第十三話


「……新たな国として、独立する事が狙いですか?」


 何を言っているのだろう、そう思った。


 自分の口から出た言葉は驚くほどスムーズに零れた。


 到底想像の余地の及ばない大きすぎる野望なのに、どうしてかそれが正しい事だと思ってしまった。


「……独立、くくっ、そうか、独立か。面白い事を言う」


 尋ねられた張本人は面白おかしく笑いながら、そのまま続ける。


「お前も武家の娘ならばわかっているだろうが、謀反というのは非常に重たい罪だ。一族全て皆殺し、温情を与えられても爵位剥奪と鉱山での強制労働に開墾従事と数え切れんほどの刑罰が存在する。俺がそんなリスクをとると思うか?」


 それは……その通りだ。


 ご主人様は非常に頭の切れる人だ。


 ここまでの流れ全てが計算通りと言ってのける自信と、それを裏付けする実績。


 3000万という莫大な金額を支払ってなお余裕があるのに、わざわざ謀反のリスクを犯す必要があるだろうか。


 ――……いえ、違いますね。


 恐らく私の知り得ない情報が存在する。


 あの侯爵の元で長年辱められていた影響でまだこの国の内情には疎いけれど、今のご主人様の言葉から察せる内容もあります。例えばそう、『俺がそんなリスクをとると思うか?』と言った部分。


 こ

 ならばそう、この問答にも必ず意味がある。の方は敢えて聞き返し相手に考えさせることを求める。


 それは優しさではない。


 全ての言動に打算があると仰っていた。



「…………リスクは取らないでしょう。ですが、流れに乗れるとしたら?」

「例えば?」

「戦争。それも内乱に近しい形のものが起きるとすれば……」


 チャンスはある。

 

 戦力は測れてないけれど――武家の娘として、あの国で最後まで残った将軍として、それくらいはさび付いた嗅覚でも嗅ぎ取れる。


「ここは背後を山脈に囲まれ周囲は森ばかり、周囲の領地もそこまで真剣に領地発展を行っていないのではないですか?」

「そうだ。誰がやっても同じ、そう判断される場所ばかりだ」

「つまり、優秀な人間は配属されない。仮に動乱が起きたとしても、この地を集中して叩きのめせるような戦力は無いと推測できます」


 ご主人様は楽しそうに私の話を聞いている。


 …………ああ……。


 涙が出そうだ。


 ただ話をしているだけなのに、私の根拠の無い言いがかりに近い言葉を連ねているだけなのに。


 認められている、求められている、役に立てている。


 人の期待に応えられている。


 ただそれだけの事が、こんなにも胸を温かくする。


 姫を守り抜き悔いはないと最後の戦いに躍り出たあの時から、私の人生には常に暗雲が付き纏っていた。


 奴隷として人以下の扱いを受けて来た。


 口にするのも憚られる様な、今でも思い出したくない屈辱を浴び続けて来た。


 人格を否定され、私のやったことすら否定され、人生の全てを否定され罵倒された。


 溢れそうになる涙をぐっと堪えようとして、目が滲んできたのを必死に抑えつけながら話す。


「……それと、気になったのはっ、先程の会話です」


 ジルベール商会と書かれた看板の元で行われた密会。


 ヴァレリー・フランソワと名乗った男性は、3000万という大金を輸送する仕事を躊躇いなく受注した。


 失敗すれば色んな意味で命はない。

 

 商人として必ず成功させると意気込むまでもなく、『待ちくたびれた』とまで態度で表していた彼は、ただものではない。


「あれほどの大仕事を任されるというのに、情報網の構築がこれからだと言っていました。既に地盤を固めている商会ならば根付いているでしょうし、そんな発言には至らない。……しかも、ご主人様の狙いを理解していた。あれほど優秀な人物なら、在野に埋もれる事を世が許しません」

「さて、それはどうだろうな。元より別で働いていたのを引き抜かれたのかもしれんぞ」

「可能性はあります。ですが、それ以上に気になるのは『それほど優秀な人物がこれから地盤を固める商会に所属している事』です」


 ここから推察出来ることは大きく考えて2つ。


 1つは単純に引き抜かれた。

 これから新たに商会を立ち上げようとゼロからスタートした。あり得ない話ではないけれど、その線は薄い。そのように地盤も何も固まっていない商会が、3000万という大金を堂々と輸送するとは思えない。


 如何に優秀であっても、


 そして2つ目は……


「……――私が思うに。ジルベール商会は、まだこの国で流通しきっていない別国の商業コミュニティに属するのでは?」


 ご主人様は冷めた表情をした。


 間違えた?


 呆れられる?


 期待に応えられてない……?


