第13話 トラブルは向こうからやってくる4


「ねぇ、ハンツ。私、このパンケーキという物が気になるわ」


 母親はチラシをじっくりと読み込んだ上でそう言ってきた。


「だって銅貨1枚よ。王都にあるお菓子屋で売られているケーキは、銅貨2枚以上するのに、安いと思わない?」

「母さん、それはダンジョンに行かないと食べられないだよ」


 ハンツはまた母親が我儘を言い出したと少し嫌な気持ちになった。父親の持つ鑑定眼のスキルレベルが高いため、他の商人より良い物を買い付けることかできる。そのおかげで店はなかなか繁盛しているし、信頼も高い。そういうわけで、少しいい生活が出来てしまっているせいか、母親は時々ハンツに無理を言ってくるのだ。


「でもぉ、お土産のクッキーがあるのなら、このパンケーキだって持ち帰れるんじゃないかしらぁ」

「どうやって?」

「たとえばぁ、バスケットに入れて持ち帰るとか出来ないかしら?」

「何言ってるんだよ、母さん。食器はどうするの?盗賊に襲われたって言ったよね?命懸けでパンケーキを持ち帰れって言うのかい?」

「何よ、ケチねぇ。母親の頼みが聞けないって言うの?買い付けの帰りに寄ってくれればいいだけでしょう」


 母親はそう言って、隣に座る父親を見た。こうやって父親を味方につけるのかいつもの母親のやり方だ。母親は王都から一度も出たことがないから、買い付けに外に出る商人が命懸けなのを知らないのだ。


「なぁ、ハンツ」

「相手はゴーレムなんだよ。交渉できると思ってるの?」


 父親が口を開いた途端、ハンツは勢いよく否定した。父親が知らないわけが無いのだ。かつては父親が王都の外に買い付けに出ていたのだ。その時は魔除の鈴を持ち、余裕があれば冒険者を雇っていたのだ。冒険者だって、ランクによってピンキリで値段だって変わってくる。馬車で片道5~6時間だからと言って舐めてかかれば命を落とす可能性は大いにあるのだ。


「そこを何とか交渉するのが商人の腕の見せどころでしょうに」


 呆れたような顔をしてそんなことを言ってくる母親をハンツは冷めた目で見るしか無かった。母親がこんな態度をとるのは全て父親のせいなのだ。下手にレベルの高い鑑定眼を持っているために、父親はプロポーズする際にそのスキルを遺憾無く使用して、母親に最高の品をプレゼントしてしまったのだ。惚れた方が弱いのは分かるけれど、それ以来母親はおねだりすればなんでも手に入ると思うようになってしまったようなのだ。


