第41話 案外快適ですよ

『そーれーでーはーごーあんなーい』


 ゴーレムが合図をすると、昨日と同じように壁が淡く光りだした。住人たちはマジルを先頭にゆっくりと壁に向かって歩き出した。子どもたちは親としっかりと手をつなぎ、少しおびえたような顔をしていた。それは確かに仕方のないことで、昨日マジルが話したことは全く想像ができなかったし、何より壁の中に入っていくという行為が恐ろしかったのだ。


「「「うわわあああああ」」」


 光の中を通り抜けた途端、明るい太陽に照らされて子どもたちは歓声を上げた。もちろん大人たちもではあったが、静かに感動に震えるものの方が多かった。


「ようこそ、俺の街に」


 住人たちがお上りさんよろしくきょろきょろしていると、若い男の声がした。それは昨日教会で聞いたアルトルーゼという名前の神の声とは違った。


「だあれ?」


 すぐさま反応できたのは子どもたちで、声のした方を向いて問いかけている。そこにはひょろっとした黒髪の男が立っていた。


「初めまして、俺の名前は高橋始たかはしはじめだよ」


 愛想よく笑って高橋は挨拶をしたが、住人たちは警戒をした。なにしろ昨日人は誰もいなかった。とマジルから聞いていたからだ。


「たかは……シィー?」


 わかってはいたが、サ行は発音が難しいようだった。


「うん、俺は高橋。この街を作った人で、このダンジョンのマスターでもあるんだよ。ひとまず、移住してきてくれてありがとうございます」


 高橋は日本人らしく腰を曲げてお辞儀をした。お辞儀なんてものに慣れていない住人たちは、どう対応していいのか戸惑ってしまった。


「この間来たときはいなかったよな?」


 マジルが高橋をまじまじと見つめながら聞いてきた。


「ええ、そうですね。俺は自宅で見ていただけですから」

「自宅?」

「ええ、あそこに木造のちょっと変わった家があるでしょう?あそこが俺の家なんですよ」

「昨日うさおは、人は住んでいないって言ってたぞ」


 マジルがそう問いただせば、高橋は困ったような顔をした。


「それはですねぇ、さっきも申し上げたとおり、この街も、この街があるダンジョンも、俺が作ったんです。だから、うさおたちホムンクルスからしたら、俺は人ではなく『主』なんですよね」


 高橋がそう説明すると、マジルは一歩下がって高橋を頭のてっぺんからつま先までじっくりと見て、口を開いた。


「いやだって、あの石像とちっともにてねーじゃねーか」


 ごもっともである。


「それはだって、あれはアルさんだから、俺じゃないし」

「アルさん?」

「アルトルーゼだからアルさんって呼んでるんですよ。アルさんはこの世界の神様だけど、俺はこのダンジョンのマスターだから」

「神様、で……マスター?」


 マジルが首を捻っていると、後ろから誰かにつつかれた。振り返ればそこにいたのは幼馴染のモリスだった。


「なんだよ」

「なんだよじゃないだろ。察しろよ、あのタカハシって人は神様の眷属だよ。神様から力を与えられてダンジョンを作ったんだろ?だから人じゃないんだよ」

「噓だろ?」


 マジルはそっと振り返って高橋を見たが、どう見てもひ弱そうな黒髪の男である。


「そういや、ゴーレムが我らが主とか言ってたな。うさおも言ってたわ」

「それ見ろ。お前の理解力のなさが分かっただろ?」


 そう言うと、モリスはマジルを自分の背中に押しやって、高橋と対峙した。


「初めまして、主さま。我らがリスモンの街の住人を受け入れて下さったことを感謝いたします」


 そう言ってモリスが頭を下げれば、後ろにいた住人たちも一斉に頭を下げた。子どもたちは親のしていることを何となくまねただけではあるが。それでもリスモンの住人たちが、一斉に高橋と向き合った瞬間であった。


「ご丁寧なあいさつをありがとうございます」

「俺はモリスと言います。父が街の治者でした。街が海底に沈んだ時に死んでしまいましたので、代理として街を治めてきました」

「それは大変だったでしょう」


 高橋はモリスをねぎらいながらも、その後ろにいる住人たちを見た。みな瘦せていて、顔色が良くなかった。子どもたちは高橋の知っている子どもに比べ、小さく肉付きが悪かった。


