第一話
「よくやってくれた、ヨハン殿」
「こちらにとっても利のある事でしたから」
アンネローゼを捕えて裏切った部下二人を処理し獣も掘り起こせない地下深くに埋め立てて三日後、一人の男が屋敷に訪れた。
名をエトムート。
アンネローゼの叔父にあたる人物だ。
そして、俺にアンネローゼを捕縛する作戦を持ちかけて来た最低のクソ野郎でもある。
「予定通り部下は殺し痕跡は消しております。領内どこを探索されても痛みはありません」
「やはりお主は出来る男だ。俺の部下に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいぞ」
「武家の方からすれば政務に傾倒する文官など唾棄すべき者でしょう」
「ふははっ、よく知っているな。だからこうやっていとも容易く陥れられるのだが」
姪を牢獄に放り込んでこの態度だ。
下衆外道とはこのような男の事を指す。
勿論それに協力した俺も人に言えたことではない。
「さて、挨拶はこれくらいにして……セカンド、槍を」
「はっ」
握手していた手を放して、セカンドから槍を受け取る。
アンネローゼが持っていた朱槍だ。
所々趣向を凝らしているものの、実戦において邪魔にならないものだとファーストのお墨付き。
ただ装飾が施されているという事はつまり大量生産品ではないという事で、表に出せない逸品と化している。
「おお……! これは間違いなく、あやつの朱槍!」
「今しばらく世には出せませんが、機会を見計らって闇市に流す予定です。エトムート様にはその時手にしてもらえれば」
「あいわかった。何から何まで助かる」
「いざという時の武将のために財政を管理するのが我々文官の務めですので」
「……やはり、一領主にしておくには惜しいのう」
フン、腐れ脳筋が。
おべっかに決まっているだろ。
この国の武将は頭の中まで筋肉で出来ている猪が多い。
エトムートは家の武将を脳筋だと見下しているが、俺からすればお前も同類だ。
名誉や誇りの為に身内を陥れる行為のどこに理性がある?
それも、違法行為だと言われている薬物栽培で金を稼いでいたのが露見しそうになったから姪を処理して欲しい等と言ってくる男に、一体どうやって知能を見出せばいい?
抱く嫌悪感も苛立ちも全て腹の底に潜ませて、苦笑いしながら答えた。
「私には過ぎた席ですよ。このような辺境領地一つで精一杯ですから」
「くはは、言いよるわ!」
「それで、エトムート様。申し訳ありませんが……」
「む、そうだったな」
そう言いながらゴソゴソと懐を弄り、取り出したのは白封筒。
封筒で取り扱う書類なんてのは数えるほどで、これは非常に珍しい。貴族にでもなれば珍しくないのだろうが、今の俺はただの辺境領主に過ぎない。
仕事も手紙での処理が基本だ。
そしてつまり、わざわざ封筒に包まれて送られてくるという事は、それは貴族間で扱われる様な高級品であるという事。
「ヘルネブルグで行われる奴隷オークション、その招待状だ。求めていたのはこれであろう」
「はい! ありがとうございます……!」
「うむ、今回は俺も助けられた」
感謝と共に頭を下げる。
散々脳内で扱き下ろしているものの、それとこれとは話が別だ。
俺はクズを相手に金を稼いでいる。
クズは金勘定だけで動く者、だけではない。
普通の人間と同じ、感情をもって動く奴も多い。
全ての相手に同じ対応をするなど愚鈍の極みだ。
一人一人の性格を把握し、何を求めているのか、どんな人間なのか、優先しているものは何か、そうやって分析して己を変える。
クズを相手にしているという認識もあるが、それ以前にこれは金稼ぎ。
つまり商売。
商売で客の機嫌を取らないバカがいるものか。
武家の人間は己が偉大で上にいる存在だと思っている事が多く、この男もその例から漏れることはないタイプだ。
だからこうやって頭を下げる事も苦にならない。
金を支払うならまだしも、感謝を口にしながら頭を下げれば有利な取引を行える可能性が高まるのならやり得だろう。
頭を上げてエトムートに向き合えば、その背後に控えたセカンドが極寒の視線でエトムートの背中を見ていた。
……後で説教だ。
「この招待状はあくまで別の人物から届いたことになっている。俺の分は別で用意してるから、口裏を合わせる事は怠るな」
「心得ています」
