第十一話


 村の中でも一際大きな建物。


 堂々と『ジルベール商会』と書いている看板はこの小さな村には似つかわしくない。


 店頭に並んでいるものは比較的安物ばかりだが、それでも、日々の生活に苦しんでいた者達では手の届かないもの。


 俺が領主になってから貨幣制度を整えたからこの地の領民でも半年まともに働けば金は手に入るが、それでも高級品と言って差し支えないだろう。


「いらっしゃい! おっと、領主様でございましたか。これは失礼を」

「気にするな。ヴァレリーは?」

「上に居ます。特に予定も無い筈です」

「わかった」


 店の前で暇そうにしていた男に声をかけて目的の人物の位置を聞き出してから、なんの遠慮も無く中に入っていく。


 階段を上り廊下を進み、二つ目の扉の前で立ち止まる。


 コンコンコンと三度ノックを鳴らしてから、返事を待たずに開いた。


「……どうも領主様。そろそろいらっしゃる頃だと思っていましたよ」


 窓を背に、暇そうに座っている男。


 こいつが目的の人物、ヴァレリーだ。


「随分待たせたようだな」

「ええ、待ちくたびれました。生憎ここでは仕事と呼べる事がほぼないものですから」

「ふっ、だから言っただろう。俺の部下になれと」

「いえいえ、私のような身分の人間に国政は勤まりませんよ」


 それで、と一度区切りながら続ける。


「ハイゼンベルグ侯爵閣下への贈り物ですね?」

「……相変わらず耳が早い」

「商人にとって情報は命ですから」


 流石は天下のジルベール商会と言ったところか。


 まだ情報網が完成してないだろうに、それでも十分すぎる働きをしてくれる。


「……して、後ろのそれが買い取った商品ですか」

「名をヴェリナ・カレンブルグ。将来的に軍事方面を任せる予定だ」

「そりゃあお得意様になるかもしれませんね。ご挨拶が遅れて申し訳ありません、ヴァレリー・フランソワと申します。以後お見知りおきを」

「……よろしくお願いします」


 立ち上がり綺麗な礼をしたヴァレリーに対し、ヴェリナも凛然と礼を返す。


 さっき俺に言われたことも含め、これからロクでもない話が行われると悟っているのか、ヴェリナの表情は暗い。


 散々陵辱され精神を攻撃されたと言うのに、こいつはまだ心が清いままだ。


 その精神性には脱帽する。

 奴隷に落とされ女としても人としても辱められ、それでもなお自我を保っていることは称賛に値することだ。


 それでいて己が奴隷であるという自覚すらある。


 こんなに都合のいい人材がいるだろうか? 


 いや、いない。

 世界中探しても見つからないかもしれない。

 こいつに大金をかけたのは正解だった、間違いじゃなかった。


 そしてこれからは俺の本質を理解し目的を共有し、真に俺の役に立てるようにならなければならない。


 それをこの商談で悟れるかどうか。


 もし悟れないのであれば…………教育するしかなくなる。


 それは手間だ。

 恐怖や支配で押し付ける野望なんてものの末路は決まっている。


 だからどうか悟ってくれ。


 そして俺の野望に身を捧げろ。


 もはや奴隷に落ちたお前に出来ることはそれしかないのだから。


「さて、それでは商談といきましょうか」

「ああ。何を送るかは既に決めてある」


 既にこいつも察しているだろう。


 数日前にアンネローゼを捕まえたのはこの村の中だ。


 現状一件だけ存在する宿泊施設にあいつの部下が押し込んで、そこで食い逃げさせた。


 俺が仕組んでいるなんて領民は思っていない。


 貴族の權利を振り回す食い逃げ犯を捕まえるために出動した領民想いの領主様、とでも思ってるんじゃないか? 