「じゃあ父さんがすればいいね。商業ギルド一の商人なんだから」


 そう言ってハンツが席を立った。


「明日は冒険者ギルドにチラシを配ってくるから、朝食はいらないよ」


 ハンツはそのまま無言で自室に帰って行った。

 そうしてあくる朝、日が昇るのに合わせて冒険者ギルドへとハンツは向かった。


「おはようございます」


 早朝であるからか、居並ぶ冒険者たちは格安の朝食を食べている者が多かった。良い依頼は早い者勝ちであるから、食べながら職員が依頼を張り出すのを待っているのだ。


「あら、ハンツさん」


 ギルドの受付嬢がハンツに気づき声をかけてきた。


「おはようございます。リリスさん」


 ハンツが丁寧に挨拶をすると、リリスは嬉しそうに挨拶を返してきた。早朝の冒険者ギルドでこんな風に挨拶を交わすことはあまりに見られない光景だ。


「護衛の依頼ですか?」


 リリスが帳簿を取り出しながら聞いてきた。商業ギルドのものか、ハンツの家の商店からの依頼なのか、それを考えながらの行動なのだろう。


「リリスさん、森にダンジョンが出来たことはご存知ですか?」


 ハンツがそう切り出すと、のんびりとしていた冒険者たちの目付きが変わった。


「いいえ、初耳ですけど……」

「おや、そうでしたか。昨日の事なんですけどね。森でシュンゼルのギルドマスターに出会いましてね」

「ええ、そうなんですか」


 そう答えながらリリスはちらりと後ろを見た。まだ朝の準備をしている最中の職員たちは、手を止めてハンツの声に耳を傾け始めたようだ。


「ダンジョンを調査していると言うのですよ。まだこちらのギルドに話しは届いていなかったようですねぇ」


 そう言いながらハンツは懐からチラシを1枚取り出しカウンターに置いた。リリスはそのチラシに視線を落とす。


「実はですねぇ、そのダンジョンにはゴーレムがいるんですよ」

「えっ、ご、ゴーレム?」


 チラシに書かれた美しい色彩の文字に目を奪われていたリリスは、驚きのあまり思わず大きな声を出してしまった。


「はい、そうです。このチラシはですね、そのゴーレムから貰ったものなんですよ。どうぞ触ってみてください」


 ハンツは人の良さそうな笑みを浮かべそういった。言われるままにリリスはカウンターに置かれたチラシを手に取った。すると、リリスの顔が驚きの表情を浮かべる。


「こ、これ、素晴らしい紙が使われているではありませんか。ギルドで使う依頼書の紙よりずっともっといい紙です」


 リリスがそう叫ぶように言うと、後ろに控えていた職員が慌てて走りより、リリスの手からチラシを奪う。


「なんだこの紙は!なんて滑らかな手触りなんだ」


 ギルドの職員手をチラシが次から次へと渡っていく。皆内容よりもその手触りの良さに驚いている様だった。仕方くハンツはもう1枚チラシを取りだした。


「リリスさん、見てください。ココ、ココですよ」

「なんですか?ハンツさん」


 言われてリリスはカウンターに置かれたチラシに視線を移す。ハンツの指が示す箇所に目を止めると、またもやリリスは大きな声を出してしまった。


「パンケーキ?パンケーキってなんです?パンなのケーキなの?パンだとしたらすごく高いけど、ケーキだとしたら物凄くすごく安い……銅貨1枚?本当なんですか?」


 下からジト目で見られてハンツは少し恐怖を感じたが、そこは商人である。とびきりの笑顔で答えた。


「とても甘くて美味しいんですよ。(食べてはいませんが、クッキーがあれだけ美味しかったんだから嘘ではありませんよね)ダンジョンにある宿屋の名物なんです。リリスさんも元は冒険者ですから、休みの日に1度は訪れではいかがでしょう?このお土産のクッキーは香ばしくて甘くてとても口当たりが上品なお菓子なんです」

「クッキー?クッキーって……あ、ココにか書いてある。お土産ですか……え?ハンツさん、お土産、ないんですか?」


 そう言ってリリスが詰め寄るが、昨日商業ギルドで食べてしまったからもうない。焦るハンツに詰め寄るリリス。そのリリスの背後に他の職員も寄ってきた。


(カウンター越しでも恐ろしい圧を感じる)


 アワアワとハンツが慌てていると、リリスの伸ばして来た手がハンツの懐を掠めた。

 カサっ

 確かにそんな音が聞こえたような気がする。だがしかし、今朝ハンツは懐にチラシしか入れては来なかったはずだ。


「ハンツさん、隠すと良くないですよ」


 さすがに他人の懐に手を差し込むような真似はしなかったが、リリスはハンツの懐に何かがあることを鋭く察した。


「だ、ダメです。ダメですよ。これは商業ギルドに……」

「ここまで話しておいて、そんなの酷いじゃないですかぁ」


 リリスが詰め寄り、背後にいる女性職員もリリスを応援するが如く、ハンツの事を睨むような鋭さで、それでいて色目を使うような仕草で見てきた。


「う、冒険者ギルドなんですから、冒険者に依頼をすればいいじゃないですか。俺はしがない商人なんですよ。必死の思いで持ち帰ったものをタダで渡せる訳ないじゃありませんか」


 ハンツは懐に手を入れて必死に抵抗をした。手に触れた感触は間違いなく昨日と同じクッキーの袋に違いなかった。ここで出してまた全てなくなってしまったら、また母親に嫌味を言われてしまう。だがしかし、このタイミングで懐に入ってきたということは、そういうことなのだとハンツは思った。


「1人1枚。1人1枚ですからね」


 背後からくる冒険者たちの視線の鋭さににも耐えかねて、ハンツは渋々袋を取りだし口を開いた。


「うわ、いい匂いがするぅ」


 鼻をクンクンとさせるリリスの顔が近かった。その後ろの女性職員も随分と近い。


「手、手を出してください。1人1枚ずつです」


 ハンツがそう言うとリリスが真っ先に手を出した。その掌にハンツはクッキーを1枚置く。次々と職員が手を出すから、ハンツは袋の中からクッキーを1枚ずつ取りだしギルドの職員に配った。


(変だな?昨日はこんなに入っていなかったぞ)


 昨日商業ギルドで配った時も1人1枚ずつであったが、人数はこんなにはいなかったはずだ。朝であるから冒険者ギルドの職員の方が人数が多いはずなのに、袋の中のクッキーが無くなる気配がない。ハンツは自分の心臓の音がやたらと大きく聞こえてくるのを必死で聞かないふりをして、最後の1人にまで配った。すると、ちょうどクッキーの袋がからになった。


「ちょうど人数分でしたね」


 ハンツがホッとしながらそう言うと、ギルドの職員たちはいっせいにクッキーを口にした。


「「「おいしいーー」」」


 ハンツは思わず耳を塞ぐのだった。

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