麻布学園屋上部
松田遼司
第1話 1970年代と現代の世相比較、格差問題の原点
もう10年ほど前になるだろうか、「麻布の丘の上にある学校」の校長に平秀明氏が就任、社会的にインパクトのあった父の同期を招待した。「当時一世を風靡していたウェブ企業」の役員だった父も招かれたそうだ。校長はそれぞれの社会的貢献を聞いているうちに、ある共通点を見出した。「屋上部に代表される『部活?』やその『校風』が原体験となり、麻布の卒業生は尖った人生を送っているのではないか?」と。
それを聞いた皆の意識は自ずと「屋上」へと向かい、「青春時代」を回顧した。すると、このような「特異な人材」は突然変異で生まれたのではなく、「麻布学園が与えてくれる自由」の中で、良しも悪しも含めた「遊びを極め」、音楽や歴史、絵画などの「教養も身に着け」、「恋愛もしながら」、「多感の時を駆け抜けてきた」からではないのか......
「教師の言葉さえ決して鵜呑みにせず、全てのことに疑問を持ち、世間の常識など顧みず、自分の頭で考えて決定、行動に移すのが麻布生」なのだと。「そうした中で己を知り、進路を決めている」のかまでは、定かではないが....
「事実は小説よりも奇なり」この言葉は実は日本の「格言」ではなく、英国のロマン派詩人バイロン卿によるもので、”Tis strange, but, true; for truth is strange; Stranger than fiction......”という『ドン・ジュアン』の中の一節の和訳だそうだ。
そしてこの小説は、父からこの時を初めとして数回にわたり聞いた実話に基づく、「平和なはずの学生生活が波乱万丈となってしまった、ある有名中高生徒の、本当に本当の、物語」である。「山あり谷ありの人生をいかに生き抜いていくかを示す人生訓」ともなるかもしれない。
「このエロプティ、殴るぞ~」
「キャハハハ、ポッシュ、殴ってみろよ~」
「よ〜し、後悔するなよ」
と、追いかけっこが始まった。1970年代、新緑が美しく気候も1年で最も清々しい5月も半ばを過ぎた頃、父ポッシュの中2の昼休みは、いつものように過ぎていった。以下父の回想と僕の感想を混じえながら、話を進めていこう。
「Jr.、あの時代は『1億総中流』という言葉が広く流布しており、国民のなんと9割が、中の上と下という差はあったが、『中流』に属していると考えていたんだよ。殆どが正社員で、役員と平社員との給与の差も小さかったんだ」
非正規社員と正社員との格差が問題となっている今からすると、ありえない話だ。つまり、世界史の授業で習ったマルクスとエンゲルスが唱えた、「平等で公正な社会を目指すという社会主義の理想」を歴史上唯一達成したのは、どうもこの時代の我が祖国だったようだ。当時のこの島国の住人達は、自分では気づいていなかったのかもしれないが、「世界で1番幸せな国民」だったのかもしれない。
「今の時代に『社会問題』となっている『認知症』を扱った『恍惚の人』、農薬や界面活性剤、食品添加物などの危険性を指摘した『複合汚染』が『ベストセラー』となってはいたけど、『自分達とは関係のない未来の話』だと、あまり気にかけてはいなかったんだよ」
この頃には「新3種の神器」と呼ばれた「カラーテレビ」、「クーラー」、「自動車」の、英語流にいうと「3C」が、普及し始めていた。殆どの家庭が車を所有していた「自動車大国時代」で、現在のように自転車が多いのはこの国ではなく、中国の方だった。自転車よりも自動車が多かったわけだ。車も現在のように黒ではなく白が主流で、赤や青など様々な色が溢れていた。車に限らず、衣服にも当てはまった。
「当時のサラリーマンは『ドブネズミスーツ』と揶揄された灰色のスーツを着ていたけど、若い世代のファッションは男性でも黒などの暗い色は少なく、カラフルだったんだ」
最近亡くなった「ピエール・カルダン」や伝記映画も公開された「イブ・サン=ローラン」などが、流行し始めていた。東京のオシャレな若い世代は、殆どはライセンスものだったが、今日のように「ユニクロ」ではなく、海外の1流ブランドを身に着け始めていた。
「今の日本のファッション・ブランドだと、「サカイ」はシックで洗練された中にも鮮やかな色のウェアも揃えているから、応援したくなるな~」
車どころか派手であるべき女性のコートでさえ黒や紺が多いなんて、彼等の世代からするとあり得ないそうだ。この国では「失われた30年」を経て将来に希望が見出せず、自然と暗い色を好むようになったのだろうか?心理学者ではない自分には、真相は解明できないが.......
