第7話 何にでも疑問を持ち自分自身の頭で考えるようになれる教育方針

 「麻布学園」は6年間の「一貫教育」であり、当時は各先生が教えたいことを教えているという感じだったそうだ。叔父の通った「教育大学附属」とは対極であり、国が定める「学習指導要領」などは、「徹底的に無視」されていた。特に「化学の某先生の授業」は「中1から高校レベルの内容」を教えてくるので、生徒の「恐怖の的」だった。

「自由を謳歌しているのは生徒だけでなく、むしろ教師の方だったんじゃないのかな?こちらは『学費』を払っている側だけど、教諭は『給与』をもらっているのだから」

 今「大人」になってみて分かるのだが、「好きなことをして給料をもらえる程の幸福はない」だろう。しかも、「画家やミュージシャンのような生活が不安定な個人事業主」ではなく、ある程度高いと言われている「給与が保証され、解雇されることもない」。現在はどうなのか知らないけれど、当時の「麻布の教師」というのは、日本中でも数少ない、「本当に幸せな給与所得者」だったのだろう。

 ポッシュは中1の時は「こうした授業」についてくのが精一杯で、成績も平凡、ちょうど真ん中だった。しかし根が真面目なのと、「バスケ部」を退部後には「帰宅部」の一員として祖母の言いつけに従い一生懸命勉強していた甲斐もあり、中2になると「クラスで7番」になった。

「中1の時とは違って保護者面談の時に担任の先生が、『息子さんは頑張っていますよ、特に英語はいい点数でした。この調子でいけば東大にも進めますよ』と褒めてくれたんだ。そうしたらおばあちゃんが、滅多に見せないような表情で微笑んでいたんだよ。よほど嬉しかったんだろうね」



 ポッシュの成績はさておき、「麻布生の学校生活」に話題を戻そう。彼等の間では、中等部時代でも、昼休みまでの間にお腹が空くので、近くの当時は2軒もあったパン屋さんに「焼きそばパン」などのお腹に残るものや「菓子パン」などを買いに行き好きな時に食べる「買い食い」や、お弁当を昼休み前に食べてしまう「早弁」が「日常化」していた。昼食を食べる時間にさえも、「自由」が与えられていたわけだ。

 「席順」はライバル校のような「成績順」などではなく、まるでその「校風」のように、「適当」に決められていた。「前に座っているほうが偉い」という事は決してなく、むしろ「後ろの席の生徒には早弁の特権」が与えられていた。ポッシュはというと、中学時代にはそこまではできなかったが、大好きな「漫画」をよく読んでいた。


 昼休みには、スリムやスマートという友達と一緒に、昼ご飯を食べていた。ポッシュのランチは祖母の「野菜嫌い」のおかげで、「肉、肉、肉~」という「お弁当」だった!「アルカリ性の食べ物」は、ご飯の上に載った「真っ黒な海苔」だけだ。お弁当の件でも、

「うわ、ポッシュの弁当野菜ない! 真っ黒!」

 とよく「イジられて」いた。もちろん叔父も同じだ!さらに、根が真面目で「よく噛んで食べなさい」という祖母のしつけをよく守って育ったので、「食べるのがチョー遅かった」。それなのに中2の頃には「お喋り好き」になりつつあり、

「ポッシュは食べるのか喋るのか、どちらかにすれば?」

 と、スマートによく嗜められていた。この「癖」は今でも治っていない。



 「文化祭」も終わり、新緑も段々と濃くなりその美しさが失われつつあった6月初頭のある「数学の時間」。「高校クラスの授業」が行われるので、殆どの生徒は内容が理解できていなかった。「学園トップ」のスマートとその他の「トップクラスの生徒」達が、「ああだ、こうだ」と議論をしていた。皆が理解してくれないのに「イラッ」としたのかスマートが、

「ポッシュなら、分かっているよね」

「ああ、これこれ、こうだよね」

「うん、そうそう!」

 と、満足そうな笑顔を見せた。他の「お勉強家の生徒達」は、大して優秀でもないと思っていたポッシュが「スラスラ」と回答を述べたので、呆気にとられていた。「鳩に豆鉄砲だ!」と思わず「クスッ」と笑ってしまった。曽祖父達との議論の中で磨きをかけた「自分の頭で考えるという術」で、その難解な問題を解けたのだ。


