第35話 どうしてこうなった?
「ええと……はじめん。私には街があるように見えるのですが」
「安心してアルさん。俺の目にも街があるようにしか見えていないから」
暗いはずの海の底に、街が存在していた。しかも造りのしっかりとした頑丈そうな建物ばかりである。建物の形が違うだけで、高橋たちのいるダンジョンの50階にとても良く似ていた。居住区なのか、教会の前の広場では子どもたちが遊んでいて、小さいながらも畑があり、作物が育っていた。井戸から水をくみ上げては巨大な装置に水を流している水車が見える。
「この水車は飲み水をろ過してるのかな?でも海水は煮沸しないと塩分抜けないんじゃないのか?」
泥水なんかをろ過して綺麗にしても、煮沸しないと危険だと何となく聞いた気がするし、海水はどんなにろ過しても海水だと思うのだ。
「これは巨大な魔道具ですね。全体に大きく魔方陣が描かれています」
横から覗き込んでいたアルトルーゼがモニターを指さしてきた。
「魔法陣?」
高橋は首を傾げつつモニターを食い入るように見た。
「あ、これか。確かに、大きな魔法陣だ」
気が付けば確かによくわかった。あまりにも大きすぎたため、なんだかわからなかったのだ。
「街を大きな防御壁が覆っていますね」
「防御壁?」
「戦争があったと言いましたよね?」
「ああ、うん」
「その時に発達した魔法なんです。魔道具を使って発動させているのです。この街はおそらくあの教会に発動のための魔道具があるみたいですね」
言われてみてみれば、確かに教会を中心にしてドーム状の薄い膜が張られているようだった。だから、この街の空の高さは教会の屋根までだ。
『主、この街には100人ほどの住人がいます』
石人形からの報告が入った。
「子どもの姿は見えたけど、大人もそれなりにいるんだ」
『はい。この街は、戦争で大陸が吹き飛んだ衝撃で海底に沈んだようです』
石人形は淡々と報告してくるけれど、高橋からすれば衝撃的なことだった。大陸が吹っ飛んだのに、街だけがそのままの形で海底に沈むだなんて、前世でいえばミステリーだ。本来なら海底遺跡になるところが、魔法の防御壁のおかげで街も人もそのまま海底に存在しているのだ。
「すごいね、そのまま生活しているだなんて」
『はい。ライトの魔法で明かりを作り、昼間を作り出しているようです』
「すごい、興味ある」
『では、もう少し観察してみます』
石人形は住人たちに気づかれないようにそっと防御壁の中に入り込んでいった。
「アカシェ様、今日の恵みをありがとうございます」
小さな女の子が祈りを捧げている。
教会には小さな石像が飾られているが、その姿は全くアルトルーゼとは似ていなかった。老人というには少し若く見える、ありていに言えば中年男性の顔をしていた。着ているものは丈の長いローブだ。
「アカシェ様の発明した防御壁の魔道具がなければこの街も消し飛んでいたからな」
そう言いながら一人の男が石像に手を当て魔力を注ぎ込んだ。石像は淡く光った。
「その大切な魔道具が自分の形に作った、ていうのがちと気に食わねーけどな」
「お父さん。そんなこと言っちゃだめよ」
祈りを捧げていた女の子が父親をたしなめる。
「まあ、そうなんだけどよぉ。こんな海底で生き抜いたところで、なぁ」
戦争で死ななっかたし、街も壊れなかった。だが、街ごと海底に沈んでしまったからどうにもならないのだ。日の光が届かないから自分たちで魔法を使って明かりを作り出し昼間を作り出した。周りにある水は海水だから、喉が渇いても飲むことができない。だから大きな魔道具を作って海水を真水に変えて飲み水にしている。井戸からくみ上げる水が海水なのだ。街に隣接していた畑と牧場も防御壁の中に入っていたから、何とか食料が賄えている。たまに防御壁に体当たりしてくる気味の悪い魚の魔物は、数人がかりで退治して食料にする。わずかな野菜と穀物の種を育てるのはなかなか大変なことだった。
