第10話 ポッシュ屋とIQ公開禁止の日本、帝国ホテル新年プラン
学校の頃の叔父と父の「趣味」に、「切手収集」があった。この「趣味」のおかげで『写楽』や『見返り美人』といった「浮世絵」、『伊勢志摩国立公園』などの「国立公園」や「国定公園」の名前に自然に親しんでいった。上村松園の『序の舞』、黒田清輝の『湖畔』や小林古径の『髪』等の「近代日本画」は、実物を目にした際も、
「ああ、『切手』にあったから、この絵は小学生の頃から知っているよ」
と思い、旅行で訪れた場所が「国立公園」や「国定公園」であるのも、分かっていた。「子供の頃の記憶は老人になってさえも衰えない」というのだから、当然だったのだろう。
そして、今では「マニア」の間では数万円で取引されている、放映当時の「ウルトラ怪獣シリーズのソフビ」も集めていたそうだ!双子は別々の中学に通うことになった時に、その収集品を1つずつ、「ジャンケン」で配分した。大叔父の頼みで「ソフビ人形」は彼等の従兄弟のものとなったが、代わりに手に入れた「SFやミステリーの単行本シリーズ」を山分けしていた。
学校では、ポッシュは友達と「レコードの貸し借り」や「熱帯魚の交換」をしていた。可哀想に、交換した「熱帯魚を28度を保つためにヒーターの上に置いておいたら、いつのまにか煮えてしまった」こともあった。こうした「色々と事件となるような行動をする」ので、「屋上部員」となる前から「目立った存在」だった。
小学生の頃から、ラジオやテレビから流れてくる、「日本の音楽」には興味がなかった。「歌謡曲」や「演歌」などに全く惹きつけられなかったのもあるが、「アナウンサー」や「DJ 」の話す内容がくだらなすぎて馴染めなかったのだ。「IQレベル」や、それ以上に「論理的思考力」や「教養の違い」が理由だと分かったのは、「社会人」になってからだった。
「日本は米国と異なり、自分の『IQ』を教えてもらえなかったからね。小学校6年生の時に『IQ』が物凄く高かったと興奮した担任の先生から電話があったのは覚えているんだけれど、『点数』は知らされなかったから。日本では『飛び級』もないし、『IQ』も話題ににならないから分からなかったんだ」
「『外資系企業』で働くようになってから、『IQ高いよね、いくつ?』とよく聞かれるようになり、『IQ』の存在に気づいたんだ」
「日本のメディアには、『高いIQ』や、それ以上に重要な『じっくり考えて論理を組み立てることで難問を解ける=論理的思考力』を備えた人に合わせたものが、ほとんどないんだ。間違いだらけで突っ込みたくなる、『くっだらないお喋り』。その時間が長すぎる『日本のラジオ』なんて、聞いてられなかったんだ。米国に留学した時にニューヨークで、内容は音楽が殆どで、しかも『スムースジャズ』とか、『オルタネティブ・ロック』とか『特定のジャンルに絞った』曲だけを流すラジオ局を見つけて、初めて『ラジオの魅力』を知ったんだ」
「『スムースジャズ』のチャンネルから流れてくる『アフリカ系アメリカ人』と思わえる『男性DJ』の声を聞いて、男性にも『セクシー・ボイス』ってあるんだって気付かされたよ」
確かに僕と友人の会話でも、「あいつはどこの大学を出ているか」とか、「どこの会社に勤めている」のかはよく出てくるけれど、「IQ」は全く話題にならない。でも、最近は英語の勉強も兼ねてよく見ている「Quoa」という「Q&Aアプリ」では、「IQが150の人は100の人とどう違うんですか?」などの質問も目にするになってきた。上位2%の「IQ」の人だけが入会できる「メンサ」という組織もあるようだ。
日本は「平等主義」なので「IQ」が禁止のようだけれど、ここまで社会に「格差」がついてきている中で禁止しても意味があるのかと思ってしまう。かえって自分の「IQ」が分かったほうが納得できて、よいようが気もする。
