第40話 話し合いは大切ですが

「マジル」


 うさおに見送られ、石の門をくぐると目の前には見知った顔と、見飽きた教会の景色があった。


「ああ、ただいま」


 こんなことを口にしたのは実に10年振りだった。手にはうさおから渡された二つの袋。一つはマジルも食べたリンゴが入っていて、もう一つには焼きたてのパンが入っていた。


「すっごくいいにおいがする」


 頭が下にあるからなのか、子どもたちが騒ぎ出した。焼きたてのパンの匂いを嗅いだのなんて、何年ぶりだろうか。


「ああ、みやげ……だ。リンゴは一人一つで、パンは二個だとよ」


 マジルは袋を祭壇にあるテーブルに置いた。以前はここに神父が経典を置いて祈りを捧げていた。だが、海底に落ちてきてからは、使われなくなったものだ。


「パン?パンだと?」

「リンゴって、なあに?」

「一人って、子どもも一人かい?」

「僕ももらえるの?」


 全員がわぁっと口にしたものだから、マジルは驚いて尻もちをついてしまった。そう、大人も子どもも飢えていたのだ。


『おーちーついてーくーださーい』


 どこからともなくゴーレムが現れて、住人を落ち着かせた。いや、落ち着かせたというよりは、ゴーレムが言葉を発したとたんに、住人たちはスッと静かになってしまったのだ。


『おみやげはーこーこーにいるーぜーいんぶーんあーり-まーす』


 ゴーレムがそう言うと、住人たちは黙ってうなずいた。そして、


「この向こうに、街があった。まるで王都みてぇに綺麗な街だった。畑もあって、うまい飯も食えた。空はすっげえ青くて、まぶしかった。それから、ラミト国とファンデール王国は消えてないそうだ」


 マジルがそう言うと、大人たちは互いの顔を見合わせた。


「確かに、あの二つの国は国土が狭いから、戦争に参加するほどの資源を持ち合わせていなかったな」

「両国があった大陸に行くには波が荒いから大きな船でないといけなかったな」

「たしか、ラミト国は独特な文化が発展していたはずだけど」

「ああそうだ。ラミト国でとれるっていう米ってもんを食べさせてもらった。すっげえ美味かった」


 マジルの話を聞いて、住人たちの目の色が変わった。それに反応してマジルは一瞬ひるんだが、ゴーレムが目に入ると、なぜだか心が落ち着いた。


「それで、だ。神様は俺たち全員があっちで暮らせるように家を用意してくれるそうだ。それから、仕事もあるってよ。好きな仕事を選べるらしいぜ。畑を耕してもいいし、雑貨屋をやってもいい。宿屋もあったし、食堂もパン屋もあった。だが、あの街には誰も住んじゃいなかった。いたのは神様がつくったホムンクルスだったよ」


 それを聞いたとたん、女たちから小さな悲鳴が上がったが、マジルの横に浮いている小さなゴーレムを見て慌てて口を閉じた。


「街はダンジョンの中にあるんだとよ。働けば神様から給金がもらえんだとさ。んで、ダンジョンにやってきたラミト国やファンデール王国からの冒険者の相手をするんだと」


 それを聞いて声を上げるものは誰もいなかった。ダンジョンと海底、場所は違えど状況はさほど変わらない。違いはと言えば、食べのもが豊富にあり、仕事があることだ。そして、この街の住人以外と交流が持てること。


『そゆーこーとーでーす。みーなーさーんはーこんやーゆっくりーかーんがーえてーくーださーい。あーしたーのあーさーおーむーかーえにーまーいりまーすー』


 そう言うとゴーレムは壁の向こうに消えてしまった。それと同時に淡い光もなくなった。マジルが壁に触ってみれば、そこは古びた教会の壁だった。


「ほら、一人ずつ袋からパンとリンゴを持って行けよ。なんなら家から皿でも持って来いよ。神様の力で、それ以上は取れないし、絶対に人数分出てくるらしいぜ」


 マジルがそう言うと、女たちは慌てて家に戻っていった。焼きたてのパンとリンゴである。しっかりと家族分持ち帰ってゆっくりと味わいたいものである。


「俺はもう、行くって決めたからな。一人もんだからな」


 マジルはそう言って、袋からリンゴを取り出し噛り付いた。畑で食べた時のように、程よい酸味とみずみずしい果実特有の歯触り、そして新鮮な味わいが口いっぱいに広がった。


「働けば、毎日こんなにうまいもんが食えるんだ。ここで死ぬまで過ごしたってなんも楽しくねえからな」


 そんなマジルの姿を見て、子どもたちは口によだれがたまって仕方がなかった。なにしろマジルがリンゴをかじる度に甘酸っぱいなんとも言えない匂いが広がるのだから。


「ちょっと、マジル。あんた少しは遠慮しなさいよ」


 皿を持ってきた女にたしなめられたが、マジルにとってはどうでもいいことだった。


「遠慮?なんでだよ?俺はずっと我慢してきたんだぜ?あんたらが家族仲良くしているところを見せつけられるのを、な」


 そう言ってマジルは袋からパンを取り出し口に放り込んだ。焼きたてのパンの香ばしい香りが広がる。そして、マジルの喉が大きくなった。


「あっちはな、冷たくておいしい水が飲み放題なんだぜ。温泉っていうでっけえ風呂もあったな」


 マジルがそう吐き捨てるように言えば、女たちも顔色が変わった。風呂はもともとぜいたく品であったが、魔道具の発達した大陸であったから、この街の住宅には風呂が付いていた。だがそれも、使用していた魔物からとれる魔石が手に入らなくなったため使えなくなっていた。温泉は、休養地にある娯楽施設で人気があった。


「ゆっくり話し合ってくれよ。俺は、体一つで行くからな」


 自分の分を食べてしまったマジルは、そのままアルトルーゼの石像の足元に横になった。板張りの祭壇であるから寝心地なんていいわけはなかったが、それでももう、あの家に戻りたくはなかったのだ。死んだ両親が着ていた服は、この10年の間に他の住人の手に渡ってしまった。マジルが幼いころ来ていた服も、誰かの子どもが着ている。もうあの家に思い出など残ってはいないのだ。

 そうやって、教会内に背中を向けてマジルは寝たふりをした。実際、10年ぶりに満腹になったし、たくさん歩いて疲れていたから、マジルはそのまま眠ってしまったのだった。

 そうしてよく朝目覚めると、教会の中には街の住人が勢ぞろいしていたのだった。

 

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