五 レッソンバンディアの女 キマイラ

ホーホー ホーホー   ギャギャギャギャ




夜の森にフクロウと何かわからない生き物の鳴き声が響き渡る。

このフクロウは執事のフクロウ人間のことではなく、野生のフクロウだ。

いくつかの山を越え、また、川を渡り、森を通り抜け、平原を駆け抜けた。

そして、今、最後の森を丁度抜けたところだ。

数分もするとレッソンバンディアの最大都市、エトナ=テュ・ランスが見えるだろう。

馬車に揺られること三日、奴隷商オーラル・ヘルーガはアングラス伯爵の依頼を受け、キマイラの元へ向かっていた。

人攫いによる村人の集団失踪。

確定したことではないが、その見立てが強い。

とりあえず、彼女に会って何か情報を得よう。

そう考え、オーラルは護衛にメイドのアーグラン・E・ソシリアンと女神のシンコーレシスティアを御者のゴットンの操る馬車に乗せ、エトナ=テュ・ランスに赴く。

女神を連れてくる予定はなかったが、本人がどうしてもと言うので仕方なく連れてきた。

危険がないとは言い切れないが、今回の主目的は調査だ。

彼女が一人で危険なところに行かない限り安全だろう。

まぁ、大丈夫なはずだ、現在を除けば。

「女神、いい加減オレから降りてくれないか。」

「やーだ。ボクの定位置だから。」

女神は狭い馬車の客席に座れないため、オーラルの腿の上に座っている。

ただでさえ、アーグランと重なるように並ばないといけないのに、上に乗られては何もできない。

文句を旅の間何度か述べたが、女神はメイドの上に座ることはほとんどなかった。

眠ってしまい、二人の膝の上で転がっていたことは多々あるが。

だが文句を言うのも疲れた。

もうじき、目的にも着くだろう。

そんな期待を胸に馬車は走り続けた。

彼の予想通り、街の入り口から中心部は近く、外れにあるキマイラの屋敷までもそんなに時間がかからなかった。

ただ、あまりの大きさの為に、門が見つからなかったのが誤算だった。

それで余計に時間を食った。

キマイラの屋敷は領主からの仕事を代行している者の屋敷だけあって、とてつもなく大きかった。

オーラルの家も、バッテンラールにもこれほどの物はなく、女神は感動に近い声をあげていた。

門には守衛がいて、通るには許可がいるようだが、そんなものはない。

そもそも、許可のもらい方すら知らない。

途方に暮れていると、屋敷から誰かが出てきた。

黒いコートに身を包み、フードも深く被っていて遠目では顔は見えない。

しかし、フードにはライオンのたてがみのような毛がついていて、シルエットだけでその人物が判断できる。

その人物こそ、この屋敷の主、キマイラだ。

彼女と守衛にひと悶着あったが、力で解決した。

「うふ、ごめんなさいね。守衛があなたの名を知らなくて。知っていれば有無を言わさずに通していたのだけれど…。」

「構わない。こちらこそ連絡もなしに押しかけてすまなかった。」

キマイラの言葉に、オーラルも無難に返す。

それから一行は彼女に連れられ、屋敷に案内される。

ゴットンは疲れてしまったのか、先に部屋で寝てしまったが、残る三人は応接間に足を運んだ。

そこで改めて、この屋敷の主から挨拶がされる。

「遠路はるばるようこそ。本来ならゆっくりして欲しいところだけど、今回の事件の解決期待してるわよ。オーラル、アーグラン、それから…、そちらのお嬢さんは?」

「女神を名乗る少女だ。気にするな。」

「シンコーレシスティアだ。本当に女神なんだぞ。人や物の傷なんて、すぐ治せるからな。」

「シンコーレシスティアさんね。本当に女神みたいな名前ね。」

あまり真面目に取り合ってもらえなくて頬を膨らます女神。

だが、彼女にお構いなくオーラルは話を進める。

「近くの村で人がいなくなった、と簡単に聞いたのだが。」

「ええ、そうね。ジチ村、ゼテ村、そしてゾト村。この村の人全員がいなくなったわ。」

彼女は三人に座るよう促し、自分も向かいの椅子に腰かける。

「ただね、その村には共通点があるの。なんだと思う?」

「木の実が名産と聞いたことがあるけど、それが今秋の事件と関係あるのかな?

「名前がザ行とタ行の組み合わせ!」

アーグランと女神が思ったことを答えるが、どちらも正解ではなさそうだ。

「もう少し事件に直接関係のあることだろ。山間部にあるとか。」

「オーラルの正解。あまり外界と交流がないから、事件の発覚も遅れたの。納税品回収の為に役人が行ったんだけど、その時初めて発覚したわ。それが一カ月前。」

「意外と時間が経っているんだな。この一週間くらいの出来事だと思った。」

「これでも一応、調査はしたのよ。最初は野生の動物に襲われたとか、村人全員が引っ越したとか。自然現象なんかも考慮したわ。」

キマイラが語るに、考えれる可能性は全て検討したんだとか。

それぞれの説で現場の状況を説明できることもあれば、しきれないこと、矛盾することもあった。

そうして、残された可能性として人攫いが上がったと。

「村の規模を知らないが、全員がいなくなるには尤もらしい理由だな。一応、そう考えた理由でも聞こうか。」

奴隷商は屋敷のメイドが紅茶を持ってきたので、礼を言ってから口にする。

屋敷の女主人は彼の質問に答えることを一瞬躊躇したが、唇を重たそうにして話し出す。

「まず、村の至る所に傷跡があったわ。戦争があったと言ってもいいくらい、見るに堪えない所も。そして、被害が少ないところは、日常生活の後も残っていた。食事の準備などが見られたわ。」

「突然、何かに襲われて村人がいなくなった、と言ったところか。」

「避難とかもあり得そうだね。龍や怪物から逃げるために。

「…。(モグモグ)。」

大人三人で真面目な話をしてる中、女神だけ出されたお菓子を食べている。

「その考えもあるけど、村人が誰一人として見つからないことが説明できないわ。いくら村の外との交流が希薄だからと言って、無縁な状態でもないから。いざとなれば、わたしを頼れば良いのだから。」

「全員が全員、それができるとは限らない。慣習か、プライドか、それとも考え方か。何が邪魔しているかは、オレにも計り知れないがな。」

「意外と厳しいこと言うわね。でも、ありあないとは言えないわ。」

「ただ、一番現実的なことは、人攫いだな。100人程度の村なら30分で制圧できる。」

「それって、私とフーエルの参加はもちろん、かなりの人数を割かないと無理じゃない?

