第4話 小学校時代 光輝く太陽だった弟と影の月だったポッシュ

 ポッシュの弟、僕の叔父は、「東京教育大学付属中学(現在の筑附)」に進学していた。


「一卵性双生児だったからなのか、瓜二つだったんだよ。お互いの友人でさえも、間違うぐらいだったんだ。叔父さんの学校方面に住んでいる私の友達から彼は、『あれポッシュ、こんなところで何をしているんだよ?』とよく間違われていたんだ」

 

 先に産まれたのが弟で後からが兄というのがその頃の祖国では一般的だったが、「海外留学経験」もある曽祖父の影響なのか西洋化された家庭で、先に生まれたポッシュが兄だった。


 「一卵性の双子」は珍しく、後述のように転校生だったので、小学校では目立っていた。同級生の家でも話題になっていたらしく、両親から知識を仕入れたのかいつも聞かれていた。

「ポッシュが後から生まれてきたんだよね?」

「僕が先だよ」

「え、そうなの? それじゃあ、双子って片割れに何かが起きたらわかるっていうのは本当?」

「いや、『テレパシー』とか、そういうの全くないから」

「嘘!隠しるんでしょ?家の親はそう言ってたよ」


 ポッシュは「アート・マネジメント」の勉強のために、前世を生きたという北「部に存在していた国家」を併合した「西の島国」の首都に、アラサーの頃に滞在した。紹介された女性彫刻家のアトリエを訪れると、お決まりの「おもてなしの紅茶」を出してくれた。「向こうの島国」では有名だった「バーバラ・ヘップワース」風の作品に囲まれ、紅茶をすすりながら、お互いについて語り合っていた。「一卵性双生児」の彼女は、ポッシュもそうだと知ると、尋ねてきた。


「貴方は『太陽』と『月』と、どちらだったの?」

「え、どういう意味?」

「あら、『東の島国』では言わないの? この国では『一卵性の双子』は、子供の頃はどちらかが『太陽』で、もう片方はその『影』だとする伝承があるのよ。もっとも大人になるにつれ、『陽』は『陰』に近づき、『影』は『光』に変わるので、結局は同じようになるのだけれどね」

「あぁ、それなら僕は間違いなく『月」だったよ」


 昔から好きだったという「ムーディー・ブルース」の名曲「メランコリー・マン」のように孤独な人間で、小学校時代から物思いにふけることが多かったからだ。要するに、「根暗」だったのだ。


 反対に叔父の「小学校高学年時代」は、光輝いていた。いつも笑顔でクラスの人気者の「学級委員」。「ソフトボール投げ」も、「50メートル走」も、学年でトップ。勿論勉強もできたので、「文武両道」だった。

 同じクラスのポッシュはというと、「学級委員」の選挙では3位で「書記」にもなれず、2人が「選手」となる「50メートル走」も3位で「補欠」。4クラスある学年では5位で他のクラスなら「選手」になれたのだから、当時から「ツキ」がなかったのかもしれない。


「『一卵性双生児』に『テレパシー』があるというのは『都市伝説』だけれど、『ツキ』は『二人で一つ』なのかもしれない、『同じ一つの卵』から産まれたんだから」

「子供の頃から叔父さんはついていてお父さんがついてないのは、親も認めていたんことなんだ。『家族麻雀』をやっていても、『漫画』を読みながら付き合いでやっている叔父さんは勝つんだけど、真剣にやっていて上手かったお父さんが、いつも負けていたんだ」

 

 叔父の笑顔は普通の日本人には到底真似のできない、「ハリウッド映画」の俳優のように、輝いていたようだ。兄弟げんかの最中に、怒っている叔父に向かってポッシュが「ちょっと笑ってみてよ」と言うと、次の瞬間には『満面の笑み」がこぼれたそうだ!

「『大魔神』の怒りが収まったシーンみたい!」

「これなら、『運命の女神』が弟に味方するのも仕方がないな」

 と、自分がついてないことを諦めたそうだ。

 

 同じマンションに住む「有名音楽家」の息子の下級生が憧れていたのも、叔父だった。「懐かし漫画」の『タッチ』に登場する双子ほどの差は無かったが、間違いなく叔父が「カッちゃん」で、ポッシュは「タッちゃん」だった。そして「ミナミ」のように、駄目なポッシュの方が好きだという女の子は、残念ながら存在しなかった。



 ポッシュが「赤面対人恐怖症」になったのは、小学校4年生の「学芸会」の舞台だった。おとなしいその性格を直してやろうと考えたのか、元気いっぱいの先生が「ワッハッハ、ワッハッハ」と豪快に笑う役をつけてくれた。練習で何回やってもできなかったが、代役を立ててもらえなかった。

 仕方なく「本番の舞台」で大勢の観客の前に立ったポッシュが「ははは~」と小さくはにかんだように笑うと、会場は「爆笑の渦」に包まれた。「学芸会」が終わった後も、何かとからかわれてしまった。

 叔父にはおよばないまでも、「スポーツ」、「勉強」、「喧嘩」と全てに秀でていたポッシュの、唯一の「葬りさりたい失敗」だった。


 ところで、確かに「西の島国」の彫刻家の話にあったように、「太陽」と「月」との明確な区別があるのは「子供の頃」だけのようだ。

 大学生の頃には「おしゃべり」という接頭語が名前の前につけられていた叔父の「明るさ」は翳っていき、父は反対に明るくなっていったからだ。

 明るい「太陽」も暗い「月」もお互いに歩み寄り、「陰陽併せ持つ人間」が象徴する「地球」というものに変化したというところだろうか?