「最近は『メンサ』という高IQの人だけが入会できる組織もあって、そこのテストを受ければIQが分かるみたいだよ」
「え、そうなの?それは知らなかった。でも今受けるのと小学校で受けたのでは点数が違うんじゃないかな、『記憶力』や『頭の回転』にはまだまだ自信はあるけれど、若い頃と比べると当然衰えているから」
「『IQテスト』って『パズル』みたいなものが出てきて、『どこの部分が欠けてる』とか、をどんどん答えていく感じだったよね?そうなると、求められている能力は『記憶力』と『頭の回転の速さ』になる。しかし、これでは『論理的思考力』を測ることはできないよね?」
「お父さんはよく『理系なの?』とか言われるんだけど、それは『論理的だから』だと思うんだ。『論理的思考』なのは『数学力が高いからだ』というのが私の解釈なんだ。調べてみると、『数学を大学で学ぶことで『論理的思考力』が上がる』という論文もあったよ」
「お父さんは『物理』や『化学』が唯一苦手な科目で、『数学』は高校生の時の『幾何』も『代数』も試験では90点ぐらいは取れていた。論理的なのは『数学』が得意だったからで、『世間』で思われているように『理系』だからではないんだよ」
「そして90分で4問中2問を解ければ合格となる『東大文系の難解な数学受験問題を解ける能力』は『論理的思考力』であり、『記憶力』や『頭の回転の速さ』を測る『高IQ』とは全く関係がないんだ。『学歴』も、『IQ』も、『論理的思考を持つという意味での頭の良さ』とは相関性が低いので、『高卒でも非常に論理的な方がいる』し、『頭の回転が遅くても優秀な理系の研究者の方はたくさんいる』ということだよ」
「なるほどね~、確かにそう言われると、そうだよね。『高学歴でも?』という人もいるし、メンサについて調べていたら、『メンサ会員でも?』という人がいるそうなので不思議だったんだけど、ようやくわかったよ!」
当時のポッシュは、両親が好きだった米国の「スイング・ジャズ」やフランスやイタリアの「映画音楽」ではなく、従兄弟の影響だった「プログレッシブ・ロック」や「ハード・ロック」などに次第に興味が移っていった。「プログレ」では「イエス」や「キング・クリムゾン」、「ピンク・フロイド」などから入っていった。「ハードロック」では「レッド・ツェッペリン」、「ディープ・パープル」に「ユーライア・ヒープ」がお気に入りだった。
学年でも1、2を争う「コレクター」だったが、それでもいくらあってもいいのが「レコード」だ。当時の単価は「約2千円」と高価だったので、欲しい「レコード」を全て揃えるなど不可能だったからだ。貸し借りごっこをする中で、もう自分は卒業したが同級生はまだ夢中になっている「切手」と、単行本の中でも興味のない「ミステリー本」を学校で売ることを思いついた。
秋も深まり、学校の銀杏も黄色く色づき始めその美しさとは相反する嫌な匂いを漂わせ始めた10月も半ばを過ぎたある日、昼休みと放課後に開催された「切手とミステリー本の販売会」は大好評で、全品が「即日完売」となった。
切手は、「市価の半額」で売った。本は自分は読みもせず冷暖房完備の家で管理されており、カビ臭さなども全くなかった。値段も古本屋さんよりも安くした。切手屋さんや古本屋さんに出向く必要もなく、学校での「出張販売」だった。大人気だったのも頷ける。「即日完売」ってちょっと値段が安すぎたのではと思えたが、カメレオンなど同級生達からは、
「『ポッシュ屋』良かったよ、またやってよ!」
と感謝され、必要がなくなったものの代わりに「レコード」の入手金が手に入り、「ウィンウィン」だったのだろう。
「学校で商売をしても良かったの?」
という「疑念」がよぎったが、許されたのも「麻布の自由の1つ」なのだろう。
