第37話 贖罪

 高井凛が死んだ。

 しかし私の生活は何も変わらない。相変わらず男のような見た目だし、家庭は虚構の円満さを維持していた。


 クラスメイトたちのほとんどはそれぞれ気まずさを押し殺し、高井凛という存在をまるで無かったものとして振る舞い、普通の生活を送っていた。意外なことに田中くんすらも特段落ち込んでいる様子はなかった。


 一方で、高井凛の自殺に大げさに傷ついた素振りをみせる生徒も一部いた。不登校になったり、保健室で過ごすなどしていた。私が知る限り全員、ハブられたあとの高井凛に一言も励ましの言葉をかけたことがない生徒だった。


 旧校舎の屋上でちょっとした追悼式が行われた。学校としては、生徒の自殺という事件をあまり粒立てたくないのか、希望者だけを募ったひっそりした追悼式だった。転校してきて間もない、ということもあり彼女について語られる言葉はどれもありきたりで陳腐なものだった。それでも集まった生徒たちはすすり泣きを上げた。私はその芝居がかった様子にうんざりして、追悼式が終わらないうちに、屋上をあとにした。高井凛と上っ面ではなく、本当に心を通わせていた人間はひとりもいなかったのだとあらためて理解した。その追悼式に田中くんの姿は無かった。





 ほどなくして、私は自責の念に駆られるようになった。


(高井凛も結局、被害者じゃないか。――不倫をしたのは母親であって、責められるべきは母親だ。彼女が母親の不倫を知っているかどうかは分からないが、それでも私と同じ立場だった)


 なぜ私はあそこまで高井凛を憎んでいたのか、きっかけはなんだったのか、もはや思い出せなかった。追悼式の翌日以降、旧校舎の屋上を訪れるものは誰もいなかった。お供えの花はすぐに枯れた。放課後、屋上で私はひとり泣いた。間もなく屋上は施錠された。


 



 私の後悔は日増しに大きくなり、すぐに耐え難いものになった。だから私は決心をした。

 朝の全校集会で私は体育館を抜け出した。真面目な生徒だと思われている私は体調不良を担任の教師に訴えるだけで良かった。実際、顔色は悪かっただろう。

 私は保健室には行かず、職員室に向かった。教師は体育館にいるので、誰もいないはずだった。

 しかし、その目論見は外れた。いや、むしろ外れて良かった。もし誰も居なかったら職員室は施錠されていただろうから。

 職員室の扉は開かれていた。顔馴染みのない教師が二三人、自分のデスクで作業をしていた。みなパソコンに意識が集中している。

 私は腰を屈め、職員室に侵入し、音を立てないように気をつけながら、素早く職員室の中を移動した。そして鍵がかけられた壁のところまで行くと、目当ての鍵――見るからに古びていたのですぐにそれと分かった――を取ると、素早く職員室を脱出した。


 そして次の日。その日は休日で学校は閑散としていた。私は旧校舎に忍び込んだ。階段を屋上まで上る。扉は施錠されていたが、持っていた鍵でなんなく開けることが出来た。

 屋上は最後に見たときのままだった。献花はすっかり枯れて散り散りになり、手紙は雨に濡れ、水染みと滲んだインクでもはやその内容を読むことは出来なかった。


 私は死のうとしていた。高井凛と同じように屋上から飛び降りて、死んで詫びようと思っていた。思い詰めるあまり、それが私の果たすべき義務だと信じて込んでいた。

 しかしまるで臭いものに蓋をするかのように屋上は施錠され、追悼式の時のまま放置され、今では朽ち果ててしまっている花々や手紙を見ると、私は急に怖くなった。


(死んだら、こうなるんだ)


 私が屋上から身を投げたとしても、誰も私の贖罪の意図に気がつかないだろう。――遺書を遺しでもしないかぎり、他人ひとがそれと気が付く術はない、そのことは当然はじめから理解している。しかし、その死に何か意図や意義を見出そうとする他人ひとの心の動きを私は知らず知らずのうちに期待していた。だが、この屋上に存在するのは「無関心」――ただ、それだけだった。


「――ああっ!!ああぁーーーーーっ!!」


 気がつくと私は獣のように絶叫していた。花や手紙、その場にあるものを手当たり次第掴み、屋上から外に向かって投げ捨てていた。


(終わりじゃない。――まだ、終わっていない)


 私は心の中で何度も繰り返した。

 なにが終わっていない?――自分でもよく分からない。強いて言うならば、高井凛という存在、だろうか。孤立した人間は、、虚無に飲み込まれてしまうのか。私はそれを認めたくなかった。


 高井凛がハブられるようになった発端は私だ。その自覚と罪の意識はある。だから私は今ここにいる。その一方で、だって共犯じゃないか、という強い気持ちもあった。致命傷を与えたのは彼らじゃないか。

 そうであるにも関わらず、彼らは綺麗な花と体裁の良い言葉とともに高井凛という存在に蓋をし、無かったものにしようとしている。


(お前らが蓋をした結果どうなったか、見せてやる。その腐敗を見せてやる)


 私は夢中で朽ちた花を投げ続けた。

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