第33話 茶番劇の準備 警察の見守る中
ここは長年母の作品を模写していた場であり、両親から受けた愛情を再確認する場でもある。
「それでは右の画架に本物の『魚座の涙』を、左の画架に仕掛けのあるキャンバスを並べます。あとは絵の具ですね。母の予備を使えば、色合いも似せられると思います」
「それってかなり古くないか、
「どうせ古い絵の模写なんだから、真新しい絵の具を使うよりは色合いも自然になるはずだよ」
「そういうものか。まあ絵に関しては義統の意見が正しいんだろうけど」
「僕の腕前が落ちていなければ、だけどね。もし落ちていたら満足な模写は期待できないと思っていいよ」
いちおう謙遜はしておくべきだろう。すでに何枚も模写していますとは言えないからな。
「義統くん、タイマーをセットしていいかね。本当に二時間で仕上がるのか、確認したいんだが」
「うーん。あまり焦りたくないのでタイマーはちょっと。まあ僕にわからないようにならかまいませんよ」
「そうさせてもらうよ。時間と出来上がりを確認したら、これからも模写が必要になったさいに描いてもらえたらありがたいんだがね」
「相応の対価があれば嬉しいんですけどね」
「それも今回の出来次第だよ。捜査報償費を払うに足る実力があれば、きちんと支払うかなね」
「警察のお墨付き、ということですか。まあ絵で食べていくのをあきらめるくらいですから、あまり期待はしないでください。どうせ駿河に吹き込まれたんでしょうけど」
「義統、なんでも僕のせいにしないでくれよ。確かに模写したらと提案したのは僕だけどさ。絵の模写といったらお前しか浮かばなかったんだよ」
「あれから何年経ったと思っているんだ。じゅうぶん錆びついているとは考えなかったのか」
「悪いと思っているよ。でもお前ならできそうだなと」
「才能を買ってくれるのはかまわないけど、あとで失望するなよな」
駿河に応対しながらコンテや油絵の具を揃えていった。
「よし、これで準備は万端です。今から模写を始めますので、できれば出ていってほしいのですが、まあ本物をすり替えられかねませんから、後ろで静かに見ていてください」
「そうさせてもらおうか」
「お茶が入り用でしたら、また冷蔵庫からお持ちしますが」
「いや、配慮には及ばないよ。どうせ君の作業を見守らなきゃならないからな」
「わかりました。それでは集中して描きますので、できれば音を立てないようにしてください。トイレは一階にありますが、あまり家の中を歩き回ってほしくはないので、一声かけてください」
そう言い残すと、忍は真っ白なキャンバスの前に座り、コンテでかるくデッサンすると、そのまま油絵の具を塗り始めた。
◇◇◇
たいしたあたりもとらず、開始五分程度からどんどん油絵の具が塗られていく様を、浜松と駿河そして高山西南がまじまじと見ている。
おそらく「なんて模写の仕方だ」と怒られそうだが、油絵の模写は塗る順番と筆致の引き算で生み出される。それさえ見切れれば、いきなりキャンバスに向かってもすらすら描ける道理なのだ。
開始五十分ほどでだいたいの絵が完成していた。ここからは細部を詰めることになる。
当分見栄えの変わらない状態が続くことになる。
まずは遠景を、そこからどんどん近景へと移っていき、主要なモチーフである人魚とその涙を正確に写し取っていく。
さらに細かく筆を走らせる。もうあらかた出来上がっているだが、もったいをつけるようにわざと時間をかけてみる。
「ふーっ。ここまで来たので休憩させてください」
浜松の許可を得ようと
実際にはほとんど完成しているのだが、あえて細部で手を抜いてある。もっと細部を突き詰めれば、寸分違わぬ出来になるだろう。
「かまわんよ。君のペースで描いてくれ。ひと息入れるのなら途中経過を確認してもいいかね」
「今はまだあまり人に見せられるレベルじゃないんです。もう少し集中して細部を書き加えていかないといけません。でも依頼者ですから、いくらでも確認してくださって結構ですよ」
忍はアトリエを出て一階へと上がってきた。
今の段階でも駿河は過去の忍の出来を思い出せるだろう。しかし、今回はその予測を超えなければならない。誰が見ても瓜二つに仕上げなければ、警察も納得できないだろう。
とはいえ、完璧な模写ではかえって警戒されかねない。ある程度の頃合いで仕上げるべきだろう。
トイレに入って用を足すと、冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出して、地下のアトリエへと戻った。
「義統くん、私たちもトイレを借りていいかね」
「かまいませんよ。一階の玄関を入ってすぐ左がトイレです」
「わかった。では失礼して」
浜松と駿河が一緒にアトリエを出ていった。
残された高山西南は忍に語りかけた。
「どうも初対面を演じるのも難しいですね。それにしても開始一時間二十分でここまで似せられるとは。しかしデッサンの狂いは一緒なのですね。やはりこれがあなたのクセということでしょうか」
「はい、僕はどうにもデッサンが甘いんです。母や父からもデッサンの勉強を続けるように言われていました。でもなかなか直らないものです」
「ここからどれほど似せられるのか。楽しみにしていますよ」
「ありがとうございます。私もできうるかぎり似せようと思います。警察がこの模写が使えると判断しなければ、私に盗ませる絵が用意できないのですから」
「義統さんとしても、この模写は盗むに値するものになりますか」
「そういうつもりで描いています。警察の方には悪いのですが、徹底的に似せますよ。どちらが本物か見分けがつかないくらいに」
「それにしても、驚くほど手が早いですね。油絵でここまでのスピードとは。普通何か月もかかるんじゃないんですか」
「普通に描いたらそうなりますね。ですが、私は見たものを写しているだけですから、それほど時間はかからないんです。元となる絵を再現するだけなら、それほど時間もかかりません」
ふたりの会話が弾んだ頃、浜松と駿河がアトリエへと戻ってきた。
「では、ここからが正念場です。どこまで細かく真似できるか。また物音を立てないようにしてください」
忍はキャンバスに向き合った。
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