第4話 森の中で

 


 たくさんの使用人たちに見送られ、希愛のあ絢音あやねは森に出てきた。木々に太陽の光がさえぎられ、不気味なほど薄暗い。その中を二人は歩き続ける。さわさわと葉のこすれる音がした。


「なんだか、ちょっと、こわいね…」


 希愛は弱気になって、絢音の方に身をよせた。体をちぢこませて、あたりをけいかいしながら歩く。剣がとても重く、食料や飲み物が入ったバッグパックの肩ひもが肩へと食いこんで痛い。

 こわいし、重いし、ふんだりけったりだ。


「本格的な冒険って感じだね…。森を抜け、洞窟を抜けた先にドラゴンの住む場所があるんだっけ…?こりゃ、なかなか大変だ」


 絢音がグッと体を伸ばす。


「でもまっ、なるようになるでしょ!なんてったって、プリンセスノアとプリンセスアヤネの大冒険なんだから!」


 絢音は大きく前へジャンプすると、ふり返り、ニッと笑った。


「うん!そうだね!あたしたちの大冒険だ!『薄暗い森の中、歩き続けるノアとアヤネ!果たして二人は無事にドラゴンの住みかへとたどり着けるのか―――』」


 希愛も一歩大きく前へふみでて、長剣を抜き、天高くかかげる。


「うん、今回のナレーションもバッチリ!楽しくなってきたねぇ!」


 絢音は楽しそうに声を立てて笑う。


 希愛がいつもしていることを絢音に教えたのだ。『主人公』になりきって、心の中でナレーションをつけ、時々、決めゼリフを言ってポーズ言う。ずっと希愛一人だけでやっていた遊びが、今や絢音と共にできる楽しい遊びへと変化していた。

 絢音は絶対に希愛のことをバカにしない。「ごっこ遊びは子どもすぎるよ」なんてこと、絶対に言わない。それが希愛にはとても心地が良かった。


 二人はナレーションをつけながら、時々、自分たちの『セリフ』をいいながら、森の道なき道を歩く。


 ふと、希愛が足を止めた。並んで歩いていた絢音も希愛に合わせて足を止める。


「希愛ちゃん、どうしたの?」


「…なにか音が聞こえない?」


「音……?」


 二人で耳をすませる。絢音は大げさに耳に手を当て、周囲の音を聞いた。


 ガサゴソ。ガサゴソ。


 たしかに、音がする。それもかなり近くで、だ。


 音のする方へ視線を送ると、二十五メートルほど離れた茂みが音を立て、左右にゆれていた。


「……なにかいるね」


「うん。いる…」


 希愛は剣をかまえて、絢音は盾を前に出し、おそるおそる、ゆっくりと慎重に、茂みに近づく。


「あのー…。だれか、いますか?」


 適当なキョリを保ち、絢音が茂みに向かって声をかける。ピタリと、茂みの動きが止まった。すかさず、希愛が服を引っ張り、小声で、

「ちょっと!絢音ちゃん!あやしいんだから、声出しちゃダメだよ!」

 と、注意した。


「…でも、迷子の子どもってこともあるし…」


「そうかもしれないけど、もし、あやしい人だったらどうするの?」


「そのときは希愛ちゃんの剣と、私の盾で戦えばいいんだよ」


 あまりに堂々と言うものだから、希愛は「たしかに…」と言いくるめられそうになった。希愛は小さく首を横にふる。


「ダメだよ。あぶないからなるべく戦いはさける、そういう決まり事作ったでしょ?」


 これは、出発前に決めたことだ。じいやが持たせてくれた食料や飲み物、救急箱には限りがある。ドラゴン討伐に備えるため、ムダな戦いやムダな飲食をするのはやめようと、絢音と話し合って決めたのだ。


「んー…もう、わかったよぉ。……でも、声かけたけどおそってこなかったよ?もしかしたら、人間がこわくて逃げちゃったのかも!確認しないと…」


「あっ、ちょっと、絢音ちゃん!…もう!本当に破天荒なんだから!」


 希愛の制する手をふりはらい、絢音は茂みの中をのぞく。こういう大胆な行動をとる人のことを『破天荒』というのだと、テレビのお笑い芸人で知っていた。この破天荒という言葉が絢音にはよく似合う。