「ここでのこれからについてお話しますので、街の宿屋に行きましょう」


 高橋がそう言えば、住人たちは無言でついてきた。子どもたちは頭上で光る太陽が気になるようで、親に引きずられるように歩いているようだった。そして、誰もが歩くことが辛いらしく、宿屋に付いたときは荒い息使いになっていた。


「お部屋にご案内しますね」


 宿屋で住人たちを出迎えたのはホムンクルスたちだった。兎獣人タイプのうさおとうさこ、猫獣人タイプのねこおとねこみ、犬獣人タイプのいぬおといぬこ、羊獣人タイプのひつおとひつみだ。名前については高橋が放棄したため、見たまんまとなってしまった。


「尻尾がある」


 獣人を初めて見たから、子どもたちは素直に反応したが、大人たちは複雑である。ホムンクルスと言えばそれで説明が付くが、こんなに大量のホムンクルスが本当に生きているかのように動いていることの方が驚きだった。何しろ、ちゃんと意志をもって動いているのだ。住人からの些細な質問に答えてくれるし、表情もよく動く。おまけに、あちこちに石でできた赤子の大きさをしたゴーレムが動き回っているのだ。これだけの魔法生物を一度に使役できるということは、あのタカハシという人物は高名な魔導士であるに違いない。もしくは、モリスの言うとおり、神様の眷属なのだろう。

 家族ごとに部屋を案内され、マジルの言っていた温泉に案内された。そこで温泉の使い方を教わると、一人ずつ着替えが渡された。


「これ、私の服?」


 渡された綺麗なパンツに淡いピンク色のワンピースを見てミランダは泣きそうになった。物心ついたときから暗い海底に住んでいて、着るものはすべて誰かのお下がりだった。自分の着ていた服だって、いつか誰かに渡すものだから、汚してはいけないと言われていた。もうすっかり着古して、生地も薄くペラペラになっていたワンピースを脱ぐと、ミランダは温泉に入った。

 うさこが石鹸を泡立てて、女たちの背中を優しく洗ってあげていた。温泉の匂いも独特だが、石鹸の匂いもミランダは初めて嗅いだ。ミランダだけではない、子どもたちは石鹸の泡にも興味がわいて、体を洗うより泡で遊ぶことに夢中になっていた。

 住人全員が温泉に入り身綺麗になり新しい服を着て、大広間に案内された。床に直接座るというのは、この10年ほどで住人たちは慣れてしまっていた。何しろ海底に落ちた衝撃で家具などいろいろなモノが壊れてしまっていたからだ。家族ごとにテーブルに着くと、ゴーレムたちがコップに冷えた水を入れて配ってきた。それからうさおといぬおが食事を配膳する。


「うわぁ、いいにおい」


 子どもたちは湯気の立つ食事を前に鼻を鳴らした。高橋が用意したのは親子丼だ。米はには小麦には入っていない栄養素が入っているし、消化もいい。それに卵は完全栄養食だ。粗末な食生活を10年近く続けてきた住人たちに優しい食事にしたつもりである。


「ふわふわとろとろだよ」


 子どもたちはスプーンで口の中にかき込むように親子丼を流し込んだ。


「ああ、卵なんて、なんて贅沢なんだろう」


 卵がなんなのか知っている大人たちは感動しながら親子丼を口にした。添えられたサラダも新鮮な野菜が使われていて、真っ赤なトマト何て最後に見たのはいつだっただろうか。


「このドレッシングなんておいしいのかしら」


 サラダにかかっていたドレッシングはもちろん高橋が作った。日本人の高橋がサラダにかけるのは、断然マヨネーズである。だから、今回もサラダにかかっているのはマヨネーズだ。卵を使うものだから、当然この世界ではぜいたく品になるだろう。


「水も冷えてておいしいな」

「この果物とっても甘い」


 デザートに出されたのはイチゴだった。日本人の高橋にとって甘くて美味しくてビタミンが取れる果物と言ったらイチゴなのである。ブドウは皮があるし、ミカンは皮をむいてもこの世界の人たちにはまだ皮があると思われるだろうし、モモは果肉が柔らかいから受け入れられないかもしれない。だから赤くて小さくてかわいらしい形のイチゴにしたのだ。


「お腹はいっぱいになりましたか?」


 住人たちの食事が終わったタイミングを見計らい高橋がやってきた。

 

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