第27話 いじめをしない、させない、見過ごさない

 「いじめ」というのは、人間の所業のなかでも決して許してはならない、最も悪質なものの1つだと思う。しかしこの行為は、「タイトルのような標語」が警察署に貼られている現在でさえ止むこともなく続き、それどころか年々酷くなっている。それは、「宗教心がなくなっているから」だと父は言うのだ。

「当時はこの国でも、『お盆』や『お彼岸』にはわざわざ先祖の『お墓参り』に行くのが習慣だった。先祖の霊を敬い、恐れていたからだ。『嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる』とか『悪行を重ねると地獄行きだ』とか、悪いことをしないように、子供の頃から親に刷り込まれていた。それでもこうした『いじめ』が起きていたのは、『人間にはやはり白も黒もある』からだ。だから『悪行を止めさせるためにも、信仰心を持たせることが必要』なんだ。それが、近年は『先祖の霊や神様への畏怖心など皆無』だから、『いじめや残虐な犯罪が増えている』のだろう」

「家や会社に『神棚』を置き、お供え物を備えて毎日『〇〇を頑張りますからお見守りください、お力をお貸しください』と『修行僧』まではいかなくとも自分も努力をしつつ、『神様』を畏れ、崇めることが『宗教心』なのだから。キリスト教だと、「食事の前にお祈り」をして「日曜日に教会に行く」ことになるのだけれどね」


 


 確かに「初詣」だけでなく「御朱印集め」は僕たちの世代の女子には人気となり、「この国の人間は神道や仏教を信じている」とされているが、それは「〇〇君と付き合えるようになりますように!」などと神様のお力で自分の願い事を叶えたいという「他力本願な神頼み」に過ぎないのかもしれない。

 「お墓参り」などにもほとんど行かないし、『神様や天罰を畏れている』などと言ったら、スピリチュアルに興味のある一部の方を除けば、『非科学的』だと笑われるのがオチだろう。

「J r.、犯罪が増えているのはこの国だけではなく世界的な傾向で、それは宗教心がなくなっているからなんだよ。お父さんがアラサーの頃に『インド一人旅』をした頃には、日本人の若い女の子も多かった。インドは貧しかったけれど、道路に寝ている牛を追い払えないぐらい信心深いので、『女子のバックパッカーの一人旅でも安全』だったんだ。今はそれがなくなったから、『白昼のバスの中での集団レイプ事件』などが起きているんだろう。怖くて行けないよね、『無学のままだけど信仰という歯止めがなくなった』からだよ。『いじめ』や『犯罪』を少なくする唯一の解決法は『人々に絶対的なものへの恐れ、因果応報の怖さを植え付ける』ことしかないんだよ。『映画やアニメ』を観ていると、感性の鋭い脚本家や監督は私と同じことを考えているのか、その『テーマの多くは因果応報』なんだけれど、観客はテーマなど考えずに『アクションやキャラにはまっているだけ』だから、分からないんだろうね」


 


 若い両親や母親のパートナーが「幼い子供を殺害する」とか「肉親をレイプしていた」などの、信じがたい事件にはもう慣れっこになった。「弱者への虐待」が現在の犯罪の特徴だろう。確かに「地獄に落ちる」とか「来世はスラム街に生まれちゃう」と信じているならば決してできない「外道な行い」ばかりだ。そして「学校でいじめられても先生も親も守ってくれないのなら、子供にとって残された道は自ら命を断つ」こととなるのだろう。昨年の小中高生の自殺は前年より2割も増えて、過去最多となったそうだ。「宗教心がなくなったことで助けるどころか、無視したり、関わりにならないのが当然になっているから」だと、父の話から実感できた。

 人をいじめたいというのは、「人間の性」なのだろう。「上級生にやられたいじめを下級生に晴らす」など、「受けた人の方がさらに酷いいじめをする」のだから、性質が悪い。「いじめられた経験があるのなら、決してそういうことはしてはならない」となるはずが、ことこれに関しては、「この法則が当てはまらない」のだ。米国での研究でも、新型コロナウイルス流行での学校閉鎖で、過去数10年増加傾向になった「10代の自殺率が過去最低」となったそうだ。やはり「学校でのいじめが自殺と関連」しているのだろう。そういえば高校時代に観たホラー学園映画『キャリー』も「いじめがテーマ」だったと思いだした。どうも父が観た作品のリバイバル作品のようだ。



 ポッシュは途方に暮れた。「優等生」という立場を捨てて入部し、結果として「家での自由」を与えてくれた「屋上部」。その中心メンバーから、無視される羽目になったのだから。アンクルは大人で、「中立」という立場だった。スリムは自分が同じ目に合うのは嫌なのだろう、

「おお、ポッシュ元気?」

 と声はかけてくれるが、一緒に遊ぶことはなくなっていった。プリンスは「引退」していたし、助けてくれるような「キャラ」ではなかった。相談をした、良くしていただいていた数学科の教師の「関わりたくない」という態もショックだった。

 そう、「警察の標語などは名ばかり」で、「いじめ」は存在し、後を絶たず、「教師は関わりを避けて見て見ぬ振り」をし、「友達も関わらないように疎遠になっていく」のが、常なのだ。



 子供の頃からクリスチャンである曽祖父により、食前にお祈りをさせられていたポッシュは、「普段は唱えているだけ」だが、この時は真剣に祈った。

「天にまします我らの父よ、願わくは御名を崇めさせたまえ、御国を来たらせたまえ、御心の天になる如く、地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を今日も与え給え。我らが罪を赦す如く、我らの罪をも赦し給え。我らを試みにあわせず、悪より救い出し給え。国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン」

 特に「我らを試みにあわせず、悪より救い出し給え」というフレーズを、一心不乱に「お祈り」した。

 しかしその頃のポッシュには分かっていなかったが、上記のように「お祈り」というのは「他力本願」であり、「普段から強く念じていれば叶えられるといった類いのものではない」ようなのだ。「自分自身の血の滲むような努力があってこそ、初めて神様もお助けくださる」わけであり、「その時だけ一生懸命祈ればすぐに効果が表れる」という「都合の良いもの」ではないのだった......

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