第17話 麻布学園は屋上以外も無法地帯、屋上部のたまり場は渋谷東口会館やロック喫茶
「夏休み」も終わり、秋となり「新学期」が始まった。「パーマ」をかけてさらに「箔のついた」ポッシュは、遂に「プリンセス」デビューを果たすこととなる。「屋上部員」になって既に半年以上も経っており、それだけ「敷居が高かった」のだ。「新学期で再会後には酒はつきものだから」というのが「表向きの理由」だが、パーマをかけて「屋上部員」らしくなったというのが、アンクルとプリンスが連れて行くことに決めた本当のところだ。「警察の手入れ」があるとまずいので、「お子ちゃま」は、お断りだった。
「そろそろいんじゃね?」
という感じだったのだろう。
「プリンセス」とは、「麻布学園」のそばにあった「スナック」の名前だ。「未成年は禁止のお酒」を高校生向けに出すお店があったこと自体が、僕には不思議なのだが。「麻布学園」は「屋上」だけでなく、「近場」も「無法地帯」だった。
学園では、「賭け麻雀」も流行っていた。負けた生徒が親の金を盗んで大問題になった「事件」もあった。屋上以外も「無法地帯」だったようだ。しかし、頭脳的な「麻雀」をするのは「屋上部」よりも「標準服」と呼ばれた「制服」の生徒の方が多かった。そのため、麻雀好きの「標準服姿の麻布生」相手に商売をしていた「雀荘」は、「手入れ」が入り潰れてしまった。それに対して、「浪人生や大学生のOB」も通い、「ママ」が「屋上部員でさえも入店者を限定」していたので、「プリンセス」はもっていたのだろう。
「ママ」は学生をぼるような事など決してなく、「優しい人」だったそうだ。「高等部」の先輩達にとっては、「店の主人」というだけでなく、「青春ど真ん中の悩みを聞いてくれるカウンセラー」という側面もあったようだ。ここは「屋上部」の中でも、特に「濃い~」生徒が集まっていた。プリンスとアンクルは「高等部」の先輩達にも一目置かれていたので平気だったが、ポッシュにはちょっと「怖いお店」だった。「スーツにネクタイ姿」の先輩には、
「お前、ホストに売られるために来たのか?」とイジられたりしたからだ。
「高等部」の先輩達は、渋谷の「ロック喫茶」でお酒を飲む代わりに、「プリンセス」で飲むことも多かった。それに対し、プリンスの家を除くと、「中等部」生が飲むのはコーヒーだった。「中等部」生の常連は、「ママ」に懐いていたアンクルを含む「プリンスバンド」のメンバーだけだった。
実は、学内にも「飲酒場所」があった。それは、「スキー部」だ。当時は「テニス」というと、「軟式」という柔らかいボールを打つほうが主流で、「硬式テニス部」がある「中等部」は珍しかった。まして「スキー部」がある中学などもっと少なく、この点は「ハイソ」な感じで、僕の大好きな『ゴシップガール』を彷彿させた。今に例えると、「中等部」から「ラクロス部」があるという感じだ。
「ラクロス」は『ゴシップガール』でヒロインのブレア達が目指す事になる上述の「アイビー・リーグ(ポッシュもそのうちの1校に通うことになる)」で人気のスポーツで、日本では「慶応の学生が最初に始めた」そうだ。現在の「ハイソなスポーツ」の代表格だ。
「スキー部」は「プリンセス」同様「高等部」の先輩達が中心だったが、アンクルやアルルカンも在籍していた。「屋上部」の生徒が中心になっている唯一のスポーツ部で、それが理由だったのだろうか、ポッシュも中3になるといつのまにか出入りするようになっていた。着々と「屋上部」での地盤を固めていたのだった。
「ゲーセン」は、渋谷駅のそばの「東口会館」にあった。ここには他にも「ビリヤード場」、「雀荘」、「卓球場」、「ボウリング場」があり、中3の頃にはポッシュも毎週必ず訪れていた。当時大流行していたという「スペース・インベーダー」などの「テレビゲーム」をするのは喫茶店で、「ゲーセン」では「ピンボール」が屋上部のお気に入りのゲームだった。
「ピンボール」は、子供の頃に田舎の温泉などで見かけた「スマートボール」をハリウッド仕立てにした派手な「ボールゲーム」で、流行の「映画」や「音楽」などを題材にした色々な種類があった。「パチンコ」を玉を10倍ぐらいの大きさにして、手前に向かって緩い傾斜のある平面にしたといえばわかりやすいだろうか?僕も「昭和を再現したお台場のアミューズメントパーク」に連れて行かれ、『ハリー・ポッター』の「ピンボール」を楽しんだ記憶がある。
傾斜があるので「レバー」で盤面に押し出された「ボール」は、そのままでは盤面の手前にある左右の「レバー」の間に落ちてしまう。その為、「マシーン」の手前の左右にある「ボタン」を人差し指で押すと前に動く「フリッパー」と呼ばれる「レバー」で「ボール」を弾き、間に吸い込まれないように操る。その先で打つと強い球が打てるので、内側に来たときは「ボタン」を押しっぱ、にして「レバー」を前方に押し出したままにすることで、「ボール」を左右の「レーン」と「レバー」の間に挟む。そして、ゆっくりと落ちてきたところを、打つ!また、盤上に置かれた「キノコ」状のゴムが装着された「パーツ」と「パーツ」の間にある「ボール」が、何回も繰り返して2つの「キノコ」の間を行き来するようにする。そのためには、「ピンボールマシーン」の手前表面の角に置かれた両手で、機械を縦に揺らすのだ!これが上手くいき、「キノコ」に当たるたびに「カン、カン、カン、カン、カーン」と鳴るのが、快感だった。しかし横揺れを「マシーン」が感知すると、「ティルト」と呼ばれる「ペナルティー」となり、突然機械の電気が消えて「ボール」は無情にも「フリッパー」の間の隙間に吸い込まれてしまう。この辺の、縦に揺らす加減が、難しい。
