地球に潜伏した宇宙人との奇妙な関係

卯月 幾哉

本文

 ある小説家とその妻がいる。


 妻は人間ではない。異星人だ。

 X20387という星から地球にやってきたジャムザという名の宇宙人が人間になりすましたものだ。

 いくつかの星を経由して地球を訪れたジャムザは、この星の有機知的生命体――人間を次の獲物として定めた。

 彼女――本来の性別は不明――は、数年を掛けてこの国の言語や文化を学び、怪しまれずに人間の社会に溶け込むことに成功した。

 そして、のこのこと近づいてきた小説家の妻に収まることに成功した。


「君との毎日は本当に刺激的だよ」

「そう」


 ある晩の食卓で、ジャムザの用意した夕食を楽しそうに食べながら言う夫に対し、その妻に擬態した宇宙人は無表情で応えた。

 その夕食は食材をほぼそのままの形で提供しただけで、とても料理とは呼べないような代物だったが、夫は文句一つ言うことがなかった。


「うん。噛みごたえが最高だね」


 生のニンジンをぱきりと噛んだ後で、小説家の夫がそう言った。


「……」


 トバ、という名のその人間の男性は、異星人であるジャムザの目から見ても、人間の中では少し変わった個体だと思えた。


 小説家という仕事をしている、と聞いた。

 本を書いて売る仕事――ジャムザは単純にそう認識している。

 その題材を探してか、トバという人間は一風変わった言動を取ることが多いように思われた。

 交際して間もない彼女に唐突にプロポーズをしてきたり、ある寒い日に突然アラスカに行こうなどと言い出したり。


「……昔は、ここまでじゃなかったと思うんだけどね」


 あるトバの友人は疲れた顔でそうこぼした。

 トバの友人知人も、彼の奇妙な言動には呆れた様子だった。


 そんな夫婦の奇妙な共同生活は、数年に渡って続いていた。


 そして、ある日の夜。

 いよいよ獲物の血肉を味わおうと、ジャムザは夫の寝室に忍び込んだ。

 ジャムザはトバの寝顔を見下ろしながら、右腕の擬態を解いて鋭い鎌のような形状に変化させる。


「ムニャムニャ……愛していない、とは言ってない……」


 おかしな寝言をつぶやきながら、トバは寝返りを打った。

 その頭上でぴたりと右腕の鎌を止め、ジャムザは彼を見つめ続けた。


 ジャムザがその姿勢を保ったまま一、二分が過ぎる間、寝室内ではトバのいびきの音だけが聞こえていた。


 ――ぱたり、と寝室のドアが閉まる。

 ジャムザは後ろ手にドアを閉めた後、そのまま自分の寝室へ戻ることにした。

 右腕も元に戻し、ふだんの人間の女性の姿のままだ。


「私は何をやっているんだろうな……」


 ジャムザは我知らず、独りごちていた。



 妻の足音が十分に遠ざかったことを確認して、トバはぱちりと目を覚まし、ベッドを降りて立ち上がった。


「あ、あー。テステス……感度良好」


 咳払いの後、彼は声帯の動きを確かめるかのように無意味な言葉をつぶやいた。


〈こちら、レクシオン。どうぞ〉


 彼は携帯端末も持たずに、どこかの誰かと通信会話を始めた。


《――やあ、レクシオン。任務は順調かい?》


 その声は直接、トバ――レクシオンと呼ばれた――の感覚器官に届いた。

 すると、トバは雰囲気をがらりと一変させた。さながら、優秀な諜報機関のエージェントといったところか。


〈ああ。ヤツはまだ尻尾を出さない〉

《そうか。これまでの傾向から行って、すぐに凶行に走ると思っていたんだがね。

 君が地球に降りてから、どのくらい経ったっけ?》

〈八年――いや、0.01リブラ周期か〉


 つい地球の時間で答えてしまったトバは、瞬時にそれを母星での時間単位に換算した。

 彼らの基準では、それはごくごく僅かな時間に過ぎなかった。


