第2話 当時の麻布学園と平校長の改革による現在の姿

  「麻布学園」は共に名作SF小説であり漫画化やアニメ化もされている僕の大好きな『銀河英雄伝説』や『幼女戦記』で「帝国」と呼ばれる某国の大使館がある麻布地区。その丘の上にある、「名門」と呼ばれる男子校。4分の1の卒業生は、最高学府である「東京大学」に進学する。米国に例えると、東部名門校8校で構成される「アイビールック」で一世を風靡した「アイビー・リーグ」に進学する為の「プレップスクール」にあたるような学校だ。

 しかし、マスコミによる「お金持ちのみが東大に行ける」という風評とは異なり、当時の在校生は「サラリーマン家庭の中流階級」出身が多かった。学年一の秀才、細面でイケメンのスマートの言葉に、ポッシュも頷いた。


「よくこんな高級住宅地に、中流の子弟が通う学校の為の広大な土地を購入できたよね」

「確かにね~」


 6面だったかの「テニスコート」、200メートルトラックを備えてサッカーもできた「運動場」、バスケットやバレーボール用の「体育館」、「卓球場」、さらに柔道や剣道を行う「柔剣道場」や「講堂」もあった。正門を入ると左側には中庭があり、それを囲むようにして3階建ての校舎が建っていた。この校舎の上にはポッシュの人生を変えた「屋上」があり、その奥には高2の時に勇気を示すために頂上まで登った「櫓」もあった。

 エロプティとの追いかけっこが行われていたのは、教室が並ぶ校舎の廊下だった。エロプティはそのあだ名通りちっちゃくてエロ好き、天パの可愛い顔をした少年でキューピッドのような容姿をしていた。

 

こんなに広い敷地にも関わらず麻布には緑が殆ど存在せず、無機質なコンクリートでできた灰色の世界というイメージだった。シュガーという園芸部員が1人で世話をしている小さな花壇があるにはあったが、それ以外に樹木や植物などにはあまりお目にかかれなかった。

 こうした環境の中で自然と麻布生は、他人に頼らず、良い意味では「独立独歩」、悪い意味では「助け合わない」という性格に育っていく。友達同士が助け合うという僕の母校「慶応」とは真逆の世界だ。理想とする友情をテーマにした「映画」や「漫画」を見るたびに父は、


「あ~あ、やっぱり『慶応中等部』に行きたかったな~」

と呟いていた。学園物最大テーマの「同級生同士の切ない恋」なども、経験したかったのだ。


 校風は良くも悪くも「自由」で、生徒の自主性に任せるというものだった。「独創的な人材」を育成することを、教育方針としていた。そのため、卒業生には政治家や大企業の重役、弁護士や医師などの当時の成功者像そのものの方も勿論いたが、反面、ミュージシャンや脚本家、発明家、「塀の向こう」に入られた方まで存在した。

 ポッシュの「麻布学園」の同期は約325人。300人が定員なのだが、東京教育大学附属駒場中学校(現在の筑駒)などに流れる生徒もおり、10%程多く合格させていた。ポッシュの代はほぼ全員が入学していた。学年は6組に分けられ、クラスは54人の大所帯となる。


 

 緊張していたせいか、ポッシュには初めて登校した時の記憶が殆どない。元気いっぱいで優しい体育科の担任の島田先生のことは、よく覚えている。しかし初めてできた友達、ムーミンに出会ったのは、登校何日目だったのかもはっきりとしない。

「偶然なんだけど、ムーミンもお父さんと同じで一卵性双生児だったんだ。調べてみたらその出生率は0.4%だから、お父さんとムーミンが出会えた確率は0.16%。これって、交通事故で死亡する確率よりも低いらしいんだよ。何か縁があったのかもしれないね」

 ムーミンはそのあだ名の通りの、おっとりしたいい人という印象だった。


 色々な生徒と混じり合う方がよいという学園の方針で、毎年クラス分けがあった。ポッシュは中1では1組、翌年は4組だった。高校卒業までに毎年クラス替えがあったが、全ての生徒と同じクラスにはなれなかった。

「どのようにしてクラスに生徒を割り振っていたのかは、実は分からないんだ。中高と6学年あり、6クラスあるのだから、今まで同じクラスになっていない生徒と可能な限り一緒にしようとすれば、殆どの生徒と知り合える計算になる。だけど、お父さんが知っていた生徒は、全体の半分にも満たなかったんだ。『できるだけ多くの生徒と同じクラスになるようにしている』という学校側の説明に最初は、『なるほどな』と思ったんだけど、実の所は怪しいよね」

