第29話 いじめ相手への憧れ・許し、ストックホルム症候群とボクシングマッチ

 修学旅行が終わってしばらく経った、落葉後で木々も寒々しく見える12月のある日、アルルカンが話しかけてきた。「ベビーフェイスとボクシングで対戦しろ」というのだ。ポッシュはベビーフェイスへの怒りは、全くなかった。お酒も弱く酔っ払って、流れでベースを壊しただけだろうと、分かっていたからだ。実際にベースを借りたのは彼だったがそれだけの話で、「ぶっ壊そうと言ったのはあの”ピエロ”に決まっている」。そんなベビーフェイスと殴り合うなんて、絶対に嫌だった。しかしアルルカンによると、ベビーフェイスは復讐心に燃えている。だからボクシングで殴り合えば怒りも収まり、元の関係に戻れるというのだ。

「ポッシュ、勿論ベースぶっ壊しちゃったのは悪かったと俺たちも思ってんだよ。でも、このままだと収まりつかなくなっちゃっててさ~、分かるだろ。ボクシングが終わったら、俺も口添えするからさ~」

「ボクシングやったら、元に戻れるんだね」

「ああ、そう言ってんじゃん」

「分かった、約束だよ」


 


 ポッシュはベース破壊事件後も、ベビーフェイスやアフロに憧れを抱いていた。

「この頃アルルカン達は、米国西海岸で生み出される新文化を取り入れていたんだよ。ファッションは、チェックのシャツにコーデュロイのストレートのパンツとスニーカーにダウンベストとバンダナが加わり、さらにお洒落になった。そして、昨年のオリンピックで脚光を浴びた『スケートボード』が、新たな遊びとして流行していたんだ」

「現在隣にいても違和感のない、他の生徒達とは完全に差別化したファッションで、校舎から裏門に通じる緩やかなスロープを『スケボー』で滑る姿は、圧巻だったんだよ!」

 当時としては、何もかが斬新だったようだ。そのアイデアを持ち込むのは常にアルルカンで、海外の英語雑誌を見て研究していた。このように『彼等への憧れ』と『ストックホルム症候群』、『相手を許すという高い精神性』がミックスされ、被害者でありながらポッシュは和解を望んでいた。

「『ストックホルム症候群』とは、誘拐事件などにおいて、被害者が加害者への共感を持つようになる心理現象をいうんだ。米国の新聞王の孫娘の大学生が武装勢力に誘拐されると、彼等の思想に共感し銀行強盗に参加するという事件が起き、この島国でも話題となっていた時期だった。錯綜した人間心理などに興味を持つ麻布生の間では、彼女の心理について議論が行われていたんだよ」




 こうして1ヶ月後、年明けの寒さで凍えそうになる昼休みに、柔剣道場でベビーフェイスとポッシュの「ボクシングマッチ」が開催された。2人はソックスに短パン姿の上に、ローブの代わりにコートを羽織っていた。柔剣道場の床の冷たさが、靴下を通して伝わってきた。入場料300円が徴収されたにも関わらず、アルルカンのプロ並みの宣伝力で、柔剣道場はいっぱいだった。「青コーナー、体重108パウンド、ベビーフェイス~」というバイカーによる紹介で、アルルカンに伴われた「イケメン」がまず入場してきた。「赤コーナー、体重115パウンド、ポッシュ~」というアナウンスと共に「可愛い男の子」が入場してくると、会場は興奮に包まれた。

 人間という生き物は古代ローマの時代から、「拳闘に熱狂」してきた。「人が殴り合うのを見たいという暴力性を、本能として持っている」のだろう。同じ学年だけでなく、他の学年の生徒も集まっていた。「学年でもトップクラスの美少年2人による世紀の対決!」とかいう触れ込みだった。麻布が共学で女生徒がいたら、もっと大変な騒ぎになっていただろう。

 ベビーフェイスは、実は入念な練習を重ねていた。麻布生の中でただ1人バイク通学をし、ボクシングジムに通っており、後輩達から恐れられていたバイカーが、指導をしていた。バイカーはこの日のリングアナウンサー役だったため、アルルカンがセコンドを務めていた。ポッシュのセコンドは、「屋上部」ではないがやはり皆から一目置かれていた、いつもニヤケ面をしていたグリンだった。


 

 大勢の観客、恐らく教師も混ざっていた、が見守る中、試合は始まった。もちろん本物のリングなどはなく、皆が囲みを作っている中に線を引いただけの場所で、それは行われた。テレビでお馴染みのプロの試合から1ラウンド3分と思っていたのだが、とんでもないそうだ。ボクシングは非常に体力を使うらしく、経験者のバイカーにより設定された試合のルールは、「1ラウンド1分の5ラウンドマッチ」だった。

 ベビーフェイスが、的確なパンチを放ってくる。しかしポッシュも子供の頃は喧嘩慣れをしていたのでセンスは悪くなく、うまくガードをしていた。どちらも相手にダメージを与えることは出来ずに、第1ラウンド、そして第2ラウンドが終了した。第3ラウンドが始まり暫くすると、両人とも動きが鈍くなってきた。ボクシングは、非常に体力を使う。それなのに、「どちらもハエを意味するフライ級」で、ポッシュが少し重くてスーパーフライ級、ベビーフェイスはライトフライ級ぐらいの体重しかなかった。「タバコも吸っているので、息が上がってくるのは当然」だろう。


 

 そして、勝負はあっけなく終わった。ベビーフェイスの、踏み込んでの渾身の一発に対し、たまたまその迫力に目を瞑りながら繰り出したポッシュのカウンターが、名作ボクシング漫画『あしたのジョー』の1シーンのように、見事に決まったのだ。次の瞬間、イケメンは仰向けに倒れていた。綺麗なノックアウトによる劇的な幕切れに会場は騒然となり、グリンがポッシュを肩車して会場をグルグル回ったのだった。

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