四 思いがけない来客
クスクスクス クスクスクス
光の差し込まない暗闇に、少女の笑い声だけが木霊する。
いつもの様に振り返ると、あの少女が不気味な笑顔を浮かべている。
「ダメだよ、逃げたら。」
彼女の声は、恐怖と温かさを同時に与えてくれる。
「ダメだよ、逃げたら。」
今夜は、同じ言葉が繰り返される。
「お兄さんの運命から逃げたらダメだよ。奴隷商人なんだから、包み隠さず彼女に伝えないと。」
少女はにやりと自分を見上げる。
だが、自分は困惑した。
夢の様子がいつもと異なっているからではない。
『彼女』に、心当たりがなかったからだ。
何もしゃべらないエルフは自分のことを良く知っている。
他に、彼女と称される人物はツリ目の部下がいるが、彼女こそ自分の思想に一番近い。
後は、蛇の少女か。
残る女性陣は奴隷として家にいるが、みな、自分の正体を知っている。
「ボクの言いたいことは分からないかな。」
クスクスと再び笑う。
だが、その顔を見て、この人物が言いたい『彼女』が分かった。
女神を名乗る少女。
夢の少女は、顔に出てたのか自分が気付いたことを察したようだ。
「ちゃんと言ってあげなくちゃダメだよ。だって言ってあげないと、これから待ち受ける運命に覚悟が持てないよ。奴隷と言う運命に。」
「違う。」
珍しく、声が発せられた。
そのことに、自分も相手も驚いた。
「違うって、何が違うの? だって、お兄さんの家にいる人って皆、お兄さんの奴隷だよね。だって、命令したら、その通りに働いてくれるんでしょ。」
「違う。」
「また、違う、か。どれだけ否定しても、お兄さんがやっていることは変わらないよ。何かを変えたかったら、いつもと違うことをしないと。」
「それが、女神に懺悔することか?」
「そこまで、深刻にならなくていいよ。ただ、一歩を踏み出せば良いだけ。」
クスクスクス。
少女が笑い、夢が覚める。
オーラルは、今日もベッドから身を起こしていた。
いつもとは毛色の違う夢。
これが何を表しているのか、おそらく誰も分からない。
ただ、今一つだけ、間違いなく言えることがある。
「なぜ、女神はオレのベッドで寝ているんだ。」
疲労感を忘れるように、彼女をゆすって起こす。
くぅんと一声をあげ起き上がるが、完全には覚醒してないようで目は閉じられたままだ。
「もう朝か~?」
間延びした声を女神はあげる。
そうだなとオーラルは答える。
「しかし、君はアーグランの所で寝ているのに、いつもオレの所に来る。わざわざ移動しているのか?」
「だってぇ、お姉ちゃんは早起きだもん。で、二度寝するためにここに来るわけ。お前と一緒なら、お前が起こしてくれるからな。寝坊の心配もない。女神の知能を駆使して導き出したんだぞ。すごいだろ。」
「浅はかではないが、自慢するほどでもない知能だな。まぁ、着替えに行け。身だしなみで君はだいぶ変わるからな。」
「素直にかわいいって言えばいいのに。」
「自分で言うやつは、可愛くはない。」
ニヤリと笑った彼女は、音を立てずに部屋を後にする。
オーラルも着替えて身だしなみを整える。
相変わらず屋内だというのに濃紺のマントを羽織り、長い前髪で左顔を隠す。
そして、アーグランの、今ではシンコーレシスティアと共用の部屋に出向く。
ドアをノックすると女神が出てきて、そして彼女は鏡の前に座る。
アーグランの趣味だろうが、彼女は豪華絢爛ではないがオシャレなドレスを身に纏っている。
その姿は、女神さながらだが、彼女はあくまで客人である。
その客人の髪を屋敷の主がわざわざその手でとかす。
メイドにさせてもいいのだが、彼女は朝食の準備中。
そもそもの本人は自分で行う気すらないので、彼がこの仕事を引き受けている。
肩のあたりまで伸びた灰色まじりの白い毛。
これも女神と称しても遜色ない不可思議さを持ち合わせている。
「終わったぞ。」
「ご苦労さん。しかし、お前も物好きだな。ボクがここに来てひと月になるが、毎日面倒見てくれるとはな。はっ!? もしかしてロリコン?」
「なぜそうなる…。君は自分に自信を持ちすぎだ。」
