第5話ーSearchー

「何だって?! カオルがいない?!」

 書斎で領地からの書類に目を通していると、焦った顔のシーラが入って来て、私にそう告げた。

「は……はい、あの」

「ったく……変な真似はするなと言ったのに」

 軽く舌打ちをする。

 あの顔立ち、私にはわかっても、城外の者にはアテナイ人との区別はつかない。ましてや、父上がアテナイの悪い噂を流し続けている限り、平民たちはアテナイに対して敵意を抱かずにはいられないだろう。

「申し訳ありません……レジス様、私がちゃんと見ていなかったから……」

 涙声になるシーラに、安心するように微笑みかけ、頭をポンポンと叩いた。彼女が顔を上げる。

「大丈夫、すぐ連れ戻すさ。ユリカを呼んでくれ。他には漏れないように頼む」

「あ……かしこまりました」

 パタパタと書斎を出ていく彼女を見送った後、もう一度舌打ちをした。ため息をつき、椅子の背にかけてあった上着を羽織る。窓に自らの顔を映し、身だしなみを整えた。

 逃げた……のか。彼が何を考えているのか、私にはよくわからない。ニッポンというところから来たと言った。そんな場所を、私は知らない。でも、彼はアトランティスを知っていた。夢の中に出て来たのは、確かに彼だ。そのせいだろうか、彼の言葉に嘘は感じられない。あまりに正直な瞳、素直な唇。私には、彼が何か私たちに害を及ぼす意図があって、現れたようには思えなかった。だから……危険な城外より、私の城で、彼の正体を明らかにしていけばいいと思ったのだ。それなのに……

「レジス様」

 扉を少し開き、ユリカが顔を覗かせる。

「シーラから聞きました。彼、探しに行かれるんですよね?」

「ああ、まだそう遠くに入っていないはずだ」

 机に置いておいたダガーを手に取る。書斎を出、早足にエントランスを突っ切った。中庭には、茂みや木の間に、数人の衛兵が散らばっている。

「衛兵に聞いてみますか?」

 中庭を正門に向かって、歩くと、ユリカがそう言った。

「いや、誰も報告しに来ないと言うことは、知らないのだろう。できれば、彼が逃げたと言う事実は隠しておきたい」

 そうですね、とユリカは頷く。

 彼が不審人物と認識され、もしも父上の耳に入ったら……彼の身が危ないだけではない。私の信用も落ちる。アテナイとの関係を噂されてもおかしくはない。これ以上、私は不利になるわけには行かなかった。

 厩に寄り、愛馬に乗って正門をくぐる。城の前の市場は、昼食後の買い物をする人々に、混み合っていた。私を見つけると、驚いたように歓声を上げる。

「レジス・ミュズリ様だ!」

「レジス様!!」

「これから陛下のところへ行くんですか?」

 歓声に手を振って応えた後、馬上からカオルの姿を探す。しかし、残念ながら、それらしい人影は見当たらない。

「誰か、黒い髪の異国人を見なかったか? 長身の男なんだが」

 ざわ、と彼らが騒めき、その中の数人が、こそこそと、何かを喋っているのが見えた。そちらに馬面を向ける。

「君たち、何か知っているのか?」

「あ……実は、今日、異国人らしい男に会って……でも、アテナイのものかと思って、その」

 小太りした身体つきの女が、もごもごと口籠りながら言った。周りの男たちも気まずそうに下を向く。

「それで?」

 彼女は困ったように下を向いたが、すぐに顔を上げ、申し訳なさそうに口を開いた。

「捕まえた方がいいかと思って、追いかけたら、あっちの方に逃げてしまって、あの」

 あまりに恐縮しながら、西の方角を指差す彼女に、微笑みかける。軽く頬を染める彼女に礼を言い、ユリカを振り返った。

「ユリカ、西だ」

「はい!」

「ありがとう、感謝する」

 他の平民たちにも礼を告げ、私は西の方角に向かって馬を走らせる。少し傾いた太陽が、顔を橙に照らした。頬が熱くなるのがわかる。斜め後ろをついてくるユリカが、少しスピードを上げて隣に並んだ。

「レジス様、アロイス殿下の城へ寄ってみませんか。そう遠くありませんし、アンティリアの地形をわかっていない彼が迷い込んでもおかしくありません」

 確かに、と私は頷く。

 アトランティスでは、城の造りに大した違いがない。もちろん、王城と、私が住む城とでは違うが、私が住む城と、アロイスや他の兄弟、従兄弟が住む城には特段違うところはないと言っていい。大人二人分の高さの城壁、門は四つあり、中庭は城の三倍以上の広さ。特に決まりがあるわけではないのだが、そういう風に造られている。

