。彼が膝をつき、呻き声を洩らす。

「悪いな、アロイス。彼は私の客なんだ。返してもらおう」

 彼の腕を離し、カオルの傍に跪く。懐からダガーを取り出して鞘から抜き、彼の手首を縛る縄を切った。彼は、自由になった腕を、恐る恐る動かす。手首に、縄の模様が残っていた。その手を取り、赤くなった縄の痕を、指でなぞる。咄嗟に手を引っ込める彼に、思わずクス、と笑った。

「客だと?! そいつは不法侵入者だ!」

 立ち上がって、アロイスが叫ぶ。

「慣れない土地で、城を間違えたようだ。彼に代わって謝罪する」

 ダガーを鞘に収めながらそう言った。彼の手を取って立ち上がらせ、戸惑っているその瞳に笑いかけると、彼もぎこちなく微笑み返す。

「城を間違えた?そんな言い訳を聞くとでも?」

 ……不慮の不法侵入者に気が立っているのか、それとも私の訪問が彼の神経を逆撫でしているのか……いつもにまして、落ち着きがないな、と思う。元々、何かと突っかかってくる男だが……

「言い訳も何も。本当のことなのだから弁解のしようがない」

 そう返すと、アロイスは黙り込んだ。これ以上、彼と争いたくない。ユリカに目で合図し、入口へ向かう。

「じゃあ、我々はこれで失礼させていただこう。騒がせて悪かったな」

 道を開けて横に寄る衛兵の前を進み、扉に手をかける。

「待て!!」

 黙っていたアロイスが、口を開いた。私は扉に手をかけたまま、彼を振り返る。彼が、少し落ち着きを取り戻たのか、口角を上げた。

「仮に、彼が君の客人だとして……なぜ、異国人が君の城にいる? アテナイ人を匿っていると、君の父上に上申できる状況だが」

 思わず、ちっ、と隣のカオルに聞こえないように舌打ちをする。アロイスは、そんなことをすれば私が困るのを、わかって言っているのだ。

 ……どうするか。彼がアテナイ人じゃないのは、顔を見れば明白。それは、アロイスもわかっているはずだ。……と、なると、スパイではないことを証明しなければならないわけだが、私にも彼が何者かなんてわからない。昨日会ったばかりの男のことなど、知るわけもない。

 ……仕方ないな。

「なんだ、言い訳もなしか?」

 アロイスが腕を組み、笑う。私は肩を竦め、いや、と否定した。

「……実は彼は、私の城の噴水から出てきたんだ。もちろん、噴水の中に入る姿は誰も見ていない。いきなり、水の中から現れた」

 ここまでは、真実。ここからが本題だ。

「だから、部屋で服を着替えさせたんだが……その時、私は彼の背中に三叉槍トライデントが浮かび上がったのを見たんだ。すぐに消えてしまったが……」

 カオルとユリカが、驚いたようにこっちを見る。ユリカの脇を肘でつつき、話を合わせろ、と意図を示す。

「ま……さか。そんな戯言、信じるとでも」

 口ではそう言うが、その瞳が揺れているのに私は気づいていた。

 三叉槍トライデントは、海を司る神、ポセイドンの武器で、我がアトランティスにとっては絶対的な存在だ。それと言うのも、ポセイドンは私の先祖に当たり、父上や私、アロイスを始め、アトランティスの王族はポセイドンの血縁者だからである。

 戸惑うアロイスに追い打ちをかけるように、ユリカに確かめるように質問を投げかけてみる。

「君も見ただろう? ユリカ」

「はい。ちょうど……王城の広間の壁にかかっているポセイドン様が持っているものと同じものを、彼の背中に」

 さすが、とユリカに笑いかける。彼はまだ幼く、可愛らしい見かけの割に、頭脳派だ。体力戦には弱いが、頭脳戦なら負けない。

 その証拠に、アロイスの顔色が変わった。

「何、口裏合わせて」

「そんなことはしてない。証拠に他の部下も連れてこようか? ああ、背中の跡を見たのは私とユリカとシーラだけだが」

 そうだったよな? とユリカを見る。それを聞いて、アロイスは唇を噛んだ。

「……君の言うことを信じたわけじゃない。だが、今回は、彼の過失ということにしといてやろう。次はないぞ。覚えとけ」

 完全に信じたわけじゃない、が、アロイスは全然信じていないわけでもない。

 ポセイドンの名を出したのは正解だったな……

 小さく息を吐き、薫に微笑みかける。

「じゃあ、帰らせてもらうよ。またな、アロイス」

 ふい、とそっぽを向く彼を尻目に、部屋を出た。薄暗い階段を手探りに上り、外に出ると、大分太陽が落ちたようで、空がサーモンピンクに染まっていた。鴉が羽ばたく羽音が聞こえる。

 馬は二頭なので、カオルは私の後ろに乗せようかと思ったのだが、操れるから、と言われ、私が後ろに乗った。

「君の国にも、馬はいるのか」

 どこかよくわからないが、ニッポンという国。そこはどんな国なんだろう。どんな文化で、どんな人々が住んでいて、どんな言語で。

 ……言語で……

 そこまで考えて、ふと矛盾に気がつく。

「カオル、君、やはりアトランティス人なのか?」

 彼の胴に腕を回し、馬の歩調に合わせて揺られながら前に座る彼に問いかけた。

「違うって言ってるだろ」

「じゃあ、なぜこの国の言葉が喋れるんだ。まさか、言語が同じなんてことはないだろう」

「え?」

 彼が手綱を引いたのか、馬が歩みを止める。今気がついたようで、本当だ、と彼は呟いた。自らの口元に手を当て、確かめるように、一言一言喋る。

「でも……これは日本語じゃない。どうしてかわからないが、喋れるんだ」

 ものすごく、信憑性のない話だ。もし彼が夢の中に出てきていなかったら、或いは、もっと不誠実な目をした男だったら、今頃アロイスがしていたように地下室へ閉じ込めていたかもしれないと思う。

「ニッポンには、馬がいるのか?」

 再び歩み始めた馬の背をさすった。滑らかに光沢のある白い背は、夕陽に照らされて橙に染まっている。

「ああ、いや。こんな風に普段乗ることはないけど……いることにはいる」

 そうか、と頷いた。彼の背は広く、胸板は分厚くて、腕を回してもぎりぎり手がつくかと言ったところだ。

 私の身体とは、全く、違う。狭い肩幅、細い腰、軟弱な腕に脚。だからと言って、女性の持つふくよかな胸や、括れた腰を持っているわけでもない。女のような顔だ、とよく言われるが、私は女性にはなれない。そして、男性にも。

 憧れる、高い背。逞しい身体。この、目の前に座って手綱を操る男は、当然とでも言うようにそれらを持ち合わせているのに。なぜ、私には得られないのだろう。

 誰かを愛することができれば……誰か、そう、女性を愛せたら。その時は、男性になれるのだろうか。

「レジス」

「ん?」

 いつの間にか、下に落ちていた視線を上げる。彼の背を、西日が照らしていた。

「……ありがとう」

 彼は前を向いたまま、小さく、そう言う。表情は、見えない。でもその背から、彼の後悔や、謝罪の気持ちが滲み出ているように感じて、私は少し笑った。

「はは……。とって食おうというわけじゃないんだから、もう逃げるなよ」

「ああ、逃げない」

 彼の言葉が、次は力強く、まるで何か決意したように聞こえて顔を上げる。彼が、空を仰いだ。

「……もう、逃げない」

 私も空を見上げる。いつの間にか空は真っ赤に染まって、木も草も、地平線も、私たちも、全て飲み込んでしまいそうに思えた。



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