第十九話


 取引は順調に終了した。


 流石に奴隷として購入したヴェリナをすぐに連れていくのは憚られたので、領内を抜けるギリギリまで同行させ、数人の常備兵と共に待機させている。


 既に賊の一団は討った。

 残された奴らも少数勢力に過ぎず、完全武装している兵士に喧嘩を売る程バカじゃない。襲撃にあっても奴らならばヴェリナを守りつつ殲滅することくらい容易だ。そのくらい使えるように俺が主導して鍛錬したのだから当然の事。


 本来なら残った領内の賊を探させてもいいのだが、それはしない。


 その場で待機、賊が襲ってきても殺し過ぎるなと伝えた。


 理由は単純、少数残された賊ならば使い道があるからだ。


 奴らは飼い慣らす事が出来る。


 脅威……いや、違う。


 危機感と呼ぶべきものは、人為的に作り出せる。


 頭が悪く教養も無い人間であっても、命の危険というものが目の前にあれば本能で悟る。


 変わらねばならない、抗わねばならない、頼らなければならないと。


 生きることに一生懸命な無知な人間を扱うなら、外部から危険を取り寄せるのが一番効果的だ。


 最も、永遠にその方法が擦れる訳ではない。


 最低限のラインなだけで、また時代が進めば違う手法を試さねばならん。


 まあ、それを考えるのはまだ先の事だが。


「ヴァレリー」

「はい?」

「お前はこの国の商会をどう見る」


 既に帰路も半ば、あと十分程度で待機させているヴェリナ達とも合流できるだろう。この声量が届く範囲は警戒できているし間者は気にしなくていい。


 思考を切り替えながら、隣に並ぶヴァレリーに話しかける。


 俺がハイゼンベルグ侯爵と顔を合わせている間、こいつには根回しを優先させた。


 本当なら時間をかけてゆっくりと商談を成立させたかったが、速度が何もよりも命の商人の情報網というのはバカに出来ん。


 今日ここで莫大な資産を持った新たな商会として売る事に価値がある。


 ハイゼンベルグ侯爵も認めた、とでも尾ひれが付けば儲けもの。


 そうしてここで契約した商会から更に噂が流れ、やがて全国に広まる。


 全国規模で取り扱われるようになった時にはこちら側からある程度融通の利く取引が行えているだろう。今の損失よりも未来の損失の方が重要で、先を見て流動的にやっていかなければならない。


 今は情報を売る。

 やがて高値で実利を得られればいいのだ。


 そしてそのついでにこちらも情報を得る。


 集めてはいるが、実際に自分で関わってようやく正しい判断が下せると俺は考えている。


 ゆえに信頼できる一人のヴァレリーに訊ねた。


 顎に手を当てて困った仕草とった後、淡々と言葉を紡ぐ。


「そうですねぇ……良くも悪くも大国の驕りを感じます」

「驕りか……」

「ええ。大きな商会が2つか3つある勢力図で、各有力者の庇護下でぬくぬくと商売をしている。物価からもそれが見て取れました」


 ヘルネブルグは王都を除いた都市で一番栄えていると言っても過言ではない。


 それはつまり、この国においてそれほどハイゼンベルグ侯爵の権力が強まっているという事だ。


「ある程度吹っかけても売れるがゆえの強気な価格帯。人が行き交えばそれだけ金は落ちる。城塞都市で安全性は担保されている上に今最も栄えてるとなれば、そりゃあこうなりますね」