「お代わりもらっていいか? これすごくおいしい。」

「女神、遠慮ってもんを覚えろ。」

「構わないわよ。ワッペ、お願い。」

女神が茶菓子に出されていたクッキーを気に入ったようで、追加を頼む。

話の腰が折れてしまったが、人攫いをしようにもかなり難易度が高い、と言うことだ。

更に、そこに居る人全員となると、ハードルが高くなる。

「もう二つだけ、情報を付け加えておくわ。」

キマイラが何か思い出したように視線を上に向ける。

「一つは村の家のいくつかは荒らされていたわ。そして、ほとんどの家から貴重品がなくなっていた。」

「人を攫うだけじゃなくて、強盗もしてたってことだね。かなりの悪党だよ。

「まぁ、それなら、怪我人が出てもいいくらいの気持ちで、村を襲撃してたのかもしれないな。倫理観が狂っているやつらの行動は読み切れないからな。」

「うふ、お互い身に染みる言葉ね。」

キマイラが妖しく笑った。

オーラルの顔は長い前髪で隠れていて、どんな表情か分からない。

ただ一人を除いて…。

女神は紅茶を飲み干し、近くにいたキマイラのメイドにお代わりを頼む。

アーグランはなるべく良い話の流れを探すように、身振り手振りを大きくする。

「そっ、そう言えば、もう一つ話したいことがあるんじゃなかった? わ、私、しりたいな~。

「そうね、部屋を移動してもらうことになるけどいいかしら。」

女主人は少女の方に視線を移す。

一人で飲み食いを堪能していたが、もうすでにお代わり分も平らげていた。

キマイラに案内され、部屋を移動した三人は簡素な部屋に通された。

部屋の中心に机が一つ。

その上には、壊れかけた物が乱雑に置かれていた。

「これは?」

「襲撃された村で見つけた物よ。」

キマイラが近づき、その一つを手に取る。

「村を襲った人達の物と考えられているわ。」

「断定はできないんだね。

「生憎、わたしも専門家も彼らの生活を十分に知らないわ。だけど、見慣れない物が放置されていたから、可能な限り持って帰ったの。」

オーラルとアーグランも近づくと、確かに、見慣れない物ばかりが置かれている。

だが、そのほとんどが壊れていて、原形が分かる物でも、完全な形ではない。

「かなり湾曲した刃だな。」

オーラルが手にしたのは刀剣の先端らしき凶器。

その刃の弧はかなり急で、同じものを四つ準備すれば円になりそうだ。

「北地の部族が丸い刃をした刀を使うと聞いたことあるよ。

「流石、ポンダレルにわずかしないエルフさんだわ。武器商でもなかなか目に入れれない武器の存在を知っているとはね。」

「この辺りでは使われていない物か。確かに、犯人の遺物かもしれないな。にしても、使いにくそうな形しか想像ができない。」

「相手と戦う時に、リーチがより長くなるように考えられたらしいよ。向こうは狩りの時、大型の野生動物と戦うことになるから。

「やはり長生きしていると、生き字引になるんだな。」

エルフが肘で主をどつく。

エルフは種族的に人と比べて10倍くらいは生きるが、年齢を揶揄するのはよくないだろう。

尤も、このメイドエルフはからかわないでよ~、くらいの軽い気持ちだが。

「さて、まぁ、大方言いたかったことの二つ目は分かった。様々な、襲撃犯の

残した物が見つかった、と言うことだな。」

「そうね。だけど、村特有の物か分からないものも多かったから、ここの集めた物の中にもかなり混じっていると思うわ。」

キマイラは少し肩を落としている。

それもそうだろう。

自分の管轄している土地で悲劇が起きているのに、自分はその人達のことすらよく知らない状況だったのだから。

オーラルは彼女にかける言葉が見つからず、そっと隣に立つことしか出来なかった。

「うふ、あなたって、不器用だけど優しいわね。」

「そんなに簡単だと、悪い男に引っかかるな。」

「わたしに声をかける男も少ないわよ。」

 彼女は淋しく笑った。

「ん?」

二人とはテーブルを挟んで反対側で、アーグランが少し奇妙な声を出す。

どうやら、女神が何をしているのか聞いているようだ。

「あぁ、これか? 布の切れ端の模様が繋がっているように見えてな。多分、いくつか集まったら、一つの紋章になると思って探してる。」

「確かに繋がりそう。私も手伝うよ。

女神にはまだ、アーグランの手話は通じないが、なんとなくの意志は伝わってきている。

二人でせっせと探すのを見て、二人の非合法な商人も山をひっくり返す。

十分くらいが経つと、模様が描かれた布の全部は見つからなかったが、その姿形は大体わかるくらい、パーツが見つかった。

白と薄桃色のダイヤモンド型の模様が積み重なって、三角形の形を成している。

中心に文字が書かれているが、切れたりしていて、解読は難しそうだ。

だが、この模様が王国を表す紋章や、オーラルのような証人を識別するマークの一種と言うことは経験的に想像がついた。

「見たことない紋章だな。少なくとも、オレの知っている奴隷商ではないな。」

「あら、そうなの。わたしの知り合いにもこれを使っている人はいないわ。」

「主とキマイラさんが知らないなら、二人に関わりが少ない裏の商人がこの事件を?

