第六話


「くふふ、3000万とはよく出したものだな」


 壇上に上がった俺を迎えた侯爵は上機嫌そのもの、汚らしい体躯に見合った熱を放っていて非常に不愉快だ。


 だがそれは表に出さない。


 そもそもヴェリナ自体が臭い。


 奴隷の身体が何日間も汚れたままなのは常識で、この女もその類に漏れることはなく、悪臭を漂わせている。


 それなのに侯爵は全く気にしてない様子だ。

 ここまで来ると逆に心が広いんじゃないかと錯覚してしまう。髪もボサボサで肌も薄汚い、まあ、買い取った後時間をかけて綺麗にしてやればいい話だからそれはいいんだが。


 顔を顰めそうになるのをぐっと堪えながら、俺は侯爵に頭を垂れた。


「名はなんと申すのだ」

「はっ、ミュラー侯爵直轄地ヴァルバッハ領主、ヨハン・シュヴァルツでございます」

「ほう……ミュラーの」


 この国に侯爵は5人いる。


 ミュラー侯爵はその中で最も力の無い侯爵だ。


 20年前は一番力があったらしいが、新たな勢力の台頭に対応しきれず弱体化した結果今に至る。


「ミュラーの元でそれだけ金を蓄えるとは、よほど商才に満ち溢れていると見た。どうだ? 儂の元に来ぬか?」

「身に余る光栄です。しかし、我が領地には愛すべき領民たちがいらっしゃいますので……」

「ふっ、フハハハ! 愛すべき領民か、ハッハッハ!」


 性欲に塗れた肉ダルマだが、やはり無能ではないか。


 皮肉も理解しているし、それを楽しむユーモアもある。


 少なくとも政治面に関してはまだ敵に回さない方がいい。


「ヨハンと言ったな。もし気が変わったら儂に使いを寄越せ。いつでも歓迎してやろう」

「はっ! もったいなきお言葉、感謝いたします」


 どよめきが走る。


 侯爵直々の勧誘を断ったのにも関わらずそれでもと再度言われたのだ。


 それも、ただの辺境領主が。


 俺がただものではないと周囲に認知させる事にも成功し、ハイゼンベルグ侯爵の評価を得る事にも成功している。あとはヴェリナが廃人になってない事を祈るのと、これから関わろうとしてくる貴族共を探るだけだ。


「くふふふっ! メインはこれにて終わるが、まだまだ儂のコレクションは尽きん。本命が手に入らなかった者も、もしかすると気に入る奴隷がいるかもしれんぞ?」


 そしてまた下品な笑い声をあげながら、侯爵はヴェリナを引っ張って歩いて行った。


 俺もそれに続くように降壇すると、すぐに貴族たちが群がってきた。


「いやはや、まさか一領主からそれだけの金額が出てくるとは想像もしておらんかったぞ。何者だ?」

「しがない辺境領主でございます」

「ただの辺境領主にかような買い物出来るとは思えんのだがなぁ」

「シュヴァルツ殿とお呼びしても?」

「構いませんよ」

「おっと、抜け駆けはよくありませんな。私もシュヴァルツ殿と話したいと思っていたところですよ」


 辺境領主と侮られると考えていたが、俺の想像よりハイゼンベルグ侯爵の機嫌を取ったという事実は重いようだ。


 羨ましいだの凄いだの素直に言ってくる。


 侯爵の認めた人間を貶せる程度胸のある奴は居ない、か。


 俺もそうだ。

 今はまだそうするには早すぎる。

 どれだけ醜い相手であっても利用せねばならない。


 だから見抜く力が必要だ。


 ただその場に合わせておべっかを使っている奴なのか、利益に繋げたいと思っている奴なのか、俺と同じように奥底で何らかの計画を練っている奴なのか。


 暫く貴族諸侯の相手をして探ったが、どれもこれも当たり障りない事を言ってそれとなく場を流すばかり。


 己が優秀だとアピールするような奴もいない。


 伯爵のような大物は敢えて近寄るような事もしてこないし、今俺に話しかけているのは男爵か子爵だ。それも事前に調べた中でも特別関わる意義を見出せなかったような連中。


 ファーストに見張らせているあの二人は……


 ……見当たらない。

 あの若い男は俺に話しかけてくるかと思ったが、競り自体が終わって興味が無くなったのか? 