「麻布の入試でも『因数分解』を使わない『算数』で、『難問』を解いていたじゃん。それを『進化』させただけなのに、なんで『秀才君達』はできないんだろう?」と当時は不思議だったようだ。



 「今なら分かるけれど、『秀才君た』ちは麻布では授業を受け、家に帰っても『受験勉強』をしているだけの、自分の頭で考えることができない『エセ麻布生』だったんだよ。恐らく今は『外でもマスクをして歩いている』と思うよ」


「お父さんはこの3年間『COVID-19』について、『免疫教授』に次々と『疑問』をぶつけて『回答』してもらったので、『相当理解できている』と思っている。例えば、『オミクロン株』は『接触感染』や『飛沫感染』が主体だった『従来株』とは異なり、『空気感染』が主な原因とされている。就業時間である8時間ほどの長時間、換気の良くない室内で一緒にいるとうつるわけで『家庭や老人ホーム、学校や職場での感染がほとんど』とされている。だから、『居酒屋やライブ会場でのクラスター』は起きていない。政府も『屋外ではマスクをしなくて良い』と言っているわけだし、当然我々は『屋外ではマスクを外して、手首にかけて歩いている』んだ。しかし、殆どの人はマスクをしていて、こちらを凝視してくる。『そんなにマスクをしたいんだったら中国に移住すればいいのに』と思っちゃうよ。『自分の頭で考えて行動する本当の麻布OB』だったら、マスクなんてしているはずはないんだけどね」


「分かってはいるけれど、みんながしているからしている人も多いんじゃないのかな?」

「だから、特にJr.の世代は『他人がどう思うか』を気にしすぎるんだよ。『ワールドカップ』で観衆が大声で叫び、歌って応援していても、『クラスターのニュース』なんて一つもないよね?『この島国』の住人は『井の中の蛙』が多くて、『マスクをしている自分が白い』と思っているみたいだけれど、『世界基準で見ると実は黒い』ことに気づいていないんだ。」



 麻布は「御三家」と呼ばれながらもライバル校とは異なり、実は「東大の受験には全く役に立たない授業」が多かった。そのため、教師に従順な「中等部時代」は真剣に授業を聞く生徒が多かったが、「高等部」になると真面目な生徒までもが、「進学塾で教える内容の受験勉強」を行う、いわゆる「内職と呼ばれる行為」をするようになる。

 そうした中、「受験勉強のやり方」など、自分達自身の頭を使って、勝手に「コツ」を掴んでしまう生徒も多かった。「塾で教えられる勉強法」を全て「鵜呑み」にしている「エセ麻布生」は、「IQの高さ」や「論理的思考力」ではなく「勉強量」で入学してきた、「せいぜい半分」というところ。「麻布の無機質な灰色の世界」で育つと「何事にも疑問」を持ち、「雑誌にこんなことが書いてあったけど、これ違わかない?」と容易に信用しないように育っていく。「自分の頭で考えて、『確かにそうだ』と納得するまでは、信じない」のだ。



 「塾のような授業を行う中高一貫校」が現在はあるのだが、「そうした学校の生徒」と比べると、「麻布に通っていること」は「東大受験の上ではハンディ」を負っている。その代わりに麻布生は「自由の尊さ」と、この「島国の国民が苦手」な「全てに疑問を持ち自分でものを考える」という「術」を、自然と身につけていく。ルネッサンスにたとえると「地球の周りを天が回っている」と神父様に説かれても、「マジかよ、逆じゃね?」とコペルニクスのように考えるのが、「お勉強量だけで入学したのではない真の麻布生」なのらしい。

 人にはすぐに騙されてしまうが、父もテレビで放映されている内容などは容易に信じることはまずなく、「Jr. もネットで欧米のマスコミの和訳版を読むようにしなさい」と、中学時代からしつけられた。おかげで「芸能人のスキャンダル」や「お隣の半島の情勢」などマスコミが騒いでいる話題よりも、「地球温暖化」から「#Me Too」、「ブレグジット」などに関心があるようになれたのには感謝している。



