第6話 すすむ二人と一匹

 


 清々しい鳥の鳴き声が聞こえる。朝が来たのだ。


 希愛のあ絢音あやねはウサギのふかふかな体の上で、大きなあくびを一つこぼした。


「おはようございます。よく寝れましたか?」


 今日も可愛く美しい声のウサギはハキハキとした口調でたずねる。


「おはよう、ウサギさん!おかげさまでよく寝れました」


「ならよかったです。さぁ、今日はドラゴンの住むところまで行きますよ。準備はいいですか?」


 希愛と絢音は深くうなずいた。ドラゴンと戦うときが近づいてきている。


 ブルッと鳥肌が立ち、足がふるえる。


 そんな弱気じゃ、ダメダメ!あたしも絢音もこの世界の『主人公』なんだから!ひるんじゃダメ!


 希愛は気合いを入れるためにほほをパチリと叩くと、

「出発してください!」

 と、気張った声でウサギにお願いをした。


 ウサギは四本の手足で、猛スピードで森の間を切り裂く。

 森を抜け、山を越え、見晴らしのいい草原をすぎて…。景色がびゅんびゅんと移り変わる。希愛と絢音は振り落とされないようにウサギの体にへばりついているのがやっとだった。


 そして、とうとう、洞窟が見えてきたとき、希愛のお腹がぎゅるるると大きな音を立てた。

 ウサギはゆっくりとスピードを落として、洞窟の入り口に止まる。


「あらあら、お腹が空いたんですね。食べ物はあるかしら?」


 ウサギが振り向いて、二人に聞く。


「あるよ!バッグの中にたーくさん!」


 絢音がポフッとバッグを叩いてから、乾パンや果物を取り出す。希愛も絢音に続いて、バッグから食料を出した。


「よかった。そうしたら、ここらへんでお昼にしましょうか。この洞窟を抜けた先に、ドラゴンはいます。この洞窟はとても長いですし、真っ暗なので、今のうちにお腹いっぱいご飯を食べましょう!」


 どこに隠していたのか、ウサギもきのみや草花を自分の目の前に置いて、ムシャムシャとご飯を食べ始めた。


 希愛と絢音もご飯を食べる。


「そろそろドラゴンとの決戦か…。『美少女冒険者ノアと美少女探検士絢音はドラゴンに勝てるのか―――⁉︎』だね!ドキドキハラハラだよ!」


「だね!守りは私に任せて!その代わり、戦いは希愛ちゃんに任せた!」


「ひゅーっ!あたしたち、めっちゃかっこいいね!唯一無二の相棒って感じ!」


 数少ない食料を口にしながら、絢音と軽口を叩き合う。


 だけど、本当は希愛は不安で押しつぶされそうだった。心臓がバクバクとしている。


 乾パンはパサパサとして美味しくないし、果物もしなびてみずみずしさとはかけ離れている。それに、これからドラゴンと戦うかと思うと、こわくてどうにかなってしまいそうだ。黙っていたら、体がガクガクとふるえて止まらなくなってしまうことを、希愛はわかっていた。


 だから、希愛は黙らないように、恐怖に支配されないように、極めて明るく絢音に話しかける。そうすることで、気がまぎれるような気がしたのだ。


「…二人とも食べ終わったかしら?そろそろ洞窟へ入りますよ。準備はいいですか?」


 ちょうど食べきったところで、ウサギが優しい声音で声をかけてくれた。


「はい!」


「準備オッケーです!」


 希愛と絢音の声がキレイに重なる。


「ふふ、元気がよくてよろしいこと。…あとちょっとの辛抱です。洞窟は思っている以上にとても暗いところです。わたくしの魔力で光を作りますね。ただ、今まで以上に魔力を使うので、わたくしの体温が少し上がるため、暑くなるかもしれませんが、我慢してください。……それじゃあ、わたくしにしっかりとつかまってください!いきますよ!」