「あの母親にして、この娘あり。ボクも隅にはおけないと思うよ。」
「どういう意味だ?」
「時期に分かる。」
女神は笑いながら扉に手をかける。
居間に早く行こうということらしい。
最近、この少女に振り回されっぱなしだなとオーラルは思った。
二人が居間に着くと、隣にキッチンでアーグランが料理をこなしている。
匂いと材料から察するに、パンケーキが朝食となりそうだ。
フーエルが新聞片手に挨拶をするが。ゴットンの姿は見当たらない。
多分馬の世話でもしているのだろう。
「坊ちゃま、少しばかりよろしいでしょうか?」
フクロウは少女に視線を向ける。
二人で話したい、と暗に訴えかけている。
「女神、アーグランの手伝いをしてきな。二人でやった方が早い。」
「え~、昨日もやったよ~。」
「このフクロウが、女神様の作ったご飯を食べたいんだと。」
「しょうがないな。女神特製のご飯が食べれる機会なんてほとんどないもんな。隠し味は何にしようかな~。」
彼女がやる気になってくれて何よりだ。
隠し味が心配だが、ベテランメイドがともにいるから大丈夫だろう。
女神はエルフの隣に並び、色々説明を筆談で受けている。
こうして傍から見ていると、仲の良い姉妹に見える。
料理の完成までに時間がかかりそうだが、その方がフーエルにとって好都合だろう。
彼はそっと小声で話し始める。
「坊ちゃま、あの少女のことを本当に女神だとお思いですか?」
「そう見えるか?」
「ええ、多少は。普段なら、得た奴隷達は北の館で教育をなさるはず。ですが、彼女に関しては優遇しているように見えましてな。」
「まぁ、そうだな。わざわざこの屋敷に寝泊まりさせているわけだし。だがな、彼女は普通の人ではないとオレは感じている。もう少し、様子を見させてくれ。」
「確かに、『ティア』は、女神を表します。現に、ヘスティア様もその名を冠しています。ですが、わたくしの記憶にシンコーレシスティアと言う名の女神などいないのです。」
「人の数だけ、神がいるとも言う。彼女は新しく生まれた神かもしれない。」
「坊ちゃま、わたくしは少しばかり心配ですぞ。どこの生まれかもわからぬ少女に、現を抜かしているように見えて。」
「分かっている。だが、もう少しだけ、彼女が何者か探らせてくれ。」
「あまり、猶予はありませぬぞ。」
フクロウの片眼鏡が妖しく光る。
それは、何かの忠告か、それとも厄災の前触れか。
オーラルは冷汗をいつの間にかかいていた。
「二人とも、女神特性パンケーキができたぞ。」
自信満々な笑みを浮かべて、女神が呼びかける。
彼女についてかなり深刻な話をしていたのだが、当の本人は気付いてないようだ。
だが、執事と主が深刻な顔をしていたのを見逃すほど鈍感でもなかった。
「なに話してたんだ?」
「いや、特に。」
「ホホホ。今日の予定を確認していましてな。北の館と西の農場に行かれるということで。シンコーレシスティア様も一緒に如何ですか?」
「なにそれ、面白そう。ずっと家の中か周りだから飽きてたんだよな。」
オーラルは少し戸惑った。
その様な話は全くしていなかったからだ。
しかし、フーエルの意図はなんとなく分かる。
普段と異なることをすることで、この少女について探れと言うことだろう。
「まぁ、邪魔はするなよ。」
オーラルの声は少し震えていた。
アーグランがほとんど作った女神特製パンケーキを食べ終えた五人は、それぞれが各々の仕事に取り掛かった。
オーラルもシンコーレシスティアを連れ、西の農場に向かっている。
しかし、彼は少し気まずかった。
「そう言えば、他に館があるってことは、お前と3人の他に誰か住んでいるのか?」
「まぁ、そうなるな。」
女神はオーラルが奴隷商だと知らないからだ。
それを隠して、仕事をさせていることを話すか。
それとも、包み隠さず全てを話すか。
かなり悩んでいた。
奴隷商を行っていると聞いて、誰も快くは思わないだろう。
もしかしたら、ここから去るかもしれない。
そのことが何故か、避けたいと願っている。