「下校」の途中でスリム達と「有栖川公園」で釣りをすることもあった。釣りといっても獲物は魚ではなく、「アメリカザリガニ」だった。裏門近くのパン屋で仕入れた「スルメイカ」を棒の先に結んだ糸につけるだけ。池の水が澱んでいる大きな岩の陰が釣り場だった。もっとも釣ったザリガニを突いたりして遊んだ後にはすぐ逃がすので、家に持ち帰ることはしなかった。今で言うところの「キャッチ・アンド・リリース」だ。
「はらはらと落ちる木の葉に冬みたり」
習い始めた「俳句」を悠長に詠んでいられるほどに、中2の「秋」はゆっくりと過ぎていき、「冬」となった。それが「最後の波乱のないお正月」になるとは、露知らず。この時期はポッシュの「波乱万丈の人生」の中でも一番「平和な時期」だったのかもしれない。
12月になると空は「透明感」も増し、「リビング」から見える「富士山」もより「鮮明」に映っていた。「ポッシュ家」では年末年始は「いつも家事で忙しい祖母」を労うために、「ホテルに滞在するのが恒例」となっていた。祖母が「おせち料理」を作るのが面倒というのが、本当の理由のようだが...... 毎年、祖母が「どのホテルに泊まるか」を決めていた。前年は珍しく京都だったが、盆地のあまりの寒さに祖母は閉口し、その年は再び東京だった。ポッシュは、地元の人に混ざり「知恩院」で除夜の鐘を聞き、「八坂神社」の「おけら詣り」というありがたい火を頂いてくる「行事」も楽しく、京都を再訪したかった。しかし、「マリオネット」の意見など通るはずがない。
「寒いのが苦手なのは、知っているでしょ!」
と一言で却下されてしまった。ポッシュが再び京都を訪れるのは、高2の「修学旅行」まで待たねばならなかった......
ポッシュは「束縛されるのが大嫌い」だ。大人になってからも、「ポッシュほど自由に生きている人は見たことがない」と言われることもよくあった。そのポッシュが、「子供が宝物であり、自分の思うように縛りつけよう」とする母親の元に産まれたのは、どのような「めぐり合わせ」だったのだろうか?
「制約だらけのこの世の中でいきていくために神様が与えてくれた助けだったのだろう」と今では思えるが、当時は「嫌で嫌で仕方がなかった」そうだ。ポッシュにとって「自由」とは、「睡眠」と「食事」の次に「大切」なものだった。
その年は「帝国ホテルのお正月プラン」で「大晦日」の日から3泊4日宿泊して、「新年」を迎えた。このホテルは「旧本館」が後年好きになる「フランク・ロイド・ライト」の設計。曽祖父がまだ現役で「北の島」に住んでいた時の「定宿」で、子供の頃からよく訪れていた。大人になってから名古屋のそばの犬山にある「明治村」に移築された「旧本館」を見た際には、「子供の頃の記憶」が蘇り感動したそうだ。
この恒例の「新年の都内のホテル滞在」は、曽祖父とおじいちゃん、祖母は「社交ダンス」が趣味だったので、ホテル主催の「ダンスパーティー」に行くという目的も兼ねていた。おじいちゃんは「大晦日」まで働いていて「ディナー」に途中から参加することもあった。全く、この時代の「サラリーマンのモーレツな働きぶり」を聞くと、「本当にこの国の話なの?」と思えてしまう。そういうわけで双子達は、夕食が終わると「2人きりで新年を迎えるのが恒例」だったらしい。寂しい「ハッピー・ニュー・イヤー」だ。
「年末年始パッケージ」で宿泊する際は、年が明けると「初詣」に行ったり、「隅田川七福神巡り」などのツアーに参加したり、「日比谷の映画館で洋画を観る」というのがお決まりだった。「ポッシュ家」ではリビングでかかっている「音楽」も、テレビで観る「映画」も、「日本」のものではなく、「海外」のものだった。
「わざわざ『年末年始』に『地方』ではなく、『東京』のホテルに滞在するなんて、『GoToトラベル』で東京が除外で旅行に行けなかった、一昨年の『新型コロナ時代』の『マイクロツーリズム』みたいな話だな~」
と思った。僕には縁がなさそうな「逸話」だ。
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