第16話 シンガポール旅行の為にくるくるパーマの茶髪になっちゃった!

  「夏休み」には「ポッシュ家」では、「祖母の献身?」への日頃の感謝の気持ちを込めた、「シンガポールへの家族旅行」の話が持ち上がっていた。ポッシュにとっては、「グアム旅行」に続く、2度目の「海外旅行」だった。僕にはこの話も「ウィキ」で自分で調べてみるまでは全く信じられなかったのだが、当時のシンガポールでは、「男性は襟足が『シャツのカラー(襟)』についたら入国できない」という法律があったのだ!屋上部の一員となり肩まで伸びる長髪になっていたポッシュは、祖母の提案で髪の毛を短くするために「パーマ」をかけることとなった。

 祖母はポッシュが「お酒」や「タバコ」を吸っているなんて、もちろん知らなかった。しかし、自分が「お洒落好き」だったこともあり、「派手派手」なシャツと「キツキツ」のベルボトムジーンズ、「厚底靴」の「ファッション」で通学していることについては、文句を言わなかった。「自分の息子が綺麗になる」のが、嬉しかったのかもしれない。

 こうしてポッシュはいつの間にか、「好きな服で学校に通う自由」を手に入れていた。しかし、「パーマ」をかけることを祖母から提案してきたのには、流石に驚いた。当時のシンガポールの「阿呆な法律」に、感謝の気持ちでいっぱいだった。ポッシュには良かったようだけど、「レッド・ツェッペリン」も公演をできずに帰国する羽目になったようで、ファンの気持を考えると悲しくなった。




 祖母が通っていた美容院は原宿の、「竹下通り」が「明治通り」にぶつかった角にあった高級ファッションビル「パレフランセ」の中にあった。店長はまだ20代前半の「イケメン」、長身のクールだった。クールはカッコよく人当たりがいいだけではなく、その技術も一流で、「テレビのワイドショー」に出演していた「元祖カリスマ美容師」だ。

 7歳年上だったクールとは「ロック」や「ファッション」の話題で、すぐに仲良くなった。クールもやはり厚底靴に派手なシャツを着て、肩までかかる長髪は地毛だがクルクルで、彫りが深くて「ミックス」のように見えた。技術も高いのだから、お金持ちの「マダム」達に人気があったのも当然だろう。ポッシュは彼の髪形を一目みて気に入り、「同じ髪型でシャツのカラー、ギリギリまでの長さにして!」とお願いをした。クールの「カット技術」は素人目にも素晴らしく、今までの「床屋さん」とは大違いだった。

「カットって、『植木屋さん』のように、人それぞれ違う頭の形なのを上手く揃える技術が必要なんだ。完全に左右対称の頭の人なんて、いない。それを、残す髪の毛の量でバランスをとって対称に見せるのが難しいし、やりがいがあるんだ」

「美容師って、アーティストだね!」

 このように2人は、最初から打ち解けたようだ。この時から「ポッシュの美容師」は、海外に滞在していた時期を除けば、クールただ1人だけだ。




 こうして「ポッシュの髪」には「パーマ」がかかり。「生まれつき茶色っぽい髪」はそのせいか、「脱色」された。「鏡」には、「色白」でまつげが長く、大きく「茶色い目」をした、襟までかかる「くるくるパーマ」の、「茶髪の少年」の姿が映っていた。クールが、

「いやいや、『女の子』みたいになっちゃったけど、大丈夫?」

 と尋ねてきた。その通り「大丈夫」ではなく、入国時には審査官が「ニヤニヤ」して、

「本当に男なのか?」

 とからかってきた。気が強く英語も話せる祖母が、

「からかうのは、やめてください!」

 と「ビシッ」と言ってくれたので、事なきを得たのだが。

 シンガポールでは当時人気だった「奇妙なオブジェ」で知られる「タイガーバームガーデン」や「マーライオン」などを観光した。本場の「脂っこい中華料理」を堪能したのは、言うまでもない。


 


 一方、「この国の学校の模範となるべき存在」である「東京教育大学付属中学」に通う叔父は、パーマなどは許されず、髪の毛はストレートで短かった。話は逸れるが、某宮家の長男の殿下が「学習院」ではなく、その後進である「筑波大学附属高校」に進学され、「アンチ学習院」などとマスコミにいろいろと騒がれていたが、気の毒だと父は言うのだった。

「おじさんの話を聞いて知ったんだけれど、実は『東京教育大学』の前身は東京師範学校という教育の総本山で、昔は良家の子弟が多く通っていた学校だったんだ。現在は安価な国立ということと、抽選制度となったので、面影はないようだけれど。そのため、現在でも『学習院』とは『院戦』(学習院側からすると『付属戦』)という『陸上』、『水泳』、『バスケ』や『テニス』など様々なスポーツを競い合う大学でいうと「早慶戦」のような競技が毎年実施されているそうなんだ。だから宮様が『学習院』でなく『筑波大学附属』に進学されたのは、別に騒がれるような事はないようなんだ。明治時代から非常に繋がりが深い「兄弟校」のようなものなのだから」

 ということのようだ。



 話を戻すと、叔父の髪型は「ストレートで短髪」なだけでなく、「髪の色」も、より「黒かった」。祖母から受け継いだ「強気の性格」もあり、「眼光は鋭く」、女の子になどは到底見えなかった!彼の学校の「制服」は通常のボタンではなく、「フックをかけるタイプ」の、格好いいものだった。しかし、「制服」が似ていた「国士舘」付属が当時「朝鮮学校」と闘争を繰り広げていたため、ある日その生徒から執拗につきまとわれた。叔父はウザがり、「学生証を朝鮮学校の生徒に叩きつけた」そうだ! 

 このように「キリッとした見た目」と「男らしい強い性格」であり、「格闘技」を好んだ。「女の子のような見た目」をし、「柔らかい性格」で、当時はもう「格闘技」には興味がなくなっていたポッシュとは、「正反対」だった。叔父はその「おどおどした性格」が嫌いだったが、「パーマ」をかけてからは、さらに「嫌悪感」が募ったようだ。こうしてポッシュは、「世界で2人だけの兄弟」であり、しかも「双子の弟」に、嫌われてしまった。

 「パーマ」をかけたこの日から、ポッシュが「叔父の友達」から間違えられることもなくなった。これは、叔父も同じだった。叔父が私服となり長髪になるまでの中3と高1の2年間、2人は「一卵性双生児」には見えなかったのだ。

 そしてこの「パーマ」のおかげで、ポッシュは学内でますます「目立つ存在」となっていた。325人いる同学年の生徒で、ポッシュを知らない生徒はもう殆どいなかった。もちろんスマートの「ケース」とは異なり、「悪い意味」でなのだが......「

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