第8話 VS.ドラゴン



「よくきたな、勇者のまつえいよ」


 希愛のあ絢音あやねが最後の力をふりしぼり、ガケをはい上がっているとき、ドスの効いた低い声に話しかけられた。おそるおそる前を見ると、そこには真っ黒なウロコにおおわれた何かの足があった。ドラゴンだ。大きな真っ黒いドラゴンが静かに腰を下ろしている。全身がウロコにおおわれ、両肩には巨大な翼がついている。その姿は圧巻だった。圧倒される。


 カッコいい…。


 敵ながら感心してしまう。まさに伝説のドラゴンの姿だ。それに比べて、今の希愛の姿は不恰好だった。地面にうつ伏せに倒れ、地面をはっている状態だ。少し、ではなく、かなりダサい。


 もう少し、声かけを待ってくれてもいいのに。


 希愛は心の中で毒づく。


 だって、主人公とその敵のドラゴンの戦いなのに、全然あたしが主人公っぽくないじゃない。


 心の中で不満をたらしながら、最後までガケを上がり切ると、希愛はすくりと立ち上がった。

 大きい。


 立ち上がったのに、首を大きく後ろに倒さなければ、ドラゴンに目を合わせることができなかった。本当なら、恐怖で足が震えてもよさそうなのに、あまりに現実離れした存在に足も震えない。


 希愛と絢音、ドラゴンの間に乾いた風が吹き荒れる。


 沈黙を破ったのはドラゴンだった。


「お前たちが取りに来たのはこれだろ?」


 ドラゴンの手にはお城のオルゴールが握られていた。手中にあるオルゴールがキラキラと輝きを放っている。


「オルゴール!ちょっと、おじいちゃんのオルゴールを返して!」


 絢音が物怖じせずに一歩前に踏み出る。


 絢音ちゃんは、すごい。あんなにでかいドラゴンが怖くないのかな…。


 よく見ると絢音の足は震えていた。


 こわくないわけ、ないよね。こわくても、立ち向かってるんだ。…絢音ちゃんはカッコいい。あたしなんかより、ずっと『主人公』っぽいな。


 希愛は内心落ち込みつつ、絢音の横に並ぶ。絢音だけに恐怖を背負わせるわけにはいかない。


「簡単に返すわけがなかろう!これは城の宝だ。魔力がたくさん込められている。これを食らって我はさらに強くなるのだ!」


 そういうとドラゴンは大きく息を吸い込み、そして、火を吐いた。とても、とても真っ赤な火だ。


「危ない!」


 直後、絢音が希愛の前に出て、盾をかまえる。ドラゴンの火が真横に跳ね返された。絢音のせなか越しに熱が伝わる。少しだけ、暑い。


「ハッハッハッ。賢者の盾か。全く、めんどうなものをもってきよって。だがな、勇者のまつえいたちよ。かくれるばかりでは、オルゴールは手に入らないぞ」


 ドラゴンは火を吹き続ける。真っ赤な色が目の前に広がる。その度に、絢音が盾になり、ふん張った。絢音の顔が苦しそうにゆがんだ。


 このままじゃ、ダメ。あたしも戦わなくちゃ!


 希愛は自分のほほをパチンと両手で叩くと、鞘から剣を取り出して、かまえた。が、剣はずしりと重く、地面へと吸い付けられる。うまく持ち上がらない。持ち上がったとしても、持っているだけで精一杯で、振ることなどできない。


「いつまで守備をするのだ。攻撃しなければ、延々と勝てないぞ?」


 ドラゴンが挑発するかのように、細かな火を吐き降らせる。それに応えるように、絢音が炎をはじいた。


「絢音ちゃん!どうしよう!この剣、重くて持てないの…!鞘に入ってる時はすごく軽いのに、手に持った瞬間、重くなるの!」


「えっ、どういうこと?」


「だから、重くて持てないの!持てたとしても、振り回せないよ!もしかしたら、あのエナジードリンクはこの時のためにあったのかも…」


 その考えに思いいたって、全身から血の気が引く。周りはドラゴンの炎で暑いのに、体温が五度くらい下がったような気がする。


 どうしよう。


 どうしようが頭の中を埋めつくす。そうしている間もドラゴンは攻撃をやめない。絢音が必死でそれを受け流す。誰も待ってはくれない。誰も希愛の代わりに戦ってはくれない。


 あたしは、どうしてこんなにも、弱いんだろう。こんなんじゃ、『主人公』だなんて口が裂けても言えないよ…。


「希愛ちゃん!想像の力だよ!強く強く、望んで!強い力をって、望んで!ここは希愛ちゃんの想像力で開いた世界。だから、希愛ちゃんの願いはきっと…」


「無理だよ!」


 反射的に絢音の言葉をさえぎってしまった。


「無理だよ!想像の力は散々試したでしょう?オルゴールは帰ってこなかったし、ウサギの傷も治らなかった。ドラゴンだってなかったことにできなかった。今さらそんなものにたよったって、仕方ないよ!」


「試してみなきゃわからないでしょ!」


 必死の顔で絢音が叫ぶ。絢音の体力はそろそろ限界なのだ。


 あたしだって、想像力でなんとかできるならなんとかしたい。こんな状況、絶対イヤなんだから。

 希愛は剣を両手でしっかりと握りしめて、目を閉じる。


 どうか、どうか、どうか。願いを聞いて。あたしに、強い力を!