 いや、そんな訳はない。


 あいつは確実に何かしらの感情を抱いていた。


 あの目は普通じゃなかった。


 俺に対してか、それともヴェリナに対してかは定かじゃないが、調べなければならない相手に間違いない。


 名前だけでも確かめたいんだが……


 仕方ないな。

 だが伯爵関係を持っているという情報があればある程度探れるはずだ。


 幸い、まだ焦る段階じゃない。


 いつか敵になるとしても、それは今日明日の話ではないのだから。


「申し訳ありません、受け入れの準備をしなければなりませんので一足先にお暇させていただきます」

「おお、そうか。シュヴァルツ殿、またいつか機会があればよろしく頼むぞ」

「こちらこそ」


 適当に子爵をあしらい、セカンドを引き連れて会場から出ていく。


 外に出ると、そこには先程案内役を務めたヘルフと、ファーストが居た。


「お待ちしておりました、ヨハン様」

「侯爵閣下の元まで頼む」

「はっ」


 ファーストが外に居たという事は……俺が貴族共と話してる間に会場を離脱したのか。


 それも含めてさっさと話を聞きたいが、一先ず引き渡しを終わらせなければならん。


 あと馬車だ。

 早駆車を用意させる。

 あんな臭い奴隷と同じ馬車に乗って数時間も移動するなんて耐えられん。


 早駆車なら2時間程度で済むだろう。


「セカンド」

「はいっ」

「早駆車を用意しておけ。引き渡し後速攻で領地に戻る」

「承知しました」

「ファースト」

「はい」

「詳しい話は馬車で聞く。お前は俺に着いてこい」

「はっ」


 余計な出費……とは言わん。


 必要経費だ。


 ヴェリナを想定していたより安く手に入れる事が出来た。


 これは僥倖と言わざるを得ない。


 どいつもこいつも奴隷としての価値しか求めていなかったのか? なんのコネも無しにあれだけの実績を持つ将軍を奴隷として入手できるこの絶好の機会を、本当にそれだけの価値としてしか見ていなかったのか……? 


