二 せわしい日常 もしくは特別な日
クスクスクス クスクスクス
光の差し込まない暗闇に、少女の笑い声だけが木霊する。
辺りを見渡しても当然何も見えないが、彼女の声だけがだんだんと自分に近づいているように感じる。
この状況に恐怖よりも焦燥感を感じているのは、ここがどこか知っているからか、あるいはこの先起こることを知っているからか。
しかし、ここは光を無くした暗闇の中。
自分が何かをすることすら許されていない。
それを証拠にほら、姿なき声だけがすぐそばまで来ている。
トントンと後ろから肩を叩かれる。
躊躇なく振り返ると、そこには見覚えのある少女が不気味な笑顔を浮かべながら立っていた。
「ダメだよ、逃げたら。」
彼女は狂人者が暗示をかけるような気味の悪さを、しかし子をあやす母親のような優しさを含んだ声色で語りかける。
「ダメだよ、逃げたら。」
もう一度、彼女の口からこの言葉が漏れる。
かと思えば、彼女はするすると歩き出し、何かを探すしぐさをしている。
そして、お目当てのものが見つかると、自分によく見えるように手でその方向を示す。
「ほら、よく見てよ。」
そこにいるのは、タキシードに身を包んだフクロウ。
なにか悩んでいるのか、頭を抱えながら叫んでいる。
まるでこの世の終わりのような、悲痛な声で。
「ほらほら、お兄さんのせいだよ。」
いつの間にか隣に来ていた少女がこちらを見上げながら話しかけてくる。
「お兄さんがわがままを言うから。奴隷商人なのに危険なことばかりするから。フクロウのおじいさん、心がすり減って狂っちゃったよ。」
その光景は、見ているだけで自分の心もすり減りそうだった。
「ダメだよ、逃げたら。」
少女は手をつないでくる。
そこには決して優しさや思いやりの感情など含まれない、ただただ、束縛のための行動。
「ほら、よく見てよ。」
新たに少女が指さしたところには、馬車を操っているゴブリンの姿があった。
彼はぶるぶると体を震わせ、恐怖に支配された顔でこちらを見ている。
「ほら、よく見てよ。ゴブリンのおじさん、お兄さんの命令だからやりたくないことを頑張っているんだよ。あんな怖い思いして、でも手綱は離せない。」
手綱を握っている手は相変わらず震えている。
顔も相変わらず怖さで固まっていたが、ぎょろりと開かれた目だけがきょろきょろと動き、何かこちらに訴えかけている。
それは、恐怖におののいていることか、この様な状況に陥った怒りや不服か。
あるいは、もうやめさせてほしいという懇願かもしれない。
ただ、受け取り方は人それぞれ。
恨みつらみの念が込められているように、自分自身は感じていた。
「ダメだよ、逃げたら。」
三度、いや四度目のこのセリフが少女から放たれる。
そして、このセリフも。
「ほら、よく見てよ。」
彼女が指さした先には、座り込んだエルフの姿があった。
決してしゃべらない、普段はただ黙々と仕事をこなす彼女が。
「あれがエルフのお姉さんの本当の気持ちだよ。」
「…。」
何も返す言葉が無かった。
いや、返す必要が無かったと言っても良いかもしれない。
どの様な意味かはもう知っていたし、これから告げられることも知っていた。
「自分は人形。話すことも抵抗することも許されない。お兄さんのなすがままに動くだけ。」
これについても返す言葉が無かった。
何を言えば良いか、分からないから。
ただただ、動くどころか表情さえ一切変えない彼女を見つめるしかなかった。
「ダメだよ、逃げたら。」
少女はクスクス笑いながら自分の前に出てくる。
あの気味の悪くも、優しさが含まれる笑顔で。
そして自分の額を指さしながらあの言葉を発する。
「ほら、よく見てよ。」
ガバッ ハァ ハァ ハァ
オーラルはベッドから体を起こして、息を荒げていた。
そして辺りを見渡して、現状を把握する。
柔らかい朝の陽ざしが、窓から部屋を照らしている。
小鳥のさえずりが遠くから聞こえ、いつも見聞きしている光景だと理解する。
ここは彼の部屋。
木目の家具を使用しているせいかあまり派手さはないが、テーブルクロスや花瓶、ランタンなどで冷たさは出ていない。
その部屋の一角にあるベッドでオーラルは目が覚めた。
つまり今まで見ていたものは全て夢。
だが、そこには楽しさや面白さ、はたまた幸せなどは一切感じない悪夢。
そのためだろう、彼は全身汗で濡れていて、軽く震えている。
右手で額を抑えつつ、そっと言葉を漏らす。
「またこの夢か。」
暫く思考に時間をとられていたのか全く動かなかった彼だが、遠くで鳥の鳴き声が響いたため我に返る。
汗をこれでもかと含んだ服を脱ぎ、いつもの服装に着替える。
そして家の中だというのに濃紺のマントをはおり、部屋を出る。
居間に向かうと隣接しているキッチンからカチャカチャと音が鳴っていた。
メイドのエルフがいそいそと朝食を準備しているところだ。
「やぁ、アーグラン。今日も朝早くからご機嫌だな。」
オーラルが話しかけると彼女は振り向き、手を振りながら笑顔で応えてくれる。
その姿に癒しを感じつつ、屋敷の主は椅子に座った。
再びメイドを見ると、やはりいそいそと朝食の準備をしている。
鍋が見えるから、何かしらのスープは準備がされているようだ。
それと卵の割る音も聞こえてくる。
食パンも準備されているから、フレンチトーストでも作ってくれるのだろうか。
今日のご飯のメニューを想像しつつ美味しい出来上がりを期待していると、振り子時計がボーンと鳴り響く。
驚きを隠せないまま時計の文字盤を見ると、針は7時を指していた。
普段の生活リズムと比べても、特別早い時間でも遅い時間でもない。
しかし、オーラル自身に問題が無くても、他の面々に問題があった。
いつも通りに朝食を作っているアーグランはともかく、フクロウの執事フーエルとゴブリンの御者ゴットンの姿が見当たらないのだ。
7時ならば二人とも起きて活動をしている時間。
不思議に思い、彼はメイドに二人のことを聞いた。
「フーエルとゴットンの姿が見当たらないが、どこにいるか分かるか?」
内心、びくびくとしながら。
メイドは返事もすることなく一度オーラルを見た後、きょとんとしながらソファーを見つめる。
少し不可解な行動に主は首を傾げるが、彼女が見つめるソファーに視線を移す。
木製のフレームに緑色の生地がかけられ、座るとふかふかとしていて思わず寝てしまいそうなくらい心地良い。
