悪徳領主の野望
恒例行事
第一部 辺境領主編
プロローグ
世の中金だ。
社会は金で回っている。
金さえあれば飛ぶ鳥も落ちるなんて諺があるように、物々交換から通貨制度に切り替わった瞬間からそれは絶対の法則に他ならない。
正義も忠誠も関係ない。
金だ、金を抱えた奴こそが勝者だ。
ありとあらゆる関係性を金で塗りつぶせる奴だけがこの世界で生き残る事が出来る。
金以外はクソだ。
なにも要らない。
金だけがあればいい。
「──それで? 金も土地も持ってないお前は、俺に何を支払うつもりだ?」
「くっ……!」
パサリ、と手に持っていた書類を机に置いた。
悔しそうに顔を歪めている女は、食い逃げ犯だ。
いや……正確には少し違う。
他所の領内からやってきた武家の娘で、金のなる木だ。
こいつはお供に連れて来た部下に裏切られこの地に捨てられた。
清廉潔白で品行方正。
弱者を助け強気を挫く。
ノブレス・オブリージュを心根に高潔な貴族としての在り方を幼いながら掲げていたと聞いている。
賄賂や横流しを許さない、まさに理想的な武家の出身だ。
だから嫌われる。
こんな辺境でハメられる程度には。
心底呆れているように、そして苛立ちを隠せないように眉を顰めながら続けた。
「それにしても、食い逃げとは。そちらの領内では貴族様は食べ放題だったのか?」
「そんな訳があるかっ!」
「ほう、では何故金を持たずに入店した? 飯を食えば金を払うのは常識だろう」
「それはっ……!」
答えられない。
部下に金を持たせていたら、いつの間にか部下が消えていた。
そうとしか答えられない筈だ。
そして、そんな答えを聞き入れる程俺は甘くない。
はぁ、と溜息一つ溢せば、女は怒りを堪えきれずと言った様子で声を荒げた。
「貴様、貴様が嵌めたんだろう!」
「何のことだ? 言いがかりはよせ」
「ふざけるな!!」
「お前こそふざけるな、立場を弁えろ。俺はお前が武家の娘だからこうやって直接会っているに過ぎないんだ。あくまで貴族様が相手だからこうしているだけで、有無を言わさず憲兵に突き出しても構わないんだぞ」
「ぐっ、ぐ……!!」
赤い髪と同じくらい顔を赤く染め上げ、怒りのままに拳を振り上げようとして──背後に控えていた護衛に拘束される。
「放せっ! くそ、このっ……!」
「……動かないで」
「そのまま抑えておけ」
相当鍛えてるであろう武家の娘を軽々と抑えつけながら、無表情のまま女は従う。
こいつは二年前、俺がここの領主になる時に一番最初に部下にした女だ。
ここよりずっと西にある国で生まれた元貴族らしいが、今はただの奴隷に過ぎない。もっと酷い扱いを受けていたからか、人間扱いする俺に心酔している。
常識的に考えて臭くて汚い奴隷を周囲に侍らせるわけがないだろうに。
ただそれだけの事で心から忠誠を誓う部下が手に入るから、俺としては有難い限りだが。
「さて、アンネローゼ。君には選択肢が幾つか存在する」
武家の娘──アンネローゼは、抑えつけられる屈辱に耐えながら凛然と睨みつけて来た。
その圧力を受け流し、安全地帯から一方的に条件を叩きつける。
「一つ、実家に連絡して代金を支払ってもらう。無論、手間をかけさせた事に加えて領内でトラブルを起こした罪に対する罰金、そしてそれらを何処にも話さない口止め料を請求する。多少法外な値段になってしまうかもしれないが、名門に傷がつくよりはマシだろう」
「二つ、君の言う、『部下』を探し出して金を支払わせる。潔白を証明するにはこれが最も正しい。……まあ、全て事実ならば、とっくに逃げ出しているだろうし、見つけるまで領内から出る事は許さない。一生牢獄の中だ」
「以上二つの選択肢が受け入れられないのならば、そうだな……」
殺してやると言わんばかりに睨みつけているアンネローゼを嘲りながら、それこそ、鼻で笑うように言い放つ。
「ここで犯罪奴隷として働くか?」
「──が、あああああ!!」
絶叫と共に拘束を振りほどこうとするが、無意味だ。
ファーストは戦争を経験している。
子供の頃から数年間戦場で戦い続け生き延びてきた歴戦の兵士。
武家の娘とはいえ、実際に生き死にの狭間を渡り歩いて来たこいつには勝てない。殺意に敏感で、だからこそ俺が武の領域を託している貴重な人材だ。
「……そうか、まだ選べないか。突然人生が暗闇になったのだから、気持ちはわかる。ファースト」
「はい」
「独房に放り込んでおけ」
「わかりました」
「待て、待てぇっ!! 卑怯ものおおおお!!」
「今はその無礼も許そう。頭を冷やすといい」
最初の奴隷、ファーストがアンネローゼを連行していく。
まったく、思わぬ拾い物だが今しばらく時間が必要なのは減点だ。こういうタイプは時間をかけて心を圧し折らなければいけないので若干面倒臭い。
だが、それを差し引いても金がなる木だと言える。
「セカンド」
「はい、お呼びですか?」
「アンネローゼの部下二人、殺しておけ、行方不明の体で通す、痕跡は残すな。カバーストーリーは任せる」
「承知しました」
「ああ……馬は惜しいな。隠れ里で繁殖させて騎馬にするとファーストに伝えろ」
「はい」
俺の後ろに控えていた女、セカンドも部屋から出ていく。
一人きりになった執務室で、はぁ、と一息。
信用できる手駒も増えた。
ゼロから始めた計画もようやく軌道に乗り始めている。
他所からああやって話を持ち掛けられる程度には、俺の名は知れ渡ってきた。
だが足りない。
まだまだ不足している。
戦力も技術も人材も、何もかもが足りていない。
それらを得るためには──金だ。
これから荒れるであろう世を乗り切る為に、戦国の動乱を駆け抜ける為に金が要る。
「それまでは精々、餌にでもなってもらおうか」
金のなる木が枯れるその瞬間まで、とことん搾り取ってやる。
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