「……だが、よいのか?」
「……は、よい、とは?」
「これまで堂々と裏に顔を出す事はしてこなかっただろう。これを欲しがるという事は、質のいい奴隷を求めている、という事に他ならない。一気に裏社会に姿を現す事になるぞ」
なんだ、そんな事か。
ヘルネブルグで行われる、貴族向けの奴隷オークション。
ファーストやセカンドを拾った時とは違い、
たかが辺境領主に手が届くような商品では無いのだ。
だから俺がその場で手を挙げて制する事があれば注目を浴びる。エトムートのような脳筋ではない、もっとあくどい反吐が出る悪党がにじり寄って来るだろう。
──問題ない。
武力に関してはファーストを筆頭に育ってきた。
アンネローゼを正面から抑え込めるのなら十分だ。
私兵を持つことは国によって禁止されているが、半ば形骸化しているため問い詰められる事もない。仮に問い詰められても山奥に秘匿しているからいくらでも対策できる。
政治的な後ろ盾もある。
これに関しては易々と頼る事は出来ないが、相応の人物なら俺の後ろ盾を理解できるし、そうじゃない奴は真っ向から喧嘩を売られても叩き潰せる。
そういうバランスになるように調節した。
幸いな事に各地の有力者はまだバラバラに独立している。
今この状態、いわば戦乱の世に至る前だからこそ取れる方法だ。
「ええ、大丈夫です。それに買うと決めたわけではありませんよ」
「嘘つきめ。敢えて今回来るということは、目的はあいつだろう。……まったく、ますます部下に欲しい」
「大変光栄ですが、今更取り入るのは難しいでしょうね」
「口惜しいがな」
「既に私とエトムート様の繋がりは、
「ああ。今回限りとなろう」
姪を売るような男だが、エトムートは武家の本家に属する武将。
辺境の何の変哲もない若造に話を持ってきたのはこうやって即座に関係を断ち切れるからだ。
アンネローゼを殺した男と繋がっていたかもしれない、と露見する事は避ける必要がある。俺は決して口外しないしミスするつもりもないが、リスク回避のためだ。それに、今関係を切っておけば後年役に立つ可能性がある。
主に調略に関する部分でだ。
そうなれば俺としても喜ばしい。
繋がりは少なければ少ないほどいい。
それが対等かそれ以上なら猶更だ。
こんなポンポン人を売るような男との関係など、互いにリスクを抱えていた方が有益で安全なのさ。
最後に握手をして、玄関まで見送りに出た。
立派な体躯の馬に乗り駆けて行ったエトムートを見送り、見えなくなった後。
屋敷に戻って一目を遮った所で、溜息を吐きながら言った。
「おい」
「はい、どうされましッ」
隣に佇んでいたセカンドの頬を思い切り叩く。
殴らなかったのは跡が残るから。
人前に出ない奴になら遠慮なく傷を付けられるが、こいつはそうじゃない。
税の徴収や部下の育成を任せる事もある。
だから叩くだけで済ませた。
叩かれた事に呆然としながら、セカンドは俺を見る。
「演じろと言った筈だ。出来ないか?」
「……い、いえっ。出来ます」
「出来てない。エトムートに対して不快感を与えるリスクがあった」
「そ、れは……っ」
もう一度、今度は反対側の頬を叩いた。
「言い訳するな。教育した筈だ、俺自ら」
「は、い……」
「次は無いぞ」
「っ────」
「……返事は」
「も、申し訳ありません!」
小刻みに震えながらセカンドは頭を下げる。
ファーストはまだマシだが、二人とも優秀なのに時折余計なポカをやらかす時がある。
どうせ俺に対する生意気な言動に目くじらを立てているんだろう。
ちゃんと身分制度や共有の価値観を叩き込んだ筈だが、こいつらはどうにも優先順位の一番上に俺がいるらしい。
奴隷としては文句なしだが、手駒としてはそれでは困る。
俺が一番上にいて、尚且つ自分の考えで俺の為になる行動を取れるようにならねばならない。
現状頼れる部下がいないんだ。
有能な内政官が現れるまでは、こいつらに変わりを担ってもらう必要がある。
「…………セカンド」
ビクリと身体を跳ねさせた。
「期待している」
そう言い残して、俺は足早に執務室へと足を向けた。
奴隷はいい。
この程度の言葉で成長し忠誠を誓ってくれるのだから。
「──は、はいっ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます