第2話 こんにちは、オルゴールの世界

 


「な、なに、ここ…?一体ここはどこなの…?」


 希愛のあはびくびくしながら、ピンクの部屋を見回す。希愛が想像した通りの、理想的なお姫様の部屋だ。


 これは…、夢?


 希愛がほっぺをつねろうとしたとき、ずしりと、手に重さを感じた。さっきまで聞いていたお城型のオルゴールを持っていたのだ。あたりに気を取られ、オルゴールが手元にあることに気が付かなかった。


「すごい!すごいよ、希愛ちゃん!まさか、本当にオルゴールの世界にいけるんなんて!」


 絢音あやねが興奮気味にせなかからガシッと希愛を抱きしめる。


「おっとっと…」


 バランスを崩しそうになったけれど、足を踏ん張り、すんでのところでとどまった。


「オルゴールの世界って…?」


 希愛は振り向きながら、絢音に問いかける。


「おじいちゃんがね、日頃、言っていたの。『気持ちを込められて作られたオルゴールは、オルゴール自身が世界を持つ。空想の擬似世界がオルゴールの中にはあるんだよ』って!」


「つまり…?」


「だから、ここはオルゴール中の世界ってこと!」


「オルゴールの中の世界?え、なに言ってるの?」


 希愛は絢音の言っている言葉がうまく飲み込めなかった。同じ日本語を話しているはずなのに、理解ができない。


 ―――久遠絢音くおんあやねは変わってる。


 このときなぜか、クラスメイトたちのそんな言葉が頭によぎる。


「私はおじいちゃんから『オルゴールの世界』の話を聞いていたから存在は知っていたんだけどね、実際にこうしてオルゴールの世界に入ったのは初めてなの。いやぁ、まさか本当に他の世界があるなんて!希愛ちゃんは想像力が豊かなんだねぇ。私より想像力豊かだなんてびっくりだよ!」

「まってまってまって!ちゃんとわかるように説明して!」


 急に早口で話し始める絢音に、希愛の頭は追いつかない。


「あ、ごめんごめん。興奮しちゃって…。さっきも言ったように、この世界はオルゴールの中の世界なの。この世界に入る方法はただ一つ。人間の想像力を働かせること。流れる音色から想像で世界を作り上げることができる者だけが、この世界に入れるの。ま、私もなんで入れるのかとか、そういう細かいことはわからないんだけどね!」


 絢音は舌をぺろっと出しておどけて笑ったあと、真剣な顔をして、

「…ねぇ、希愛ちゃん。そのお城のオルゴールを開けたとき、オルゴールの世界、つまり、今いるこの世界の光景が見えなかった?」

 と、希愛が手に持っているオルゴールを指差した。希愛はオルゴールに想像力を異様にかき立てられたことを思い出し、小さくうなずく。


「見えた。この部屋と同じ光景、広々としたエントランスとどこまでも続く廊下…。オルゴールの音色を聞いたとたん、あたしの頭の中に浮かんだの」


「やっぱり!その浮かんだものこそが、この世界!希愛ちゃんがオルゴールの世界のトビラを開いたんだよ!」


 絢音はパンッと手を叩くと、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。


「すごい、すごい!私がどれだけ願っても、どれだけ想像してみても、まっっったく、オルゴールの世界に行けなかったのに、希愛ちゃんは一回でいけちゃうんだもん…!本当にすごいよ!天才さんだ!」


 目を輝かせ真っ直ぐな視線を送られて、希愛は少しだけ鼻が高くなる。


 空想や想像なら任せて欲しい。だって、あたしは空想や想像の世界が大好きなんだもん!いつだって、あたしは主人公で、美人で、天才で、何にでもなれるんだから!


 心の中で大口をたたく。でも、そんなことを口に出していったら、調子に乗ったヤバいやつって思われてしまうかもしれない。だから、希愛はほめられてうれしいのを隠し、

「そう?ありがとう」

 と、すまし顔で答えた。


「でも、ここって本当にオルゴールの世界なの?夢とか幻じゃなくて、現実?」


 ふと、気になった疑問を絢音に投げかける。


 もしここが現実なのだしたら、本当にすごい。いつも、空想の中でしか主人公でいられなかったあたしが、『本物』の主人公になったということになる。それって、かなり、うれしい。


