第八話


『すみませーん、入っていいですか?』

「ルトラか。空いてるぞ」

「はーい、お邪魔します」

「失礼します」


 暫く仕事を進めていると、ルトラとファーストがやってきた。


 ルトラはトレイを持ち込んでおり、湯気が立っているから完成した粥を持ってきたのだろう。


「流動食なら食えそうか?」

「おそらく。痩せていますが肉が完全に無いという訳ではないので、最低限は食べさせられたのではないかと」


 確かに頬が痩せこけている訳でも無いし、腕が細すぎるわけでもない。


 流石に抱き心地は優先したのか? 


 試しに腕、頬、足に触れてみるが、ファーストの言う通り肉が無いわけではないと感じた。


 だが、衰えている。


 武将の肉体とは思えない。

 鍛え直せばまた変わるだろうが、それなりの月日を要するだろう。


 まあ、そこは大きな問題じゃない。


 戦略策略は肉体の強さに左右される事はないからだ。


 俺を上回る、最低でも同等の軍略を持っていればそれが幸いだが……


「ん…………」


 む。


 身体を弄っていたら感触で気が付いたのか、僅かに声を漏らす。


 ちょうどいいタイミングだ。


 飯もある事だし、起こすか。


「おい、起きろ」

「んぅ……」


 起きない。


 頬を軽くペチペチと叩いたら、煩わしそうに手で払おうとしてきたのでその手を掴む。


「起きろ、ヴェリナ」

「……ぇ……?」

「いつまで寝ているつもりだ」

「……ぁ、あっ?」


 目が覚めたのはいいが、かなり疲労が溜まっていたのか、記憶があやふやな様だ。


 寝ぼけ眼をじっと見つめて手を握りながら続ける。


「忘れたのか。お前はハイゼンベルグ侯爵の手で奴隷に落とされ、数年間慰み者にされて来た。飽きた侯爵が手放したオークションで俺が購入した、思い出したか?」


 現実を叩きつける。

 どんな夢を見ていたのか知らんが、既にお前は俺の物だ。悪夢を見ていなかった事は確かだが、これから先もずっと奴隷という立場なのは変わらない。


 そして、俺の奴隷になったからにはそれ相応の扱いをさせてもらう。


 それを思い出したのか、一瞬青褪めた表情になった後、ヒュ、と息を漏らした。


「…………」

「返事は」

「っ、は、はい! 申し訳ありませんっ!」

「寝たままでいい」

「えっ……?」

「……寝たままでいいと言ったが」

「あっ、は、はい。ごめんなさい」


 横に立っているルトラがクスリと笑った。


 一々目くじらを立てるのも面倒くさい。


 生意気なメイドの態度は無視して、椅子に座ったまま話を続ける。


「ヴェリナ・カレンベルク。俺が新しい主人となる、ヨハン・シュヴァルツだ」

「ヨハン様……ですね」

「俺の事はご主人様と呼べ。名前を呼ぶのは俺が許した時だけだ」

「も、申し訳ございません」


 これはファーストにもセカンドにも徹底している。


『奴隷』と『部下』は全く違う。


 こいつらは部下である前に奴隷だ。


 俺の所有物だ。


 俺のために全てを考え捧げられる存在にならねばならない。


 だから根本的に俺の奴隷であることを忘れないために常に言わせている。


 ……まあ、ファーストとセカンドに関しては何も言わずとも忘れないだろう。


 そのくらいの信用はある。

 こいつもそれくらいになるように教育するから問題ない。


 しかし、髪の毛が邪魔だな。


「ルトラ」

「はいはーい」

「『はい』は一回でいい。後で髪を切ってやれ」

「わかりました。お好みでいいですか?」

「好きにしろ。変な髪型にはするなよ」

「お任せあれっ」

「……話の腰を折って悪かった。ヴェリナ、俺がお前に求める事は一つだけ。部隊を率いる人間としての役割だ」

「…………え?」


 何やら呆然としながら俺とルトラのやりとりを眺めていたヴェリナに不意打ち気味に伝えると、これまた更に呆けた顔で言葉を絞り出した。


「ハイゼンベルグ侯爵がお前をどう扱っていたのかなんて事はどうでもいい。俺はお前の将軍としての能力に期待している」

「…………」

「いずれ部隊を任せるつもりだが、今はまだ兵の数が足りてない。ファーストに武芸師事を任せているがそれだってどこまで通用するか……正式な軍人としての訓練を受けさせているわけでもない。だから、国が滅ぶ瀬戸際で最後まで忠臣として貫き通したお前が欲しかった。わかるな」

「……ご主人様。少々お待ちを」

「なに?」

「困惑しています」


 は? 


 ファーストに言われてヴェリナのことを見たが、確かにずっと呆けた顔をしていた。


 チッ……


「……言っておくが、お前に拒否する権利はない。奴隷とはそういうものだ。お前だって奴隷を使役してきただろうし、その身分に落とされて思い知っただろう?」

「ぇ、あ、はっ、はい。その……」

「なんだ。言いたいことがあるならハッキリ言え」

「え、えぇ……?」


 なんだこいつは。


 だがヴェリナ・カレンベルク本人なのは間違いない。


 長年の奴隷生活で心折られた様子もないし、国が滅んでもなお主人のために尽くした精神性は健在の筈だ。


 だがやはり長い間虐げられ陵辱されてきたのは効いているのか、不安定さを感じる。


 ……ああ、なるほど。

 そういうことか。


「……時期尚早だった。ファースト」

「はっ」

「暫くお前が世話をしろ。そして安定させろ。方法は問わん」

「承知しました」


 俺が立つと、入れ替わるようにルトラが椅子に座った。


 ふひー、なんて言いながらサボろうとするものだから、頭を軽く小突いて注意だけしておく。


 もしファーストやセカンドがサボろうとしていたら全力で引っ叩くが、こいつは奴隷ではなく従者なので俺も悪い扱いをするつもりはない。


 俺の所有物ではないのだ。


 この国の法律上、こいつらには権利が存在する。

 従者として雇いこの屋敷の管理全般を任せる代わりに金を渡す。ただそれだけの間柄であり、金を通さなければ関係は発生しない。金を渡してこいつにとって働きやすい環境であると思わせるのが大切だ。


 そうでなければ、いざというときに裏切られる可能性がある。


 それこそハイゼンベルグ侯爵の元にいたあの男のようにな。


 ──だからと言って怠けることは許さんが。


「あだっ」

「サボるなよ」

「サボってませんよぅ」

「フン、どうだか。ファースト、こいつがサボったら容赦なく叩け」

「はっ、委細承知!」

「ひええぇ……」


 そして、ヴェリナの問題点も理解した。


 俺が相手をするよりファーストに任せた方が早期解決が見込める。


 奴隷相手に気負っているのかと思ったから直接話そうと思ったが、おそらくそうではない。


 いや、それだけではないと表現した方が正しいか。


 どちらにせよ俺がやらなくてもいいことだ。


「1週間だ。1週間で気持ちを落ち着け現実を受け入れろ」

「…………」

「それまでは待ってやる、いいな」

「…………」

「……返事はどうした」

「あっ、はっ、はい……」


 ……セカンドの時にも通ってきた道だ。


 サードは飲み込みが早く数時間で慣れたようだが、全てがそうとはならない事はわかっている。


 だから任せた。

 これは俺じゃなく、奴隷同士に任せた方が早い。


 上手くやれよ、ファースト。

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