あまりにははっきりしない態度であるため、彼女は何か悟ったようだ。
「言いたくないことがあるのか? それとも、ボクに気を使ってるのか? あまり気にするな。ボクは女神だからな。大抵のことは受け入れよう。」
自信満々に女神面する少女を、この時はなぜか頼もしく感じた。
目を合わせることはしないが、ふと湧いて出た独り言のように呟く。
「奴隷商、それがオレの仕事だ。」
「…。へぇ。」
「これから行くところは、商品として売る人物やモンスター達を育成している建物や敷地だ。あまり気分が良いところではないと、感じることも多々あるだろう。」
「…、ふぅん。」
「素っ気ない返事ばかりだな。これまで真剣に色々考えていたオレが馬鹿みたいだ。」
「じゃぁ、お前は最低な奴だなって、罵ればいいか? 柄にないことをする必要もないだろ、お互い。」
女神は少し強く吹く風で乱れぬよう、前髪を抑える。
奴隷商は特に何かをするでもなく、ただマントがたなびいている。
「ボクは女神。人の子が誰かを救おうが、誰かを殺めようが、それを制することなどしない。ただ成り行きを見守るだけさ。」
「意外と薄情だな。」
「失礼な。誰かに肩入れするなんて、そっちの方が非情だろ。だからこそ、女神に見初められた人間は稀有なんだ。神話でも指の数で足りる。」
「なるほど。確かに、数少ないな。彼らが少し、羨ましい。」
「おいおい、お前にはボクがいるじゃないか。お前次第だが、死後の世界のことは任せてもらおう。」
「それは頼もしいな。冥界の旅は過酷そうだからな。」
「…。まっ、先ずは、その奴隷達を見せてもらおうかな。それ次第だ。」
二人は話している間に、西の畑にたどり着いていた。
相変わらず地獄のような禍々しい雰囲気で、せっかく育てている植物に影響が出そうだ。
ケンタウロスやミノタウロスが川から水を汲んで運び、パンやサテュロスが植物に水を与えている。
さらに、セイレーンやハルピュイアイ、人間が雑草取りをしている。
畑が広いこともあるが、かなりの人数で畑仕事をこなしている。
それを仕切っているのはダクホース。
炎天下の中、ヘロヘロになっている奴隷達とは異なり、一人木陰の下で休んでいる。
「いい身分だな。」
オーラルが隣に並ぶが、彼は黙って寝そべったままである。
無視されても、主はお構いなく話し続ける。
「水やりは大切だが、ここまで彼らを追い詰める必要はないだろ?」
「…。」
「雑草もまだ気にならないレベルだ。なぜここまでする?」
「はっ。あんたの頭はお花畑か?」
体を起こしたダクホースは燕尾のマークを睨みつける。
「こいつらは奴隷。使ってなんぼの存在だ。それに、誰も酷使を咎める人はいない。あんたとクルードを除いてだが。要は、俺がしたいようにして言いわけ。それを主だからって文句を言うのはお門違いだぜ。」
「ここで一番偉いのはオレだが。指示を聞けないのなら、何か考えないといけない。」
「はっ。俺はちゃんと言われた通り、こいつら見て、畑見て、整備させている。これはあんたが言ったことだぜ。それはちゃんとしてるし、内容は俺のやり方でやる。まだ文句あるのか!?」
「だからって、酷使はいけないだろ。しっかり休憩を入れて休ませる。その方が明らかに彼らの動きも良い。」
「分かってねえな。奴隷が何で奴隷なのか…。」
オーラルと言い合っているダクホースは奇妙な視線に気が付いた。
そちらを向くと少女が何とも言えない目をしていた。
「誰だ、こいつ?」
「無礼さは主譲りか。ボクは女神・シンコーレシスティア。まっ、君のような救いようがない人間には縁がないか。」
「なにが言いたい?」
「他者をおもちゃのように扱っている人は、ボクに愛されないって話さ。」
「なに言ってんだ、こいつ。」
ダクホースは奇妙な少女を見て首を傾げる。
女神はやれやれと呟くと、ともに来たマントの男に話しかける。
「他にも行く場所があるんだろ? そこに行こうよ。」
「あぁ、そうだな。だが先に、彼らに休みを与えてからだ。」
オーラルが指示すると、奴隷達は手を休め、木陰などの涼しいところに避難する。
