第3話 外見も中身も日本人ぽくないポッシュの家とその家族

 ポッシュの実家は渋谷と原宿のちょうど中間の高台にある「コンドミニアム」、日本語では「マンション」。その時代には珍しい「メゾネット」で、特注の家具は「ミッドセンチュリー」風だった。「GE」製の押せば氷が出てくる「製氷機付き」の大型冷蔵庫の中は、食材で満ち溢れていた。「アメリカナイズ」されていた家庭だったので、「コカ・コーラ」や冷凍されたステーキ用の牛肉、「ハインツ」の「ケチャップ」や「マスタード」が常備されていたそうだ。

 キッチンとダイニングの間は西洋風の鶴が油絵で描かれたスライド式の「パーティション」で、仕切られていた。「ペンダントライト」は中心から伸びた8つの枝の先に球形のランプがついたもので、東の島国では10年ぐらいまでは主流だった白色の「蛍光灯」ではなく、リラックスできる暖かい「電球色で」リビングを照らしていた。

 その頃はまずお目にかかれなかった「洋式トイレ」に、「セントラル・ヒーティング」の冷暖房も完備されていた。

 玄関のある上の階の居間は西側に面していた。夕暮時には西陽に輝く富士山とポッシュが目指すことになる大学の「時計台」が眺められた。徐々に夕闇に包まれていく景色はとても美しかったが、なぜか物哀しく感じられた。


 場所は「渋谷公会堂」のすぐ裏で、ちょうど9時頃に帰宅すると「ジャニーズJr.」の誰かに似ていたらしく、出待ちの女の子達に「キャ~キャ~」いわれることになるが、それは高校生の頃の話。

 高等部時代のポッシュは、まつ毛は長く眼は茶色でパッチリ、髪の毛も茶色く、鼻は西洋人並みに細くて高く、よく女の子達から「ハーフかクォーターなの? 髪は脱色しているの?」と聞かれていた。

 社会人になり歯医者の友人ボッシーに、

「この島国の人はあの大御所芸人のように出っ歯やすきっ歯が多いんだけど、ポッシュの歯は内側に向いていて、歯と歯の間隔が凄く狭く、珍しいんだよ。だけど食べ物が挟まり歯垢がたまりやすいから、『デンタル・フロス』でちゃんと掃除しないと駄目だよ」

 と言われるようになる。当時はそんな知識もなかったので、皆と同じで歯磨きしているだけだった。しかし米国に留学した時に、歯ブラシで磨くだけでなく「デンタル・フロス」を使っている白人の同級生を見て、彼の言葉を思い出した。


「そうか、この人達は歯と歯の間が狭いから、いつもフロスを使っているのか」

「失敗した、ボッシーの言うことを聞いていればこんなに虫歯にならずに済んだのに」

 余談だが、その頃南米出身の友人から聞いた、「Tバック」よりもさらに細くてお尻を隠す部分が一筋の線のみのラテン系女性に人気の水着が「フロス」と呼ばれていた。英語でググると、近年では欧米でも人気のようだ。


 ポッシュは白人の特徴を外観的にも内面的にも備えていたが、親族に「白人系」、英語で言うところの「コケージャン」は存在しなかった。この島国の人間らしくはないが、そうは言っても完全に西洋人というわけでもない。

「自分は一体何者なんだろう?」

「この島国と新大陸の中間の太平洋の真っ只中か、欧州との間のシベリアに自分の居場所があるのでは?」

 と悩んでいた。後年外資系の会社を退職した時に、白人の米国人とこの島国人の「ミックス」で仲が良かった女の子から、

「この機会に私達が大好きなN.Y.C.に移住しない?」

「え、まだ付き合ったばかりだよね?それに向こうで仕事が見つかるかもわからないじゃない?」

 と、誘いを断った。しかし彼女はその後本当にニューヨークに移り、高級宝飾ブランドのプレスとして採用された。「やはり本物は行動力が違うな」と思い知らされたそうだ。

 そして近年「イスラエルの失われた10支族」が日本に渡来したという説にたどり着き、ようやく長年の悩みから解放された。「伊勢神宮」と縁があり、「広隆寺」、「八坂神社」、「下鴨神社」、「八幡宮」など「秦氏」と関連する場所に、なぜ惹かれていたのかをだ。


