第49話 おいでませ信仰の徒


「神よ、今日の恵みに感謝します」


 山間の小さな教会で神父が一人祈りを捧げていた。小さなテーブルに置かれているのは固そうなパンと具の少ないスープだ。食事の内容だけ見れば、以前のリスモンの住人たちと代わり映えがしないようだが、彼はあえてそうしているのだ。なぜなら彼は神に仕える身だからだ。一部が水車小屋となっている教会で、小麦をひきパンを焼いて販売している。だから彼の口に入るパンはいつも昨日の売れ残りなのだ。以前はシスターが何人かいたのだが、戦争が起きた時にふもとの町に避難してしまったのだ。

 山間にある教会が、上空を飛ぶ飛行船から目立って狙われる。というのが理由だった。そのせいで、小さな子どもを連れて女たちはふもとに逃げてしまった。実際、戦争の際に教会は狙われなかった。なぜなら戦争をしていた国からすれば、こんな山間の教会などとって捨てる程度の存在だったからだ。そして、戦争で二つの大陸が吹き飛んだあとに起きた大津波の影響で、ふもとの町と唯一つながっていた道が塞がってしまったのだった。


「神父様よ、兎はいらないか?」


 固くなったパンをスープにつけながら食べていた神父は、入り口に現れた狩人の男の問いかけに答えた。


「それはありがたいです。アラン」


 ただ狩ってきたのではなく、きちんと血抜きの処理をしたものを持ってきてくれるのだからありがたかった。


「代わりに野菜をくれないか?それと薬を少し」

「わかりました。ポーションは二本しかご用意できませんが」

「ああ、二本もあるのか。そいつはありがたい」


 狩人であるアランは、先ほどワイルドボアを狩った時にポーションを使ってしまったことを話してくれた。うまいこと罠にはめたものの、槍でつく際に暴れたワイルドボアの牙が足に当たったらしかった。


「ワイルドボアが狩れたとはすごいですね」

「ああ、がけ崩れの辺りから飛び出てきたんだ」


 戦争が終わり10年ほどがたったが、大規模ながけ崩れがあったせいで、未だにふもととの交流は途絶えたままである。手紙やちょっとしたものなら配達をする鳥の魔物がやってくれるのだが、大きな荷物は運べないため村に残された男たちは自分たちで糸をつむぎ布を織った。

 さらに言えば、結局のところこの大陸は戦争に巻き込まれなかったため、人が死んだとかけが人が出たとか、どこかの街が占拠されたとかそんなことはまったく起こらなかったのである。そのため、ふもとに降りたこどもたちはそのまま学校に通い、就職したり結婚したりした。がけ崩れを登ることはだいぶ難しいのだが、着の身着のままなら何とかなったため、男たちは行事の度にその身一つでふもとに降りていた。


「魔道具のひとつでもあればなぁ、崖崩れなんか直ぐに片付くって言うのに、あれから十年経っても全く魔道具が返ってきやしない」

「それは確かにそうですね。国は防衛のためとか言っていましたが、この大陸では戦争など、起きなかったというのに」

「まったく、取られ損だよ。オマケにがけ崩れも直してくれやしねぇんだ。税金なんて払ってやるかってんだ」


 アランが、そう言って悪態をついたが、神父はただ微笑むだけだった。実際、国はこの村に税金の取り立てには一度も来ていないのだ。取り立てるためにはがけ崩れを直す必要があるからで、そのためには村から借り上げた魔道具を返さなてはならないからだ。誰もがそれとなく知っていることは、国が集めた魔道具は、戦争を行っていた国に売り飛ばして利益を得ていた。ということだった。つまり、もうないから返って来ないし、がけ崩れも直してもらえないのだ。


「まぁ、取り立てにも来られないでしょうからね」


 神父はそう言いながらアランの足の怪我をみてやった。ポーションであらかた治ってはいるものの、その皮膚はまだ薄く、他と比べると痛々しいのだ。


「手間をかける」

「いえいえ、村で唯一狩りができるあなたはとても大切なのですよ。アラン」

「へへ、神父様も肉が好きだもんな」

「ええ、肉を食べると元気が出ますからね」


 アランが帰ると、神父は残りの食事を平らげた。戦争が起きる前は、療養などを目的とした貴族などが来ていたものだが、がけ崩れで道が塞がれてからは誰もやっては来ない。さすがにゴツゴツとした岩肌を身一つで登るなんてことができる病人は居ないのだ。


「あの辺に聖水を撒いた方が良さそうですね」


 棚から瓶を2つほど取り出して、神父は一人がけ崩れで塞がれた道の辺りに向かった。聖水とは言うものの、瓶の中身は神父が作った魔物よけの薬である。魔物が嫌う薬草を煎じた薬を魔物よけと呼んでいるだけだった。どこの教会に行ったって、聖水と呼ばれるものはこんなものなのだ。神に祈りを捧げた奇跡の水と呼ばれる聖水なんてものは存在しないのである。


「うん、確かに匂いが薄れてきていますね」


 神父は辺りの匂いを嗅いでみたが、魔物よけの独特な匂いがしなかった。人間より魔物の方が嗅覚が優れているため、微かでも匂いがすれば寄り付かないのだが、神父の鼻でまったくわからないのであれば効果はなくなっていると言ってもいいだろう。