まとめ役は舌打ちすると、どこかに行ってしまった。
「いいのか、追わなくて。」
「勝手に戻ってくるから心配ない。さて、北の館に行こう。」
そう言った奴隷商は振り返ることなく歩き始める。
女神も急ぎ足で彼を追いかけるが、歩幅が小さいのでなかなか追いつけない。
彼女が隣に並べた頃には、もう畑からだいぶ歩いたところだった。
「あの男、ダクホースだっけか? いかにも奴隷商らしい、奴隷を物としか見てないような男だな。」
「そうだな、いつも手を焼いている。」
「それに比べて、お前は奴隷にも優しいんだな。普通、奴隷を使う人はかの者達のことなど考えはしないだろ?」
「上に立つ者、それなりの知性と品性、それに敬意が必要なだけだ。彼らがいなければ、オレは何もできないからな。だから、奴隷一人ひとりを大事にしているだけだ。」
「そう言うのを優しいって言うんだよ。」
「よせ、ダクホースを更生できないままリーダーとしているから、それは彼がしていることと同罪だ。彼らを傷つけているには変わりないからな。」
「そんなこと考えるなんて、お前は稀有な人間だ。」
女神は困ったように、軽く両手をあげる。
「他者の行うことに全ての責任はとれないよ。もう少し、気楽に生きてみろよ。」
「そんなこと言う人物は、初めてだ。」
オーラルはそっと空を見上げる。
いつも通り、青いキャンバスに白い雲が浮かんでいるだけだが、何故か違って見えた。
西の畑から移動し終えた二人は、北の館の前に来ていた。
「想像以上に大きな。」
「様々な施設を兼ね備えているし、体が大きな者も多いからな。必然と大きくなる。」
驚いている女神に対して、オーラルは当たり前の出来事と言う感じで解説を入れる。
そして彼は扉に手をかけ、重たい戸を力いっぱい開ける。
館内は静かで、もぬけの殻のようだった。
いつも賑わせてくれている人達はどこへ行ったのだろう。
当てもなく建物の中を歩いていると、見覚えのある人物に出会った。
「あら、主じゃない。それに見覚えのない子も。ファア。」
奴隷達をまとめるリーダーの一人、クルードだ。
「眠たそうだな。」
「ここ最近、ダクホースが畑ばっかり行くから、みんなのお弁当を作っているのよ。それで早起きしないといけないから、眠くて眠くて。これから、寝させてもらうわ。」
ツリ目がいつもよりも力がなさそうに見えるのも眠気のためだろう。
服装もいつもの給仕服ではなく、だいぶラフな格好だ。
その為か、今日はだいぶ印象が違って見えた。
だが、こんな状況でも彼女はしっかり頭は働いている。
「それで、この子はどうしたの?」
「今、オレの家で預かっている女神だ。」
「シンコーレシスティアだ。よろしく。」
少女にしか見えない女神は手を出す。
クルードも応え、握手をする。
「あたしはクルード・A・ホットよ。これでも幼いころは神童と呼ばれてたわ。よろしく。」
「ボクに張り合おうとする人は初めてだな…。」
「大丈夫、あんたの方が女神と名乗るくらいには可愛いわよ。」
ワシャワシャと女神の頭をなでるクルード。
折角整えたのにな…、とオーラルは見ていた。
「そうそう、ペーシミィは機織りの工場にいるわ。見て回るなら、そこに行けばいいわよ。」
「へぇ、彼は機織りもできたのかい? 君が教えているものだと思っていたが。」
「先生はデルピュネよ。あいつは機織り機を壊してしまうもの。でも、あの子も大変よ。朝から弁当作りを手伝ったと思ったら、昼に先生だからね。」
「彼女が一番の働き者かもな。」
そうね、と言ったクルードは名残惜しそうに別れた。
女神は結構激務なんだなと感心していた。
「多分、畑仕事を工夫したら、ここまで忙しくなくなるはずだが…。」
「元凶をどうにかしないと、と言うことだな。」
彼女は一人で頷いていた。
機織り室の前に来ると、相変わらず笑い声が聞こえていた。
室内に入ると、ペーシミィに糸がぐるぐると巻き付いていた。
「何があったんだ?」
「わたしが知りたい。」
すっと隣に現れたのは蛇の少女、デルピュネだった。
朝から働いてたためか、幾分疲れが見える。
