第30話 嫉妬」によるさらなる「いじめ」とその結果としての「人間的成長」
ボクシング後にポッシュとグリンは、パン屋からの帰り道に、たまたまベビーフェイス達と出会った。グリンが彼に向かって「敗者、敗者!」と囃し立てた。グリンに「やめろよ!」と叫んだが時既に遅く、ベビーフェイスが睨みつけてきた。
アルルカンの約束は守られず、「かえって関係は拗れて」しまった。その上、ポッシュはファイトマネーも1銭も貰えなかった。集めた木戸銭の半分は選手に、勝者により多くが与えられるのが当然だが、ベビーフェイスと仲直りをするのが目的で対戦に臨んだわけで、お金などどうでも良かったのだろう。
大勢の前で一生懸命に戦ったのに、「ポッシュは何も得ずに終わった」のだ。負ければアルルカンのいうように、ベビーフェイスの怒りは解けたのかもしれない。公衆の面前で叩きのめすことで、赦すことができたのだろう。しかし、まさか「ポッシュに負ける」とは、彼等のうちの誰も思っていなかったのだ。バイカーは、「やはり体重差が原因だったのかもな~」とか呟いていたが。
被害者であるはずのポッシュはベビーフェイスを許し、再び友達になろうと努力していた。しかし、加害者の彼等はそれを望んでいなかった。「こんな変な話があるのか!」と、僕には思えた。
さらに、他の生徒からのいじめも増えていった。キリスト教において罪の根源とされる『キリスト教の7つの大罪』には「色欲」、「暴食」、「強欲」、「憤怒」、「傲慢」、「怠惰」、そして「嫉妬」がある。これらを犯すと地獄に落ちると、キリスト教では教えている。大人になってから知ったのだが、僕が子供の頃に大好きだった漫画・アニメの通称「ハガレン」こと『鋼の錬金術師』での敵役である人造人間ホムンクロスには、それぞれラスト(色欲)、グラトニ(暴食)、グリード(強欲)、ラース(憤怒)、エンヴィー(嫉妬)、スロウス(怠惰)、プライド(傲慢)という7つの大罪が名前となっていた。
同級生達のうち、コンプレックスの強い輩の、いろいろな面で恵まれていたポッシュに対しての半ば「憧れ」のような感情が、このいじめを契機に「嫉妬」へと変化した。「ダークサイドに落ちた」わけだ。こうして、屋上部以外のメンバーからの嫌がらせも始まった。内容はあまりにも下衆なので話す気にもならないそうでよく分からないが、「男子校でのモテない女に飢えた奴等の嫉妬心は、嫉妬深いとされる女性を遥かに上回る」という話だった。
「Jr.、人間はこういう際に、育ちの悪さが出るものなのだよ。昔は『お里が知れる』という言葉があったんだけど、この時初めて『ああ、これの事か』と思えたんだ」
ここにきてポッシュは真に絶望し、その底に達した。
「なんで何も悪くない僕がこんな目に合わなければならないんだ、もうみんな嫌いだ!」
転校も考えたそうだが、高校2年の2月の時点での転校など、現実的に不可能だった。そして、ポッシュは生まれて初めて、「もう死んでしまいたい!」と自殺を思い描いていた......ポッシュが当時の麻布学園にまだ存在していた高い櫓に登ったのは、この頃だった。煙突のような、そこだけ突出してホチキスを半ばさしたような形の金属製の取手があるだけの剥き出しの櫓を、天辺まで登ったのだ。そこから見下ろしたハイアングルの景色は、自分を見上げている生徒が点のように小さく見えて、感動的だった。周りを見渡すと、東京タワーが際立って見えていた。その後ヨットレースにおいて荒れ狂う海の上で高いマストに平気で登れたように、ポッシュに怖いもの知らずの質があったのは、確かだろう。しかし、「もうどうにでもなれ!」という思いの方が強かったのだ。
好きだった絵画や美術の趣味も、この頃を契機に変わってしまった。
「それまではお父さんはアール・ヌーヴォーの花瓶や建築、そこから派生した女性的な曲線重視の作品に惹かれていた。特に、漫画の祖先ともされる、近年は女の子達に人気の中欧の小国の画家であるミュシャの版画が1番好きだったんだよ。そこには、華麗な曲線や花などの装飾に囲まれた、綺麗な女性が描かれていたんだ。まるで『天国ってこんな感じかな?』というような華麗な世界だった」