「ボクは見覚えあるよ。」

「本当か、女神!?」

突然のカミングアウトに驚く三人。

聞き取れない速さでどこで見たとか誰が使っていたとかを三者三様口々に言う。

「落ち着けよ、ボクが話す隙もない。」

「ごめんね、それでどこで見たの?

「バッテンルーラーだよ。燃える数時間前にね。今思えば、あいつらが町を燃やしたのかもしれないな…。」

女神の顔に悔しさがにじみ出る。

キマイラは詳しいことを知らないので、オーラルが軽く補足説明を入れる。

「女神はオレの家に来る前はバッテンラールにいたんだ。オレのことを『見たことない顔』と言うくらいには町になじんでいたな。そう言えば、女神。あの時、『今日はよく、余所者が訪れる日だな』とか言っていなかったか?」

「あ~、言ったかな? でも、この日に町の人じゃない人は見たぞ。お前と、そして、この紋章の着いた服を着た人達を。」

「なんとなく、色んな事件が結びついてきたな。」

オーラルは腕組をしながら考え込む。

点と点だった存在が、線で結ばれていき、形となる。

しかし、まだあやふやの事柄の方が多く、輪郭すら分からない。

だが、他の三人は線で結ぶことすらできていなかった。

「どういうことなの?

アーグランがかなり首を傾げている。

オーラルはどういう順番で説明をすればいいか少し悩んだが、口を開いた。

「これはオレと同じく奴隷商をしている人物からの情報なんだが、彼女の知らない所で奴隷の売買が行われているらしい。」

「へぇ。」

「そして、二つの大きな事件が起きた。それは君もわかるだろ?」

「バッテンラールの火災と今回の村人行方不明事件、だね。

「それらが何の関係があるのかしら?」

「人が急に増えている現象と減っている現象が起きている。バッテンルーラーでも、人がほとんどいなかったからな。恐らく、放火という人が減っても違和感がないことをして誘拐のカモフラージュをしたのだろう。」

「人が減っているのは誘拐と火災事件。増えているのが奴隷の売買と言うことかしら。しかし、小賢しいことをする人や卑劣なことをする人が多いわね。」

「全くだ。しかも、それが全部一人で行っているのだから、余計に質が悪い。」

「「「!?」」」

「正確に言うと、一つのグループだな。人を誘拐して、誰かに売りつける。まるで、オレと同じことをやってのけている。」

「その犯人がダイヤでできた三角の紋章の組織…。

「あくまで、想像の域を超えないけどな。」

「でも、あなたの推理は一理あると思うわ。真相は、彼らを捕まえて吐いてもらえば、分かるでしょうしね。」

「どうやって吐かせるかは、聞かないでおこう…。」

「とりあえず、この紋章の組織を捕まえるのが、今の課題だね。彼らの正体が分かるヒントがあると良いんだけど…。

「紋章の文字が読めれば、何か分かるかもしれないな。」

「じゃぁ、読めるようにしようか?」

今まで黙っていた女神が、急に意気揚々としゃべりだす。

おそらく、今までの話にはついてこれていなかったのだろう。

「そんなことができるのか、女神?」

半信半疑どころか、ほぼ疑いの目で彼女を見る。

しかし、少女はなんてことない顔をしながら、手を千切れた布にかざす。

「ボクを侮るなよ。これでも女神なのだから。」

手からすっと光が出たかと思うと、その光が布を包む。

そして、だんだん霧のように晴れていくと、布がくっついていた。

「どうやったのかしら!?」

キマイラがかなり食い気味に質問する。

「ボクは女神だからな。物を直すくらいなら朝飯前だ。」

「確かに、引っ付いているな。」

オーラルが布を引っ張ってももう細切れに戻ることはない。

「でも、ボクはまだ修行の身だからな。足りないパーツの部分は補えなかったよ。」

「ううん。これも十分すごいよ。

「ちなみにお母さんは、破片から全部復元でくるぜ。」

「それはもう、奇跡だな。」

「それよりも、字が読みたいんだろ? ボクは生憎、字は読めないからな。」

「帰ったら勉強だな…。」

女神の力を目の当たりにしつつ驚いていた三人は、切れて読めなかった紋章の文字を目に通す。

通したはいいが、三人とも、それっきり何も言わない。

「おいおい、ボクは読めないって言っただろ? なんて書いてあった…」

女神がオーラルの顔を覗き込むと、明らかに血の気が引いていた。

他の二人も全く同じで、生気が感じられないほどだった。

「ど、どうしたんだよ。そんなにヤバいことでも書いてたのか? あれか? 神を冒涜することでも書いてあって、ボクに気を使っているのか? き、気にする必要ないぞ。なんせ、ボクは女神…」