「助けてだじょ~。」
ペーシミィはもがいているが、もがく程糸は絡みつく。
糸遣いが慣れているアラクネに解いてもらっているが、まだ時間はかかりそうだ。
他の者達はどうすることもできないのか、笑って体の自由が利かないのか椅子に座っている。
恐らくは後者だろう。
皆、お腹を抱えているし。
「調子はどうだ?」
「わたしとあほ以外は好調だよ。機織りもそのうちマスターするね。」
「あれが一番心配だな。」
オーラルとデルピュネはペーシミィを見つめる。
だが、最早どうすることもできないだろう。
女神との顔合わせも諦めるかと、オーラルは呟く。
「女神?」
「ボクのことだね。」
蛇の少女の前に、女神を名乗る少女が出る。
見た目の年齢は大きく差がないなと、主はふと思った。
「ボクはシンコーレシスティア。女神だ。よろしくな。」
「わたしはデルピュネ。数多なる怪物を生み出した母を持つ、幼気な蛇だ。よろしくね。」
二人が握手を交わす。
するとデルピュネは何か気付いたのか、急に女神の匂いを嗅ぎ始める。
「何!? 何々!?」
「あっ、ごめん。どこかで嗅いだことのある匂いだなって。」
「ボクの石鹸はアーグランお姉ちゃんと同じだけど…。」
「それじゃなくて。もっと、こう、なんて言えばいいのかな? 間違いなく嗅いだことあるんだけど、どこかも思い出せないし、上手く口でも言えない…。」
「それ、なんかやだなぁ。」
女神は率直な感想を述べる。
デルピュネはあまり気にしないでと言っているが、気にはなるだろう。
年頃の女の子が匂いについて言われたら。
オーラルはもう行こうかと、何とか話題を変えようとした。
「そうだな。長居しても邪魔になるだろうし。」
女神も同意をする。
デルピュネだけは少し寂しそうな顔をしたが、すぐに元の調子に戻る。
「じゃあ、主。神官のこと忘れないでよ。」
「分かった。今度領主に会った時に言ってみるよ。」
「頼んだよ。」
こうして、二人は機織り室、そして北の館を後にした。
シンコーレシスティアは時々、館の方を振り返るが、名残惜しいのだろうか?
「どうした、女神?」
そっと、オーラルが問う。
「なぁ、ボクの匂いって、そんな気になる?」
「まだそれを引きずっていたか。」
特に重大なことではなかったので、思わず肩を落とす。
「安心しろ。ペポすら気にしてないんだろ? デルピュネは長生きしているから、時々記憶違いが出て来てるだけだと思う。」
「そんなものか? じゃっ、そういうことにするか。」
彼女は渋々、納得したようだ。
それからは、少しの間沈黙が続き、謎の緊張感が生まれた。
先に耐え切れなくなったのはオーラルで、何か話題はと考えた。
「どうだった、見回りは。」
「まっ、普通かな。」
女神が素っ気なく返す。
「だけど、お前が奴隷商らしい奴隷商じゃなくて良かったよ。部下の一人と違って。」
「そうか。」
オーラルも素っ気なさそうだが、少し喜んでいるようだった。
「まっ、これからもお前のとこに居させてもらうから、しっかり崇めろよ。」
「一度も拝んだ記憶がないが?」
「ボクのような女神とともに過ごしているのに!? お前は罰当たりな奴だ。」
「奴隷商については何もないのに、急に熱が入るな。」
「女神の威厳がかかってるからな。」
だが、彼女は本気で言ってないようで、満面の笑みを浮かべていた。
オーラルもそれにつられて笑っていた。
二人は馬鹿みたいに笑いながら、家への道のりを歩いていた。
ワンワン ワン
子犬が楽しそうに飛び跳ねている。
面倒を見ている少女もつられてジャンプするが、着地時にバランスを崩し倒れてしまう。
それと同時に子犬が彼女の胸に飛び掛かり、ワンと勝ち誇ったように一度鳴く。
「楽しそうだな。」
オーラルは紅茶を一口飲んだ。
昼下がりのひと時、彼は仕事ではなく休憩をしていた。
部屋の中で遊ぶシンコーレシスティアとペポは元気が良く、昼寝をしているゴブリンには少しうるさいだろう。
「ホホホ。流石は子供、遊ぶのが仕事ですからな。」
