第5話 ウサギさんのせなか

 


 柔らかな毛が希愛のあのほほをなでる。地面がもふもふとしていて心地がいい。


 もふもふ…?


 希愛はガバッと飛び起きた。あたりの様子を見て、希愛はあんぐりと口を開ける。草原の上にいたはずなのに、ふわふわとした水色のじゅうたんがあたりにしきつめられているのだ。


 希愛はあわてて隣で寝ている絢音あやねをゆさぶる。


「絢音ちゃん、絢音ちゃん!大変!今すぐ起きて!」


「んん…。もう交代の時間…?」


 絢音はねむそうに目をこすった。


「ちがうの!見て!」


 絢音はのんきに大きなあくびをして、目線を動かす。絢音の動きが止まった。


「な、なにこれ!」


「わからないの…!実は、あたしも少しだけ寝ちゃって…。それで起きたら、こうなってたの!もうなにがなんだか……」


 希愛はじゅうたんの上でヒザをかかえる。


 あたしのせいだ。あたしが見張りの最中に眠っちゃったから…。


 目頭が熱い。自分のしでかしてしまったことに、泣きそうになる。


「…ねぇ、希愛ちゃん。このじゅうたん…、動いてない?」


「え…?」


「少しだけど、一定のリズムでゆれてるの」


 希愛は自分の動きをぴたりと止めて、全神経を集中させる。


 ドッ、ドッ、ドッ。


 小さな振動が体にひびいるのを感じる。たしかに、ゆれている。一度気づいたゆれは、神経を集中させなくても、体中にひびきわたる。


「あっちにじゅうたんが切れてるところがある!様子を見に行こう!」


 希愛と絢音は四つんばいになって、そろり、そろりと、じゅうたんのフチに近づく。そして、気がついた。


 じゅうたんだと思っていた物は大きな魔物だったのだ。


 巨大な魔物は二人を乗せ、ゆっくりとゆっくりと歩いている。


「きゃああああああ!」


 叫んでしまった。絢音と二人で抱きしめ合う。その瞬間、振動が止まった。しまった、と思った時にはもう遅い。魔物が希愛たちの存在に気がついてしまったのだ。


 身を寄せ合う絢音も希愛もブルブルと体の震えが止まらない。口の中が恐怖でカラカラになる。


「起きたのですね、親切な人間さん」


 聞こえてきたのは、わたあめを思わせるような甘やかな声だった。恐怖とは反対側にあるような、かわいらしい声だ。


 この声は、いったい誰の声?魔物にしてはかわいすぎるけど…。


 静かに魔物が振り返り、せなかに乗っている二人を見つめる。つぶらな瞳と、長い耳。そして、その間にあるピンッと生えたツノ。それはまるで、昨日の昼に助けたような…。


「もしかして…、昨日のウサギさん?」


 思わず、聞いてしまった。ウサギがこくりとうなずく。


「やっぱり!」


 びっくりして、声が裏返ってしまう。


「おどろかせてしまってごめんなさい、人間さん。わたくし、助けられた後からずっと、お二人の後をこっそりとつけていたのです。助けていただいた恩返しをどうしてもしたくって…」


「恩返し?」


 鶴の恩返しとか、猫の恩返しとか、ああいうやつ…?


「はい。昨日、罠にハマってしまい、丸一日足をとらわれ、あの場所から動けないでいました。わたくしを捕えるあの金具はとても強い力でわたくしを縛りつけ、いくら外そうとしても外れず、途方に暮れていたのです。そんなときに、お二方に助けていただいて、無事に逃げ出すことができました。お二方には、感謝してもしきれません」


 ウサギがていねいに頭を下げる。月夜に照らされ、きらりと頭のツノが美しく光った。


「足はもう大丈夫なの?」


 絢音は希愛と抱きしめ合っていた体をスッと離し、身を乗り出してたずねる。


「ええ。おかげさまで。魔物はケガがなおりやすいんですよ」


「よかった!希愛ちゃんの応急処置が完ぺきだったからだね!」


 絢音は希愛に向かって親指を立て、「ナイスファイト!」と笑った。


 元気そうなウサギを見て、ホッと胸をなでおろす。緊張していた筋肉が少しだけほぐれたような気がした。


「でも、なんでこんなに体が大きいの?あたしが助けたウサギはすごくすごく小さかったのに…」


「ふふ。本来の姿はこっちですのよ。小さくなれば金具が取れるかと思って、小さくなってみてたところにあなた方が現れたのです。お恥ずかしいところを見せてしまいましたね」


 本当に恥ずかしくてたまらない、とでもいうように、ウサギは長い耳で目をかくした。


 すごい!あの耳って自由に動かせるんだ!


 やっぱりこのウサギはふつうのうさぎとはちがう。わかっていても、すごく面白い。


「そんなそんな!小さい姿、とても可愛かったよ!それに、私たち、もしウサギさんが大きかったらこわくて助けられなかったかもしれないし…」


 絢音がモジモジと手を動かしながら、答える。


「そう、ですか?それなら良いのですが…」


 ウサギはそういうと、目から耳を離し、再び希愛と絢音をガラス玉のように美しい瞳で見つめた。

 ゴホンっと一つから咳をする。


「話を元に戻しますね。わたくしは、お二人に恩返しをしたい、その一心でついていっておりました。そんな中、お二方のお話が聞こえたのです。ドラゴンの住む所まで行くのですよね?それならば、わたくしが案内いたします。夜の森は危険ですし、ここからだいぶ距離があるところですので、歩いて行くのは大変でしょうから」


 絢音と顔を見合わせる。じいやが言っていた話とちがう。


「それはおかしいよ。だって、ドラゴンはこの辺に住んでいるって地図に書いてあるもの」


 絢音がリュックに入っていた古びた地図を取り出し、顔の方まで持っていき、両手を広げ、ウサギに見せつける。


「ほらっ!ドラゴンの位置はココってこの地図に書いてあるでしょう?」


「あらっ。これは何百年も昔の地図じゃあ、ありませんか。復活したドラゴンは新たな場所をすみかにしましたのよ」


「そうだったの!」


 希愛と絢音は同時に声を出した。希愛はあまりにおどろいて、体をのけぞらせる。


 ボロボロの地図だなぁとは思っていたけど、まさか、そんなに古い地図だったなんて…!


「これではいつまでたってもドラゴンの根城にはたどり着けませんよ。ふふ、やはりわたくしの出番のようですね。案内しますわ」


 ウサギはまんまるの目を細めにっこりとほほえむ。


「ですが、今夜はおそいので、寝なくてはいけませんね。戦いをするのに一番大切なのは睡眠ですから。わたくしのせなかにいれば、安全です。ささ、ゆっくりとおやすみなさい」


 そういうと、ウサギは前を向き、ゆっくりと歩み始める。そして、歌いだした。その声はこの世のものとは思えないほど美しいもので、まぶたが自然に落っこちてしまう。

 ウサギの顔付近にいた絢音も、足場が安定しているせなかの方に戻り、猫のように丸くなって眠ってしまった。


 あぁ、寝たらダメなのに。


 意識とは反対に、体の力が抜けて行く。不安な気持ちは暗闇の中に溶け、疲れた体はウサギのふかふかの毛に沈んでいく。ウサギが奏でるなめらかなメロディーは希愛と絢音の心を癒し、体をも癒したのだった。


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