「悪い循環ではない」

「はい。我々商人からしてみれば、乗っかるだけで得するんですから悪いことなんかひとつもないですよ」


 あくまで商人からすれば、だ。


「ここで暮らす民も不自由はしてない様子。でもそれはきっと今だけです」


 経済というのはそういう風に成り立っている。


 大きく儲けようとすればするほど成功する者と、いつまでも一方的に搾取される者。


 この位置関係は崩れる事は無い。


 社会という概念が誕生した時から切り離せない節理だ。


 そしてその均衡が崩れる事があるとすれば、その時はもう取り返しのつかない崩壊を招いている。


「少なくとも数年は持ちますが、数十年経てば危うい。無論恒久的に保てる経済などありはしませんが、いずれエスカレートした物価高に目を回す事でしょう」

「それこそ、動乱が起きるとかな」

「まさしくその通り」


 だが逆説的に言えば事が起きるまで安定した経済を保っていられるという事だ。


 戦力を整えるには十分で、その後戦いに勝たねば意味が無いと想定しているなら理解出来る。


 そして、それがわからないほど愚かな男ではない。


 厄介な相手だ。


「ヨハン様は侯爵が単独の勢力だと考えていますか?」

「……いいや。後ろ盾は存在するだろうな」


 国が力を失い始めたとはいえ、王国の体裁は保っている。


 現国王は貴族に強く言えない臆病者で、その息子は逆に国を導くのに足りた器の持ち主だ。


 ハイゼンベルグ侯爵のやり方を好ましく思うのは恐らく……


 ……流石にこれはリスクが高い。


 ここで言う事は避けるが、俺は居ると確信している事だけは伝えておくに留めて話を斬り返した。


「なんにせよヴァレリー、何かおかしいと思った時はすぐに報告しろ。あくまでジルベール商会は協力しているだけで、俺の傘下ではない」

「はい。あまりリスキーな行動ばかりとっては本国に睨まれてしまいますしね」

「その理屈で行くと、既に睨まれていそうだが?」

「恩に報いねば恥知らずと罵られるので」

「ふっ……そうか」


 そうしてヴァレリーと話していると、気が付けば領地の境目までやってきていた。


 街道沿いに看板が一つ建てられているのみで、これ以外には何もない。


 そうやって軽んじられている程度には貧しく地味な領地なのだ。


 看板の周りには数体の馬と、そこから降りて休憩を取っている数人の人影。


 どうやら襲撃も何も無かったみたいだな。


 無いとは思っていたが、予定通り事が進んで何より。


「あいつら……サボりやがって」


 そんな姿を見て憤る男が一人。


 先程代表して俺に話しかけて来たアルヌエルだ。


 賊として率いていた立場だったが故に、今も部隊長として慕われている。


「まあそう言うな。意識のある間ずっと気を張るなど無理な事だ」

「しかしヨハン様。我々は常備兵で、給金を常に頂いている身になるんです。一般兵と同じではいかんでしょう」

「油断は許さん。だが急速に目くじらを立てる程狭量じゃない」

「ですが……」

「まま、アルヌエルさん。ヨハン様が良いと言ってるんですし、メリハリを利かせればいいんですよ」


 む……


 お前が言ったら台無しなんだが。


 アルヌエルに考えさせようとしたが、ヴァレリーが横やりを入れてしまった。


「これまでだって休息は取ってたじゃないですか。それを急に変えたら困っちゃうでしょ」

「それは、そうだが……」

「急に全てを変える必要なんてありません。ヨハン様の手を煩わせるのが嫌なら、私が協力します」

「むう……」


 渋々と言った様子でアルヌエルは退いた。


 後ろの部下たちは苦笑している。


 そういう所が信頼されているのだ、この男は。


 俺に制圧された時、『自分が悪い。無理矢理従わせていただけだからこいつらは許してくれ』と嘆願してきた生真面目さに死をも厭わない胆力と人情。

 賊に落ちた理由を問わせたのはこいつだけだ。


 時たま暴走する癖もあるが、ヴァレリーや部下たちが居れば安泰だ。


 そして一人立ったまま待機していたヴェリナは静かに近寄り、礼と共に一言。


「おかえりなさいませ、ご主人様」

「今戻った。何かあったか?」

「いいえ。獣が寄って来たくらいです」


 血の匂いに釣られたか。


 掘り起こせないだろうが、街道の見回りをした方がいいな。


 アルヌエルに相談するとしよう。


「一度村まで戻る。アルヌエルは先に戻って隠れ里から料理の出来る奴を複数人連れて来い。臨時の炊き出しを行う」

「はっ!」

「ヴェリナ、お前は俺と共に他の村を回るぞ。先程伝えた通りだ」

「承知しました」


 やる事はまだ沢山ある。


 領民の問題を解消し、一先ず俺達の暮らしている村を早急に発展させる。


 そうした後は……


「あの方に会わねばならんか……」

「ご主人様? どうされましたか」

「いや、なんでもない。独り言だ」


 貴重な後ろ盾だ。


 領内安定の後に順調なら会う事も考えてくれるだろう。


 利害関係の一致でしか無いが、だからこそ協力し合える事もある。


 俺は吐いて捨てる程いる有象無象じゃないと証明してみせねば、侮られたままだからな。


 それは些か許し難い事だ。


「急げ! 走れ走れ!」


 馬に鞭打ち、加速させた。

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