その後はお洒落な「カフェバー」にも置かれるようになる。特に欧米では大人気で、大物バンド「ザ・フー」のロック・オペラ『トミー』では、「エルトン・ジョン」がピンボールの魔術師「ピンボール・ウィザード」を演じた。
ポッシュは「渋谷出身」のため、「ピンボール」は小学校から「ゲーセン」で親しんでいて、「屋上部」の中でも上手かった。よく「リプレイ」まで持っていき、「ポッシュ、すげ~じゃん」といわれていた。渋谷の「ゲーセン」には当時優しいお兄さんがいて、「小学校卒業記念」に双子にそれぞれ「クロス」のボールペンをくれた。僕の「慶応の中学入学祝い」に父から受け継いたペンは、なんとそれだったのだ。しかも、「本当なの?」って感じだけど叔父も頷いていたので真実のようだが、そのお兄さんはZepのギタリストの「ジミー・ペイジに」そっくりで、もう1人の方もベーシストの「ジョン・ポール・ジョーンズ」に似ていたそうだ!「ポッシュの青春時代は、とてつもない神様が支配していたのか?」と思えるほど、「不思議だらけ」だった。
「ボウリング」というと、僕には米国でも「ブルーカラーの人が好むスポーツ」というイメージだ。でも当時は戦後の影響がまだあり、「ブルーカラー中心の軍関係者が好むもの=米国人が好き」となっていたようで、非常に人気があった。プロも沢山いて、「テレビ放送」もされていた。祖母が「コカ・コーラ」と「セーラム」のメンソールの「タバコ」を好んだそうだが、これも上流のものかは、怪しいものだ。もっとも、曽祖父の親友のイーストコット教授の奥様から祖母が伝授された、ガーリックがたくさん入った「オリーブオイルとヴィネガーのドレッシング」は、確かに「上流の香り」がしたようだ。
「ボウリング」も米国文化が大好きだった両親に子供の頃から連れて行かれていたので、ポッシュもおじいちゃんほどではなかったが、うまかった。但し、アンクルが10ポンド以上の重いボールを使って、「ポケット」と呼ばれる1番ピンと3番ピンの間に入らなくても「ストライク」を取れるのに、ポッシュは6ポンドや7ポンドの赤やピンク色の「女子用」のボールを使っており、「ポケット」に入っても7番ピンと10番ピンが残る「スプリット」になりがちだった。するとプリンスに、
「ポッシュ、だせえ~、せめて端のピンのどちらかだけでも倒せよ」
となじられた。プリンスは後に大学では「ボウリング部」に入ったほどで、ことこれに関しては、口やかましかったのだ。
「ボウリング」では「ストライク」を取ると「ガッツポーズ」をし、皆が「おお、やったじゃ~ん」と拍手と歓声で迎えてくれるというところまでは、「今と同じ」だ。しかし、当時はまだ「ハイタッチ」がなく、仲間が両手を手の平を上にして、屈んだポーズで迎えてくれる「ロータッチ」だったそうだ。「なんか、カッコわる!」と思ってしまった。
「ビリヤード場」は現在の「プールバー」とは異なりお酒は飲めず、単に「ビリヤード」「を楽しむ場所」だった。米国流の15個のボールを4隅と真ん中の6つの穴に落とす「ポケット」もあったが、ポッシュ憧れの「自由と平等の為に革命を起こした国」が起源の、2つずつの大きな白玉と赤玉を使う「4つ玉」がまだ主流だった。「ボール」は「ポケット」の物よりも大きく重いので、力が込められていないと動かず、「ポケット」よりも難しかった。
ポッシュは女の子のように手が小さい上に皮膚の皮も薄かったので、左手で「ブリッジ」を組んで親指と人差し指の間に「キュー」を通すと擦れて痛くなった。「ギターの弦」でさえ、痛くて握れなかった。そのため、手の平の皮が厚い大人になるまで、「ビリヤード」は得意ではなかった。アンクルが断トツで上手く、羨ましかったそうだ。
このように、彼等の「ヒーローで」ある「ロック・アーティスト」のように、タバコを吸いつつ、「ピンボール」や「ビリヤード」、100歩譲って「ボウリング」をするまではわかるのだが、「スロット」というのはちょっとイメージが違った。
「『パチンコ』や『スロット』は『ロンゲ』ではなく、『リーゼント』の『ヤンキー』が好きなんじゃないの?」
「う~ん、確かにそう言われるとそうだけど、単にプリンスが好きだっただけなんだよ」
「なぁ~んだ、そういうことね!」
僕の思いとは関係なく、プリンスの「ヤンキー的な一面」のおかげで、「スロット」が屋上部に流行っていたのだ。
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