第25話 我道を行くポッシュとアルルカンバンドの結成

 その後皆がジャズへの「造詣」を深め、ファッションも「新大陸風」になっていったが、年が明けてもポッシュは変わらずに「プリンス風の服装」をしていた。「米国風」のファッションや文化には、馴染めなかったからだ。

 ポッシュは高校生の頃から「流行」など気にせず、「気にいったスタイル」の服を着て、「好きなこと」をしていた。「甘いもの」も大好きで、男同士で「ケーキ屋さん」に行くのも平気だった。だけど、当時は相当「勇気」がいたようだ。特に「甘味屋さん」の頑固そうな「おやじさん」の「しかめ面」と「無愛想な態度」から、

「なんだ、こいつら!『女みたいな格好』をして男2人で『甘味屋』に来やがって!」

 と思っているのが、「簡単」に読み取れたから。

 またその頃は、「甘い物」と「お酒」の「どちらか」しか受けつけない人が多く、

「甘党と辛党どっち?」

 と聞かれることが多かった。ポッシュは「お酒」も「スイーツ」も大好きだったわけで、そんな「問い」などされない「欧米人の男性」が羨ましかった。質問される度に、

「うぜぇ~よ、どっちも好きなんだよ、悪かったな!」

 と怒鳴ってやりたかったのだ。現在は男性2人でスイーツを食べに行くのは「普通」だが、彼からすると、「ようやく自分の時代が来たな!」と感慨深かったのだ。



 そう、「この言葉」は父の「口癖」で、子供の頃からいつも口にしていたのを思い出す。常に「時代を先取り」しすぎていた。例えばビールにおいても、大学の「卒業旅行」で「東の島国」ではほとんどお目にかかれなかった「上面・高温発酵」の「エール」を飲んで以降、この国で当たり前だった「ラガー」より、そちらに「ハマって」しまった。

「ただ爽やかなだけの『ラガー』は、季節ならば『夏』、場所ならば南国の『プールサイド』、イベントならば『スポーツやダンスの後』に『コロナビール』のようにライムを入れて飲むのなら、『最高』!だけど『コク』や『味わい』が無さすぎるから、『食事と一緒』に飲むには物足りないんだよな〜」

 帝国の「白ビール」が1番の好みだったが、ベルギーの「それ」や、英国の「ナッツブラウンエール」や「ペールエール」も好きだった。

「『バブル』の頃だったかな〜。『ビール会社としては万年4位だった会社』が、汐留に『ジアス』という期間限定の『同名のエール』を飲ませる店をオープンしたんだ。『これでこの国でも簡単にエールを飲めるようになるのか!』と小躍りしたんだけど、不人気で、『店』だけでなく『ビール自体』も終了したんだ」

 「エール」が日本で流行するのは、僕達のちょっと上の世代が米国などの「クラフトビール」を受け入れる10年ぐらい前まで、待たねばならなかった。

「やはり『ラガー大国』だった米国で『クラフトビール』が流行ったのも、ワインがまず人気となり、『こく』や『深み』に米国人が目覚めて、ビールにもそれを求めたからだと思うんだ」

「一方『この国』では『世界1のソムリエ』が誕生した25年ほど前に『ワインブーム』が起きたわけで、なぜそれから15年もの長期に渡って、あの『味わいのない』『どれを飲んでも同じ味がする』『ラガー』を、『皆』が飲み続けていたのかは、『謎』なんだ」


 

 そういうわけで10年ほど前に「エール」が日本でも手軽に飲めるようになり、「ついに、自分の時代がきたな!」と言っていたのはよく覚えていた。近年は「帝国」を真似た「オクトーバーフェス」が毎年10月に色々な場所で、場所によっては「GW」にも開かれていて、「僕達の世代」には人気だ。1番好きな「ヴァイスビール」が、「色々な種類」の、「様々な醸造所」のものが飲めるので、連れて行った時は感激していた。

「いやあJr.、『本場』のミュンヘンでも1つのお店ではせいぜい2、3銘柄ぐらいしか飲めないんだから、あり得ないよ。『この国』は本当に『変わり身が早い』から、『流行る』となると『ドンドン取り入れる』から、まるで『ずっと昔から存在した』みたいになっちゃうんだよな~」