さらにその上にはいくつかのクッションとタオルケットが置かれている。
そういえば見慣れないクッションも一緒に置かれて……。
「こんなところで寝ていたのか、ゴットンは。」
「ん。」
オーラルの独り言にアーグランは返事をする。
そして鼻歌を歌いながら再び朝食の準備に取り掛かる。
この家の主は困ったように頭をかきながら、例のソファーに近づく。
緑色の生地の上に、緑色のゴブリン。
言われてみればなんてことないが、同系色のため気付くまではここに彼がいることが分からなかった。
タオルケットをお腹にかけていて、オーラルが見慣れないクッションだと思ったのは彼のズボンだった。
それにしても、見ているだけでこちらも気分が良くなるくらい幸せそうな寝顔をしている。
そんな感想を心に浮かべ、御者から目を離した。
もう一人探している人物がいるからだ。
しかし、この主は大体予想ができた。
ゴブリンの御者は、毎朝馬小屋に行って掃除や馬達にご飯をあげ、ブラッシングなどのお世話をしている。
しかし、それをするはずの人物は今、ここで気持ちよさそうに寝ている。
ならば他の人物が代わりを務めるしかない。
そしてこの家の住人はわずか四人。
そのうち三人の所在が分かっている。
あとは消去法、とでも言えばみんな納得するだろう。
「ホホホ。この歳にもなって重労働は体に応えますぞ。」
ゆっくりと勝手口が開かれ、探していた最後の人物が現れる。
フクロウの執事はいつもより羽毛がげんなりしていて、疲れているのが一目でわかる。
普通ならば高齢に加えて、屋敷の NO.2 と言うこともありこんな仕事はしないだろう。
「お疲れ、フーエル。言ってくれればオレが代わりにやったが。」
「ホホホ。坊ちゃまに仕事を頼むようならば、風上に置けない執事ですぞ。それに、本気を出せばこのくらい、造作もないことですからな。」
と執事は体の羽を逆立てて、元気さをアピールしてくる。
流石フクロウと言ったところか。
体の大きさが倍になったように見え、この老輩が健在すぎるように感じた。
これくらい元気だと、また色々な小言を言ってくるのだろう。
ただ、それも、もしかしたら良いことなのかもしれない。
今朝見た夢のようにならないのであれば。
「ん。」
メイドがお皿を机に並べながら呼びかける。
美味しそうなフレンチトースト匂いが食欲をそそる。
「さてさて、ゴットンを起こして朝食にいたしましょう。温かいうちに頂くのが一番おいしいですからな。」
「そうだな。」
一言、同意の言葉を返し三人を見る。
皆それぞれ、配膳をしていたり眠れる者を起こしたり起こされたりと、各々が各々の思うがままに動いている。
それがごく日常的な光景なのかもしれない。
いずれは若かりし頃の思い出となるのかもしれないが、当たり前すぎて記憶に残らないかもしれない。
だが、それでも全員が幸せを感じているのなら、何も文句も問題もない。
夢で見たように、嘆き、恐れ、あるいはただのマリオネットのように生きる。
それが現実であることを誰かに否定してもらいたい思いを胸に抱きつつ、オーラルは彼らから気付かれないように視線を外した。
ジャーーー カチャッ カチャッ
流水が食器についた汚れを落としていき、皿が水切りに丁寧に並べられていく。
綺麗に平らげられた朝食の跡片付けをメイドのエルフはたんたんとこなしている。
ゴブリンはお腹がいっぱいになったからか、再び眠気に襲われてあくびをしている。
フクロウの鳥人は主に食後の紅茶を注いでいる。
「坊ちゃま。今日はどのようにお過ごしになる予定ですか?」
ティーカップをオーラルの前に出しながら、いつもの様に語りかける。
出された飲み物を一口、口に含み、彼は話し出す。
「今日は西の畑を通って北の館の様子を見ようと思う。旅の間、奴隷達がどうなっているか何も聞いてないからな。」
「ホホホ。それなら、畑ではなく少し北にある森に行かれては。今月はそちらでの伐採をメインに行っているそうですよ。」
「…。もうそんな時期だったか?」
「間引き、だそうですよ。わたくしからすれば、あと一年はしなくても済みそうなものですがな。」
フーエルは在りもしない眉をひそめた。
オーラルは無言で紅茶を飲み干し、そっとカップを受け皿に戻す。
暫く何かを考えていたのか、カップから手を離さなかったが、答えが見つかったようで、漸く動き出す。
「また、ダクホースか。」
「ホホホ。恐らくは。全く誰か様以上に手がかかる存在ですな。」
フクロウは朝にもかかわらず、ホーホーと鳴きながら笑う。
主は耳元でそんな音が鳴っていても気にならないようで、すっと立ち上がると玄関へゆっくりと歩き始める。
「坊ちゃま、もう森へ向かうのですか?」
執事が少し早口で主人に語る。
「それなら、馬車の準備をいたしましょう。それに、お一人では危ない場合もございます。
わたくしかアーグランがお供したしますぞ。」
「おいおい、自分の家の庭を移動するだけで馬車とは大袈裟だ。それにオレももう子供ではない。付き添いが無くても問題ない…」
「ん?」
よそ行きの服に着替えたメイドが会話に割り込んでくる。
もう皿洗いは終わっているようで、彼女は出かける気満々だ。
最早、一人で森や館に行く選択肢はなさそうだ。
「歩きでいいか、アーグラン。少し距離があるが。」
「んっ。」
メイドは一度ゴブリンの方を見て、優しく頷く。
彼はまたもやソファーで寝ていて、再び目を覚ますには時間がかかりそうだ。
それに馬達にも疲れはたまっているだろう。
色々なことを踏まえて、彼女は徒歩と言う選択を選んだように思えた。
「ホホホ。お二人が歩くのでよろしければ、わたくしも何も申し上げれませぬな。」
フーエルも空気を読んで主とメイドを送り出した。
さて、オーラルとアーグランが西の森につくまでの間に改めて、彼らのことを紹介するとしようか。
広大な自然に囲まれた一軒家の主、オーラル・ヘルーガ。
顔の左側を髪で隠し、目の下には「燕尾マーク」の入れ墨。
濃紺のマントを正装と言いながらいつも羽織っている。
そんな彼の世話役として、執事であるフクロウ人間のフーエルフェント・ガーナ、メイドのエルフ、アーグラン・E・ソシリアン、御者のゴブリン、ゴットン・レーラーが使えている。
ここまでの説明なら田舎に住む貴族の一言で終えてもいいが、オーラルにはごく一部の人にしか知られてはいけない生業を行っている。