少女の言葉を遮るように、オーラルは彼女の頭を撫でる。

「すまない、女神。オレ達はとんでもないことに足を踏み入れたようだ…。」

それからは、誰もしゃべることはなかった。

夜が明けても、光は訪れなかった。




ピールルルル ピールルルル




青い空には鳥が滑るように飛んでいる。

緑の原っぱを風が気まぐれで走り、それに合わせて草が合唱する。

心地の良い山道を進む馬車は重い空気に支配されていた。

馬の足取りは重く、御者も心なしか顔が暗い。

狭い座席には奴隷商とメイド、そして女神が座っている。

女神はこの異様な雰囲気に耐え切れないのか、きょろきょろと見渡している。

「なあ、女神。やはり君だけでも帰らないか。危険すぎる。」

「お前は危険危険言うけど、何が危険か教えてくれないじゃないか。それなのに二つ返事で帰ると言うとでも思うのか?」

オーラルは少女の言う正論に返す言葉もない。

少し気は引けるが、話すしかなさそうだ。

「昨日、キマイラの屋敷で見たダイヤでできた三角の紋章を覚えているか?」

「昨日の今日で忘れはしないな。書かれてた文字を読んでからお前が急にだんまりもし始めたし。忘れる人を見てみたいな。」

「結構強気だね…。

アーグランは苦笑いしている。

だが、オーラルは笑う気になれなかった。

それほど、その文章は触れたくないものだから。

それを悟っているか分からないが、だからこそ女神は聞いてくる。

「それで、何が書いてあったんだ?」

「非常に歪んだ価値観だ。『桃白を頂きに、神の望みを世界に』と。」

「意味わからんな。ボクが関係ありそうだが。」

「残念ながら、この神は君のことではない。」

主は首を横に振る。

「まぁ、簡単に説明をしようか。まず、この世界には人がいるな。」

「ここにいる三人のことだろ?」

「私はエルフなんだけど…。

「オイラはゴブリンでっせ。」

「君の思う人の範囲は広すぎないか。」

「女神から見れば、大差ないんだけどな~。」

「まぁ、いい。ここでの人はオレのような『人間』を指している。」

オーラルは女神の価値観の頭を抱えつつ、話を続ける。

「その人間も、細かな差でいくつかの種類に分ける考え方がある。その一つに見た目だな。見た目の違いで『桃白』、『黄白』、『桃黄』などと呼ばれている。」

「おっ、桃白が出てきたな。紋章の桃白は人を区分した時の種類のことなのか?」

「そうだな。その桃白の人の一部が、オレには理解しがたい思想を持っている。」


桃白至上主義。


「どういう考え方なんだ?」

「この世界の生き物の中で人間が優れていて、更に、その人間の中でも桃白が最も優れている、と言う考え方だ。」

「? 意味が分からないな。生き物は全部同じだぞ? 生き死にを繰り返す、運命の奴隷。」

「さらりと怖いこと言わないでよ…。

「神々にも序列があるだろ。それと同じで、生き物も序列があり、その一番上が桃白で、最も優れていていると考えている者がいる、と言うことだ。」

「人と言うのは愚かだな。」

シンコーレシスティアがまさに女神のような、冷たい目をしている。

「まぁ、それが『桃白を頂きに』、の意味だ。」

「それで、後ろの『神の望みを世界に』はどういう事だ?」

女神はいつも通り、少女の顔で首を傾げる。

「『最も優れている桃白が世界を統べる、それが神の願いだ』、と言う意味らしい。」

「そんな気狂いしたこと言ってるやつ、聞いたことないぞ?」

「オレはそもそも、神を称している輩は君しか会ったことない。」

「神の意志を伝える者が残した言葉を記した書物があって、そこから考えられて思想らしいけど。流石に、直接的に書かれてはなくて、かなり歪曲した捉え方みたいだよ。

アーグランがわざわざ紙にしてまで解説を入れる。

それを見て女神は頭を痛めていた。

「あ~、なんとなく分かってきた。熱心な信者が暴走して、あらぬ方向に突っ走っているわけか。」

「大方、そんなところだろう。しかも、神に従っているという考えだから、彼らは何一つ悪いことをしている自覚がない。今回の事件の犯人達も、世界のためならいかなる手段を使っても良いと考えているのだろう。」

「それで村を襲ったり、街を燃やしたり、あまつさえ奴隷を作っているのか。」

「そこはオレの考えだが。まぁ、分かっただろう。どれほど危険な奴らか。」

「ボクは余計に、首を突っ込みたくなったな。」

「正気か!?」

「神の望みならば、他人を顧みず、己の消滅すら厭わない人達なんだよ。危険極まりないって。

オーラルとアーグランは再三の注意を呼び掛ける。

だが、少女は首を振った。

「神に捕らわれた者なら、女神であるボクが手を下すのが道理だろ。」

「…、そこまで言うなら、オレは言うことがないな。」

メイドは不服そうだが、オーラルはもう、女神に何かを言うのをやめた。

それほど、彼女の意志は固そうだから。

あるいは、本当に女神だと思っているのかもしれない。

その答えは分からないまま、馬車は山道を進み続ける。

太陽がてっぺんに到達する前に、一行は目的地にたどり着いた。

「想像以上に荒れているな。」

馬車を降りたオーラルが呟く。

山間部の一角を切り開いて作られて村、ゾト村。

意外と広々としていて、斜面であることを除けば案外住み心地が良いかもしれない。

しかし、それは村が襲撃される前の話。

今は草の生えた畑と壊れかけの家が並んでいるだけの廃村。

夜に来たら、魑魅魍魎が蔓延ってそうだ。

「さて、始めようか。」

「ん。」

主の呼びかけにメイドが頷く。

だが、女神は何をするのか知らぬままついて来ていた。

「何をすればいいんだ?」

「まぁ、村を襲ったやつらの遺留品探しだな。キマイラ達が捜索したらしいが、まだ何か残っているかもしれないからな。後は、現場を目にしておきたかったこともここに来た理由だけどな。」