「わっ!」


 絢音はびっくりするほど高い声をあげると、ふりかえって手招きをする。


「希愛ちゃんこっちこっち!はやくきて!」


「なにがいたの?」


「見たらわかるから、はやく!」


 希愛はゴクリとツバを飲みこんで、覚悟を決めて茂みのほうへと歩く。


 こわい。一体、なにがいるというのだろう…。


「ほら、ここ」


 そっと茂みをのぞきこむ。すると、そこには、一匹の小さなウサギがいた。そのウサギは水色で、額には一本の大きなツノが生えている。どう見ても、希愛の知っている『うさぎ』ではない。不思議なウサギはうるんだ瞳でこちらを見つめている。


「ね、かわいいうさぎでしょ?」


「かわいいけど、この子、うさぎじゃないよ。いわゆる、魔物、なんじゃない?」


 魔物。それは、この世界で動物のかわりに存在している生物のことだ。どうやら、このオルゴールの世界には『動物』という生き物は存在しておらず、動物の代わりに、不思議な力を持った『魔物』が存在するのだと、じいやとの会話で知ることができた。

 じいやの話によると、人間に好意的な魔物と攻撃的な魔物がいるから気をつけないといけないらしい。このウサギは一体、どっちなのだろう。


「あ、そうだね!うーん…。攻撃してこないところを見ると、人間に好意的な子なのかな?」


「どうだろ…?ぶるぶるふるえてるし、人間がこわいのかも…。でも、それならどうして逃げないんだろう…」


 希愛はジッと葉っぱと葉っぱの間に隠れているウサギを見つめる。


「…大変!絢音ちゃん、このウサギの足元を見て!足に何かついてる!」


 ウサギの小さな小さな足に銀色の金具が巻きついたのだ。


「ホントだ!すごく痛そう…。金具をとってあげようよ」


「でも、もし、このウサギがあたしたちをおそったら…」


 助けているときは無防備になる。そのすきに攻撃されてしまったら大変だ。だけど、ウサギの苦しそうな様子を見ていると、胸のあたりが痛くなる。


「……ううん。やっぱり、助けてあげよう!すごく痛そうだもんね…。ウサギさん、ちょこっと失礼しますよ…」


 希愛は剣を絢音にわたすと、ウサギの足元へ行き、カチャカチャと金具を取り外し始めた。時々、ウサギが「キュウン!」と痛々しい鳴き声をあげる。そのたびに、希愛は目をそらしたくなったけれど、目をそらさず、一生懸命ウサギにからまりついている金具を取り外した。


「取れた!」


「わ!よかった!」


 うれしくなった希愛と絢音はバンザイをする。だけど、まだ処置は終わっていない。ウサギの足からは血がドクドクと流れているのだ。希愛は急いでリュックを下ろし、救急箱にあったキズ薬と包帯で手当てをする。手当ての仕方は出発前にじいやから教わっていた。


「よしっ、できた!」


 手当てを終えて、不器用に巻かれた包帯を優しくなでる。


 ドラゴンの話が出てきてから、希愛の想像の力が弱まった。心の底から願っても、胸の奥から想像しても、この世界に反映されなくなってしまったのだ。「それが『苦難』なんじゃないか」と絢音は言ったけれど、希愛は自分の力のなさに情けなくなる。