奴隷商。
国際的に禁止されている違法の商売。
しかし、彼は十年くらいこの仕事を続けている。
その職に就いた経緯はまたの話として、今は肝心の商品、つまり奴隷達がどこにいるのかを話そうと思う。
オーラルの屋敷には先ほど述べた四人しか住んでいない。
大切な奴隷達は彼の家から北にある館に住んでいる。
ここでは主の下に就いている三人のリーダーを中心に、奴隷達の調教や技能習得などの活動も行われている。
調教は彼ら・彼女らが人に仕えるために必要な心得を教えている、と言えばまだ聞こえはいいか。
対する技能習得は、奴隷達の付加価値を上げるためにわざわざ組み込んでいるプログラムである。
調理実習や機織り技能、工芸品の作成、畑仕事、戦闘訓練など数多の種類から、それぞれの人物にあった技能を実習によって身に付けさせている。
上級者やトンプソンのようにクライアントの要望があれば、メイド業や秘書などの特別な訓練を積む者もいる。
そんな者達に対する技能実習だが、その一つに林業がある。
と言っても、木を植えたり切ったりするだけの肉体労働だが。
その仕事場がオーラルの家の西にある森である。
あまりにも広すぎる範囲に木々が生えており、その全てを管理できないが、住んでいるところに近い幾ばくかを勝手に処理している。
作業の音はかなり大きく、遠くからでも木が倒される音が聞こえる。
「やれやれ、やっと着いたか。」
汗をぬぐいながら、オーラルは静かに呟く。
アーグランもハンカチで汗を拭いているあたり、屋外の気温は人肌以上なのだろう。
森の中にはケンタウロスやミノタウロスと力が強いモンスターやパン、サテュロスといった動きが機敏なモンスター達がいた。
二人組となりせっせと木を切る者、倒れた木の枝を切り丸太にする者、丸太を運び出し荷台に乗せる者…。
多くの奴隷達が一心不乱に働いていた。
しかし、ここには活気と言うものは一切見られなかった。
死んだ魚の目をして、動きもまるで機械のように同じことを繰り返すだけ。
何人かは二人の存在に気付いたようだが、何かを訴えるような視線を送った後、再び黙々と自分の作業に戻る。
「…、地獄だな。」
誰にも聞こえないくらいの小声で奴隷達の主は呟く。
それに気付いたのは、隣にいたメイドだけだった。
しかし、彼女には言葉をかける間もなく、主が歩き始めたので付いていくしかなかった。
二人は邪魔にならないように、作業場の隅を静かに歩く。
その為か基本、木の切る音しか耳に入ってこない。
だが、その音とは明らかに違う、そして自然界ではほとんど聞かれない音がだんだん大きくなってくる。
その音源をオーラルは探していたが先にアーグランが見つけたようで、指をさしながら場所を教えてくれた。
男が一人、大声を出しながら鞭で地面を叩いている。
パシンと鳴り響くこの音こそ、二人が聞いていた音だ。
不愉快になりながらも主はマントを揺らしながら鞭の人物に近づく。
「ダクホース、君はまた物騒な物を持って何をしている。」
「あぁ? またあんたか。国外追放されたって聞いてたぜ。生きて帰ってきたんだな!」
ダクホースと呼ばれた青年はオーラルに冷笑で対応してくる。
更に彼は鞭をふるいながら話を続ける。
「それにしても、今日もただの見回りか? 良いよな、トップの人間は。活動しているようなポージングさえとっていれば、勝手に金が入ってくるだけだからな。」
「やれやれ、君はやはり何か誤解しているな。オレの仕事と言い、君自身の仕事の内容もはき違えているようだ。」
オーラルはため息をつくが、ダクホースは目の前の相手を睨みながら言い返す。
「はぁ? 俺はあんたに言われた通り、奴隷達を面倒見てやってるぜ。働く気のないやつを奮い立たせ、仕事に従事させているだろ。」
「だからって鞭を使うことを許可した覚えはない。彼らは志を燃やしているのではなく、恐怖で震え上がっているだけだ。奴隷達の心身を傷つけるなと毎回言っているはずだが。」
「よく言うぜ。こいつらは奴隷。しょせん、道具のように使い潰される存在なんだよ。それが客先かここであるかの違い。何か問題あるか?」
「…。君はもう一度、上に立つ者としての心得を勉強し直した方が良さそうだな。」
「あんたこそ、その平和ボケした頭直した方がいいんじゃねえか。」
オーラルは頭を抱えてしまった。
この部下とは何度も話しているが、いつも平行線のように意見が嚙み合わない。
簡単に言ってしまえば、上層部の考えと真反対の行動をする問題児だ。
かなり手を焼いていて、どうにかしようと再教育も施しているが、いまだに改善の兆しがない。
「ん。」
話が進まないためか、アーグランが本題をと促す。
「そうだった。木々の間引きは来年の予定だったが、前倒しにしているのは君の判断か?」
「そうだぜ。木なんていつ切っても大差ないだろ。」
彼は森を見ながら笑顔で断言する。
なんとなくだが、彼に任せたままだとこの森の木が全て無くなってしまいそうな気がした。
それほどの狂気じみた考え方が、ダクホースの笑顔には含まれている気がした。
だが、現在の状況を見ていると、適切な範囲での行動なので無理やり止めることはしなくて良さそうだ。
「まぁ、木の成長で計画が変わることはあるからな。ただ、切り過ぎには気を付けてくれよ。昔、痛い目に遭ったからな。」
「へいへい。俺も減給は嫌だから、ちゃんとやりますよ。」
不真面目な部下は主の顔を見ることなく返事をしたかと思うと、作業場のケンタウロスに怒鳴りながら近づいて行った。
「やれやれ、困ったやつだ。」
オーラルは眉をひそめながらも、北の館に向かうことにした。
道中もダクホースのことをメイドと話していたが、有効的な解決策は出てこない。
本当に困ったやつだとオーラルは言いながら、視察表の評価欄に見たことを記入する。
ダクホースは変わらず自己判断で活動をしていると。
あと何度か違反があれば、ペナルティーを科すと。
加えて、奴隷達の様子は彼の下で働いているため、かなり心身ともに疲れていそうだと。
「ん…。」
アーグランが何か言いたそうな目をしている。
確かに、あの様子を見た後なら、改善が早急と言っても過言ではないだろう。
彼女は特に、虚ろの目をしたミノタウロスが心配らしい。
「さて、どうしたものか。」
「解雇は、出来ないの?