 何度も何度も心の中で唱える。だけど、一向に力がわく気配はない。ためしに片手で剣を持ってみるけれど、重すぎてすぐに剣先が床についてしまった。


「絢音ちゃん、ごめん…。やっぱり…ダメみたい…」


「そんな…!」


 絢音のせなかが暗くて、重くて、切ない。絶望が伝わる。


「なんだ?反撃しないのか?ずっとそうやって盾の後ろにいてもかまわないが、それだと世界が滅んでしまうぞ?ほれ、みてみろ」


 ドラゴンは火を吐くのをやめ、遠くを指さした。その方向に目を向ける。遠くにある森があせていく。緑が消えていく。色が失われていく。緑はじわじわと茶色に変わり、生命が途絶える。草木がすごいいきおいで枯れているのだ。


「なに、あれ…」


 言葉がそれ以上でなかった。


「我は大地からエネルギーを得ている。今この瞬間、火を吐くために大地のエネルギーを吸っているのだ。お前たちがねればねばるほど大地は荒れるぞ。だが、お前たちが宝をあきらめるのならば、我はエネルギーをうばわなくてすむ。お前たちのことも見逃してやろう」


 ドラゴンがしゃべっている間にも自然は失われていく。環境破壊。生活の授業で見た言葉が頭によぎった。


「お前たちのせいでどんどん大地が死んでいくぞ。あきらめるなら早いほうがいい」


 ドラゴンが優しげな声で呼びかける。先ほどまでのドスの効いた声とはまるでちがう。子どもを説得するような優しくあたたかな声だった。希愛はじっと遠くを見つめる。今も大地はだんだんと枯れていっている。


 あのウサギさんの森もこうして破壊されていってしまうのかな。お城の周りの草花も林も消えてしまうのかな。それは、イヤだな。


「お前たち、戦う力がないんじゃないのか?その女が持っている剣、使い物にならないんじゃないのか?ここで戦っていても苦しいだけだぞ。戦って、何になる。オルゴールを取り返して、何になる。大地が滅びることに比べたら、オルゴールの一つや二つ犠牲にしたっていいじゃないか」


 追い打ちをかけるようにドラゴンがささやく。希愛の口は自然に開いていた。


「そうだよ…。絢音ちゃん、ドラゴンの言う通りだよ。戦うのを、やめよう。オルゴールがなくたっていいじゃない。この世界にずっといたっていいじゃない。帰る必要ある?ここにいればずっと非日常でいられるんだよ?お姫様でいられるの。それってすごく楽しいことだと…」


「なに言ってるの!」


 絢音の怒鳴り声がいきおいよくぶつかってきた。こんなに怒った絢音を初めてみた。


「なんであきらめちゃうの!ここまで来れたのは希愛ちゃんの力があったからなんだよ!私には無理だったんだ…。オルゴールの世界に行くのも、想像力を働かせるのも。でも、希愛ちゃんはできた!しかも、説明もなしで、一回でだよ?それって本当にすごいことなんだから!」


「そんなこと言われたって…!あたしだってあきらめたくないよ!でも、でもさ…。あたし、なにもできないんだ。力がないんだ。想像力でなんとかしようったって、現実はそう簡単にうまくいかないものでしょ。…あたしの想像力の力は取り上げられてしまった。そんなあたしになにができるの?あんな強いドラゴンにどう戦ったらいいの?…あたしには主人公の資格なんてなかったんだよ…」


 希愛はうつむく。自分の無力さにうちひしがれ、自分が信じられなくなってしまったのだ。視線を絢音に向けたとき、絢音の鋭い視線がばちりと希愛をつきさした。


「主人公がどうだとか、そんなの、関係ないでしょ!主人公だろうが脇役だろうが、希愛ちゃんはすごい子なんだよ!……私、本当はイヤだった。私はできなかったのに、希愛ちゃんが一発でオルゴールの世界に行けたのも、私が盾で希愛ちゃんが剣なのも、じいやがドリンクくれた理由が希愛ちゃんを守ってあげてっていうことだったのも。全部全部イヤだった」


「絢音ちゃん…」


「…でも、希愛ちゃんのそばにいて、希愛ちゃんがどれだけ優しくて、どれだけステキな人なのかわかったの。希愛ちゃんってね、最初はネガティブなんだけど、覚悟を決めたらまっすぐ前を向くんだよ。すぐに状況を理解する力もあって、いつも冷静に想像力を働かせるの。すごいって思った。私はなにも考えないで動くクセがあるからね、冷静な希愛ちゃんに助けられてたんだ」


「それ、初めて聞いた」


「初めて言ったもん。……あたし、ずっと希愛ちゃんがうらやましかったけど、うらやましがるのも、ヤキモチやくのもちがうって思ったの。希愛ちゃんは希愛ちゃんのできることをしてるんだから、私は私のできることをしようって思えたから。…希愛ちゃんが主人公かどうかなんて、わからない。でも、私にとって希愛ちゃんは尊敬する人だし、大切な仲間なんだ。私は希愛ちゃんに力があるって思ってる。すごい子だって本気で思ってる。たとえ、希愛ちゃんが信じてなくても、私は希愛ちゃんのことを信じてる!」


 希愛は知らなかった。絢音が希愛のことを尊敬していることも、仲間だって思ってくれていることも、信じてくれていることも…。


 心の奥がじんわりとあたたかくなるのがわかる。


 この気持ちを絢音に伝えたい。


「そんなの、あたしもだよ…。あたしも絢音ちゃんのこと、尊敬してる。仲間だって思ってる。あたしのくだらない妄想話をバカにしないで聞いてくれたのは絢音ちゃんだけだった。全部受け入れてくれたのは絢音ちゃんだけだった。あきらめそうになったとき、はげましてくれたのは絢音ちゃんだった。…絢音ちゃん。ありがとう。あたし、もう一度自分のこと信じてみるよ。絢音ちゃんが信じてくれるから、もう一度…」


 希愛と絢音はお互いの顔を見合って、うなずいた。


 あたしは、もう迷わない。


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