 ウサギは助走もつけず、洞窟の中へと全速力で駆け出した。額に生えているツノがキラキラと光り始め、ツノにあわい光がポッと宿る。

 ほのかに照らされた洞窟には、赤、オレンジ、黄色、水色…と、色とりどりのさまざまな鉱石が転がっている。だけど、それをゆっくりと見ている暇はない。ウサギはどんどん加速し、洞窟を突っ走る。


「ごめんなさいねー!この洞窟には人食いコウモリがいるの!急いで走り抜けないと…!振り落とされないように注意して!」


 洞窟に反響して震えるウサギの声が、希愛と絢音の耳に届く。二人はぎゅっとウデに力を入れ、より強い力でウサギにしがみついた。


 ぶら下がっている無数のコウモリたちは、巨大なウサギが通るとバサバサと飛び立ち、道を開ける。


 すごく、すごく、かっこいい。魔物に乗って、敵をけちらす。これってすごく、ゲームの主人公っぽい。たいていのゲームは何か乗り物に乗っている時は主人公の無敵状態なのだ。まさに、今の状況みたいに。


 希愛の心はワクワクで満ち溢れる。だけど、目を輝かせていたのも束の間、希愛は余裕がなくなってしまった。ウサギがどんどん走るスピードを上げるのだ。外を走っていたとは比べものにならないくらい、速い。力強い風が希愛の顔を叩きつけ、上手く息ができない。ゼェハァと息苦しく、目を開けることすらできなくなってしまった。希愛はすぐさま下を向く。そうするといくらか楽な気がした。


 景色を楽しむ余裕がないまま、ウサギは洞窟を一瞬で抜けてしまった。


 目にまぶしい光が急激に流れこむ。ウサギのスピードはゆるやかになったのに、今度はまぶしすぎて目が開かない。ノドはカラカラだし、体もなんだかフラフラする。


「ごめんなさい。二人にかなりの負担をかけてしまったわね。大変だったでしょう?もう少しわたくしの上で休んでいきなさいな」


 希愛と絢音はお言葉に甘えて、目と体が回復するまでウサギの上で休ませてもらうことにした。二人とも体が限界で言葉を交わすことすらできなかった。


 次第に目が光に慣れてきて、ゆっくりとまぶたが持ち上がる。希愛は目の前の光景を見て、自分の目を疑った。


 荒れ狂いやせこけた大地が広がり、草木一本も生えていない岩山が目の前に立ちふさがっていたのだ。


 洞窟の前までは緑豊かだったのに、ここは荒れ野原で花ひとつ咲いていない。木々は正気を失ったように細く、葉っぱは全て枯れて茶色くこの場を染めている。


 ここには色がない。さびしくて、暗くて、おどろおどろしかった。


「こんな…ことって…」


 絢音がボソリと低い声をもらす。


「…ドラゴンの魔力です。ドラゴンの魔力が強力過ぎて、草木や大地がその力に耐えきれず、命を落としてしまうのです…。それだけではありません。ドラゴンのエネルギーの源は魔力なのです。ゆえに、わたくしたち魔物や大地はドラゴンに近づいただけで、生命力をうばわれてしまう。…ですので、これより先は、わたくしはいけません。もう少し先まで案内できるかと思ったのですが、まさか、ここまでドラゴンが力を強めているとは……。案内すると言ったのに、力不足で申し訳ありません」


 ウサギは深々と頭を下げた。


「謝らないで!ここまで連れてきてくれただけで、すごく感謝しているの!もし、ウサギさんがいなかったら、あたしたち、一生ここにはたどり着かなかった。本当に、本当にありがとう」


 希愛はぎゅっとウサギを両手いっぱいに抱きしめる。続けて、絢音もウサギを抱きしめた。


「ウサギさんの上で寝るのも、ウサギさんと一緒に駆けめぐるのも、とても、とっても、楽しかった!ウサギさん大好き!」


 ウサギにたくさんの感謝の想いを伝えるために、力いっぱい抱きしめる。ウサギの温かな体温が体中にしみわたった。


 希愛たちが感傷にひたっていると、座っていたウサギがゆっくりと二足立ちするように起き上がり始めた。二人は斜めになったウサギの体に留まっていることができず、すべり台のようにスルスルとウサギの体から落ちてしまう。だけど、ゆるやかな傾斜だったため、すっと地面に着地することができた。