それがいじめを境に、ルオー、ルドン、モロー、ベックリン、アンソールなど象徴派と呼ばれる、人間の内面の感情を表現するという、「重くて、暗い画家の絵」が、いつのまにか好きになっていた。小学校の頃には強かった、「月や影の部分が、戻ってしまった」のかもしれない。この変化は、「浅薄な人間から深みのあるそれへと進化した」ように、僕には思えた。ポッシュ自身も、それに気づいたようだ。
「Jr.、ゴッホが書いた誰もが知っている名作『ひまわり』(実は何点か存在する)は、アルルの家にゴーギャンを迎え、『画家達の理想郷』を作ろうとした、希望に溢れた時期である1888年に制作されたんだ。ゴーギャンと仲違いをし、その年末に有名な『耳切事件』の後に精神をおかしくしてからのゴッホの晩年にあたる89年と90年の作品は、傑作が多いんだ。エネルギーに満ち溢れ、筆触分割で書かれた太陽や空気は歪み、事件以前の作品とは全く異なるので、『海外の美術館で作品を目にしてもすぐに判別がつく』んだ。『人生で最悪な時期に傑作が生まれるなんて、皮肉』なものだよね。それと同じで、私もあの『いじめがあったからこそ人間的に成長できたのでは』と、今なら思えるんだ」
ポッシュは後年東京大学で受講した美術史の授業で、ベックリンやゴッホの絵画によく現れる「糸杉」は、中世の宗教画を始まりとする神父により文盲の人々の為に考えられた「絵画の言葉」では、「生を表す太陽」と反対の「死」を表すのだと習い、納得がいった。糸杉は墓地に植えられる木なので、欧米人には死のイメージが連想できるというのが、当時の教授で現在もこの島国有数の美術館の館長をされている巨匠による解説だった。そして、「ゴッホの晩年の作品には、太陽ではなく糸杉が頻繁に登場」する。ゴーギャンにより希望を打ち砕かれ、死をイメージしていたからだろう。そして「因果応報なのか、ゴーギャンも世に認められず、タヒチで失意のままに死を迎える」ことになる。この頃のポッシュも、「死の世界に知らぬうちに惹かれていく」程に、人生が嫌になっていたのだ。しかし実は、神様からのご褒美なのか、「人間的な成長と精神的な強さを手に入れていた」ようだ。
このようにポッシュにとって最低の冬だったが、持ち前の強靭な精神力で、いじめにも打ち勝っていた。いや、ポッシュにこんな強い精神が宿っていたとは、本人自身も気づいていなかったのだろう。もちろん祖母が話してくれた「Jr.、4歳の頃に2人が大手術をしていつも入院していた際には、叔父さんは普通の子供のように泣き叫ぶのだけど、お父さんはじっと耐えていたのよ」というエピソードにあるように、「生まれながらに精神力が強かった」のだろう。だが、それ以上に、普通は起こらないこうした「酷い体験を経ることで、さらに強力になっていった」と推測される。
ポッシュを元気づけてくれたのはやはり音楽だった。レゲエの神様ボブ・マーリーの名曲「3羽の小鳥」が発表されたのはこの頃だ。
”Don’t crying about a thing Cause every little thing gonna be alright. Singin, don’t worry about a thing Cause every little thing gonna be alright......”
という歌詞とその南国調の調べを聞いていると、「たしかに学校で起きていることなど、気にしなければいいのかもな〜」と、なってきた。僕だったら落ち込んでいる時に聴くのはマイリー・サイラスの「ザ・クライム」なのだが、この時代には存在してないのだから仕方がない。だけど、アングロ・サクソンの人達がよく使うと教えてくれた、”No Music No Life”の本当の意味を、初めて悟ったのだ。
僕にはまだ「音楽というものは楽しむために聞くもの」に過ぎないんだけど、人生の支えになることもあるようだ。そして、家では「極楽とんぼ」と呼ばれていた曽祖父の、
「戦争時に比べたら今起きているどんな事も、大したことはないんだよ。今はその当時はなかった、自由があるのだから。どのような悩みも、時間が解決してくれるから」
という言葉には、全く反論できなかった。曽祖父が矢張りポッシュにとっては、心の拠り所だった。
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