 ……いや、冷静に、考えなさい。


 聞いているだけ。


 全て話して、それから伺えばいい。


 私の思考全てを聞いて、その結果判断を下す。


 ご主人様のやり方はそうだ。


 息を吸って、吐いて。


 僅かに震える身体をなだめながら、続けた。


「そう思えば、辻褄が合う。あれほど優秀な人物が出張ってきているのはこの国を新たな稼ぎ場として定めているからで、スタートに躓く訳に行かないから。そしてご主人様は元々関係を持っていたからその計画の一端を話す事で、双方得をする形で引っ張ってきた。あれほどの大金を用意できたのもそれが理由…………違いますか」


 これが私の結論だ。


 今ある情報とご主人様との会話から考えられたのはこれだけ。


 大きな間違いはないと思う。


 それでも自信は無かった。


 私に見えている情報で考えただけで、見えてない情報があるかもしれない。でもご主人様が提示してくれた情報は、余さず組み込んだ筈だ。

 

 恐る恐る返答を待っている私に対し、冷ややかな視線を送るご主人様。


 怖い。


 心臓が脈打っている。


 こんなに恐ろしいと思ったのはいつ以来でしょうか。


 思い出せないくらいには昔の事なのは確かですが、懐かしいと思う余裕はありません。


 そして体感たっぷり一時間程――実際には数十秒――長い時間をかけて、フッと軽く笑いながら、ご主人様は高らかに言った。


「…………ふっ、ふはははっ! そうか、お前はそこに辿り着いたか!」


 立ち上がり、近寄ってくる。


 あ、えと、どうすれば……座る、えっと、奴隷の身分は忘れるなって言ってましたし――っっっ!!!?


 肩を掴まれて、顔が近くて、えっと、えっ、ぁ……!?


「ヴェリナ! お前を選んで正解だった! こんなに優秀な人材を性奴隷として扱った醜い豚がなんと愚かで救いのない事か!」


 一瞬、フラッシュバックしたかつての記憶。


 嫌だと抵抗した私を複数人で抑えつけ、思い切り体重を乗せて腰を打ち付ける醜い男の姿。


 それを睨みつけることしか出来ずに、結局回されてしまう事の繰り返し。


 暴力的な男に逆らえない現実。


 武家の娘として鍛えた全てを否定された悪夢の日々。


「っっ……!?」


 ヒュ、と息が乱れた。


 いやだ。

 やめて、離して。

 そう叫びたくなる。

 それでも、恐怖をぐっと抑えつけた。


 大丈夫、大丈夫落ち着いて、私。


 落ち着くんだ。

 もう、あんな風にはならないから。


 ご主人様がそう言ったじゃないですか。


 強要するようなことはしない、そして私には、将軍としての役割を期待してるって。


「――――改めて、もう一度言おうか。ヴェリナ・カレンブルグ」


 ハッキリと私の目を見つめたまま、ご主人様は告げる。


 その瞳に情欲や色欲は無く、ただひたすらに熱い野望のみがギラギラと映し出されていて。


 ――きっと私は、それに魅入られてしまったのだと思う。


「俺はお前が欲しい。今はまだ辺境領主に過ぎないが、数年後起きる大乱で俺は一気に天下に躍り出る。この国を平定し、他国に負けない国を作る。この不正と汚職に塗れて腐りきった国を塗り替えてやる。そのために、お前が必要だ」


 なんて、なんて正直な告白。


 私は奴隷なのに、奴隷が主人に従うなんて当たり前の事なのに。


 この言動すらも打算がこめられているとわかっていても、こんな風に求められてしまっては。


 応えないなんて事は、選べない。


「…………ご主人様、いえ、ヨハン・シュヴァルツ様」


 肩を掴んでいた手に軽く触れて放してもらう。


 そしてその場で跪き、片膝立ちの姿勢になった。


「旧カレンブルグ子爵家当主として、貴方様の奴隷として、誓います。生涯貴方の野望を実現するために心血注ぐこと」


 ……姫様。


 貴女は無事に逃げおおせたのでしょうか。

 

 いつかそれを知る日はくるのでしょうか。


 このような身に成り果てた私ではありますが……それでも、貴女が今でも幸せに暮らせている事を祈っています。


 そして、申し訳ありません。


 貴女を主と定めていたのに、他所に気を移してしまう愚かな私をお許しください。


 仰ぐべき主を、ここに見つけてしまいました。


 身も汚れ、武家の娘として培ってきた全てを否定され、屈辱塗れの人生を送ってきた私の事を必要だと言ってくれる方を。


「不肖、カレン・ヨハンブルグ。この身朽ち果てるその時まで、ご自由にお使いください」


 

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