「この辺りの土に撒いて、瓶をこのくぼみの中に……」


 がけ崩れがなく道が通っていれば、ここは天然の岩を活用した休憩所だった。せり出した大きな岩で日影ができて、くぼんだ岩陰で暖が取れた。だがそれらが崩れ、道をふさいでしまったのだ。


「神よ。この辺りから魔物を退け給え」


 膝をつき神に祈りを捧げる神父であるが、それは単なる形式に過ぎなかった。村が無事だったのは神様のおかげ。なんて言ってはいるが、神父は祈りを捧げる神の名前何て知らないのである。


「お待ちなさい」


 神父が立ち上がり、元来た道を戻ろうとした時、どこからともなく声がした。この辺りには自分しかいなかったはずだし、村人はこの辺りにはあまり近づかない。なにより、聞き覚えのない声だった。

 驚いて神父は辺りをきょろきょろと見渡したが、誰も何も見当たらない。魔物よけの聖水を撒いたから、兎一匹いなかった。


「だ、誰かいるんですか?」


 神父はどもりながらもなんとか声を出した。こんなところに人がいるとは思えなかったし、魔物よけの聖水が切れている間に、見知らぬ魔物が近づいていたかもしれないという恐怖があった。それに、連絡もなくふもとから誰かがやってきてしまったのかもしれない。神父は目線を少し上へと向けてみた。

 するとどうだろう、岩場の上に人の姿が見えた。


(遭難者?降りられなくなった?)


 神父はじっくりとその人型に視線を向けた。岩場の上に立っているように見えるが、日の光が当たっているせいでよくわからない。なにより、あんな高いところに立っていては不安定でとても危ない。


「そこは危ないですよ。またがけ崩れが起きるかもしれない」


 神父はそう言って降りられそうな足場を探した。だが、下から見たのでは、安全な足場などわかるはずもなかった。


「ここは危ないのですね。ではこれらを直せば安全になりますか?」


 見知らぬ人影はなんとも訳の分からないことを言ってきた。


「安全?……ええと、そう、ですね。そこはがけ崩れが起きて、道が塞がれてしまったんです。また崩れるかもしれないので、危険なんですよ」


 神父はそう答えながらも、相手の姿を確認しようとした。そもそもあんな高いところ、どうやって登ったのだろう。それに、日の光がまぶしすぎて相手の姿がよく見えなかった。こんな山の上に、あんなに真っ白な服を着てくるなんて、どう考えても普通ではない。


「では、先ほどと同じように祈りなさい。信じて願うのならば、叶えてあげましょう」


 唐突にそんなことを言われ、神父は混乱した。長いこと教会に勤めているが、祈りを捧げて神が願いを聞いたなんて話はついぞ聞いたことがないからだ。洗礼の儀式で神に祈るけれど、それはあくまで儀式であって、実際は触れた水晶の中に浮かび上がった文字を神父が読み取っているだけなのだ。丸い水晶は魔力の終結した結晶であるから、そこに両手で触れることにより体内の魔力が流れだすという仕組みである。何も知らない赤子が魔法を使っては大事になるかもしれないということで、この世界では物の判別がつく年齢まで魔法が使えないことにされている。

 まぁ、洗礼の儀式に使われる丸い水晶の大きさや美しさを考えると、いったい誰が作ったのだろうと考えはするものの、神からの賜りものと言われたから、今日まで素直に信じてきた。

 さて、今目の前の人物が言っていることは真実なのだろうか?


「神よ、どうかがけ崩れで塞がれた道を直したまえ」


 神父がそう口にしたが、何も起こらなかった。


「もっと、気持ちを込めてください」


 なぜか催促されてしまった。


「神よ、道を直してください。とっても不便なんです。どうか、岩をどかしてください」


 なかば叫ぶように言ってみると、何かが動く気配がした。


「もっと祈りなさい。そして私を信じるのです」


 さらに要求されて、神父はやけになった。信じろとか言われたって、何を信じろというのだろうか。


「私たちはもう10年も大変な思いをしているんです。この道さえ通れれば、生活が楽になるんです家族に会えるんです。道を通してください。神様ならできますよねっ」


 神父が叫ぶように思いを口にすると、


「その強い思い、確かに受け止めました」


 嬉しそうな声がして、たくさんの岩が一気に動いた。そして、がけ崩れが起きる前の状態に戻ったのだった。


「そ、そんな……」


 神父が驚いていると、白く光る人物が目の前に立っていた。だが、その顔が見えない。


「頑張りましたね。これはそんなあなたへのご褒美です。ダンジョンで人気の『からあげ弁当』です」


 神父の手に温かな弁当箱が握らされた。

 そうしてしばらくその場を動けないでいた神父は、日が暮れかけたころアランに見つけられた。もとに戻っている道を見てアランはものすごく驚いたが、神父が手にしている『からあげ弁当』にもっと驚いた。そうして少ない村人で分け合い食べたからあげに、全員が驚愕した。

 そして後日、彼らはダンジョンを求めて山を下りたのであった。目的が家族との再会なのか、からあげなのか、それは神のみぞ知るのである。

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