オルゴールとファンタジア

佐倉 るる

第1話 不思議なオルゴールショップ

 

「行ってきまーす!」


 ドアをいきおいよく開けた希愛のあは、ステップをふんで家を飛び出る。青空には真っ白な雲が浮かび、絶好のお出かけ日和だ。


 今日もステキな一日になりそう!


 今日は希愛が一人で出かけることが許された特別な日。

 小学五年生の希愛は、一人で出かけてはダメと家で口うるさく言われていた。だけど、半月に一度、一人で出かけるのを許可されている。それが、今日、図書館来館の日なのだ。

 今日はちょっとした冒険の日。だから、洋服も気合いを入れる。カフェオレ色のロングスカートは、名探偵を思わせるようなケープ風のそでになっており、チェック柄が描かれている。

 ママにたのみこんで買ってもらった特別な服だ。特別な日にはこの特別な服がよく似合う。


 バス停へ向かう道すがら、希愛は大きくジャンプした。空に希愛のシルエットが重なる。


 今のあたしって、すごく物語の主人公っぽくない?


 希愛は大きく息を吸い込む。空の青さが体にしみこむような気がした。


 希愛は小さな頃からごっこ遊びが好きだった。お姫様になったり、大好きなキャラになったり、時には悪役になってみたり…。

 遊んでいるときは理想の自分になれたみたいですごく楽しくて、うれしかった。

 でも、小学校の学年が上がるにつれて、周りのみんなは大人になり、いつの間にかごっこ遊びをしなくなった。

 それってすごくつまらなくて、ちょっぴりさみしい。だから、希愛は一人、心の中で自分の姿を想像するようになった。


 あたしは頭脳明晰、風光明媚な小学生探偵、ノア!どんな難事件もマルッと解決!


 誰もいないバス停で希愛は右手を高く伸ばしポーズを取る。希愛のポーズに応えたかのように、ブロロローという力強い音を鳴らしたバスが来た。

 希愛は慌てて手を下ろす。


 誰かに見られてなかったかな…?


 急に恥ずかしくなった希愛は、体を縮こませ、いそいそとバスに乗り込んだ。


 バスの中は空いていた。後ろの方の二人がけの席に腰かけ、窓の外を見つめる。バスにゆられて、約十分くらい行った先に、お目当ての図書館はある。

 かわいい服を着た希愛を乗せて、バスはグングンと進んでいく。窓に流れる風景は同じように見えて、少しずつ変化している。街路樹を抜けると大通りに出て、ママの行きつけのパン屋さんが見える。さらに進むとおおきな川があり、それを渡った先に図書館がある。