 ポッシュの家族は、祖父と両親、双子の弟の5人だった。

 僕が会ったことのない父の祖父は「ボルサリーノ」のよく似合う紳士。「帝国」や米国への留学経験もあるクリスチャンで、学者だった。当時はもう引退していたので、一日中家にいた。

「お父さんが帰宅すると、学者仲間がよく遊びに来ていて、『坊やも一緒に話し合おう』と、『議論』に加わるように誘われたんだよ。特にツルゲーネフ好きの『ゲーネフ』と呼ばれていた先生には、可愛がってもらったんだ」

 このように中学時代から「名誉教授」達と「議論」をして育ったので、「一方通行の先生の授業を聞くだけ」のこの国の教育しか受けていなかったのに、ポッシュの最も得意なものといえば、「議論」だった。頭の回転が速かったこともあり、「議論」すると、まずは負けなかった。

 そう、家族の中でポッシュに最も影響を与えたのは、僕にとっての曽祖父だった!


 ポッシュの父、僕のおじいちゃんは、若い頃は俳優になればよいといわれていたハンサムな「商社マン」。平日は接待や同僚との飲み会や麻雀で「午前様」なので、顔を合わせることは殆どなかった。朝たまたまトイレに起きて洗面所で会うと「元気か?」と声をかけられた。その際の記憶しかなかったそうだ。

「髭を剃りやすくするために柔らかくしようとしていたのかなぁ、いつも湯気のたったタオルをほっぺたに当てていたのだけれど、それがおかしかったんだよ」

 当時のサラリーマンは、日祝だけが休みの週休1日だった。その貴重な休日も「接待ゴルフ」や「冠婚葬祭」で潰れることが多く、日曜でさえ会うことはあまりなかったからだ。

「日本の高度成長期は、自分達が作ったんだ」とこの世代の方々は「誇り高げ」に自慢するが、あながち「嘘」とは言えないのかもしれない。「週休1日」で「サラリーマン生活」を続けていける人なんて、僕たちの世代にはまずいないだろう。「ありえね~」って感じだ。

「週休2日」で祝日が「世界トップレベル」まで増えた今日でも、まだ足りないぐらいだ。僕自身も、「テレワークがいつまでも続いてくれて週2回オフィスに出るぐらいがちょうどいいのに」と、思っているのだから。


 ポッシュの母、僕の祖母はおじいちゃんより歳上で勝気だが、当時の写真を見ると一見は上品で清楚な「奥様」。大きなサングラスをかけて「セーラム」のメンソールをふかしているイメージだったそう。今ではあまり存在しない「専業主婦」で、僕の彼女からすれば羨ましい存在なのだが、いつもこう口ずさんでいたそう。

「ああ、今日も買い物や洗濯、掃除や食事の支度で大変だったわ〜」

 自分が誰よりも大変なのだと心から信じていた。体力だけではなく、職場の人間関係やお客様に気を遣う営業という職種だったおじいちゃんが、その数十倍も大変だったと思うのだが。

「外食も、年末に都内のホテルに泊まるのも大変な祖母を労うためが理由」だと聞いた時は、子供心にも驚いた。「レストランを選ぶ決定権」も、殆ど祖母が握っていた。


「テーブルにはこれも食べなさい、あれも食べなさいと何種類ものメインディッシュが用意されていた。お婆ちゃんの作る料理はどれも美味しくて、子供の頃からそれに慣れているので一番の趣味が食べることになっちゃったのかもね」

 そして、食事の際の飲み物はなぜかいつも「牛乳」だった!牧場育ちの曽祖父から「健康にいいから牛乳を飲みなさい、チーズを食べなさい」と子供の頃から言われ続けていた。「チーズ」は不味くて受け付けなかった(もっとも某社の6Pプロセスチーズだったからで今では大好物だ)ので、「牛乳」は毎食必ず飲むようになった。

「小学校の給食でもお供は牛乳だったから、他の家でもそうだと思っていたんだよ。麻布に入ってから他の家ではお水かお茶だと聞いた時には、またいじられてるのかと疑ったよ」

 その習慣は、実家を出て米国に留学したときに、治ったそうだ。

「どうも、『牛乳』を本当に好きなわけではなかったみたいなんだ。今考えると、『ステーキ』と『牛乳』なんて合うはずはないよね」


 「刷り込み」とは恐ろしい!「新興宗教」にはまる理由の一つかもしれない。

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