「現実だよ!…ほらっ!」


 絢音が遠慮なしに希愛のほっぺをふにっと引っ張る。両頬にじんわりと痛みが広がった。


「痛い…。ってことは、本当に現実なんだ…!」


 希愛は数度パチリパチリとまばたきをして、あたりを観察する。


『ごく普通の小学五年生のノアはオルゴールの世界に迷い込んでしまった!これから先どうなっちゃうの!?―――』


 そんなナレーションが聞こえた気がした。


「いやぁ、ほんと、感動した!これが現実だなんて、信じられないよねー!希愛ちゃんのおかげで、いいモノが見れたよ!…ってことで、そろそろ帰ろうか!」


「えっ、もう帰るの?早くない?」


 希愛はびっくりして、絢音につめよる。


 魔法のような素敵な世界に来れたのに、すぐに帰るなんて惜しすぎる。


「そりゃそうだよ。この世界は想像の世界なんだよ?現実だけど、本当の現実の世界ってわけじゃないの。ここには家族もいないし、学校の友達もいない。ただの希愛ちゃんの想像の世界。私たちの生きてる世界じゃないの。長くいても、いいことなんてないんだから。ま、これ、全部おじいちゃんの受け売りなんだけどね。それに、おじいちゃんに『初めてオルゴールの世界に行ったときはすぐに戻ってきなさい』って散々言われてるんだ。…だから、帰ろう?」


「で、でも…。やっと、やっと、本物の主人公になれたのに…」


 声が心もとなく小さくなる。希愛は豪華なピンクの部屋を見つめた。この世界は想像力豊かな希愛の希望だ。

 想像の中ではいくらでも優秀になれた。いくらでも美人になれた。いくらでも賢くなれた。でも、現実世界の希愛は、成績は中の中。顔もふつうですごくすごく可愛いわけじゃない。『本物』の主人公は、きっと、自分じゃない。現実はそう甘くない。

 自覚している。

 自覚しているけど、どこかで、自分こそは主人公だと信じたくなる。


 この世界なら、あたしは本物の主人公なのに。現実世界から異世界に迷い込んだ少女。今のこの状況こそ、ザ・主人公だ。


 希愛はぐっと下唇をかみしめた。


 帰りたくない。帰ったら、ただの『希愛』に戻ってしまう。だから、絶対に帰りたくない。


 そのとき、とつぜん、アーチ状になっている大きな窓が開いた。力強い風が吹きつけ、希愛と絢音にぶつかってくる。テーブルの上にある本はパタパタとめくれ、軽い小物は壁に打ち付けられた。突風はあたりのものを壊し、散らす。


「きゃっ!」


 声を上げた瞬間、手元がふわりと軽くなった。手にあったオルゴールが浮いている。ふわり、ふわり、と浮いて、希愛と絢音のまわりを八の字でくるくると回る。不思議な現象と強い風にはばまれ、体が対応しきないでいると、オルゴールが自分の意思を持っているかのように、大きな窓からピューッと飛び立ってしまった。


「え、ウソ!」


 あわてて絢音が窓の外にかけより、オルゴールを飛んでいくオルゴールに手を伸ばす。だけど、努力むなしく、オルゴールには少しも手が届かなかった。


「やばい、やばい、やばい!このままじゃ元の世界に戻れないよ!」


「えっ、どういうこと?」


 絢音のあまりのあわてぶりに、希愛の心もソワソワしてきた。希愛も窓際に行き、オルゴールが飛んでいった方を見つめる。空は真っ青で、心配事などなにもないように輝いていた。


「元の世界には帰るには、オルゴールを鳴らして、元の世界に帰るのを想像することが必要なの!あぁ…どうしよう…」


 絢音が頭をかかえる。


「ねぇ、希愛ちゃん…。確認なんだけど、もしかして、帰りたくないとか、思ってないよね?」


 険しい顔で見つめてくる絢音にたじろぎ、希愛は一歩後ずさった。


「……ご、ごめん。願っちゃった……かも?」


「あぁ、もう!それだよ!この世界は希愛ちゃんの想像で成り立ってる世界なんだよ?だから、その想像主である希愛ちゃんが『帰りたくない』って願ったから、その通りになっちゃったんだよ!」


 再び絢音が頭を抱える。希愛は空気を胸いっぱいに吸い込んだ。絢音の絶望とは裏腹に、希愛の心は浮き足立っていたのだ。


 すごい。この世界は本当にすごい。なんでも想像通りになるこの世界は、夢のような世界だ。本当にあたしは『主人公』なんだ。


 それに、希愛はとんでもないことに気が付いてしまった。


「それって、つまり、あたしが帰りたいって思ったらこの世界から帰れるってことだよね?」


「……えっと、どういうこと?」


「この世界は、あたしの思い通りになる世界なんだよね?だったらさ、あたしが帰りたいと思ったタイミングで帰れるんじゃない?あたしの想像の世界なんだから、あたしが帰りたいって願ったら帰れるでしょ?」


「…あっ、そっか」


「ね?名案だと思わない?」


「……思う。私、全くそんなこと考えられなかった…。希愛ちゃんって、頭いいね!」


「ふふーん、そうでしょう。そうでしょう」


 絢音にほめられ、希愛は得意げに胸を張る。


 こうして、希愛と絢音の不思議なオルゴールの世界での生活が始まったのだった。



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