第7話 岩山をのぼろう

 


 ウサギが去り、取り残された希愛のあ絢音あやねは天高くそびえる岩山を見上げる。

 なにもまとっていない岩場はトゲトゲしく、来る者を拒んでいるような気配がある。空気が異様に冷たい。


「なんだか、さみしいところだね…」


 絢音がボソリとつぶやいた。


「うん、そうだね…。でも、あたしたちはなんとかしてこのさみしい岩山を登らないと。この上にドラゴンがいるんだから」


 希愛がそういうと、絢音は大きくうなずく。


 それから希愛と絢音は頂上までの道を探し始めた。しかし、探せども探せども道らしき道はない。


「この山、人間が通れそうな道がないよ」


 希愛は岩場のかげから顔を出し、絢音に伝える。


「だねぇ…。自力で登らなくちゃいけないのかも…」


 絢音の突拍子もない発言に、希愛は目を大きく見開いた。


「この岩山を?そんなの無理だって!」


「無理じゃないと思うなぁ。ほら、あそこの岩場、ちょっと平らになってるでしょ?あそこに足をかけて、その次の平っぽいところに足をかければ、どんどん上に登れると思うんだけど」


「本気で言ってる…?」


「もちのろんだよ!」


「絢音ちゃんはちがうクラスだから知らないかもしれないけど、あたし、運動能力ゼロなんだよ?校庭にある鉄棒も、うんていも、登り棒も、ちゃんと使えたことがないんだから!」


「あ、わかる!実は私も運動音痴なんだよね」


「『わかる!』じゃなくって…!二人して運動音痴なら、こんな険しい岩山登れるわけないでしょ?」


「それは大丈夫なのだ!ふっふっふっ、天才科学者アヤネちゃん、こういうときのために秘薬を用意しておきました!」


「秘薬…?」


 絢音はガサゴソとリュックの中をあさり、栄養ドリンクのようなビンを一本取り出して、高く持ち上げた。


「テレレーン!『筋肉ムキムキエナジードリンク』でーす!」


「きん…にく…ムキムキ…?」


「そっ!筋肉ムキムキエナジードリンク!その名の通り、これを飲んだ者は筋肉ムキムキのモリモリになるのです!」


「そんなまさか!」


 希愛はあっけにとられてしまう。


 こんなに都合のいい道具がいきなり出てくるなんて、できすぎている。上手い話にはウラがあるってママも言っていた。


「まさかと思うでしょ?本当なんだなぁ、これが。……あのね、希愛ちゃんには黙ってたんだけど、この秘薬、じいやからこっそり預かったの。『姫さまは非力だから、いざという時にこれを飲んで姫さまを助けてください』って。なんかよくわからないんだけど、魔物のエキス?かなんかが入ってて、ムキムキと力が出るんだって!」


「…本当に?」


 希愛は目を細めて絢音の瞳を見つめる。


「本当だってばぁ!こんなところでウソついてどうするのさ。それに、希愛ちゃんも知ってるでしょ?この世界はなんでもありなこと。お城やドラゴンや魔物…。ヘンテコなものがたくさんなんだから!魔法のエナジードリンクがあってもおかしくないの」


「そうかもしれないけど…」


 なんだか納得がいかない。でも、この世界がヘンテコっていう話は納得できる。そう言われると、この飲み物も本物な気がしてきてしまう。


「モノは試しってやつ!ほら、飲んでみよ!ちなみに一本しかないから二人で半分こにするけど、いいよね?」


「うーん…。他に方法もないし、しかたないか。……よしっ、わかった。飲む!」


 希愛は絢音からドリンクをひったくると、息を止めて、ゴキュ、ゴキュっと半分だけ飲んだ。一気に飲んだ。マズいのを覚悟で飲んだのだ。だけど、希愛の予想に反して、すごく美味しかった。どこかで飲んだことのある味。そう、これは多分、リンゴジュース。