「彼は大事な人から修行させてくれと頼まれて預かったからな。流石に何も鍛えれない状態で返すにはいかないだろ。」
「変なところで律儀ね。
彼女は腰に手を取り、苦笑いで主を見つめる。
だが、主は予想外な答えをした。
「そんなことない。ダクホースを今の地位で働かせている以上、奴隷達にとってはオレも同罪だろう。律儀でも正義でも何でもない。」
淋しそうに空を見上げ、彼は再び歩く。
彼女は何も返すことができず、ただ彼の斜め後ろを歩くしかできなかった。
それからしばらく歩くと、大きな館が見えてきた。
オーラル達が北の館と呼んでいる建物だ。
しかしこの北の館、実はいくつかの建物に分かれており、寮、作業場、学習部屋、体育館、食堂など様々な施設が完備されている。
寄宿学校みたいな存在と言えるかもしれないが、ここにいるのは生徒ではなく奴隷。
やはり世間には公表できない。
そんな多々ある建物のうち、オーラルとアーグランは作業場がある建物に入った。
ここでは奴隷達による手芸品や雑貨、織物などの製作がなされていて、オーラルが表向きの仕事にしている「行商人」に必要な品物はここで作られている。
館に入ると、すぐ近くの部屋に明かりがともっていて、中からは多くの笑い声が聞こえてくる。
「何やら楽しそうだな。」
オーラルがドアノブに手をかけようとしたその時、後ろから声がした。
振り向くと、アーグランのさらに向こう側に、十歳くらいの少女がいた。
だが、この少女も当然ながら人ではない。
上半身こそ、かなりの美少女だが、下半身はまだら模様の蛇。
しかし、そんな体からは想像ができないくらい、優しい顔つきである。
「あれ? 主とメイドじゃん? 何してるの。」
声色もただの子供そのものである。
オーラルは体を彼女の方向に向け、手を軽く上げながら挨拶をする。
「デルピュネか。元気そうだな。君こそ、訓練の時間なのに当てもなく歩いていていいのか?」
「やだなぁ。わたしくらい長くここにいると、大概の内容はできようになるんだよね。だから訓練は気が向いたときに、腕がさびてないか確かめる程度で十分だよ。」
「流石、長生きしているだけはあるな。あとは戦えるようになれば完璧だな。」
「色々言いたいけど、戦闘訓練だけは勘弁して。」
蛇の少女、デルピュネはアーグランを見ながら必死に断りを入れる。
そして再びオーラルを見ると、少し媚びるように笑いながら近づく。
「それより、わたし、神託に興味があるんだよね。どうにかして、勉強できないかな?」
「神託? 君は巫女になるのか?」
「将来、何が起こるか分からないからね。結婚相手や子供の人数とか気になるし。」
「そんなこと、知りたいのか…。まぁ、多少のことは、ここの書館に本があると思うからそれで勉強できるんじゃないか。」
「専門家とか先生はいないの?」
「流石に無理を言うな。」
「領主様には司祭も仕えているし、その人にまずは聞いてみたら?
「そう簡単に会える相手ではないだろ。」
「わたしは百年くらいは待てるから問題ないけど。」
「先に、オレらが死ぬな。」
オーラルは目の前の長寿少女の感覚に少し困ってしまう。
だが、連絡はしてみるかと乗り気ではない返事をとりあえずしておく。
「さて、オレらはみんなの様子を見に来たんだ。元気にしているか?」
「自分で見るのが、一番確かじゃない?」
「そうだな。」
デルピュネに背を押され、作業場の扉を開ける。
部屋の中は笑い声であふれかえっており、先ほどの森とは正反対の空気が流れていた。
ここには年を取ったケンタウロスやミノタウロス、子供や女のモンスター、あるいは普通の人など多くの種が混在しているが、その全員が心の底から楽しんでいるようだ。
「何かあったのか?」
オーラルは近くにいたアラクネに声をかける。
「あら、主様。今木彫りをしていたのですが、ペーシミィさんの作品が面白くて面白くて。」
「ペーシミィのが?」
奴隷商の主はペーシミィと呼ばれた部下の顔を見る。
こう…、えっと、なんと表現すればいいのか。
まぁ、ありていに言ってしまえば、かなりのあほ面なのだ。
鼻水が垂れているし。
だが、こんな面構えでも、彼はダクホースと同じくリーダーの一人である。
ただ、まぁ、二人とも適任とは言えないかもしれないが、それでもリーダーにしている理由はある。
ペーシミィの場合は、奴隷からの人気や愛され具合だ。
彼はあほだが、笑顔で笑っているさまは全ての生き物に癒しを与えてくれる。
そのおかげか、奴隷達も意気揚々と働いている。
そんな彼の作った作品を見ようとオーラルを、アーグラン、デルピュネはペーシミィの手元を覗く。
彼もそれに気付いたのか、持っていたものを高らかと見せつけてくる。
「おぉ~、主様か~。おで、これを作ったじょ~。」
「立派な台の上に、くねくねと波を打った薄い板が上に伸びているな。これはなんだ?」
「ワカメだじょ~。」
「わかめ!?」
「海藻の一種だじょ~。」
ペーシミィは自信満々に返答したが、オーラルはわかめが何物か知らなかったのではない。
なぜわかめを作ったのか、そのことに驚いたのだ。
アーグランも唖然としていたが、デルピュネはジト目で作品を見つめる。
「これは、あれだね。木を削り過ぎたから、そのまま全部削ってわかめにしたんだね。こいつ、毎回同じようなミスをして、わかめや藻、河原の石を作るんだよ。」
彼女の声はどこか疲れていた。
しかし、それは当然あんのかもしれない。
奴隷をまとめるリーダーが一緒に木彫りに挑戦していることも珍しいが、参加して失敗作を毎回作っているのだから呆れてしまうのだろう。
しかし、カバーリングは素晴らしく、あほさが一周回って天才に思えてくる。
主はもうなんとコメントしたらいいのか分からなくなり、
「まぁ、みんなで楽しんでいるのなら、それでいいか…。」
と言い残し部屋を出ることにした。
後ろからメイドと蛇の少女も苦笑いしながら出てくる。
「ペーシミィは会うたびに、予想以上のことをしてくれるな。」
「ん。」
「わたしも長年見て来てるけど、全然慣れないね。奇想天外とはあれの為にある言葉だね。」
「そっか。まぁ、彼はあのままでいいかもしれんな。」
オーラルはそっと天井を見上げ、腕を組む。
それが物思いに更けているように見えたデルピュネは、仕方なく話題提供をする。
「主はみんなの様子を見に来たんでしょ! クルードのとこは、調理室でお昼ご飯作ってるよ。」
クルードはリーダーを任せている三人のうち、唯一の女性で、一番しっかりしている。
大きな心配はないが、少々、ここのメンバーとは馬が合わないところがある。
だが、調理室は目と鼻の先。
様子見をしなくても大丈夫なので、見ないという選択肢もあったが足を運ぶ。
「しかし、いくらここにいるメンバー全員分の食事を作るからって、今から作るのは早くないか。昼食まで時間がまだあるが?」
「誰かさんが多くの人を連れてくるから、大量にご飯を作らないといけないんだって。だから早く始めないと、って言ってたよ。」
「それなら、デルちゃん手伝ったら? 今日は私も手伝うよ?