フーエルも紅茶を飲みながら、皮肉にもとれる言葉を投げる。
だが、当の本人は聞いていないようで、ペポと一緒に床を転げまわっている。
「折角だから、外で遊んできたらどうだ。広い方が楽しいだろう?」
「おっ、いいのか!? でもボク可愛いから誘拐されるかもよ。」
「ここに人なんてそうそう来ない。だが、まぁ、迷子になっても困るからオレがついていこうか。」
「坊ちゃま、貴方にはまだ仕事が残っておりますぞ。」
「ん。」
フーエルがオーラルの同行を反対したため、アーグランが手を挙げる。
彼女は給仕服から動きやすい服装に着替えており、もう出かける気満々だ。
「分かった。君も楽しんできな。」
「ん。」
苦笑いで見送る主に、メイドはとびっきりの笑顔で返事をした。
二人と一匹が庭の畑に歩いているのを見て、屋敷の主は仕事場に戻る。
本と地図に囲まれた書斎で、計簿をつけたり手紙を読んだりして過ごす。
しかし、毎日同じようなことをしているため、ほとんどの仕事が終わってしまい手持無沙汰になっている。
「仕方がない。バールからの手紙でも読むか。」
机の上にある一通の手紙を手に取る。
燕尾の紋章の者よ
配下の者に手紙を書かすとは、これ如何に
しかし、その者の願いにより、一時許そう
先の手紙の件、汝の関わりの無いこと 確認したり
だが、怪しき動き 終わりを見ず
悪しき者の手が 蔓延る世界
燕尾の紋章の者よ 気を付けられたし
相も変わらず読みにくい文章がこの後も続くが、どうやら無許可活動の濡れ衣は晴れたようだ。
だが、影で暗躍する者はまだいるようで、注意喚起がなされている。
バールは隣の領地を有しているので、オーラルの領地に謎の奴隷商もどきが来る可能性もある。
いくら情報収集を行う部下達がいても、彼らで追い払うには無理があるだろう。
「どうしたものか。」
そっと天井を見上げ、物思いにふける。
コンコンコン
急にノックが鳴り、扉が開かれる。
「坊ちゃま、お客様が参られましたぞ。」
フーエルは今日も遠慮なく部屋に入る。
「客? 珍しいな。田舎を通り越して、僻地と呼ばれるこの場所に来るとは。」
「ハイネーク領を治めておるアブナット・デンジー伯爵と申されていました。恐らく商談のことでしょうが、追い返しますか?」
「来てもらってその仕打ちは酷いだろう。一度は会ってみるよ。」
居間と兼用にしている応接間に向かうと、ソファーに太ったおじさんが座っていた。
紅茶を飲む姿こそ貴族だが、彼の顔は欲望で醜いものになっていた。
彼はこちらの姿に気が付くと立ち上がり、深々と頭を下げる。
「初めまして、オーラル殿。アブナット・デンジーと申します。国王様からは伯爵の位を頂いておりまして。いやはや、お会いでき光栄です。」
にやにやと笑みを浮かべているが、やはり醜悪な顔のためか見苦しい。
「いえいえ、こんな辺鄙なところまで、よくぞお出でなさいました。お座りください。」
オーラルも相手が地位ある人間なので、丁寧に相手をする。
「して、本日はどのようなご用件で?」
「フッフッフッ。貴方様にお願いすることなど、一つしかございません。是非とも、奴隷をワシに売っていただきたいのです。」
「はぁ。」
「当家では鉱山を営んでおりまして、そのためには労働力が必要です。貴方様の売る奴隷は素晴らしいと、国王様からもお墨付きでございます。それでワシも是非とも手に入れたいと思いまして。」
「鉱山ですか。具体的にはどの様なお仕事を奴隷にさせるつもりですか?」
「それはもちろん、山で金属の収取から運搬、分離炉で金銀に分るところまで全てです。」
「確かに、人手が必要な仕事ばかりですな。」
「ええ、いかにも。だからこそ、奴隷にやらせようと思っておりまして。」
「伯爵、あなたのお考えはよくわかりました。それで、あなたは買った者達に何を与えるつもりですか?」
「はい!?」
醜い口を大きく開け、デンジー伯爵は驚いた。
「奴隷に何かを与える!? 貴方は何をおっしゃっているのですか!?」