 だから、ウサギのキズを治してあげたいと思っても、こうして物理的な手当てをすることしかできない。


「おぉ…!キレイに巻かれてる!希愛ちゃんって器用なんだねぇ…」


 ずっとそばで見守っていた絢音が、うんうんとうなずいて感心している。


「全然だよ。じいやの技術に比べたらまだまだ。……ほら、ウサギさん。もう罠に引っかかっちゃダメだよ」


 ウサギは希愛と絢音をうるんだ瞳で交互にみた後、ゆっくりと立ち上がる。そして、頭を少しだけ下げて、緑が深い森の奥へと走り去ってしまった。


「…ねぇ、あのウサギ、今お辞儀したよね?」


「…したね。希愛ちゃんに感謝してるんだよ、きっと」


「そうなのかなぁ?…ま、なんにせよ、無事に手当てができてよかった。それに、あたしたちもおそわれずにすんだし、一安心だ!」


「だね!」


 希愛と絢音はハイタッチをすると、気を取り直して、再び森の中を歩き出した。


 川を越え、けもの道を歩き、ときどき休憩しながら、二人は進み続ける。


「もう少しで洞窟に着くはずなんだけど…」


 地図を開きながら歩く絢音が左右を注意深く見やる。しかし、いくら目をこらしても、洞窟らしき場所は見つからない。


 次第に、あたりが暗くなってきた。目がくらむほどのオレンジが周囲を包んだかと思えば、すぐに静かな紺色に変わる。夜が来るのだ。


「まずいね…。日が暮れちゃう」


 本来ならば、明るいうちに洞窟を見つけ、夜は洞窟の入り口にテントを張って、休むつもりだった。洞窟の入り口付近はあまり魔物が出ないため、旅人が休むのにぴったりなのだとじいやが言っていた。

 だけど、このまま洞窟が見つからなければ、森の中で野宿することになってしまう。

 だから、必死に洞窟を探す。草木をかきわけ、木々のすきまをのぞき、地面をはう。できることはなんでもした。なのに、洞窟らしきものは何も見つからない。八方ふさがりだ。


 そうしているうちに、日は完全に沈み、あたりは漆黒の闇に包まれた。遠くで、ホォッ、ホォッ、とフクロウの鳴き声のようなものが聞こえる。その声があたりを包む暗闇を引き立たせているようで、不気味だった。


 希愛はぎゅっと手のひらをにぎる。


「うーむ…。やっぱり冒険は一筋縄では行きませんなぁ…」


 絢音がアゴに手を置き、名探偵のように「ううーん」とうなった。


「そう、だね…。はやくドラゴンの住むところまで行きたいところだけど、視界が悪い中歩くのは危ないし、ここら辺で休もっか」


「うむ。そうしましょうぞ」


「…絢音ちゃん、なにその変なしゃべり方」


「ん?えっとね…、希愛ちゃんが少し元気なさそうだったから、少しでも明るくなれば、と思って、名探偵のおじさんを演じてみました!」


 絢音はパッと体を大きく広げたかと思うと、希愛に向かって、とびきりかわいいウィンクをした。胸の奥がポッと温かくなる。絢音は持ち前の明るさで、希愛を元気づけようとしてくれたのだ。その気持ちがとてもうれしかった。


「…ありがとう。ちょっと暗くて不安になっちゃってたのかも。元気出た」


 希愛はクイっと口角をあげ、笑顔を作る。まだ少しこわいけれど、絢音と一緒ならなんとかなるような気がした。


 二人は道沿いにテントを張ると、交代交代で眠ることに決めた。つまり、誰かが寝ている時は、どちらかが起きているということ。そうすることで、魔物がおそってきてもどちらかは戦えるというすばらしい案だ。


「じゃあ、最初は絢音ちゃんが寝て」


「え、悪いよ。先に希愛ちゃんが寝てよ」


「…実は、あたしあまり眠たくないの。慣れないことして興奮しちゃったんだと思う。だから、先に絢音ちゃんが寝てくれると助かるんだ」


「ホント…?ならいいんだけどさ。眠たくなったら、ちゃんと私のこと起こしてね!」


 希愛はこくりとうなずいた。この場所に時計はない。だから、体内時計で起こす時間を測ることになる。

 なるべくたくさん絢音を寝かせてあげよう。ここまで心がくじけずこれたのも、前を向いて歩けたのも、明るい絢音のおかげだ。だから、その分休んでもらわなくては。


 優しい月の光が森を照らす。希愛は大きく深呼吸をした。


 気持ちがいい。さっきまでこわいと思っていた鳥の鳴き声も風情に聞こえる。こういうのを『わびさび』というのだろうか。社会の授業で習ったけれど、その言葉の意味はよくわからない。でも、この状況に『わびさび』という言葉がぴったりな気がした。


 暖かい風と柔らかな光を受けて、うつらうつらとしてくる。サワサワという木々の音も、眠い体には子守唄のようだ。


 本当に、いい気持ち。


 希愛はゆっくりと目を閉じる。そうすると、あせる心が落ち着いていく。


 きっと、大丈夫。あたしたちは無事にドラゴンを倒せる。だって、あたしは『天才で世界一美人なプリンセス勇者さま』なんだから。


 夜の新鮮な空気で胸がいっぱいになる。おだやかな静寂が希愛をくるみこんだ。



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