 そうなるようにこれまで散々演じてきている。


 ヴェリナが勘違いしたように、領民にとって俺は『民のことを考えてくださる善良なる領主様』らしいからな。


「こないだ捕まえた餌、それと買取金額3000万を送る。商会の力を借りたい」

「ほほお、3000万でございますか」

「これだけの大金を輸送する大仕事、いい足掛かりになるだろう?」

「はい。名を挙げるいい機会になるでしょう」

「だがあの餌は少し暴れん坊だ。俺が直接矯正してやってもよかったが、侯爵閣下は生意気な方が好みだとも聞く。一商人にそのようなものを運ばせるのも忍びない、護衛として戦力を渡そう」

「それはありがたい。もし賊にでも襲われたら大変ですから」

「まったくだ。賊にでも襲われて金を奪われては元も子もない」

「それで、賊の規模はどれくらいで?」

「ミュラー侯爵の統治はもはや崩れ始めている。だが他者に睨まれる原因を作るのは悪手が故、おそらく小隊規模だ」

「それくらいなら打ち倒せる、と」

「舐めるなよ。最大規模の中隊までなら撃滅出来る」

「──いやはや、流石と言うほかありませんね」


 膝を打ち愉快に笑みを深める。


「いつから狙っていたんですか? 偶然・・と言うには出来すぎている」

「さあ、いつだったか。去年か、一昨年か……それこそ一週間前に知ったのかもしれん」

「言うつもりはない、と」


 2年前、サードを各侯爵の元に潜らせて情報を抜き取らせた。


 とは言ってもそれなりに防諜力が高く、ミュラー侯爵とハイゼンベルグ侯爵以外はあまり有益な情報は集まらなかったが……その持ち帰った情報の中に、ヴェリナの情報が存在した。


 それからだ、俺の計画が現実味を帯びて急速に進められていったのは。


 その事実を知るのはファースト、セカンド、サード。


 そして俺の協力者の一人である、ジルベール商会のトップと側近のみ。


「長い雌伏の時でしたねぇ……」


 くつくつと喉を鳴らしながら、ヴァレリーは楽しそうに笑う。


 本当に長かった。


 だが、ようやくスタートラインに辿り着いたにすぎない。


 これから俺たちはゴールまで走り続ける。


 止まることは許されない。


 どんな障害も敵も打ち倒し、野望を叶えるその日まで。


「蜘蛛の巣のように情報網を張り巡らせろ。一年以内だ」

「ハイゼンベルグ侯爵閣下からの信頼も多少買えますし、可能でしょう。早急に整えます。それに加えて賊を討伐することで治安の良さと武力の高さをアピールし、更に領内発展を促進させる、と……いやいや本当に、恐ろしいお方だ」

「優秀な協力者がいてこその計画だ。俺一人の力ではない」

「その協力者を見つけることにも力が要るのですよ、ヨハン様」


 気がついているか、ヴェリナ。


 中隊規模の賊を倒せる兵力があるのに、領内の賊を野放しにしている事実に。


 俺は良心や道徳に従って生きている訳じゃない。


 全て打算だ。


 俺の野望を叶えるために何が必要で何が不要か、それを行動基準に定めているに過ぎない。


 領民のことを考えるなら、賊もさっさと制圧しておくべきだろう。


 そうしないのには理由がある。


 出来ないからではない。

 今はまだやらない方が利用出来るから放置している。


 事実、この村以外を積極的に守護するようなことはまだしていない。そんなことをしてしまえば、『辺境なのに治安がしっかりしている』と噂が広まってしまうからな。


 非効率的で非合理的な判断ばかり下す貴族どもとの違いはそれだけだ。


 俺は役に立つものならなんでも利用する。


 骨の髄までしゃぶりつくす。


 余すことなく利用し尽くし、必要がなくなったときに容赦はしない。


 そう理解しておかなければ、後で痛い目を見るのはお前だ。


「準備が整い次第お屋敷までお伺い致します」

「ああ。待っている」


 立ち上がり、振り返る。


 そこにはいつも通りの表情をしたファーストと、会話内容である程度察したのか、じっと俺を見つめるヴェリナ。


 これが現実だ。


 お前を買った新たな主人は決して善人などではない。


 勘違いをするな。


 そうした方が結果的に得するからで、必要ならば非人道的な手段を取ることに躊躇いはない。


 そしてこれからお前はそれに加担する。


 かつての自分のように、武家の娘でありながら奴隷に身分を落とされた女を売る所業にな。

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