「何と言われましても。奴隷商は禁止されておりますからな。対外的に見て、人身売買と判断されたら困るんですよ。だから、人材紹介程度に収めたくてね。だから、あなたからも彼らに何かを与えなくてはならないのです。」
「そ、そういわれましても…。」
恐らく、彼は奴隷を買った後は、道具のように使い続ける予定だったのだろう。
答えを探すように目が動いているが、そんなものどこにも存在しない。
「ちなみに、国王様は彼らにナイトの称号を与えました。このくらいの気概を見せて頂かないと。」
ナイトはポンダレル王国の階級の一つで、王様直属の配下に与えられる。
彼らは一生王のもとで働く代わりに、この地位と名誉を頂く。
また、給料も毎月決まった額が出、場合によっては昇格もあり得る。
どの様な身分からでもこの地位を得れるため、意外とナイトの称号を持つ者は多い。
因みに、トンプソンに売ったジュレインはグーレンシー王国第七部隊、通称護衛部隊の副隊長に就任している。
「グヌヌヌヌ。貴方は本当に奴隷商なのですか。」
醜い顔で怒りとも悔しさともとれる表情をする。
だが、それもそのはず。
彼には奴隷に与えることができるものなどないのだから。
「これでも、身分を隠すのは大変ですよ。尤も、国王様がばらすようならなにも言えませんがな。」
「くっ、こんな人から奴隷を買うなんてやめだ。もういい、他をあたる。」
「他所も似たようなもんですよ。」
「く~、ついでに国王に奴隷商人だと訴えてやる。これで貴様もおしまいだ。」
デンジー伯爵はそのまま出て行ってしまった。
「そいつは無理な話だ。国王はオレの味方だからな。」
オーラルは冷たい視線を扉に向けていた。
「良かったのですかな? 自由にしていては今後厄介になるかもしれませんぞ。」
「問題ないことは、君の偵察部隊が確認したんだろ? あの者の身分、家族構成、思想、その他財産や政治の影響力など。200年も続いた名家も落ちぶれたものだ。」
「まったく、子や孫の世代が一番苦労されるでしょうな。」
フーエルは少し同情を含ませた顔で笑う。
ギィ
再び玄関が開かれる。
何事かと二人は身構えたが、よく知った顔が入ってきた。
「ん。」
「帰ったよ。」
「ワン。」
散歩に出かけていた三人だ。
それに加えてもう一人。
年を召された紳士がひょっこり顔を出す。
「客が立て続けとは本当に珍しいな。それに領主様が直々にお出ましだとは。」
老紳士は照れくさそうに屋敷に入る。
オーラル達は丁寧にもてなす。
「アーグラン、急いで紅茶を。フーエルもソファーを整えて。女神、なぜオレの隣に来る?」
「このおじいさん、ボクとお話ししたいんだってさ。」
「領主様かアングラス伯爵と呼ぶんだな、女神。」
「そんなにかしこまらなくていいよ、ヘルーガ君。君と小生の仲ではないか。」
紳士は優しい笑顔を浮かべソファーに座る。
そして、オーラルとシンコーレシスティアに座るよう促す。
流石は領主と言ったところか。
その洗礼された動きは見るものを常に感服させる。
「さてさて、先ずは女神様に改めてお話を聞こうかな。」
「女神、何かしでかしたのか?」
「安心しろ。この人の馬車を直しただけだ。」
オーラルの心配をよそに、女神は胸を張る。
「その通りだよ、ヘルーガ君。小生の乗っている馬車が壊れてしまってね。タイヤが破損してしまったのだよ。困っていると、ちょうど彼女達が来てくれてね。それで事情を話したら、なんとタイヤを直してくれたのだよ。」
アングラス伯爵はまるで子供のように、出来事を身振り手振りを交えて話す。
オーラルは不思議に思い、女神にそっと耳打ちをする。
「君、そんなことできるのか?」
「女神の力を使えばね。軽い傷なら人だろうが獣だろうが物だろうが、元通りに戻すことができる。」
「その話はこの小生が保証しよう。なんせこの目で見たのだからね。」
疑いたくなる話だが、目の前の老人の話は嘘に聞こえない。
オーラルはとりあえず、なんとでも取れる返事をしといた。
「女神、君は本当に女神のような力が使えるんだな。」
「ボクが女神だっているのは、出会った時から言ってるだろ? そんな驚かなくてもいいじゃないか。」