 完全に起き上がったウサギは再び四足立ちになると、体ごと顔を希愛たちに向け、さみしげな顔をしながら首をふった。


「……ちがうのです。わたくし、恩返しと言いながら、あなた方を利用していたのです…。卑怯者なのです…。実は、わたくしたち種族もドラゴンの存在に脅威を抱いておりました。ドラゴンは大地の力を食い尽くすほどの魔力を持っている…。ドラゴンが完全に復活してしまうと、わたくしたちの縄張りが荒れ野原になってしまうのです。そうすると、食料が取れない。水も枯渇する。だから、なんとかしなくてはいけない。けれど、わたくしたち魔物は、ドラゴンに近づくことさえ許されない。そんなときに、現れたのがあなた方、お二人でした。もちろん、最初は恩返しをしようと後をつけていたのですよ。ですが、お二人がドラゴン討伐をしようとしていることを知ったとき、わたくしの目的は変わってしまったのです。『この子たちにドラゴンを倒してもらおう』、わたくしの頭にはそれしかありませんでした。ドラゴンは強くて危険な存在だと知っていながら、案内し、ここまで連れてきたのです。…なんと自己中心的なのでしょう。こんな小さな人間の子供を危険に晒すなんて…。わたくしは感謝されるような者ではないのです。本当にごめんなさい」


 ウサギは深々と頭を下げる。


 希愛と絢音はウサギが喋り終わるまで、黙って話を聞いた。ウサギが真剣に話すから、希愛も真剣に聞かなければいけないと思ったのだ。


 ウサギの話は小難しくて、理解できない単語がいくつかあった。それでも、本気で謝っていることは、わかる。


 希愛は口を開いた。


「そんなに謝らないで。あたしたちは、…少なくとも、あたしは、ウサギさんに利用されたなんて思ってないんだから!さっきも言ったけど、ウサギさんがいなければここまで来れなかったの。もし、ウサギさんに案内してもらえなければ、あたしたちはきっとあの森で迷子になってたと思う。だから、ウサギさんの目的がどうであれ、ウサギさんがしてくれたことは本物の恩返しだよ!」


「そうだよ!私も利用されたなんて思ってないよ!ウサギさんとの冒険も楽しかったし、私たちは最初からドラゴンを倒すためにここまできたんだよ!全然利用なんてされてない!むしろ、ここまで連れてきてくれてありがとうなんだから!」


 希愛と絢音は思いの丈をうさぎにぶつけると、下げているウサギの頭をぎゅっと優しく抱きしめる。


「ウサギさん、本当にありがとう」


 二人で優しくつぶやいた。


 ウサギは顔を上げた。目にはいっぱいの涙がたまっている。


「あぁ。ありがとう。ありがとう。お二人はいい人ですね。人間のあなたたちにドラゴンの魔力が及ばなくてよかった…。…わたくしが連れてきたのにこんなことを言うのはどうかと思うのですが、本当にドラゴンと戦うのですか?あんなに強いドラゴンと…?」


 頭を低くして、心配そうにウサギがたずねる。ウサギの質問に答えたのは絢音だった。


「うん。戦う。私たちは戦わなきゃいけないんだ。お家に帰らないといけないの。だから、戦うよ」


 すごく真剣な眼差しだった。


 お家に帰る。それはつまり、現実の世界に帰るということだろう。


 希愛の心にチクリと痛みが走った。


 このまま終わってしまうんだ。絢音との冒険も、非日常も、『主人公』のあたしも、すべて。


 そう思うと無性にさみしくなるのはどうしてだろう。


「そうですか…。もし、森へと引き返したいのならば、わたくしが連れて帰ろうと思いましたが、お二人の決意は固いのですね。…わかりました。ドラゴン討伐の成功、また、ご健勝をお祈り申し上げております」


 また、難しい言葉だ。でも、発せられる言葉から、ウサギの優しさが伝わってくる。


「ありがとう」


 希愛は胸の痛みを心の奥底に無理やりしまい込んで、力なくほほえんだ。


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