第九話
私を買った新たな主人が部屋を去ってから、僅かに不気味な静寂があった。
それを壊してくれたのは先ほどご主人様と戯れあっていたメイドで、何事もなかったかのような態度で軽く話を切り出した。
「それじゃあ、早めにこれ食べちゃいましょうか。髪も切らないといけないので」
「……わかりました」
「味付けは薄いですけど、ちゃんと美味しいですよ!」
湯気が立っている器の乗ったトレーを受けとるために身を起こす。
さっき、ご主人様は寝たままでいいと言った。
配慮、だったのでしょうか。
奴隷である私に、配慮を?
まさか、そんな訳はないと思いつつ、トレーを受け取った。
「あ……」
思っていたより重たくてびっくりしたけど、そのまま膝の上に置く。
それよりも、器の中身に驚かされる。
美味しそうだった。
少量だけど混ぜられた野菜に形のしっかりとした粒。
不揃いで出来損ないの麦を磨り潰した粥ではなく、明らかにこれは贅沢品と呼べる一品だ。
思わず喉が鳴った。
「その……本当にこれをいただいても?」
「あまり好みじゃなかったですか?」
「い、いえ! そのようなことはっ」
だってこれは、奴隷が食べられるようなものではありません。
本来なら領主様や貴族が食べるものです。
一般的な領民が食べられるものですらない。
それを、私のような奴隷が口に含んでいいんでしょうか……?
そんな私の葛藤を見透かしたように、もう一人の控えていた方が言う。
「……いいんですよ」
「……ファースト様」
「様、なんて結構です。私も貴女と同じご主人様の奴隷ですから」
奴隷。
こんないいベッドで眠れて、暖かい食事を食べられて、身だしなみも整えられる奴隷なんて聞いたことがない。
恐る恐るスプーンで粥を掬う。
それをゆっくりと口に運んで、はぁ、とため息が漏れてしまった。
「……おいしい…………」
おいしい。
こんな贅沢が許されてしまっては、もう何も言えない。
私は周囲の目も気にせず、次々と粥を口の中に放り込み続けてしまった。
「うっ、うぅ……」
夢中で食べている最中、これまでの生活が脳裏に思い浮かぶ。
私の国は決して裕福ではなかったけれど、幸せだった。
国主様が自分から農民と共に畑を耕したり、街にお忍びで遊びに行ったり、とにかく親近感を持ちやすい方だった。子供からの人気もあって仕える家臣も致し方ないとあきれ半分でありながらも認めていた。
温かい場所だった。
私もいずれこの方のお役に立ちたいと、子供ながらに思った。
そして武家の娘で王女様と年齢が近かったことから側仕えに抜擢され、王女様のために身を捧げると誓った。
だけどそう現実は上手くはいかず……
同盟を結んでいた筈のヴァイセン王国が突如として侵攻を開始し、不意打ち気味だったこともありあっという間に領地を占領された。私の両親も戦場に出て懸命に戦ったが、父は殺され、母はその場で……口にするのも憚られる扱いを受けて、処刑されたと聞いた。
敗戦が続き敗色濃厚な雰囲気が漂い始めてから更に事態は悪い方向へと傾いた。
次々諸侯達が寝返り始めたのだ。
中には王子の首を手にヴァイセン王国に寝返る者まで出る始末で、本当に末期としか言い表すほかなかった。
そんな中で王女とご子息だけは守り抜かなければと必死に抗った。
残った僅かな正規兵と寡兵を率いて、ギリギリ逃すことが出来た。
あの方達さえ生き残ってくれればいい──あの時一緒に戦った皆がそう思っていた筈です。
でも……
それからの日々は、地獄と表現することすら生温かった。
「ううっ、ぐす、うぇ……」
好き放題に身体を弄ばれて、女として徹底的に陵辱された。
生活すら奴隷として制限され人として生きることすら許されず、時には意識を失っても犯され続けた。
共に戦った仲間の目の前で犯された。
そして仲間に交じわることを命じて、達さなければ殺すと戯れで遊ばれた。
私の上で達したかつての部下が、そのまま首を刎ねられて死んだ。
私の目の前でかつての部下を犯しながら、嬲るように串刺しにして殺した。
それでも私は生き延びた。
敗軍の将でありながら、あの戦いで名を立てた女だったから。
そんな女を捕えて自分の物だと誇示するために、殺されないギリギリの状態でずっと陵辱され続けた。