「それは勘弁してほしいかな…。」
「着いたぞ。相変わらず騒がしいな。」
オーラルが扉を開けると、包丁の心地よい音と火を使っているのかかなりの熱気、そして、女性の大声が三人を襲った。
「あー!? もう、ジャガイモの芽は取ってって言ってるでしょ。」
「水が沸騰したら火を弱めてって言ってるでしょ!」
「ちょっと。左手の指を突き出していたら、包丁で切っちゃうわよ。」
「…。どうして、あんたはいつも、無機物から有機物を生成できるのよ…。」
声の主は広い調理室を縦横無尽に巡り、奴隷達にアドバイスとも叫び声ともとれる声をかけ回っていた。
そんな彼女だが、三人の存在に気が付くと駆け寄ってきてくれた。
「あら、デルピュネ。手伝いに来てくれたの? 丁度良かったわ。教える人手が足りなくて困ってたのよ。」
「断じて、違う。わたしは主たちを案内してただけだから。」
「オレへの挨拶より先に、デルピュネのお誘いか。君らしいと言えば君らしいな。」
「傷ついたのならごめんなさい。そして、忙しい時間に来てくれてありがとう。一応、感謝するわ。」
右手でスカートを摘まみながらお辞儀をした彼女、クルードは笑いながら嫌味をしっかり言ってくる。
オーラルも軽く詫びを入れたが、彼女はハイハイと軽くあしらっている。
「で、今日来るって聞いてないけど? 何か用?」
「行商してたから、久しぶりによってみたかったのと、ダクホースの監査かな。」
「なるほどね。あの男にはあたしも手が出せないわ。ここの子達と違って、覚える気概がないから。何言っても、無駄だと思うわよ。」
クルードのツリ目が、すこし潤んでいるように見える。
だがそれも束の間、すぐに奴隷が叫び声をあげる。
「クルード様! 鍋から水が溢れてきました!」
「うわん。指切っちゃったよ~。」
「あー。もう分かったから。今そっちに向かうから。じゃあね、主。様子を見たかったらそこに居ても良いから。あと、デルピュネ。あんたは指切った子の面倒見てあげなさい。」
と言って彼女は熱湯が噴出している鍋に駆け寄った。
デルピュネもやっぱり手伝うのか…、と落胆していたが、怪我人をほっておくこともできず、手当に向かった。
「ん。」
私たちはどうする? と言いたげにアーグランは首を傾げる。
オーラルはそうだなと言いながら部屋を見渡し、
「オレらは帰ろう。手伝えることもないしな。」
と部屋を後にした。
こつんこつんと足音を立てながら、二人は静かに廊下を歩く。
後ろの部屋からは、相変わらず怒涛の叫び声が聞こえる。
だが、あそこにいる奴隷は皆、慣れないことながらも頑張って料理をしている。
それを努力の塊と褒めることは容易いだろう。
しかし、いやいややらされて、今日に至っている可能性もある。
館外に出たオーラルは青空を仰いだ。
「なぁ、アーグラン。ここの者たちは今、どういう気持ちなんだろうな?」
「どうしたの? 急に。
「いや、帰ろうか。」
主はそっと歩き出した。
メイドは不穏な空気を感じながらも、ただ彼の後をついていくことしか出来なかった。
ギィ
椅子に深く座り、背もたれに体重をかけると少しきしんだ音がした。
その音は響くこともなく、静かに消えていく。
椅子に座った彼は部屋を見渡す。
小さな図書館とも言えるくらいの本棚が並んでいて、学術書や法典、新聞記事の切り抜きファイルと勉学に関係のある書物から、小説や雑学をまとめた書籍などの嗜好品まで並んでいる。
その中には、「地球」について書かれた本もあり、シリーズ化されているのか6冊も収められている。
また、壁の一角には世界地図が張られており、その近くにはジオラマみたいな土地の模型も置かれている。
この堅苦しそうな部屋はオーラルの書斎であり、彼は大体この部屋で仕事をしている。
奴隷達の見回りの後、昼食をとり、そして、現在この部屋に腰をおろしたのである。
オーラルが座っている椅子の前には立派な机があり、卓上には未開封の封筒や小包が散乱している。
「一週間家を空けていただけで、こんなにも溜まるのか…。」
溜息まじりに彼は呟く。
しかし、ただ見つめているだけでは大量の手紙の山は無くならない。
仕方がなくその一つを手に取った。
「デンジー伯爵。聞いたことない名だな。」
封を開けると白い紙に奇麗な字が綴られていた。
拝啓
初めてお便り申し上げます
ハイネーク領を治めておりますアブナット・デンジーと申します
本来は直接お会いしてお願いいたすことが礼儀なのでしょうが、この様に手紙でお伝えすることをお許しください
本日は、貴方様にお願いがあり、手紙をしたためています
それは貴方様が奴隷商をなさっていると伺ったからです
当家は現在、鉱山を経営しておりまして…
ポイ
オーラルは躊躇することなく手紙を捨てた。