どうやらこの少女、自分が女神であるのか疑われていることを夢にも思っていないらしい。
「それで、ヘルーガ君。一つ相談なのだが、彼女をご神体として、家の近くに神殿を建てたいのだが、よろしいかね。」
「そこまでのめり込むとは…。」
「ボクに神殿は早いよ。」
女神は少し暗そうな顔をする。
「ボクはまだ修行の身だし、それにお母さんやおばあちゃんの神殿を増やしてほしいかな。」
「ほうほう、お母様やお婆様とは、どの女神様のことかな?」
「お母さんがコレー。これ以上は、秘密。」
また聞いたことない女神が出てきたなと、オーラルは隣で聞いていた。
しかし、アングラス伯爵は嬉しそうに頷いていた。
「これが女神からの試練、と言うことですか。よろしいでしょう。まずは貴方様のお母様、お婆様を着きとめ、必ずや立派な神殿を建てましょう。そして最後に、貴方に認めてもらってから貴方様の神殿を建てて見せましょう、シンコーレシスティア様。」
「ふむ、期待してるぞ。」
何やらおかしい話になっていて、この家の主は心配になる。
いくら領主様だろうと、一人の少女に心を奪われすぎだ。
しかも、本題に一向に入る気がしない。
その時、空気を変えるようにアーグランが現れた。
「粗茶ですが。
屋敷にある最高級の紅茶を領主様の前に置く。
オーラルと女神も同じものをもらう。
一口飲んで、何とか話題にたどり着くよう話始める。
「それで、領主様よ。今日はどうした? まさか、女神に会いに来たわけではないよな。」
「おっと、忘れておった。とても大事なようだったのだ。キマイラ君からの知らせでな。」
ソファーに座る老人は、今度は怪談話をするかのように語りだす。
「彼女にレッソンバンディアとその周辺を任せているのは知ってるであろ?」
「オレがセリントアールの森とカッペ平原、ウルレシアの海を領主様の代わりに管理しているのと同じで、彼女がその地を管理しているんだろ?」
「その通りだ。それで、キマイラ君から手紙が来たんだが、なんて書いてあったと思う?」
女神は緊張からか、唾を飲み込む。
「何と、レッソンバンディアの周辺の村から、人が忽然と消えてしまったそうだ。」
「なんだってー!」
「落ち着け女神、人が一人や二人、いなくなることなど多々ある。」
「いやいや、オーラル君。村人全員が消えてしまったそうだよ。その原因を、ある程度は想像ついているが、完璧に解明してくれ。」
これは想像以上に厄介な依頼だと、館の主は感じた。
しかし、恩人である領主の願いを無下にすることもできない。
「別に受けてもいいが、領主様直属の兵士達が解決するべき問題だろ? 名の知られぬ商人より、そちらの方が正式な記録として残るし、株も上がる。」
「いやいや、軍は戦いはできるが、事件解決となると難しい。それに、今回は非合法な組織の臭いがする。オーラル君の出番ではないかね?」
「キマイラこそ適任だろ? 土地勘や地元の繋がりも分かる上に、ギャングの家系だ。オレが勝てるところはないな。」
「いやいや、今回の事件。誘拐だと踏んでいる。その目的は、大よそ分かるだろう? 人身売買だよ。そのことについては、オーラル君の方が何枚も上だ。何故ならキマイラ君は武器の密造・密売や食料の密輸を生業としているが、人に関しては門外漢だ。」
「彼女の悪行を知っていながら、何もしないのは問題だな。」
「茶化すね、オーラル君。だが、清濁を併せて吞むと言うだろ。君もやっているではないか?」
「まぁ、そうなるな。」
「さて、オーラル君。話はそれたが、奴隷商で培った力、ここで生かしてくれないかい?」
「役立つかはさておき、善処はしてみますよ。他ならぬ、領主様のお願いでだからな。」
「最初から受ける気でいたのに。正直じゃないね。
アーグランがそっと微笑む。
「さて、頼みますよ、オーラル君。」
アングラス伯爵はもう成人している奴隷商の頭を撫でた。
それは女神以外見慣れた光景だった。
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