「迷子になったら困るから、女神ちゃんは私と廻ろう。

「分かった。」

「オイラは馬車で待ってやすね。」

こうして、三グループに分かれて村の捜索を始めた。

だが、もうすでに隅々までキマイラ達が見たようで、特にめぼしいものは見つからない。

村の奥は割ときれいに残っていて、それこそ作りかけのご飯が置いてあったが、入り口付近は真反対だった。

燃えた家、崩れた家、瓦が全て落ちている家…。

程度こそまちまちだが、傷のない家の方が珍しい。

壁には切り傷が付いていて、血痕も残っていた。

「まるで戦争跡だな。」

家の中に入ったオーラルは静かに呟いた。

屋根が半分崩れていて、日差しが家内にまでよく当たっている。

雨も降ったのだろうか。

床が腐って脆くなっている所もある。

「ん? 見覚えのある跡だな。」

壁に1センチにも満たない程度の穴を見つける。

稀にしか見ないが、オーラルはこの穴を見たことがある。

いや、作ったことがある、と言った方が正しいか。

銃の弾が壁に当たり、そのまま貫通した跡だ。

だが、不思議なことが少しある。

銃は市場に出始めているとはいえ、まだ高価なものだ。

王国の軍ですら、百単位で集めることが難しい。

この村ではあまり銃弾の跡が無いことから、数は一つか二つあるかどうか。

国ですら集め難い物を一介の犯罪集団が買うことができるのだろうか。

しかも、この跡はオーラルの持っている短銃に似ている。

彼ですら、領主と言うコネがあって初めて手に入れれた稀有な存在。

ますます、入手が不可能に近いだろう。

「何者だ? この村を襲った者は…。」

だが、この謎を解き明かすことはできなかった。

一通り村を見た一行は、ゴットンの待っている馬車に戻ってきたが、全員収穫が無かった。

「腐った野菜に虫が集まってたのが気持ち悪かった。」

女神は一人、青い顔をしていたが、オーラルとアーグラン情報交換をしていた。

「私と女神ちゃんは、何も見つけられなかったかな。惨劇の跡は嫌と言うほど見たけど。

「オレも同じだな。まぁ、彼らが銃を持っているかもしれないことは分かったが。」

「それって、かなりの脅威じゃない。私でも不意打ちされたら、防ぎきれないよ。

「普通は正面から撃たれても、防げないけどな。」

メイドのスペックの高さに主は苦笑いする。

「しかし、どうしやすか、お頭。このまま、何か見つかるまで探し回りやすか?」

ゴブリンの提案に主は首を振る。

「いや、この村はここまでにしよう。それよりも、残りの二つを見た方が、何か分かるかもしれない。」

「それなら、もうそろそろ出発ですかね。山は日の入りが早いですから。」

「そうだな。もう行こうか。」

四人はゾト村を後にし、旅だった。

途中で弁当を食べ、ゼテ村、ジチ村を見たが、ゾト村と同じような感じでこれといっためぼしいものは見つからなかった。

「何も見つからなかった。ボクちょっと疲れたよ。」

「まぁ、それだけ、キマイラ達が入念に調べたってことだな。」

「でもどうする? もう日が暮れてきたよ?

「お屋敷に戻るには山道が暗すぎて危険でっせ。」

「そうだな…。」

オーラルは地図を見る。

キマイラからもらい受けた新品なので、かなり細かく情報が書かれている。

「そうだな、ザタ村が意外と近いな。無理を言って泊めてもらうか。」

「そう簡単に泊めてもらえるのか?」

「主の表の顔は行商人だからね。こんなことは何度も経験しているよ。

「それなら行きやしょうか。馬達が走れるうちに。」

灯りは馬車のランタンしかないため、かなり暗い道を進むことになったが、日が完全に山陰に入る前に何とかザタ村に着いた。

最初はかなり不審な目で見られたが、近隣の村で襲撃が起きていることを考えれば当然だろう。

だが、村長との面会を許してもらってからは、話がかなり速く進んだ。

オーラルの持ってきた表向きの行商用の商品、特に織物を村人に売ることを条件に滞在を認めてもらった。

「やれやれ、休めると思ったら、商談が山のように来た。」

「私達は先に貸してもらった家に行ってるね。

主を村の中心に置いて、メイドと御者、そして女神は宿へ行く。

馬達も馬小屋で、長い道のりを歩いた疲れを癒す。

家に入るとゴブリンはすぐに寝てしまったが、アーグランとシンコーレシスティアは村人からもらった夕食を食べていた。

「見慣れないご飯ばっかりだな。味は…、お姉ちゃんの方が断然おいしいや。」

「そう? 私は質素なご飯も好きだけど。

「まっ、神殿に生魚一匹丸ごと置かれても困るだけだから、それと比べればましか。」

むしゃむしゃと箸を動かす女神。

上品に食べるメイドとは大違いだ。

「そう言えば、あいつは商談とか言ってたけど、この村の人たち、お金持っているのか? ないなら売りたいものも売れないと思うぞ。」

「そういう時は、物々交換をするんだよ。この辺りは木の実が名産のはずだから、交渉が長引くかもしれないね。

「? 物々交換は分かるけど、交渉が長引くのはなんで?」

「木の実は一つの大きさも重さもバラバラだから。対等な価値を付けるのに時間がかかるんだよ。長いときは二日間くらい話してたかな?

「うわぁ、ボクには真似できないな…。」

「今回も、夜遅くまで話しているんじゃないかな?

「マジか。」

アーグランの予想通り、オーラルの帰りは女神が爆睡してからになった。

顔もげっそりとしていて、かなり疲れも見られる。

そんな彼をメイドは笑顔で出迎えた。

「まだ起きていたのか。君も疲れているだろ? 寝ていても良かったのに。」

「ん。」

彼女は微笑みながら主の口に指をあてた。

それは皆が寝ているから静かにしてほしいのか、それとも別の真意があったのかは分からない。

だが、それは決して負の感情からくるものではなかった。

「ん? ご飯にしよ。私は先に食べちゃったけど。

「構わない。一人で食べるよりは断然良い。」

メイドは素早く食事の準備をし、主の前に並べる。

女神が味を気にしていたが、彼もそれは気付いたようだ。

「自然の味、と言うよりは自然そのものだな。」

「でも、おいしいよ。

「まぁ、そうだな。」

静かに口を動かすオーラル。

アーグランは微笑みながらその様子を見ていた。

ゆっくりと流れる時間。

それはある意味幸せなのかもしれない。

だからこそ、喧噪な物音が彼女の耳には届いてしまったのだろう。

その音は次第に大きくなり、オーラルの耳にも入る。

「外が騒がしいな。」

「お祭りでもしているの?