「そうだな」

「あまり、顔を合わせたくないかもしれませんが……」

「仕方ないさ。いないようならさっさと退散しよう」

 そう言いながら、踵で馬の脇腹を蹴った。小さく嘶き、愛馬は速度を上げた。揺れる愛馬の手綱にしがみつきながら、ふと、不安になる。

 もしも、彼がアロイスの城に迷い込んでしまっていたら。そしたら……アロイスはどうするだろう。アテナイ人ではないとは気づくだろうが、その後は? 勝手に城へ入った異国人を、簡単に帰すとは思えない。いきなり殺しはしないだろうが……

 もう一度、馬の脇腹を蹴った。ユリカも慌てて速度を上げる。すぐ目の前に、アロイスの城が見えた。




 人の、話す声が聞こえる。数人の男の声。頭がぐらぐらして、瞼が重かった。

“もうー、薫! 大学遅刻するよ! 起きなさい”

“本当に、いつまで寝てるのかしら”

“何か夢でも見てるんじゃない?”

 夢? ああ、そうだ、夢だ。変な夢を見たんだ。一万二千年も前の、アトランティスに行った夢。あり得ないよなぁ。そもそも、伝説の大陸なんだし。そう言えば、綺麗な人に会ったんだよ。女性みたいだけど、女性じゃないんだって。少し意地悪なんだよ。

“かーおーる”

 待って、姉さん。今起きるから。今……

「アロイス様、どうするんですか? こんな怪しい男を……」

 男の声に、ハッとする。重かった瞼が開き、周りの状況を把握した。さっきの衛兵が、四人。それから、俺と同じくらいの若さの青年が一人、腕を組んで立っている。

夢……じゃ、ない。こっちが、現実だ。途端に、暗い気持ちになる。

しかし、落胆している暇はなかった。

彼らはまだ、俺が目を覚ましたことには気づいていないようだ。

 腕を動かそうとしたが、何か縛られているようで、動かない。手に当たる感触からすると、麻縄のようなものだ。上下左右に動かすこともできないから、どこかの柱にでも結びつけてあるのだろう。逃げることは、できなそうだ。仕方がないので、青年を観察する。短い栗色の髪と、青い瞳、背は高く、百八十センチ以上ありそうに見えた。気の強そうな瞳が、どことなく、レジスに似ている気がする。

「あ! アロイス様、目を覚ましました!」

 衛兵の一人が俺に気づき、そう叫んだ。アロイスと呼ばれた男は、俺の目の前まで近づき、しゃがんで目の高さを同じにする。

「さて……君は誰だ?名を名乗れ」

 声は、レジスよりも低かった。彼女の声は、どちらかというと女性のものに近い。媚びることのない、澄んだ声。

「薫だ」

「アトランティスのものじゃないな。どこから来た?」

「日本から来た」

 どうせわかるはずないと、わかってはいたが、答えなければさっきのように、アテナイのものかと疑われるかもしれない。案の定、彼は首を傾げる。

「ニッポン?」

 だが、それは一瞬で、それはすぐに嘲笑へと変わった。

「適当な地名を出せばいいと思うな。アトランティスの地名はもちろん、アテナイの地名も暗記している。そんな名前の場所はない」

 何を言い切っているんだ、と思う。あんたが知らないだけで、日本はちゃんとある。ここよりもっと東、日の昇る方角に。

「さっさと吐け。アテナイ人ではないだけで、アテナイに雇われた間者か?」

「嘘じゃない。俺は日本から来た」

 彼の青い瞳を強く睨んだ。彼はクス、と笑い、背後の衛兵に合図する。何だろう、と思っていると、衛兵は燭台を一本持って来た。

「蝋燭……?」

「そうだ。これをこうして」

 そう言いながら、彼は、ゆっくりと俺の顔に燭台を近づける。

「う……っ」

 じりじりと、肌が焼けていく。段々近づく熱に、顔を背けた。それでも、執拗に蝋燭の火が追って来る。

「それから、こうすると」

 彼は俺の顎を持ち、上を向かせると、燭台を傾けた。白い蝋が、火の熱さに溶け、たらり、と雫を垂らす。

「目に入ったら、どうなると思う?」

 びくっと身体が硬直した。この蝋が、もしも、俺の目に落ちたら……その時は。

 目が潰れる。

「早く本当のことを言え。目が見えなくなってもいいのか?」

 本当のこと? これ以上、何を言えばいいのだろう。俺は、そもそも何も嘘はついていないのに。これ以上の真実を、俺は持っていないのに。

 燭台が、俺の目の真上に持ち上げられる。ゆっくりと傾けられ、溶けた蝋が芯を伝った。

「や……やめろ、やめてくれ!!」

 そう、俺が叫んだのと、彼の後ろの扉が開いたのは、どっちが先だったのだろう。突然の音に、衛兵やアロイスと呼ばれる男が、扉を振り返った。

「カオル……!!」



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