 探検服のそでで口元をぬぐう。


「わぁーぉ。すごい飲みっぷり」


「はいっ。次は絢音ちゃんの番っ」


「ん、ありがとう」


 絢音も希愛にならい、手渡されたドリンクを一気に飲み干した。


「……ねぇ、これ」


 絢音は目を見開いて、ドリンクと希愛を交互に見る。


「めちゃめちゃ美味しくない?私、ちょーマズいのを想像してたのに!」


「美味しいよね?リンゴジュースの味に似てるような…気…が……」


 ドクン。


 とつぜん、心臓がはねあがった。言葉が鼓動にさえぎられる。


 ドクン。ドクン。ドクン。


 心臓の音に合わせて体中に熱がめぐる。熱い。すごく、熱い。


 希愛は立っていられず、その場でしゃがみこんだ。


 熱い、熱い、熱い。耐えられない。体が熱くて涙が出てきそう。


「あ…ぁ…つ…」


 言葉にならないうめき声が希愛の口からこぼれる。


 希愛はゆっくりと息を吸い、ゆっくりと息をはきだした。


 落ち着け。落ち着け。大丈夫。きっと、大丈夫。なんてったってあたしは、この世界では最強のお姫様なんだから。


 なにが大丈夫なのかわからないまま、心の中で呪文のように唱える。そうでもしていないと、体が辛くて、たえられそうになかったのだ。


 しばらくして体の熱が引いてくると希愛はもう一度、ゆっくりと深呼吸をした。余裕が出てきたのか、今の自分の状況を冷静に見ることができるようになった。


 汗がふきでて、服に張り付いてすこしだけ気持ちが悪い。となりの絢音も顔を真っ赤に染めてうずくまって泣いている。


 この状況を見るに、こうなった原因はおそらく、あの謎のエナジードリンクだ。


 名探偵ノア、完ぺきなる名推理。


「の…あ…ちゃん…。だい、じょう…ぶ?」


 息も切れ切れに絢音が希愛を心配する。だいぶ熱が引いた希愛は冷静をよそおい答えた。


「うん。なんとか…ね。絢音ちゃんは?」


「私も、大丈夫…」


「よかった。……ねぇ、コレってドリンクの力だよね?」


「たぶん…。でも、じぃやはこんなに体がつらいなんて教えてくれなかった…」


「なんでだろう…。つらいって教えたら飲まないって思われたのかな?まさか、じいやがニセモノを渡すわけがないし…」


 本当に?


 言葉にしたとたん、心の中で自分の声がする。じいやとは出会ったばかりだ。じいやがどんな人で、何が好きで、何が嫌いなのか、ということすら希愛は知らない。つまり、じいやがいい人かどうかを判断できるほどの材料がないのだ。


 もしかしたら、じいやはドラゴンの手下なのかも。だから、古い地図をわたして、あたしたちを混乱させたのかもしれない…。


 一度考え出すと、マイナスの思考は止まらない。


 グッとにぎりこぶしをつくったとき、希愛はハッとした。こぶしをはじめ、体中に力がみなぎっているのだ。


 希愛はあわてて起き上がる。


 ふわり。


 体が雲のように軽い。さっきまであんなに苦しかったのに、簡単に立ち上がれた。


「絢音ちゃん!立ち上がってみて!」


「え…?」


「いいから!」


 半ば叫ぶように絢音に声をかける。


「あ…うん…。って、アレ?体がとても軽いような…?」


「でしょ!きっと、筋肉ムキムキエナジードリンクが効いてきてるんだよ!」


 希愛は試すように右ウデでマッスルポーズをつくる。すると、クラスの男子もびっくりするほどの立派な力こぶができた。


「…すごい。希愛ちゃん、力持ちだ」


「きっと絢音ちゃんもそうだよ!試してみてよ!」


 絢音も力こぶを作った。希愛の想像通り、ウデには立派な力こぶが浮かび上がる。


「ほんとだ!すごいすごい!」


「じいやの言った通り、『筋肉ムキムキエナジードリンク』だったんだね!」


 希愛は「じいや、疑ってごめんなさい」と、絢音にも聞こえないほどの小さな声でつけ加えた。


 そうして、強い力を得た二人はさっそく、岩場を登ることにした。


 登る。登る。登る。

 時には、片方の手を引っ張りあげたり、落ちそうになったところを支えたり、二人で協力し合いながら、足場になりそうな岩を選び、一生懸命登る。オリンピックで見たスポーツクライミングみたいだ。


 当たり前のことだけど、登れば登るほど、地面は遠くなる。十分ほど岩場を登ったところで、希愛は下を見るのをやめた。どんどんと高くなっていくことへの恐怖心を隠すように、二人で歌いながら、エナジードリンクのCMで見た言葉をもじったりしながら、登り続ける。


 その間、生物は一匹もいなかった。虫も、魔物も、そして、植物も。この世界から生命が消えてしまったみたいだ。それもまた、希愛と絢音をこわがらせる原因の一つでもあった。


 登る。登る。登る。


 二人は休む間もなく登り続ける。そろそろ限界が近づいてきたとき、真っ平らな部分に手がかかった。今までゴツゴツとしていたのに、工事でならされた後の地面のように平らなのだ。


 頂上だ…。


 ゴクリ、と大きなツバを飲む音を聞いた。それが希愛のものなのか、絢音のものなのか、わからない。


 二人は必死になって最後の岩場に足をかける。


 エナジードリンクの効果も少しずつ切れているのを感じていたのだ。


 早く、着かなければ。


 心だけがあせる。


 最後の最後。二人は力一杯ウデに力を入れ、平らな地面へと這うように体をのせたのだった。


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