「Jr.、マスコミが喧伝する話を鵜呑みにするのは最も危険なことなんだ。確かに彼等が主張するように、非正規社員が増えたことが格差の一因なのは、間違いはない。『内閣府の調査』によれば非正規の割合は平成2年(1990年)には女性が38.1%、男性が8.8%だったのが30年後の令和2年(2020年)には女性は54.4%、男性も22.2%になっている。だけど、労働派遣法改訂を推進した当時の小泉首相と竹中特務大臣が槍玉に挙げられているのはお門違いだよ。特に竹中氏はパソナの重役についていることもあり「売国奴」などと強く非難されているけれど、悪いのはこの二人じゃないんだよ。顔を見れば悪い人ではないのは分かるでしょう?」
2004年の小泉政権下で竹中大臣が推進役となり、「労働派遣法」が改訂された。その結果、製造業でも派遣として働けるようになり、派遣期間の上限が3年間となった。この結果、3年での「雇い止め」が常識化し、非正規社員急増を招いたとされている。
「上記の内閣府の調査のグラフを見れば分かるように、平成16年(2004年)には既に女性の非正規労働者の比率はほぼ50%、男性は16~17%。16年後の令和2年(2020年)に54.4%と22.2%なのだからほとんど変わっていない。 『厚労省の白書』にあるように、非正規雇用者が増えたのは『バブル崩壊』や『金融機関の破綻』があった1990年代、小泉政権誕生以前の話なんだ」
「それに2000年には、『紹介予定派遣』という正社員になることを前提とした制度も始まっていた。『3年後に正社員として採用されるはずだ』との思いで、彼等は『労働法』を改訂したという見方もできるんだ。コスト上昇を嫌がる企業やそれを支援する族議員の反対で『義務化』までは踏み切れなかった可能性もあるよね?」
確かに政府の2つのデータを見ると、父が言うように、世間で噂されている話と事実は、どうも異なるようだ。そして、国民のために良かれと思ってやったことが想定どおりにいかずに、今になってから過去の事を都合のよいように掘り返されているという見方も確かにありうると感じた。
「このように、自分の頭で考え、調べて、自分の眼で事実を確認するのが『麻布流』なんだ。もしもこの件について『マスコミの喧伝』に乗ってしまっている『麻布OB』がいるとしたら、『何も学ばず、お勉強だけしかしないで有名大学に入っただけの名ばかりの麻布生』だよ!Jr.には、人の話は自分の目で確認するまで信じない人間になって欲しいんだ」
「非正規社員が増えたことの責任は、実は企業にあるんだ。3年間も一緒に働いてきた仲間を『雇い止め』するなんて、ありえないよね。彼等を守れなかった上司や、人事の責任でもあるんだ。上の命令で仕方なかったなどの言い訳をするんだろうけど、そんなのは、『いじめ』はしていないけれど見過ごしているのと同じことなんだよ!」
「『聖書』や『神曲』にあるように悪いことをした人が『地獄』に行くのか、『来世』が存在して『スラム街』に産まれてくるのかまでは分からない。だけど、そうなるのは小泉元首相や竹中氏ではなく、彼等を中傷する人や非正規社員を守れなかった人なんだ。こうして考えると、『天国』に行ける人なんて1割もいないんじゃないのかな?現代の日本人は、『自己利益実現』のために、『神頼み』をするだけだ。『絶対的な存在を信じる宗教心』をなくしてしまっている人がほとんどだから、こんなことになるんだよ。毎日『善行を積むことだけを考えて、生きる』。これが、『宗教心を持つ』ということなのだからね」
父と同じような考え方をする「麻布生・OB」がどれぐらい存在するのか、非常に興味がわいてきた自分だった。
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