 同じ景色なんて、一つもないんだ。


 希愛は心をときめかせ、窓の外を眺め続ける。だけど、ちょっとおかしい。何がおかしいかうまく言えないが、バスから見える景色がいつもとちがう気がするのだ。


 希愛は座席から身を乗り出して、次の行き先が書いてある電光掲示板を見つめる。


「次は…、『区役所前』…?えっ、まって!図書館行きのバスは区役所前には行かない!」


 希愛は慌てて降車ボタンを押し、区役所前でバスから降りた。全く別のバスに乗ってしまったのだ。


 どうしよう…。


 あたりを見回してみるけれど、かなり遠くまできてしまったみたいで、ここからどう行けば図書館に行けるのか、家に帰れるのか、希愛にはまったくわからなかった。

 不安で胸が少しだけチクチクする。なのに、なぜか胸の痛みとともに、胸がドキドキと高鳴った。


 だってこれ、ちょっとした冒険みたい。


『名探偵ノアちゃんが見知らぬ街で見たものとは―――』


 心の中でナレーションをつけてみる。あまりの『主人公』っぽさに、心がおどった。ちょっとだけ冒険してみちゃおうか、と希愛が考えていると、


「あれ…。希愛ちゃん…?」

 と、声をかけられた。


「……久遠くおん絢音あやねさん?」


 絢音はとなりのクラスの女の子だ。黒いTシャツに白いショートパンツをはいて、希愛を見つめていた。

 希愛とは一度も同じクラスになったことがない。それなのに、希愛が絢音の名前を知っているのは、「久遠絢音は変わっている」という噂が学校中に知れ渡っているからだ。


 ―――久遠絢音は変わっている。


 何がどう変わっているのか、希愛は知らない。ただ「久遠絢音は変わっている」という言葉だけが一人歩きしていた。


「希愛ちゃん、なんでこんなところにいるの?」


 絢音が首をかしげてたずねる。二つで結かれたわっか状三つ編みがゆれる。


「えっと…。市立図書館に行こうと思ってたんだけど、バスを間違えちゃって…。そういう久遠さんは、どうしてこんなところにいるの?」


「この近くにおじいちゃんの家があるの。お使いを頼まれて、ちょうど今から帰るところ」


 絢音は右手に持っていた白いビニール袋を軽く持ち上げた。

「希愛ちゃん、間違えてここまできちゃったんだよね?お家まで帰れる?」


「それが…、道がわからなくて…」


 希愛は正直に答えた。


「そうだよね、そうだと思った!私、この辺慣れてるし、案内するよ!学校まで行けば、さすがに帰れるよね?」


 手をパンッと合わせた絢音が希愛にほほえみかける。

 希愛はこの提案を受け入れるか迷った。『主人公』としての冒険をやめてしまうのは惜しい気がしたのだ。だけど、冒険をした後は家に帰らなければいけないという現実もある。


 このまま家の帰り道がわからなかったら?ママもパパもあたしを見つけることができなかったら…?


 名探偵ノアから、ホームレスノアに早変わりだ。それはなんだかすごく嫌だ。


「ほんと…?学校までの案内、お願いしてもいいかな?」


 冒険心と不安の気持ちをてんびんにかけた結果、不安の気持ちの方が勝った。だから、家に帰る。


「オッケー!だけど、その前におじいちゃんのお家に寄ってもいい?お使い終わらせないと…」


 絢音が申し訳なさそうにビニール袋をちらりと見た。希愛はうなずく。案内してもらう身である自分がわがままを言ってはいけないと思った。


 希愛と絢音は並んで歩く。大通りを抜け、細道を通り、右折し、左折し、住宅街をずんずんと進む。希愛は進めば進むほど、どんどんとひと気がなくなっていくことに気がついた。


「ねぇ…。久遠さん…、本当におじいさんのお家ってこっちなの…?」


 希愛は両手で胸元のリボンをギュッとにぎり、あちこちに視線を動かす。レンガ造りの家が狭い道にズラリと並び、塀には緑色の葉っぱが巻き付いている。いかにも怪しい雰囲気だ。


 ぶるりと鳥肌が立った。これはまるで幽霊屋敷へと向かう道のりみたいで、身体中に悪寒が走る。


「うん、そうだよー。っていうか、久遠さんって呼ぶの、やめてほしいかも。私たち同じ学年で同じ学校に通ってるんだよ?ちょっとよそよそしすぎない?」


「そうかな…?だって、あたしたち、一度も同じクラスになったことないでしょ?それどころか、ほとんど話したことないし…」


「んー、そうだけど、今、こうして一緒に歩いて、たくさんしゃべってるじゃない?だから、友達って言ってもいい気がするんだけど」


 一歩先に歩いていた絢音が軽く振り返り、にこりと笑う。


「友達とはちょっとちがう感じするけど…。まぁいいや。なんて呼べばいい?」


「絢音でいいよ」


「さすがに呼び捨てはなぁ…。絢音ちゃんって呼んでもいい?もっと仲良くなったら、絢音って呼ぶよ」


「オッケー。じゃあ、絢音ちゃんで」


 絢音は指でオッケーマークを作ると、再び前を向いて歩く。希愛と絢音が薄暗い路地裏を三分ほど歩いたところで行き止まりになった。

 つきあたりにあったのは、この場所に似合わないほどのそれはそれは、かわいいオシャレなお店だ。壁は真っ白なレンガで作られ、水色のトビラがお客様を出迎えている。水色の日除けテントの下には茶色い看板で『オルゴール店』とだけ書かれていた。