 この国の「サラリーマン」は上司に指示された仕事をこなすのは「得意」だが、新事業開発や起業は「苦手」だといわれている。それは「戦後の受験教育の弊害」だろうと、ポッシュは言うのだ。

「ある私立大学受験の過去問で『睡蓮を書いたのはモネか?マネか?』というどうでもいい問題があったのを覚えている。その問題を目にした時に、『そんなクイズに当たっても絵画を理解したことになどなるはずがない』と、『嫌悪感』を覚えたからなんだ。『こんな大学に入って威張っている奴らと、それを持ち上げている世間の気が知れない』とね。反対に、大学の卒業旅行で初めて『革命と自由とグルメの国の有名美術館』に行った時に、先生に連れられた子供達が一生懸命にその解説を聞きながら『睡蓮の絵に見入っている』のを見て、『これこそが本当の絵画教育だ!』と思ったんだ」

「自分の目で見て、考えて、『好きな絵』ができればいいわけで、『誰が書いたかなど、どうでもいい』んだよ。評論家が『酷評』していたとしても、『その絵を好きであっても恥ずかしいことなんて、なんにもない』んだ。なぜって、それは『人の価値観の問題』なのだから」



 「高度成長期」に「この島国の人間」は、「発明はできない」が、「器用で物真似が得意」なので「高品質のものを安く作っている」と、欧米人からいわれていた。しかし、「アップル」が手本にし「ウォークマン」などを次々と生み出していたかつての「ソニー」の例にあるように、決してそうではないと思う。父の言葉通り、「民族」ではなく「教育」の問題じゃないかと、「麻布の教育方針」を説明されて考えるようになった僕だった。

 「麻布生は外資系投資銀行などには多く在籍し上手くやっている」という話も聞いたが、「自由な風土」で育ち、「自分の頭で考えられる」卒業生が多いからなのだろう。



 「ホリエモン」こと堀江社長が「ライブドア事件」で収監されると、当時大学生に人気となり始めていた「ウェブ企業」は「就職人気ランキング」から滑り落ち、それから10年も経った僕達の就活時代には生活が安定している「公務員」や「昔ながらの大企業」が「人気ランキングトップの常連と」なっていた。「グーグル」や「アップル」などの「ウェブ企業」が「投資銀行」や「コンサル」と並んで人気の米国とは大違いで、まるで「タイムマシンで昔に戻った」かのようだった。

 そして、かつての「自動車先進国から後進国となっていた」米国からは、21世紀になると電気自動車会社「テスラ」が生まれ、2020年7月1日、遂に「トヨタ」の時価総額を抜いてしまった。「自動運転技術」では「グーグル」の兄弟会社の「ウェイモ」が先頭を切っている。「トヨタ」や「ボルボ」が提携した周辺の物体との距離を測り周囲の3Dマップを作成する「レーザーセンサーのLidar」を手がける「ルミナー・テクノロジーズ」が上場を果たしたが、CEOは僕達と同じ世代の25歳だったそうだ!

 こうした状況下で東大などの「一流大学」に入学し、「大手自動車メーカー」に就職できたとしても、その会社は20年後に存続しているのだろうか?このコロナ後の「不確実性の時代」を生き抜く為に今の「中高生に必要な教育」は、「東大やその先にある大企業に入る為の受験のテクニック」を覚えられる「新御三家型」のものではなく、「テスラやルミナーに入社するのに必要な自分の頭で考える術や起業に必要な創造力」を養成してくれる、「麻布のようなタイプ」が適しているのではと、考えてしまった。



「平校長に『毎年の新入生への式辞をまとめた本』を頂いたんだけど、その中にも、『麻布学園の精神は江原素六先生の創立以来、自由闊達な校風のもと、自主・自立の精神を養う』と書かれているんだ。お父さんの言っていることもあながち嘘じゃないだろう?」

「平校長が『タブラ・ラーサ、真っ白な白紙の状態、から中学生活が始まる』と語られているんだけど、『真っ白なキャンパスにどのような絵を描くのかは、まさにその生徒次第というのが麻布流』なんだよ。だから、『色々な職業につく人が生まれる』んだろうね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る