「いや、そんな話は聞いてないな。」

「たっ、たいへんだ~。」

村人がドアを破り、叫ぶ。

その声はあまりにも大きく、寝ていた二人を起こしてしまった。

「…、!? …、グ~。」

「ZZZ。」

いや、起き上がっただけで、寝ぼけているだけのようだ。

しかし、それどころではない。

村人はオーラルの前に来ると、大声で話し出した。

「商人さん、たいへんだ~。」

「聞こえているから、目の前で叫ばないでくれ。」

「村に変な人たちが来て、暴れまわってるんだ~。」

「なに!?」

「ここにいる人を全員集めろって言ってんだ~。何しでかすかわかんねえが、いうこと聞かねえと村が~。」

と言って、外へ走り去ってしまった。

あまりにも叫びすぎたため、女神もゴブリンもしっかり目を覚ましてしまった。

取り残された四人。

だが、ずっとここにいるのも危ない。

「どうするんだ? ボクはアテナのような武もないし、アルテミスのような技もないぞ。」

「オイラはなぜか、戦いになると急に弱くなりやす。」

「君達を戦力には誰も数えてない。だが、ここで隠れて見つかるのも時間の問題だ。全員で襲撃者を迎えるしかないな。」

「その襲撃者ってもしかして、例の…?

「かもしれないな。」

主とメイドは剣を手に村の広場に向かう。

ゴブリンも棍棒を手にするが、体はかなり震えている。

「戦わないと。ボクを守ってくれよ?」

「オイラの方こそ、守ってほしいでっせ。」

「…。女神は何でもはできないぞ…。」

この二人も渋々、前の二人を追いかけた。

広場では火の手が上がっており、村の若い男と襲撃者が戦っていた。

だが、武器を持っている襲撃者の方が断然有利で、怪我人が続出していた。

「敵は…、ざっと三十人か。他の場所にもいるかもしれないから、油断はするな。」

「ん。」

アーグランはそう発すると、風のように速いスピードで相手を倒していく。

オーラルもサーベルを鞘から抜かず、打撃をすることで敵を気絶させる。

「クソッ。なんだこいつら。」

「かまうもんか。やっちまえ。」

次々と倒される襲撃者達を見て、彼らは更に興奮する。

騒ぎを聞きつけた仲間も加勢に加わるが、それでもこの二人には敵わない。

「強いな。特にお姉ちゃん。」

少し遅れてきた女神が目を皿にしながら驚く。

「昔は、騎士だったそうでっせ。一夜で軍隊を壊滅した伝説もありやす。」

「それ、本当!?」

ゴブリンの方を向いた女神は驚いていたが、彼の方を向いて更に顔を強張せた。

正確に言うと、彼の後ろの存在に戦慄した。

「オイ、こっちに子供と緑色がいるぞ。」

「弱そうなやつらだ。ひっ捕らえろ。」

襲撃者達が二人を取り囲み、力ずくで取り押さえようとしている。

「おい、御者。どうにかしてくれ。このままだと、ボクたち捕まるぞ。」

「頑張るのはいいんですが、なぜか、オイラはすぐ捕まるんでやんす。ほら。」

ゴブリンはいとも簡単に持ち上げられてしまう。

彼の実力では、赤子の手をひねるより簡単に参ってしまうようだ。

これには女神もかける言葉が無かった。

だが、このままでは彼女が捕まるのも時間の問題。

「仕方ない。御者、動くなよ。」

「? 動けないでやんすよ?」

注意喚起とともに、女神はゴットンを捕まえている敵に手をかざす。

すると、地面から風が舞い上がり、幼いながらも神々しさが垣間見える。

「ハッ。」

掛け声とともに目に見えない何かが発射される。

それに気が付けない賊は訳も分からず吹き飛ばされる。

もちろん彼も何が起きたか分かっていない。

「何をしたんでやんすか?」

「そうだな。ボクの後ろで縮こまっていたらいいと思うぞ? こいつらのようになりたいなら別だけど。」

「なにをー。」

「容赦するな。傷つけても良いから、全力でひっ捕らえろ。」

簡単に挑発に乗る襲撃者達は次々に襲い掛かるが、その倍のスピードで吹き飛ばされる。

飛んでいく人の隙間を縫うようにゴブリンは女神の元へ寄る。

「まさに神様の所業でやんすね。見惚れてしやいやす。」

「? そうか? お母さんなら、この場をすぐに制圧してしまうぞ?」

珍しく自分に自信を持っていない女神だが、その存在は大きい。

彼女の能力に加え、オーラルとアーグランの剣裁き、そして、村人の奮闘もあって襲撃者の数は瞬く間に減った。

「ふぅ、全員倒したか?」

「ん。」

丁度、アーグランが相手を眠らせ、静寂が戻る。

だがそれは一瞬のこと。

村人達が歓喜に湧きあがり、まさにお祭り状態になる。

「ありがとうございます、行商の方よ。村を守っていただき、本当、何度お礼を申し上げても足りません。」

「一宿一飯の恩という言葉がある。それだけだ。」

深々と頭をさげる村長に、オーラルは恥ずかしそうに答える。

「しかし、全員気絶してしまったか。これでは、彼らが何者なのか分からないな。」

「別に誰でもよくない? 後はライオンの頭のお姉ちゃんに任せればいいでしょ。」

「女神は気楽でいいな。そのキマイラがどれだけの軍を率いて来るかにかかっているんだ。ただの盗賊なら部下で事足りるだろうが、例のグループなら領主にも連絡が必要だからな。」

「人とは面倒な生き物だな。」

「ん。」

女神とオーラルが話していたら、アーグランが割って入ってくる。

彼の裾を掴み倒れている襲撃者の元に連れてくる。

「どうした、アーグラン。」

「ん。」

彼女が指さしたのは敵が巻いていたバンダナ。

戦いのときには気付かなかったが、改めて見ると見覚えがある。

解いて、広げると見覚えのある、ではなく確実に見たことのあるものだった。

「やれやれ、ついに、といったところか。」

「運が良いのかな? それとも悪いのかな?