この後手に取った手紙も数行読んでは捨て、数行読んでは捨てることを繰り返した。
内容は小差あるものの、どれもが奴隷が欲しいというものだった。
だが、彼は手紙の送り主に奴隷を売るつもりはなく、ことごとく無視をする。
人によっては前払い金を小包にして送るものもいたが、フーエルを呼んで送り返すよう頼んだ。
依頼が殺到することは儲け話のように思うが、オーラルは興味を示さない。
彼はただ、本当に奴隷が欲しい人のもとに彼らを売っているのだ。
その線引きは難しいが、一番大きいのは直接その人物に会って話を聞くことによって判断を下していることだろう。
だから彼は、手紙だけで済ます人物を相手にしない。
そうしているうちに山が平らになっていったが、ある手紙を手に取った時動きが止まる。
バール・H・B
差出人の名だ。
オーラルは無言だったが、他の手紙とは明らかに異なるくらい慎重に取り扱った。
緊張からか、ペーパーナイフを持つ手が少し震えている。
なぜこんなにも、他と違うのか。
それはバールと言う人物も、奴隷商をしているからだ。
商売敵として対立関係とまではいかなくても、普段から馴れ馴れしく手紙をやり取りするような相手ではない。
そんな相手からの便りなのだから、よっぽどのことがあったのだろう。
そっと中身を取り出し、手紙を読む。
燕尾の紋章の者よ
我が手中にある領域にて、不可解な事件が続発しておる
客先にて、我の関与あらずとも奴隷増えることあり
協定からの逸脱とも思える行為 汝のものか
それとも 十字のものか
汝の知ること 全てを我に記せよ
さもなくば 来る会合で汝の所業 口にす
この後もずらずらと長い文書が書いてあるが、大体のことは理解できた。
やや難読な文章ではあるが、同業者同士の取り決めにお前は違反しているぞと、やや一方的ではあるが警告がなされている。
だがオーラルにはその様なことをした記憶などない。
奴隷商達は、自分が活動を行う領域を会合で決めている。
そして、領域外では事前にそこの領域の主に断りを入れることを規則としている。
だが、バールの領域で、バールの知らない奴隷がいたのだろう。
それは、領域外での奴隷の売買と言う協定違反があったということだ。
だから、協定違反していると文句と脅迫を織り交ぜた手紙を書いたのだろう。
「相変わらず、強気な奴だ…。」
オーラルは手紙を読み終わると、重くなった腕でバールに対して返信を書き始めた。
長く丁寧に書くと言い訳をしているように感じ、短く一言『オレではない』と済ますのも不自然な気がする。
丁度いい分量と内容を考えるも、妙案はすぐに出てこない。
筆が止まり、頭を抱える。
コンコン ギィ
ドアがノックされたかと思うと、すぐに開かれた。
フクロウの執事が少し慌てた様子で、部屋の中に入る。
「坊ちゃま、使いの者から急報です。」
フーエルは息を整えながら主に近づく。
「北東の小都市、バッテンラールが火事に見舞われたと。」
「火事くらい、どこでも起きるものだろ? わざわざ、連絡をするほどのことでもないだろ?」
「いえいえ、坊ちゃま。家が燃えたなどの知らせ、わたくしが坊ちゃまにお伝えするとでも思いですか? いえ、先ず使いの者がわたくしの元に情報を送ることすらしないでしょう。」
執事はグッと顔をオーラルに近づける。
背をのけ反りながら、彼は話を促す。
「ただ事ではない、と言うことか。」
「ええ、そうでございます。燃えているのは街全体。つまり、バッテンラールが火の海となっているのですぞ。」
「火の海、か。」
オーラルは平静を装っているが、かなり心臓の鼓動が速くなっている。
だが、これでも死線はそれなりに潜り抜けた男。
冷静さは失わないように、頭をフル回転で稼働させる。
「街全体が燃えることはあるのか?」
「グーレンシー王国の独立戦争の様な戦闘行為があるところでは日常茶飯ですが、この国には至って平和。隣り合う何棟かは燃えても、街全体はそうそうありませんな。わたくしの記憶を辿っても、30年くらい昔に山火事に巻き込まれた村の話があるくらいですぞ。」
「要は、普通ではないと。」
「ええ、自然的な要素はないかと。地震などの天災ならば、その様に連絡があるはずですからな。」
「誰かが街を燃やした。そう考えるのが一番だな。」
オーラルは窓辺に移動し、外を見つめる。
何か呟いているようだが、突如振り返り執事を見る。
「まぁ、原因は何であれ、人を集める機会だ。準備をしてくれ。」
「ホホホ。坊ちゃまも悪事が板についてきましたな。」
フクロウが昼にも関わらず、ホーホーと鳴く。
だが、オーラルとしては、奴隷商として大事な仕事なのだ。
店で物を売るのは当たり前の光景だろう。
では、商品は常に店から湧き出るものか?