「でも今でも好きな女性アーティストは『ビリー・アイリッシュ』、『メラニー・マルティネス』に『ラナ・デル・レイ』だから、『根暗』の本質は残っているみたいなんだよね」

「特にラナの『サルヴァトーレ』は大好きだしね。最初に聴いた時にはJr.のおじいちゃんが大好きだった『ティノ・ロッシ」』の『ルナ・ロッサ』を思い出したよ。といってもお父さんがこの曲を覚えていたのは大好きな『カエターノ』が『イタリアでのライブ盤』で歌っていたからなんだけどね」


 ポッシュは中2の頃までは、「喧嘩」に自信があった。「小学校時代」に、都内だが小3の春、小4の秋と複数の「転校」を経験していた双子達は、「転校生」の常で、いつも「いじめ」に遭った。現在と異なり、当時のそれは「言葉」でなく「拳」だったので、それこそ「ガキ大将」と「蹴り合い」、「投げ合い」の「喧嘩」をした。

 投げ飛ばすのと蹴るのには抵抗はなかったが、なぜか「殴る」という行為だけは暴力的で、好きになれなかった。「顔」は特にだ!

 当時は先日亡くなった「アントニオ猪木」やジャイアント馬場などが活躍していた「プロレス黄金時代」で、兄弟は毎日「プロレスごっこ」をしていた。実戦で鍛えて「喧嘩慣れ」しており、身長も高く小太りだったので、「多勢に無勢」を、実力と根性で「対等の喧嘩」に持ち込んだ。暫くすると「ガキ大将」に認められ、「学校ピラミッドの頂点」に入るのが常だった。

 

 それが「中学受験」の為に「プロレスごっこ」もしなくなり、「支配層」に入ったので学校では「喧嘩」もなく、小5から中2までの間、「暴力とは無縁の生活」をしていた。さらに身長は5センチ伸びて160センチになったが体重は遺伝なのか増えなくなり、いつの間にか「細身の体型」となっていた。

 そして、小学生の頃には普通だったのだが、「中学入学」の頃には「可愛い生き物」に変わっていた。その後のポッシュは女の子から「カワイイ」とはよく言われたが、「カッコイイ」と呼ばれることは「皆無」だった。それには、大学生まで待たねばならなかった。

 「小学校時代の喧嘩における栄光」を知らず、「童顔で女の子のよう」だったポッシュを怖がる同級生など、存在しなかったのだ!からかわれたポッシュが「殴るぞ~」といっても、「キャハハ、殴ってみろよ~」と全く相手にされなかった。「等身大の鏡」など家にはなく、体型もその頃は気にも留めなかったので、「容姿の変化」に気づいていなかった。エロプティ達からすると、ポッシュが「自分は喧嘩が強い」と本気で考えているとは、思いもよらなかった。

 もっとも暴力が嫌いなポッシュは、小学校時代も転校生へのいじめに対する「正当防衛」で「喧嘩」をしていただけだった。「殴る気」など全くなかったので「言葉自体」も重みがなく、「冗談」にしか聞こえなかったのだろう。このようにポッシュはいつの間にか、「いじめっ子キャラ」から「いじられキャラ」へ、変わっていたのだ!



 「小学校時代」から将来を考えることに長けていたポッシュは、中学に入学すれば「エスカレーター方式」で大学まで行けて「共学」の、「慶応義塾中等部」が「第1志望」だった。しかし「合格発表の会場」で、「受験塾」の入試さえ通らなかった同級生が子供のくせに「ご立派なスーツ姿」で並んでいるのを見つけた祖母は、「慶応入学」を許さなかった。

 その結果ポッシュは、その意思に反して、男ばかりの「麻布学園」に入学する羽目になった。「中等部2年」当時のポッシュは、家では「女王」のように振る舞う母親の言いなりだった。東大に合格させ「一流企業」に入れるという「彼女の願望」により「麻布学園」に入学させられた、「マリオネット」に過ぎなかった。

 そんなポッシュが好きなものは、「西洋の歴史に絵画、映画とその音楽、UKロック」、「難解でしっかりとした思想を持つ漫画」だった。「漫画」も、欧米を舞台にしている作品がお気に入りだった。

 「自分は本当にこの島国の人間なのだろうか?」と思うほどに欧米、特に「革命があったグルメとワインの国」に憧れていた。「この島国」のものには、全く興味がなかったのだ。



 ポッシュの家には、友達がしょっちゅう遊びに来ていた。家に人を呼ぶのが好きだったのと、世話好きな祖母が大歓迎したからだった。祖母は友達がくるといつも、


「いらっしゃい、よくきてくださったわね、うちのポッシュは頼りないので仲良くしてあげてくださいね」

 と、丁寧に挨拶をする。そして、コーヒーやケーキを出してくれる。トランプや流行していた「人生ゲーム」などの「ボードゲーム」で遊んでいると、

「お腹すいたでしょう? 何か取りましょうか?」

 と、鰻やお鮨などの「出前」まで頼む。お蕎麦やスパゲッティの場合もあったので、


「ポッシュの家に行くとお鮨が食べられるって聞いてたんだけど、スパゲッティじゃん!」

 などと、「お鮨目当て」の友達にイジられることもあった。どうも、ポッシュに人気があったわけではなさそうだ。


 客観的に考えても、麻布からも近い「渋谷のマンション」で、「綺麗なお母さん」がもてなしてくれて「美味しいご飯」まで食べられるのだから、誰だって「大歓迎」だったのだろう。

 この「人を呼びたがるという習性」は大人になっても変わらず、家には多くの友人が遊びに来ていた。

容姿だけではなくこの辺りも、「前世を生きたという国」の人達に似ていたのかもしれない。

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