 もしかすればあの伯爵は狙っていたのかもしれないが、それでも、本命として投入できるほどの予算は集めてこなかったと見える。


 俺にとっては好都合で良い事だが、ますますこの国の行く末が不安になる。


「ヨハン様」

「なんだ?」

「あの奴隷を競り落とされた事、まこと喜ばしく思います」


 歩きながらヘルフが言ってくる。


 探りを入れて来たか。

 侯爵に言われたか、それともこいつがそもそも別の派閥からの内通者か。


「予想より高く・・ついた。全く、高い買い物だ」

「3000万ともなればかなりの金額です。それこそ私のような下働きには到底手の届かないほどの」

「予算ギリギリさ。おっと、侯爵閣下には言うなよ?」

「ははっ、心得ました」


 そう簡単に気を許すわけがない。


 俺が想定していたより絶対的に安く済んだし金額も余裕だ。


 領地経営だけでこれだけの金額を稼ぐのは難しいが、それだけじゃない。領地を経営してるからこそ利用できる金の稼ぎ方というものがあるのだ。


 だがそれは別に伝えない。

 バカ正直に全て話す事はしない。

 己だけが有しているアドバンテージを捨てるなど愚の骨頂、侯爵の機嫌を取っているのは都合がいいからにすぎない。


 こいつが誰のために情報を集めようとしているのかは知らんが、タダでは何もやらん。


 少し世間話にもならない軽い話題を適当に投げ合いながら、やがて目的の場所に辿り着く。


 扉を4度ノックした。


「侯爵閣下! ヨハン・シュヴァルツ様をお連れしました!」

『おお、入れ入れ』


 そのままヘルフが扉を開き、入室を促してくる。


 意図を汲んで足を踏み入れた。


 中には侯爵本人と相変わらず首輪を付けられたままのヴェリナ、そして複数人の護衛と執事。


「待っていたぞ、ヨハン」

「遅くなり申し訳ございません、侯爵閣下」

「よいよい。此度は単純な奴隷売買に過ぎんから、別に雑多な事務が増えたりもせぬしな」

「寛大な御心に感謝いたします」

「……して、如何いたす? 今ここに金を持ってこれるか?」

「難しいですね。明日中には必ず」

「ふむ……」


 顎に手を当てて思案する仕草をしているが、大方もう決めているだろうな。


 想定している最悪はこの男が政治観もプライドもぐちゃぐちゃの適当人間で、この場で「やっぱ無し」と言われる事。後は俺の身分を疑って売ってくれない事だが、招待状で正式に招かれている上に領地も伝えた。

 あれだけの人数の前で言えば嘘を吐いていると思われる事も少ないだろう。


 そしてそれは結果的に功を奏したと言える。


「よろしい。ヴェリナはこの場で引き渡そうではないか」

「こちらは後払いとなってしまいますが……」

「問題ない。儂はお前が気に入ったぞ」

「恐悦至極に存じます、閣下」

「さっきも伝えたが、ミュラーに不満があれば儂の元に来い。もっと広い領地を預けてやるのもいいぞ」


 金になると見込まれたか。


 これから俺はもっと頭角を現していく必要がある。


 後ろ盾になっている人にも『最低でも国王直々に表彰される様な実績を残せ』と言われてしまっているし、他の選択肢はない。


「そうなった時は是非頼らせて頂きますよ」

「うむ。おい! 鍵を持ってこい」


 突っ立っていた執事の一人が侯爵に鍵を渡した。


 ヴェリナの首輪の鍵だ。


「これを引き渡したらお主の物だ。あまり反応は楽しめぬだろうが、好きに扱うといい」

「はっ!」


 一度頭を下げてから、直接手に取る。


 そのまま鎖も受け取った。


 酷いニオイだ。

 なんでこいつと同じ空間に入れるのかわからない。

 鼻がひん曲がりそうだが、もうこいつらは慣れきっているんだろう。


「行くぞ」


 引っ張ると特に抵抗なく着いてくる。


 それどころか身体を密着させてきて、最悪の気分だ。


 必死に顔を顰めそうになるのを堪えながら腹に腕を回して連れていく。


「それでは侯爵閣下、これにて」


 ファーストに押し付けたい。


 だがここは我慢だ、我慢。


 あの頃に比べればマシだ。

 俺自身、似たような環境に居ただろう。

 この程度問題ない、全く、全然余裕だが。


「……ヨ、ヨハン様」


 ファーストの控えめな声が耳に入る。


「よければ私が……」

「……気にするな。それより、さっさと行くぞ」


 こんな所とっとと撤収だ。


 既に目的は果たした。


 それに、お前のドレスだって安くはない。


 今のヴェリナの汚れはただ不潔なだけじゃない。

 色んな体液が混ざり合ってる臭いで、お前にもそれはわかる筈だ。


「……わかりました。何か不都合があれば、何でもお申し付けください」


 それでいい。


 屋敷の外まで出て、ヘルフとはそこで別れた。


 もう会う事も無いだろう。

 もし会ったらその時はまた、この出会いを利用してやるさ。


「ヨハン様、こちらです!」


 門の外に既に待機しているセカンドと馬車。


 ああまったく、お前は仕事が早いな。


 帰ったら特別に報酬を与えてやる。


 どうやら俺が自分で想像しているよりヴェリナの悪臭には精神を削られていたらしい。戦場よりよっぽど酷い臭いで、こんなにも汚くて臭い奴を抱いてる奴の気持ちが知れなかった。


「……ファースト」

「はい」

「悪いが、話は戻ってからだ」

「承知しました」


 これから2時間、極限まで汚された奴隷と共にいなければならない。


 領内に戻ったら速攻で洗ってやる、覚悟しておけよ。


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