 絢音はそのかわいいお店を指さすと、

「ここが、おじいちゃん家!」

 と、はずんだ声で紹介する。


「ここ?このステキなお店が絢音ちゃんのおじいちゃんの家なの?」


「そう!このお家!うふふ、希愛ちゃんから見てもステキに見える?うれしいなぁ。さっ、上がって上がって!」


 絢音はそう言うと、水色のトビラを押しあける。絢音の動きに合わせて、カラン、コロンとドアベルが音を立てた。

 トビラをくぐりぬけ、中に入ると、ステンドグラス調のランプに照らされた広い店内に、美しい小物がズラリと乱れなく並んでいる。


「す、すごい…。魔法のお店みたい…」


 思わず、希愛はつぶやいてしまった。


 机の上にはアンティーク調の小物、たとえば、天使や宝箱だったり、メリーゴーランドの形をしたものや、ランタンの中に妖精が閉じ込められているデザインのもの、お城を形取られたものなど、様々な種類の雑貨がかざられている。壁には洋書のような分厚い本が、あたり一面にしきつめられていた。本棚のすきまに置かれている木製の時計はまんまるで、周りをいろとりどりの草花がかざっている。時刻は午後二時三十分。落ち着いた雰囲気の時計はこの場所にうまく溶け込んでいた。


 どっどっどっ、と胸がたかなる。


 こんなにステキなお店があるなんて、知らなかった。


『名探偵ノアが怪しい路地裏で見つけた魔法の店とは―――』


 頭の中にナレーションが鳴り響いた。


「でしょー?これ全部、オルゴールなんだよ。おじいちゃんの手作り」


「手作り!本当に?…もしかして、これ全部、手作りなの?」


 希愛は絢音の前にずいっと顔を近づける。耳元まで心臓の音が聞こえる気がする。興奮が止まらない。


「うん!全部手作り!おじいちゃんは職人さんなんだ。壁にある本みたいなやつもオルゴールなんだよ!」


「す、すごい…。絢音ちゃんのおじいちゃんって、天才なんだ…」


 希愛が消え入るような小声で言ったので、絢音には聞こえなかったのか、絢音は希愛の発言を無視して、

「おじいちゃーん!買い物からもどったよー!……おーーーい!」

 と、絢音が店の奥に声を投げかけた。だけど、耳をすましても、無音が広がるだけで、返事は返ってこない。


「おっかしいなぁ…。おじいちゃん、出かけちゃったのかなぁ…」


 絢音はズカズカと店内を歩き、奥の方にある茶色の重々しいトビラを開け、持っていたビニール袋を軽く放り投げた。


「うーん、やっぱりどこかに行っちゃったみたい。出かけるなら、買い物に自分で行けばよかったのに…。まっ、文句言っても仕方ないか!買い物をたのまれたから、こうして希愛ちゃんと会えたわけだし…、って、希愛ちゃん、なにやってるの!」


 絢音が奥のトビラを閉め、振り返ったとき、希愛がお城型のオルゴールを持ち上げ、台座の裏についているぜんまいを回そうとしていた。絢音はあわてて、希愛を止めようとするも、ギギ、ギギッ、とぜんまいは巻かれ、音楽が鳴り始める。


 オルゴールから流れる音色は、とても美しいものだった。上品で、やわらかで、やさしくて、おだやかで…。心がふわりと浮かんだ心地になる。音色を聞いていると、不思議とお城の風景が思い起こされた。

 希愛はゆっくりと目を閉じた。


 あたしはお城のお姫様。お城のエントランスホールにはズラリとメイドさんと執事が立っていて、あたしをお迎えしてくれる。二又に分かれている宮どの階段を登った先には、とても長い廊下になっていて、たくさんのドアがお客様を惑わし、あたしを誘い込む。一番奥の部屋があたしのお部屋で、レースの天がい付きベッドがドーンと置かれている…。


 そんな様子がありありとまぶたの裏に浮かぶ。


 なんて、素敵なんだろう。本当に物語の中に入ってしまったみたい…!


 想像力がかきたてられる。体がソワソワする。それもこれもこのオルゴールの音色のおかげだ。


「の…ぁ…ちゃ…」


 遠くから、声が聞こえる。


「の…あ、ちゃん…。のあ、ちゃん。希愛ちゃん!」


 声がクレッシェンドのようにだんだん大きくなり、希愛を現実に引き戻した。


「もう、今、とてもいい心地なのに、邪魔しないでよ!」


「目を開けて!ほら、はやく!」


 希愛を現実に引き戻した声は、絢音の声だった。希愛はゆっくりとまぶたを持ち上げる。

 ピンク、ピンク、ピンク、ピンク、ピンク…。見渡す限りのピンク。淡いピンクの壁に、濃いめのピンクのじゅうたん。真っ白な天がい付きベットに、ピンク色のフリルがついたシーツと布団が敷かれているベッド…。


 目を開けて飛び込んできたのは、先ほどまで希愛が想像していた『お姫様ノア』のお部屋だった。


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