「どうせあの教師達は、あみだで決めているんじゃないの?」という噂もあったようだ。


 そう、当時の「麻布学園」では、教師に対しての尊敬の念が欠けていた。「自分の方が頭いいじゃん!」とか勘違いしていた、馬鹿な生徒も多かった。頭の良さや学歴で人間の優劣を判断すべきではないのに、どうも「麻布生」にはそういう傾向があった。教師を呼び捨てにするのも、普通に行われていた。

 中学校、高校はそれぞれ同じクラスで、同級生との友情を育みつつ、運動会や文化祭、修学旅行などでクラスの仲間との「共同体意識」を抱かせる。同時に、他クラスと対抗させることで、社会で生きていくために不可欠な「競争意識」を持たせるというのが、当時「日本の教育のあり方」だった。やはり「麻布学園」は、そうした観点からも、「独自の方針」を持っていたのかもしれない。


 授業は朝8時25分から始まり、1時限45分の授業の後には10分の休憩がある。午前中は4時限、11時55分からの昼休みを挟んで、14時35分に6限が終了する。

 学内は「学園紛争」の後で荒れ果てており、トイレはもちろん、廊下の壁までも「スプレーでの落書き」が溢れていた。その中には「卑猥なマーク」なども多数あり、メッセージも、とても公開できるような代物ではなかった。

 男子校だからなのか、掃除さえきちんとする生徒は少数だった。誰が始めたのか、箒で掃いたごみを塵取りで取って捨てずに教室の後ろに並んでいるロッカーの隙間に掃き入れるという感じで、汚いことこの上なかった。3億年前から存在する「全世界の女性の敵ともいえる昆虫」とも、毎日のように遭遇する有様だった。

「『御三家』などと呼んでくれていた学外の方には感謝の念は絶えないんだけど、実情は酷いものだったんだよ」

 僕の大好きな海外人気ドラマ『ゴシップガール』に登場する「プレップスクール」とは真逆で、「セレブ感ゼロ」だったといっても誰も異論は無いそうだ。

 

 

 しかし、先日父は平校長に学内を案内してもらい、あまりの変化に驚いたそうだ。

「落書もないし、床にはゴミひとつない、ゴミ箱まである!これって本当に麻布?」

「汚いまま放置しているから生徒は更に汚くする、綺麗にしていれば彼等も綺麗にしようという気持ちになるんだよ」

「なるほど、校長の仰るとおりですね!」


「Jr. 、やはりリーダーの存在は組織では非常に重要なんだ。リーダーが優秀だったら、組織はよくなる。それは学校も同じだよ。図書室も案内してもらったんだけど、生徒の要望を聞いて受験とは関係のない書籍も購入しているそうなんだ。メキシコのマヤ族の歴史の本や聖書の原点である『死海文書』に関する書籍なども豊富にあった。『蔦屋』がつぶれていくような現状では入手しようとしても転売屋のせいで5千円以上はしてしまう名作映画。そのDVDのコレクションも凄かったよ。こんな図書館が当時からあったら、1日中いても飽きなかっただろうな。今の『麻布生』が羨ましいよ」

 平校長のおかげで、「麻布生」の生活環境は格段に改善されているようだ。

 

 現在とは異なり当時の「麻布学園」にはまだ「標準服」と呼ばれた実質上の「制服」があり、殆どの生徒は黒いボタンが特徴の詰襟の「標準服」を着ていた。6限目が終わると帰宅する過半数の生徒が属するのが「帰宅部」で、ポッシュもその1人だった。

 他には剣道からテニスやスキーまで様々なジャンルがある「スポーツ部」、鉄道や漫画の研究会などの「文化部」の生徒もいた。彼等も殆どが、「標準服」を着用していた。

 ところが「屋上部」は、「派手なシャツ」に「キツキツのベルボトムのジーンズ」、「ロンドンブーツ」と呼ばれたつま先部分が5センチ、ヒールは15センチほどもある「超厚底靴」を履いていた。休み時間に屋上に集まりタバコを吸い、近くのスナックを溜まり場にして酒も飲む。彼等は「別世界の人間」であり、ポッシュ達一般の生徒は、できるだけ近寄らないようにしていた。


「先生も手を焼いている屋上部になんか入っちゃうと、一気にエリートコースから落ちこぼれるよ」と囁かれていて、当時はまさか自分がその一員になろうとは思いもよらなかったのだ......

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