第七話
城塞都市ヘルネブルグを後にしてからおよそ2時間。
馬車の中が汚水のような臭いで満たされている中じっと堪え続け、ようやく領地に辿り着いた。
ハァ……
最悪の気分だ。
これほどまでに不愉快な気持ちにさせられたのは久しぶりで、恐ろしきハイゼンベルグ侯爵と言わざるを得ない。
よくもまああんなに臭い女を抱けるな。
その一点だけは尊敬してやってもいいが、そのまま他人に引き渡した事は減点だ。
くたばれ。
「ファースト……後は任せる」
「お任せを」
溜息を吐きながら外の空気を吸って気分を誤魔化しつつファーストにヴェリナを押し付ける。
毎日洗う、最低でも身体を拭かせていればこんな風にならないのにどうしてその手間を惜しむのか。
どう考えても他人の体液で汚れて臭い女より綺麗な女の方が抱いてて楽しいだろ。
「チッ……」
服も汚れた。
だが捨てる程余裕はない。
あくまで軍資金は軍資金であって、無駄遣い出来る訳じゃない。
非常に腹立たしいが、洗って使うしかない。
器量だと思われる訳にはいかなかった。
侯爵が見ていなくても、使用人であるヘルフも探りに来ていたあの状況で懐疑心を抱かれるような行動は取れなかった。俺が偉くなったら徹底的に教育を叩きこんで毎日身体を清めるのを常態化させてやるぞ……。
「今戻った、ルトラはいるか!」
「はーい、お呼びですか?」
「汚れた。洗っておけ」
「わかりました~」
唯一雇ってるメイドを呼び出してジャケットをもっていかせる。
幸いズボンやベストは触れてないから、ジャケットさえ変えれば最低限マシになる筈だ。
執務室まで足を進め、普段から利用している柔らかくも無い安物の椅子に座って一息吐く。
「お疲れ様でした、ご主人様」
「……想定していたより金は使わなかった。資金で言えば1000万近い浮いた金が出来た」
確実に役に立つ将軍一人を引き入れるチャンスなんて滅多に無い。
なぜなら金を支払っても仲間になるとは限らないからだ。
彼らには誇りがあるし、人間関係があるし、家庭もある。
ハイゼンベルグ侯爵のように悪徳の道を歩み続ける奴は多いが、そうではない奴も決して居ない訳ではない。
特に真面目な貴族ほどその傾向がある。
アンネローゼが良い例だ。
あいつにはいくら金を積んでも俺の味方になる選択肢はないだろう。俺は一般的に悪徳領主と言われる側であるし、ノブレス・オブリージュを掲げる貴族からすれば唾棄すべき存在。
だから今回、この機会は絶対に逃すわけにはいかなかった。
俺が領主になる前から貯めていた資金も利用してヴェリナを手に入れたのはそういう理由があったからだ。
「隠れ里の規模を倍にする。その費用に半分回せ」
「あまり大々的にやると悟られる可能性が高まりますが……」
「これからはもっと急速に整える必要がある。寧ろ呼び水になってちょうどいい」
何の力もない辺境領主として探られるのは嫌だったが、侯爵に一目置かれるただものではない辺境領主としてなら構わない。
既に表舞台に立つ第一歩は踏み出している。
準備が整わない間に計画が崩れるのを嫌っただけで、いつまでも隠すものじゃない。
「残った半分で領地発展を進める。数年は内政に注力できる筈だ」
「
「……一度呼び戻す。ヴェリナとの顔合わせも済ませておきたい」
「そのように手配します。おそらく1週間程度かと」
「それでいい」
現状戦力と呼べる人材は数える程。
単騎性能としてはファーストが、政治能力に関してはセカンドが、諜報要員としてサードが。
本当に最低限だ。
辺境領主としては恵まれた方でも満足できない。
それに関してはそれこそ、数年スパンでの見通しだ。
後はヴェリナが上手く機能することを祈るしかない。
「後は、そうだな。隠れ里のリストは持っているか」
「はい、持っていますが」
「その中からお前が部下に出来そうだと判断した人物をピックアップしろ」
「──……! それはつまり……」
「ここに引き上げて経験を積ませる。居ないのであれば作るしかない。率いる立場としてではなく、現場管理を行える奴を選べ」
「はっ!」
もう一人秘書が欲しい。
いつまでもセカンドをここで遊ばせていられる訳ではない。あいつにはもっと広い範囲で仕事をしてもらわねばならん。
退出したセカンドを見送り、思案に耽る。
総合的に評価してオークションは大成功だった。
目的の商品であるヴェリナも手に入れ、尚且つ資金は余った。
領内開発に力を注ぐ余裕が出来て俺の名を広める第一歩として最高の一撃を繰り出せただろう。
暫くはこのままでいい。
次に狙うべきも人材。
だが、ただの人材ではない。
ただ働けるだけの奴は求めてない。
優秀な人材が必要だ。
農業、治水、林業、漁業、商売、軍事。
それぞれのプロフェッショナルと呼べる人材が要る。
それこそ、この小さな領地を一つの国に見立てて運営出来るほどの奴らが。
そのための布石を今回打つ事に成功した。
沢山金を持っている地方領主で、統治も悪くなく、他領地からの流民を迎え入れ領内発展に勤しんでいる優秀な領主だと貴族諸侯に知らしめた。
大量の金を使って奴隷の一体を買っただけだと判断される可能性もあるが、それも問題ない。
聡い奴ならば気が付くだろう。
ヴェリナの付加価値は奴隷であることではない。
かつてこの国を相手に戦い抜いたことにあるのだ。
もしかすると、会場に居たあの若い男も俺と同じ狙いだったのかもしれないな。
「…………これも、サードに追加で調べさせなければ」
これからの展望について考えていると、扉をノックする音が響いた。
『ご主人様、ファーストです。よろしいですか?』
「入れ」
既にドレスから着替えていつもの服装になったファーストが入ってくる。
「ヴェリナの洗浄、終了しました。栄養不足による体調不良が見られましたので、ルトラに粥を作らせています」
「意識はあるか?」
「今はありません。ですが、恐らくご主人様の危惧するような事にはなっていないかと」
「…………つまり、精神はまともだと」
「はい」
「なぜそう考えた」
「会話が出来ました」
「何を話した」
「私の境遇について話していたら、『ごめんなさい』、と一言だけ」
──…………。
「……わかった。ファーストはルトラと一緒に食事の準備をしてこい。俺が代わりに見ておく」
「よろしいのですか?」
「ああ。俺が直接相手した方が間違いがない」
奴隷の身分から脱出することはないが、ヴェリナにはこれから俺のために働いてもらわねばならん。
ファーストとヴェリナに直接的な関りはないだろうが、念には念を入れて、だ。
錯乱されたら面倒くさい。
「部屋はどこだ」
「私の部屋に」
「わかった」
机の上に置いてある書類を幾つか手に持って外に出る。
ファーストの部屋は2階、俺の部屋の隣だ。
警備の関係上それが最も都合が良かった。
執務室から移動して数十歩、特に広くもない屋敷の中だからすぐ到着する。
一応ノックをしてから反応が無いのを確認して入室した。
「……寝ているか」
ファーストの言った通り今は意識が無い。
その内起きるだろう。
これからの計画を改めて整理するために纏まった時間が欲しかったし、ちょうどいい。
仕事を進めながら待つとしよう。
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