その答えはもちろんNoだ。
工場から商品を作っているか、店頭で作っているかは置いておいて、商品(もしくは材料)はどこからか仕入れなくてはならない。
奴隷商も同じで、売るための人やモンスターを手に入れなければならない。
その手段の一つとして、誘拐がある。
オーラルは今回のような人災や災害など、人が一度に多くいなくなっても疑問に思われない時に、保護という名目で行っている。
「人を探す部隊が必要だな。がれき除去など力が力仕事と、他には怪我人の手当てか。この三部隊を館にいる者達から選抜してくれ。」
「火消部隊も必要ではありませんかな?」
「小規模な火事ならまだしも、街が燃えているんだろ? 雀の涙程度の仕事しかできないだろう。それなら危険な場所に連れていく必要はないな。」
「ホホホ。確かに。それに、かの者達はそもそも陸が苦手ですしな。」
「連れて帰る人の馬車も準備してくれ。揃ったらゴットンを先導に連れて来てほしい。」
「おや、坊ちゃまはどうなさるのですか?」
「オレは一足先にバッテンラールに行く。町が燃え尽きる前に行かないと、意味がないだろ?」
「ホホホ。坊ちゃまらしい。ですが、同時多発的な放火とすれば、犯人がまだ町の付近におり、危険では?」
「それなら、大丈夫だ。」
執事の心配をよそに主は扉を開ける。
廊下にはメイドが盗み聞きをしている姿があった。
「アーグランが付いて来てくれるとさ。」
「ん。」
彼女は少し照れた様子で返事をした。
フーエルも二人はで行くならと納得してくれた。
身支度を整え、部屋から出ようとしたとき、オーラルは大切なことを思い出した。
「そうだ、フーエル。机の上にバールから来た手紙があるんだが、代わりに返信を書いて出してほしい。」
「はい!?」
フクロウ執事の珍しい顔を、メイドと二人で笑った。
パカラ パカラ パカラ
舗装のされていない道を馬は力強く駆け抜ける。
泥を撥ねては飛ぶように前に進む姿は、乗っている本人からは見えない。
だが、彼は、彼女は、自身が風と一体になっているようにも感じている。
バッテンラールに向かう道の中ほど、荷物もほとんど持たずオーラルとアーグランは馬を走らせていた。
二人旅と言うことで、仲良く会話をしながら道中を楽しんでいるのかと思えば、そうではない。
二人は別々の馬に乗り、それぞれが自分の裁量で走らせている。
楽しむどころか、声をかける暇などないのだ。
それはバッテンラールが特殊な土地であることが関係している。
奴隷商は協定で決められた領地で自由に活動して良いと決められている。
今回の目的である奴隷候補の誘拐も、領地内だったら自由に行って良い。
しかし、バッテンラールはオーラルの領地に存在するが、お隣さんの奴隷商の領地にも含まれている。
つまり、領地が重なっているのだ。
これは、境界線決めの時に互いが譲らなかったためであり、この様な地域はオーラルが関係ないところを含めれば星の数ほどある。
さて、二人が共有しているバッテンラールだが、そこに居る人々も二人で等分にすることになっている、とはならない。
明記されてはいないが、早い者勝ちとなるのが通例だ、
だから、相手よりも早くたどり着いて、人々の援護と言う名の回収をしなければならないのだ。
文字通り覇権争いと称してもよいだろう。
悠長なこともしてられない状況なので、二人は無心に馬を進めている。
町に近づくにつれ、黒煙が立ち昇っている様が遠くからでも分かる。
炎の近くにいるような熱い風と、焦げた匂いも漂っている。
日が落ちてきていることも相まってっか、空はオレンジ色に塗りつぶされている。
「想像以上に、酷いな。」
オーラルは気付かないうちに、感想が口からもれていた。
町の入り口に着くと、この辺りはまだ燃えておらず、ゴオオと燃え盛る炎の音しか聞こえない。
しかし、いつ火の手が回ってくるか分からないため、馬は離れたところに繋ぐ。
「しかし、不思議だな。」
「ん?」
「全く人に会わないからな。町から逃げる人や王国の救助隊が来ていてもおかしくはないが。流石に、交通が悪くて野次馬はいないのが不幸中の幸いだな。」
「町の人は、みんな逃げた後じゃない?
「そうだと良いのだが。商売上がったりな状況になってしまうが。」
「コーレリさんと、どっちが早く着いたかも分からないね。
「あのお隣さんも、この惨状を見たら何も言わないだろう。見ていれば、の話か。」
オーラルは熱風でマントがたなびくのを気にせず、街の入り口のゲートをくぐる。
アーグランも置いて行かれないよう、小走りで追いかける。
町は燃え盛る炎の轟音以外は聞こえず、閑散としていた。
乾いた土を踏むたび、ここが地上とは思えない感覚に襲われる。
「…、地獄だな。そうでなければラグナロクか。」
暫く街を歩いた感想が口からこぼれた。
言い当て妙だなと心の中で自画自賛している主だが、メイドからの称賛も喝采もない。
不思議に思い振り返ると、そこに金髪のメイドの姿はなかった。
「アーグラン?」
不安に駆られた彼は辺りを見渡すが、彼女の足音すら残っていない。
来た道を戻ってみるが影すら見つけれず、忽然とエルフが消えてしまった。
だが、エルフと言う一族にも、彼女固有の能力としても、音もなく消えることなどできない。
脇道に迷い込んだと考えるのが自然だろう。
通った道で最も大きな分岐点となったY字路の反対側を散策する。
曲がりくねった道を突き進むと、噴水の広場が広がっていた。
火の手がすぐそばまで迫りくる広場に、オーラルは自身の目を疑った。
少女がいた。
ほとんど白と言いてもいいような灰色の髪と、純白のワンピースを着た少女。
まるで石のようにその場から動かず、ただただ、怪物のような炎を見つめていた。
「燃えている。思い出の場所が、大切な人が、たくさんの思い出が、燃えている。」
その声は絶望ではなく、ありのままの事実を口にしているだけだった。
面妖な雰囲気をまとう彼女の隣に、オーラルは今まで感じたことのない気持ちを抱きながら並んだ。
「燃えているな、街にあるもの全てが。」
「…。お前、見慣れない顔だな。」
少女は、髪で隠れているオーラルの左側の顔を見た。
少し驚いた彼だが、いつもと同じ調子で返事をする。
「だろうな。この町の者ではないからな。」
「今日はよく、余所者が訪れる日だな。」
「誰かを見たのか?」
「誰だかは、お前が一番知ってるんじゃないか。」
「そうかもな。」
ふと、領地が重なっている奴隷商の顔が頭によぎる。
少女は首を傾げたが、それほど気にせず炎に背を向けた。
「どちらへ?」
オーラルの声に、彼女はふんわりと答える。
「別に。ここに居ても身の危険があるだけ。お前も逃げた方がいいぞ。」
「行く当てはあるのか?」
「別に。ただ、ボクはボクのすべきことをするだけ。」