「二人で何楽しんでいるんだよ。ボクにも見せて、あーーーー!!」

女神は驚きと困惑の混じった奇声をあげた。

「昨日、ライオンの頭のお姉ちゃんのとこで見た紋章じゃん。こいつらが着けてたのか!?」

「そうだな。恐らく所属員として分かるように、身に着けていたのだろう。」

「多分、他の人も探したら見つかると思うよ。白と桃色のダイヤでできた三角の紋章が。

「やったじゃん、これで事件解決。」

「そうだな。呆気なさ過ぎて、少し拍子抜けだな。」

「まてや。劣等種がなにいい気になってんだ?」

知らない声が隣の森から響き渡る。

ガサゴソと音を立てながら、二つの影が暗闇から現れる。

月明かりに照らされた怪しい男達。

一人は背が高く、筋骨も隆々としていて野生の獣に近いオーラを纏っている。

もう一人も背が高いが、細身でキシャな印象を受ける。

だが、顔には怪しげなメイクをしており、呪術師のような雰囲気を出している。

共通点が見いだせない二人組だが、唯一あげれるとすれば、服についている紋章。

桃色と白色のダイヤモンドで形成された三角形を付けている。

「黄白種とエルフのくせに、俺ら桃白種に逆らうとはいい度胸だな。」

「君達が襲い掛かってきたから抵抗したまでだ。四の五の言われる筋合いはないと思うが。」

「ふん。まあいいさ。その口も今すぐきけなくしてやるからな。無事でいたいなら、そこに跪きな。」

「君こそ、武器を置いて投降したほうがいい。五体満足でいる気がないなら別だが。」

「劣等種なのに挑発だけは一丁前だ、な。」

ギィーン

大男が剣を抜き、オーラルに襲い掛かる。

紙一重でかわした彼だが、彼が立っていた地面は抉れてしまった。

「やれやれ、本当に命懸けだな。」

サーベルを鞘から抜き、態勢を整える。

しかし、大男のラッシュ攻撃が続き、反撃どころか避けることすら困難だ。

何とか剣で防ぐも、折れてしまいそうな勢いである。

「ん。」

研ぎ澄まされたレイピアを突き立てようとアーグランが加勢に加わる。

いくら鍛え抜かれた体であろうとも、この攻撃は防ぎようもない。

シュッ ヒュルルルル

だが、音速をも超える勢いで放った一撃は止められてしまった。

レイピアに鞭が巻き付いていたのだ。

「そちらが二人なら、こちらも二人。是、当然の理。」

奇妙なメイクの男が、無機質な声色で言い放つ。

エルフは横目で主の様子を確認したが、まだ大丈夫そうだ。

先にこの男を倒してから加勢する。

そう決心した彼女はメイク男に向かって走り出した。

鋭く尖った剣先で相手を突こうとするが、すべて鞭で止められてしまう。

それどころか、防御に使っているはずの鞭が、先端は全く違う動きをしていて彼女にダメージを与える。

悔しいが、いったん間合いを取るしかない。

軽く後ろに飛び、再び対峙する。

「離れることは、好機を逃すこと。ぬし、理解をしている。」

「ん?」

何が言いたいの、内心ではそう叫んでいる。

「間合い長いものほど、有利。是、戦いの定石。」

鞭遣いが、ぶんぶんと鞭を振り回す。

一見、無作為な動きだが、これでも効果は大きい。

何故なら、アーグランが相手に近づくことはかなり困難だからだ。

「んっ。」

それでも、剣を握る力をさらに強める。

僅か一瞬の隙でいい。

それさえあれば、確実に近づいて動きを封じることができる。

いつでも駆け出せるように、足にも力を入れる。

だが、いくら入れても地面を蹴っている感覚がない。

冷や汗を流しながら視線だけ、足に向ける。

震えていた。

恐怖や武者震いと言った感情からくるものではない。

気付かないうちに、なぜか痙攣を始めていた。

「殺傷力弱い武器、毒物を使う。これ、先人の知なり。」

「くっ。」

この言葉を聞いて、すべて理解した。

そして足どころか、体中が震え始める。

奇怪なメイクをした男は鞭に痺れ薬を塗っていたのだ。

そして、体に触れたところからその効果が発動する。

アーグランの四肢はもうその毒に侵されていたのだ。

「お姉ちゃん、もう無理だよ。」

女神が耐え切れなくなったのか、メイドに駆け寄る。

だが、彼女はそれを震える手で遮った。

「ん。」

まだ戦う。

間違いなく、そう言った。

満足に動かない体で走り出し、鞭の雨に打たれる。

「無駄な足掻きほど、無様なもの無し。是、いつの世も同じ。」


ドーン


大きな音が村に響き、人々がそちらを見る。

砂埃がたっており、そこから人影が現れる。

大男が剣を振り回すのを紙一重にオーラルがかわしていた。

「ガッハッハッハ。避けてばっかりで楽しいか、劣等種。いや、避けるしかできないよな。」

マントをひらひらとさせ、踊っているように奇麗な足取りでオーラルは動く。

何とか反撃できるチャンスを探しているが、目の前の巨体になすすべは無い。

決して大柄ではない彼だが、それでもそこそこの背丈はある。

そんな彼が、相手との体格差を二倍近く感じてしまうのは、それだけ相手の勢いがあることを示しているのだろう。

「さあ、俺が倒れるのが先か、お前が倒れるのが先か。答えは分かり切っているけどな!」

剣が長い前髪の先に触れる。

それでも、攻撃を直に受けることはなかった。

だが、息も荒げ始めているオーラルは、自分が追い詰められていることをひしひしと感じていた。

それは、同時に敵の精神的余裕も与えていた。

「そのまま猿のように踊り狂って死んでしまえ。」

腕を大きく振り上げ、剣を高々と夜空に突き出す。

時間にして一秒あっただろうか。

瞬きをすれば終わってしまうほどの、刹那という時間。

その瞬間だけは隙ができた。

「今だ。」

がら空きになった胴にサーベルで横一文字を描く。

「なに!?」