「生きていることに感謝しなくちゃだめだよ。お父さん」
娘にたしなめられながら、男は石像にゆっくりと魔力を数回に分けて流していく。防御壁の魔道具に魔力を流すのは、この街の住人にとってとても大切な仕事だ。なぜならこの魔道具を作ったアカシェが戦争で死んでしまったからだ。この街はアカシェの故郷で、試作品の魔道具を残していったに過ぎなかった。メンテナンスの仕方はわからないが、魔力を注ぎ続ければ防御壁が消滅することがないことだけは聞いていた。だからこの海底に来てから、当番制で魔力を注ぎ続けているのだ。
「俺はよくてもお前たちはどうするんだって話なんだよ」
教会の外で遊んでいる他の子どもたちの声が気になるのか、女の子は出て行ってしまった。残された父親は深いため息をついた。妻は他の女たちとわずかな糸を紡いでいるころだろう。食料は細々と食いつないではいるが、問題は着るものだ。服屋はあるが、他の街から仕入れたものを売っていたのだ。この街には材料となる毛の刈れる家畜はいないし、糸をつむぐクモの魔物も飼育されていない。新しい服はおろか、布団の調達もできないのだ。日の光の届かないこの街はいずれ温度が下がり寒くなるに違いない。今は自分たちが魔法で昼間を作り、温度が下がらないように防御壁を保っている。だが、いずれ人が減り、魔力の供給が減ってしまえばこの街を覆う防御壁はどうなってしまうのか。男は考えただけで恐ろしいのだ。可愛い娘に未来の約束ができない
「ねえ、アルさん」
「そろそろご飯ですか?はじめん」
モニターを覗き込んでいた高橋に声をかけられ、この世界の神であるアルトルーゼが口にしたのは食事のことだった。
「いや、そうかもしれないけど、そうじゃないでしょ」
「え?ご飯じゃないんですか?日も暮れてきましたよ。今日のお仕事はもう終わりにしましょう?」
定時退社したがる若手社員かの如く、アルトルーゼが言ってきた。が、高橋は椅子から立ち上がることなく話をつづけた。
「あのね、アルさん。そういうところ」
「え?どういうところです?」
言われてアルトルーゼはあわあわと視線をさまよわせた。
「だから、そういうところ。石人形からの映像を見てなんとも思わなかったの?」
高橋に責められるように言われ、アルトルーゼはうなだれた。そうなのだ、そういうことなのだ。
「そう、でしたね。せっかく生き残ったこの世界の住人を今私は無関心を装い見捨てようとしました」
アルトルーゼはモニターを凝視した。石像に魔力を注ぎ込む男には何の感情も見つけられなかった。ただ、その石像に対して街の住人たちからの感謝の念が送られていることだけはわかる。
「海底とはいえ、私の神力が届かないことに変わりはありません。ですが、石人形たちにこのダンジョンへの入り口を設置してもらうことは可能ですよね?」
「まあ、そうだけど。でもアルさん。ダンジョンから出たら、入ってきた場所にしか出られないんだよ?」
「そうではなくて、ここに住まわせてあげるのはどうでしょうか?」
「ここ、ってダンジョンに?」
「そうです。まだこの下の階層は未完成でしたよね?ですからこの50階の下、51階に彼らを住まわせるんです。そうしたら私への感謝の気持ちで信仰心をもってくれる気がしませんか?」
なんとも俗物的な神様からの提案である。
「でも、それじゃあ、今度はこのダンジョンから出られなくなっちゃうよ?」
「そこで信仰心なんです。彼らからの信仰心が得られれば、沈んだ街を海面まで持ち上げることができると思うんですよね」
「ええと、それはつまり、あの街を海底から持ち上げて浮かせるってこと?」
「浮かせる?そうですね。大陸は吹き飛びましたが、土台は残っているんですよね。そこに乗せようと思います」
一応は自分の作った星の現状を調べていたらしいアルトルーゼは、胸を張ってそう宣言したのであった。
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