「どうして、私だけ……!」
殺して欲しかった。
共に戦った皆が苦しむ姿をずっと見続けた。
私を捕えた男の趣味は最悪で、心をへし折るためにありとあらゆる手段を使ってきた。
最後には部下は皆殺しにされた。
男は首を刎ねて、女は散々弄ばれた後に。
それを目の前で見せつけられて、悔しくて悔しくてしょうがなくて、それでもどうすることもできなくて、泣き喚くことしか出来ない自分の無力さに死にたくなった。
今になってこんな扱いを受けて、一体どうすればいいのかわからない。
私は無力だ。
主君を逃すことは出来ても、部下一人労わることすら出来ない愚か者。
武家の娘として築いてきたものはとっくに崩れ落ちて、ここにいるのはただの奴隷だった。
「……ルトラ。私がこの後連れていくから、先に準備してきて」
「……わかりましたー」
パタパタと部屋を出ていく音でハッと意識が現実に戻る。
慌てて涙を拭いても止まる気配がない。
「落ち着いて。大丈夫、ご主人様は酷いことをしない」
ファーストさまが優しい声で言いながら背中を摩ってくれる。
「私も最初は驚いた。奴隷だのなんだのって言いながらご主人様、全然奴隷の扱いしてくれないんだもの」
仕方ないと言いたげな声色。
それは間違いなく信頼と優しさによって成り立つもので、いつの日か国王様の文句を家臣が言っていた時と同じだった。
『全く、なぜ王は畑に向かうのだ。もっとどっしりと城で構えていてはくれんものか……』
『しかし、そうであるからこそ王は信頼されているのだろう。民の顔を見たか?』
『ううむ……しかし、些か距離が近すぎるのではないか? その、畑の王なんて言われている時は度肝抜かれたぞ』
『ふっ、それもまた愛嬌というものだろうさ』
『そういうものなのか……?』
『我らのように統治をするだけの時代も、終わりつつあるのかも知れん』
『……時代の流れ、か…………』
姫様の側仕えとして王城にいた頃耳に挟んだそんな会話。
結局彼らは最後まで戦場で戦っていたと聞く。
文句を言っているように見えて、その実それは信頼の裏返しだった。
「あ、ああ……!」
かつて私が良いものだと思っていたもの。
奴隷と領主、農民と国王。
その差はあれど、私が守りたかった幸せがここにある。
そのことを思うと、涙が溢れてくる。
何度もあの戦いが間違いだったのかと考えた。
私達が全てをかけて王女様を逃したことに意味はなかったのか、と。あの国の統治は間違っていたのかと。
王様も王女様も家臣もみんな間違いだったのかって。
肉体の凌辱に加え人格否定と嘲笑を受け続け心が荒み、やがてまともな思考すら放棄した。間違いだったと思ってしまった。
そんな私に待ち受ける最後なんて、ロクでもないものだと思っていたのに……
「ここで生活して、落ち着いたらまたご主人様に会いに行こう。大丈夫、ちゃんと待ってくれるから」
「はい、はいっ……!」
まだご主人様のことは何もわかっていない。
それでも、私を捕えて貪り尽くしたあの男とは違うのではないか。
ただの奴隷に気遣い、温かい食事を与え、名前も呼んでくれる。この国でずっと虐げられてきた私にとって、この扱いは反則とすら言える。
かつて王女様に仕えていた頃の自分ですら、そんなことはしてあげられなかった。
奴隷という存在を気にかけることはしなかった。
必要以上に痛めつけるようなことはしなかったけれど、その身分に落ちてやっとわかることもある。
どれだけ自分が奴隷という立場の者を傷つけていたのか、と。
尊厳を奪うようなことはしていなくても、食事は貧しく日々苦しい生活を強いられる。部下にはむやみやたらと手を出すなと伝えていたけど、奴隷のことは数としてしか見ることがなかった。
武家の娘として、富める者として自覚があった私ですらそうだった。
自罰に悔やむ暇もなくあの男の手によって絶望に追い込まれてしまいましたが……
ご主人様の見ている視点は、何かが違う。
話をして、しっかりと知りたい。
あの方が何を考えているのか、私に何を求めているのかを。
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