「優位に立っている人ほど、勝利からほど遠いらしいよ。君は師匠から聞いたことないのか?」

奇麗に横に裂けたダイヤでできた三角の紋章から血が滴る。

そして駆け抜けたオーラルの背後で敵は倒れる。

倒れる、筈だった。

実際に起きたことは避けた紋章ができたことと、駆け抜けたオーラルの剣が折れたことだった。

空中で回転している剣先が、パタッと降ってくる。

それが勝負の決着の合図だった。

「なぜ、君は倒れない。」

振り向いた彼は動揺が隠せなかった。

だが、大男は笑いながら種明かしをする。

「ガハハハッ。頭の悪い劣等種にも、これが何かは分かるよな。そう、鎖帷子だ。しかも俺のは特別製だ。そこら辺の刃物じゃ、切れないぜ。」

勝ち誇る声は誰にも遮れなかった。

オーラルは怪我こそしていないが、疲労で限界まで来ていた。

さらに、愛用のサーベルはたった今、折れてしまった。

彼の運命はもう決まってしまったと言ってもいい。

だが、目は死んでいなかった。

しっかりと睨みつける隻眼。

風が吹き、左目も姿を現す。

「なっ…。燕尾型のタトゥー、化け物のような醜い左の顔。お前、まさか、オーラル・ヘルーガか。」

「左様。急に怖気づいてどうした。」

かなり狼狽していた大男だが、深呼吸で落ち着きを取り戻す。

「誰が、劣等種にビビるか。だが、お前のことはよく聞いていてな。手を出すと後悔するって。だが、この様を見ていると、過大評価されているだけだな。」

「これから、後悔するかもしれないぞ。」

「今にも倒れそうな奴隷商に、何ができるって言うんだ?」

急に、村がざわつく。

それもそうだ。

最早禁忌にも近い存在、奴隷商がここにいると分かったからだ。

オーラルも血の気が引いているのが、自分でも分かるほどだった。

「君、それをどこで知った!?」

「なぁに、俺も誘拐と人売りを繰り返す人間よ。劣等種のことだろうが、同業者くらいは調べるさ。だが、お前はほんと頭が狂ってるよな。客を追い返すような商人がどこにいるんだ?」

「人を扱うには、それだけの資質が必要だ。君のような人を始め、資格の無い人間に断っただけだ。」

「ガハハハッ。何を言うと思えば、何にもならねえことだな。だがお前も奴隷商。俺と同じ穴の狢だ。金と他者を支配したいという欲望と、自分が頂点という優越に浸りたい業深き人間。それしか、奴隷商をする理由はない。」

「そ、そんなことない。」

「そうか? でも、それは自分が思っているだけだぜ。村の連中を見てみな。」

先ほどまで共に戦っていた村人は皆、オーラルに冷たい視線を向けている。

それは、隣にいる、大男に対して向けるものと同じだった。

「ここのやつらは、お前が奴隷商って知ってから、ずっとにらんでいるぜ。それもそうだ。だって、この後とっ捕まえられて、酷い目に遭って、売られるからなぁ。」

「オレは、そんなことしない。」

「さっきも言ったよな。俺とお前は同じ穴の狢。そのうち、他人をおもちゃのようにしか見れなくなるさ。ガハハハッ。」

大男は高笑いすると、アーグランもとに歩いた。

奇妙なメイクをしている男がそれに気が付くと、攻撃の手をやめた。

「あ~あ~。エルフは貴重なのにこんだけ痛めつけられていたらダメだな。ペンジレソーオ、加減というものをしれ。」

「如何なる者にも、手を抜かずに襲え。是、ぬしの教え。」

「フン。まあいい。今日は名高き奴隷商の無様な様を見れたからな。このまま帰るぞ。」

「受けた被害は、過去最大。是、どうするぞ?」

「んなもん、新たな配下を雇って、再出発だ。」

彼らは今後についての会話をしながら、森の奥へ消えていった。

村には静寂が訪れた。

だがそれもほんのひと時の話。

すぐさま、非難や罵詈雑言が雨あられのように、奴隷商に降り注ぐ。

それだけでなく、落ちていた小石や木の棒、中には彼が売った商品までが飛んでくる。

「おいおい、どうするんだよ、これ。お姉ちゃん起きてよ。」

女神は戦いで負傷したメイドに駆け寄る。

息こそしているが、疲労で衰弱している。

このままでは、バッテンルーラーみたいな悲劇が起きる。

女神は直感で分かった。

今はまだ、恐怖で村人がオーラルに近づかないが、そのうち彼が抵抗しないことが分かると何をしでかすか分からない。

しかし、彼女にはそれを止めるすべなどない。

ただ、蹂躙されるのを見るしかできないのだ。

悔しさのあまり、唇を噛む。

「ゴットン。」

涙目の女神は、敗れた奴隷商が叫んだのを確かに見た。

それは村人も同じで、急に時間が止まったように静かになる。

「帰るぞ。馬車を準備してくれ。」

「へ、へい。」

ゴブリンは大慌てで、馬小屋に向かう。

主はふらふらしながら立ち上がり、アーグランの元へ向かう。

「無茶して…。君は無謀な戦いをする主義ではなかったか?」

「…、んんん。」

痺れと怪我で、手が動かせない彼女が何を言おうとしているか分からない。

だが、オーラルはそっと頷き、彼女を抱きかかえた。

「女神、君の力で、アーグランは治るか?」

「それくらい、余裕だけど…。」

「なら帰ったら、頼む。ここでは騒がしくて、集中できないだろう。」

「…。」

まっすぐ歩けないくせに、主はメイドを抱きかかえたまま村の出口へ向かう。

彼らと出口の間には村人が集まっていたが、まるで示し打ちされてたかのように道が作られる。

傾斜面にある出口に着いたオーラルはそっと空を見上げた。

日が昇っているのか、少しずつ明るくなっていた。

「やれやれ、こんなに気分が悪い日の出はいつ以来だろうか。」

その言葉を、女神だけが聞いていた。












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