「オレのところに来ないか? 多少ながら、手助けはできると思う。」
彼女は目を皿のように丸くした。
そして、この場にはふさわしくないくらい、大声で笑い始めた。
「それは、ボクが何者か分かって言ってるの? だとしたら、お前は幸せ者だな。」
目からは涙がこぼれている。
よほど面白かったのだろう。
オーラルは目に見えて狼狽えはしなかったが、必死にこの少女とどこかで会ったことがあるかと記憶を探していた。
それがどのくらいの時間経過したが分からないが、記憶よりも先に彼女が笑うことに満足した。
「あ~、よく笑った。お前、気に入ったよ。」
少女は満面の笑みを浮かべて、歩き始める。
「その言葉、忘れるなよ。」
「ああ。」
とびっきりの笑顔に、彼は返事をした。
「よし。じゃぁ、女神からのご褒美だ。お前は今から罪を犯すが、それを許してやろう。」
「どういうことだ?」
と言い終わる前に、突風が吹く。
思わず目をつぶって難を避けたが、再び見えた世界には彼女は消えていた。
「女神…?」
オーラルは人生で一番混乱をしていた。
辺りを見渡しても、先ほどの少女はどこにもいない。
アーグランも探さないといけない状態で、何から手を付ければいいのか分からない。
しかし、こういう時ほど感覚は敏感である。
誰かが近づいている足音がはっきりと聞こえる。
「誰だ?」
「くぅ~ん。」
一匹の子犬、とその子を抱いたアーグランだった。
主はメイドが見つけ、胸をなでおろす。
「アーグラン、無事だったか?」
「ん。」
「良かった。そういえば、女の子を見なかったか? 白い服の、君より小さい子。」
「んん。」
彼女は首を横に振った。
ここまでの道のりは一通りではないが、行く手が限られている今は僅かしかない。
大体の道が見え、分からないところも目の前のエルフが通ってきたため、最早少女は神隠しに遭ってしまったのか。
いや、彼女自身が本当に神様で、先ほど見たのは夢幻、あるいは蜃気楼だったのか。
答えの出ないパズルを解いている気分だ。
「ん。」
アーグランの一言で、オーラルは現実へと戻ってくる。
「ああ、そうだ。そう言えばどこに行っていた? 心配したんだぞ。」
「ごめん。犬の声が聞こえて。
「犬の声? 確かに君はオレより耳は良いからな。それでその犬がこの子と。」
「ん。」
アーグランの胸に抱きかかえられている子犬がワンと鳴いた。
そして、彼女の腕から飛び降り、歩き始める。
「おいおい、勝手にどこか行き始めたぞ。」
「ついて来い、ってことじゃない? こちらを振り向いているし。
「こんなことならデルピュネも連れてくればよかったな。あの子なら動物の言葉も分かっただろう。」
二人は子犬に連れられ、細く延びた道を何度も曲がる。
炎にだいぶ近づいたところで、ワンと鳴いた。
この辺りは瓦礫の山が出来ており、何か襲撃でもあったのかと思うくらい荒れている。
「この山がどうした?」
オーラルが子犬に聞くと、その子は瓦礫に向かって吠え始めた。
すると山の中から、微かだが声が聞こえた。
「誰かが埋まっているの!?
「それならすぐに助けないとな。」
主とメイドは今にも崩れ落ちてきそうな危険を顧みずホイサッサと瓦礫をどける。
幸い、大きな破片はなく、最も大きいものでも二人で力を合わせれば何とか動かせた。
そして、最後に扉だった物をどけると、瓦礫の隙間に空洞ができていた。
「た…、助け…て。」
女性が山に埋もれて動けなくなっていた。
恐らく子犬の飼い主なのだろう。
ここで彼女を助けれれば、人と犬との絆の物語として後世まで語り継がれただろう。
しかし、現実は甘くなかった。
女性は崩れた柱か梁が体に刺さっていて、動かすことができない。
いや、仮に瓦礫の山から救出できても、彼女は数時間後には死んでしまうだろう。
地球と言う書物に書かれているほど、医療は発展していないのだから。
「助けて…、お願い…。」
彼女は二人に懇願した。
だが、どうすることもできない。
オーラルは今まで躊躇していたが、その言葉を口にした。
「悪いな、お嬢さん。オレは腹に大きな穴開けて生きてた人を知らない。」
「そう、ですか…。」
苦しそうな顔がさらに絶望で染まった。
しかし、予想外の言葉が、彼女の口から出てきた。
「それなら、その子だけでも。ペポだけでも助けてください。」
彼は息を飲むしことしかできなかった。
だが、いつまでもここに立ち尽くしている暇はない。
火の手がすぐそばまで来ているのだから。
「ペポって言うのは、この子犬の名前か?」
「そうです。その子をどうか、お願いします。ペポは私の大事な家族なんです。だから、ペポだけでも無事生きることができたら…。」
涙ながらに訴える姿は、本物の母親のように見えた。
オーラルはメイドに呼びかけ、彼女に子犬を抱かせる。
そして、瓦礫の下の女性に見えるように、掲げてもらう。
「この子の、ペポのことは承った。責任を持って面倒を見よう。」
「ありがとうございます。ありがとうございます。」
彼女は再び涙を流した。
だが、その意味が変わっていることは、誰もが分かるだろう。
ゴゴゴオオオ
町を襲う炎が、ついにこの瓦礫の山まで覆い始めた。
アーグランはこれ以上留まると危険だと判断し、山から飛び降りる。
オーラルもそれに続こうとしたが、ああと言う声に反応して足が止まる。
振り返ると、穴の中にまで火が広がっており、彼女もまた、その被害に遭っていた。
「なぁ、」
苦しむ女性に、彼はそっと語りかける。
「オレは君を助けることはできないが、今の苦しみから解放することはできる。どうする?」
すっと、腰から拳銃を取り出す。
それを見て、相手も悟ったのだろう。
「ありがとうございます。貴方は、この世にいる神のような方ですね。」
そんな優れた者ではない。
と心の中で呟いた。
だって、本当の神様なら、目の前の女性を助けることなど造作もないだろう。
だが、自分は殺めることでしか、救うことのできない怪物。
「最後に、言い残すことはあるか?」
「ペポ、今までありがとう。そして幸せに…。」
「来世なら、二人で幸せに暮らせるよ。」
引き金を引くと、大きな音が町に響き渡った。
そして、彼女は、息を引き取った。
何故か笑みを浮かべながら。
オーラルは瓦礫の山を飛び降りる。
着地をし、歩き始めるが、その姿に覇気はない。
「あ、主。今日はここまでにしよ。火はまだ強くなりながら、町を覆うみたいだし。今日は来る途中で見つけた宿屋に泊まろ。ゴットンには私から使いを出しておくからさ。
「そうだな。そうしよう。」
振り返った彼の顔は、なんとも形容しがたい感情で作られていた。
アーグランは本当に言葉をかけることが出来たらと思った。
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