 また、「革命の国と並ぶグルメの国」の「弱炭酸水」が成人後はず~と好きで、海外のレストランで「スティル・オア・スパークリング?」と聞かれると、いつも「スパークリング」と答えていた。かつては欧州の方は「スパークリング」、アングロ・サクソンの方は「スティル」を好むのが一般的だったそう。

「最近は米国でも、ビールと同じぐらいワインが、ビールでもクラフトビール好きには『エール』が好まれるようになったのと比例してなのか、『スパークリング』が人気になってきたんだよ。向こうに『出張』すると『会議』では両方の水のボトルが置かれているんだけど、『炭酸なし』が好きな人と『炭酸水』を選ぶ人の比率は同じぐらいじゃないかな?」

 そして、なぜか「我が国」でも一昨年ぐらいから「炭酸水」が人気となり、自販機でも購入可能となると、父のいつもの「ようやく自分の時代が来たな!」という「台詞」を聞かされることになった僕だった。



 ところで、「欧米の美術館」では少なくとも「常設展では写真を撮影できた」ので、父のパソコンには「世界中の名画の写真」が揃っている。「日本の美術館」では撮れないのが不満だったのだが、オリンピックに向けての「グローバル化」なのか、「一部では撮影可能になった」と喜んでいた。また、この10年で「海外の主要な美術館」では、「展覧会」だけではく「常設展」でも、「予約制」となっていた。そのため、1時間から2時間も並んで絵を鑑賞する前に疲れてしまうこともなく、空いている中で快適に作品と向き合うことができたそうだ。「新型コロナによる入場制限」でようやく「この国の美術館」でも「予約制度」が導入され、喜んでいた。

「『新型コロナの流行』で『改善されたこと』もあるんだね、Jr.。これで人気の『展覧会』で『絵』の代わりに『人の頭』を見に行くことも無くなるかと思うと、嬉しいよ。ようやく少しは『グローバル化』したんだなぁ」

 テレビは全く見ないが『ゲーム・オブ・ザ・スローン』など海外のヒット作はサブスクで「ライブ」で見ていたので、最近の東の島国での普及に満足なのはいうまでもない。



 話を戻すと、ジャズに「ハマっていった」からといって、「屋上部」のメンバーがロックを全く聞かなくなったわけではなかった。演奏面でも、「独学」でも身につけられるロック系の楽器とは異なり、サックスやトランペットなどの管楽器は簡単に吹けるものではない。特にジャズに「技術」ではなく「精神性」を求めていた「新中心メンバー」にとっては、コルトレーンのような演奏をするのは「不可能」という思いが強かった。そこで、

「やはり『女子にモテる』ために『文化祭』で『バンド』をやるならば、ロックしかないよな」

 となった。当時麻布でも高い人気を誇っていたバンドには、「クイーン」も含まれていた。「フレディに憧れていた」アルルカンがボーカル、アフロが「当然」ギター、「パワフル」で「運動神経抜群」のハルクがドラム、そしてベビーフェイスがベースを担当する「アルルカンバンド」が結成された。そして、「文化祭」に向けて練習を開始することになった。問題は、ベビーフェイスがベースを持っていなかったことだ。彼を気に入っていたポッシュは、「それなら弟が持っているから、借りてきてあげるよ」と買って出た。叔父からベースを借りる「了解」を得ると、重いベースをケースに入れて学園に持込み、ベビーフェイスに渡した。彼は嬉しそうに、笑いかけてきた。

「ああポッシュ、ありがとう。重くて大変だっただろう、ごめんね」

「そんな、友達なんだから、気にしないでよ」

 そして高2になった5月の「文化祭」の日、「プリンスバンド」亡き後、1番人気はカメレオンがベーシストのバンド「水妖仙」、次に「枕囃子」が続いていた。「アルルカンバンド」も「クイーン」の曲に加え、アフロが好きだった「キッス」の『デュース』や、「ザ・フー」の『マイ・ジェネレーション』などを演奏し、「ライブ」は成功に終わった。あの「補導事件」からわずか1年しか経っていなかったわけで、「屋上部は、本当に色々と変わってしまったっんだなぁ」と、ポッシュはしみじみと感じていた。

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