《まだそんなものか。じゃあ、引き続き現地人類への被害だけは出さないように気をつけて、上手くやってくれ》

〈ああ。――なかなか得難い経験をさせてもらっているよ。最初、この任務を聞いたときは上層部の正気を疑ったが〉

《おいおい。言葉には気をつけろよ。まあ、気持ちはわからなくはないが》


 通信相手――観察保護員という役割――の口調は、徐々にくだけたものに変わって行った。


 トバの所属する組織は、広大な宇宙の中では一握りの領域であるものの、宇宙に進出した文化を持つ知的生命体の中では比較的広い範囲で活動を行っている。

 その活動範囲の中に、未だ宇宙への巣立ちを終えていない銀河の片隅にある地球という惑星の知的生物――人類の文明の発展を見守る、というものが含まれていた。

 そのために、彼らの組織は宇宙連合に巨額の出資を行い、地球上で「天の川銀河」として知られる天体の内、太陽系周辺の宙域の独占的監督権を勝ち取ったのである。


〈だって、どう考えても無理があるだろう? 保護対象の存在に悟られないように事件を未然に防げ、だなんて〉

《まあな》


 ジャムザという危険な宇宙人が地球に降り立ったことを確認した、彼ら組織が取った対策。それは、ジャムザと同じように正体を隠して地球に潜り込み、現地人の振りをしてジャムザに接触するというものだった。

 そして、その任務遂行役に選ばれたのが、トバ=レクシオンということだった。


 もし、ジャムザが地球に降り立ってすぐに人間たちを無差別に殺戮するような暴挙に出ていたとしたら、トバの所属する組織もより早急に、強引な介入を行っていたことだろう。

 しかし、予想に反して、ジャムザはすぐに動くことはなく、いまだに大人しく擬態した人間としての営みを続けている。


《宇宙文化庁トップの判断だから、仕方ねぇな》

〈そうだな〉


 更に言葉を崩した観察保護員に対し、トバも同調した。


 地球の文化や知識水準を調査した彼ら組織の中の学者達は、異星人の存在は地球人にとって劇薬になる可能性が高いと判断した。


〝想像もつかないような化学変化によって、地球の文化や社会に不可逆かつ破壊的な影響を与える可能性がある〟


 その道の権威とされる学者が、そんな判断を根拠と共にレポートにまとめ、組織の上層部に提出した。


 だから、ジャムザが凶行に及んだ結果、地球人に異星人の存在が露見する――そんなシナリオはなるべく排除すべきだ。そう考えられていた。


 ――それはそれで、面白いのではないか。


 八年間に及ぶ現地生活で、それなりに地球の文化に親しんだトバはむしろそう思うが、それを上司に提案したりする気はさらさらない。

 もったいないからだ。


〈なに。今では感謝しているぐらいさ。この星での生活は悪くない〉


 トバはすっかり地球の生活が気に入っていた。

 降って湧いた特別任務を与えられたときは気が滅入ったが、今ではこの任務がなるべく長く続くことを祈っているほどだ。

 下手に介入をして、今の生活を台無しにするような真似はしたくなかった。


 観察保護員は、トバのその言葉を聞いて大きな溜め息を吐く。


《はー、なんだそれ。……いいなあ。俺なんかずっと宇宙船生活だぜ》

〈ハハ。なら、今度の休暇は地球で過ごしてみたらいい。うちに来たら歓迎しよう〉


 トバが茶化すように言ったところ、観察保護員は《げえ》と、心底嫌そうな声を発した。


《それ例のターゲットも一緒だろ? 絶対に行きたくねぇ。ただでさえ、申請手続きも面倒だし、言葉も通じないってのに》

〈現地語のインストールキットだったら、もう二五六種類作ったぞ〉


 インストールキットというのは、特定の言語を習得して使いこなすためのデータを彼らの記憶と思考を司る器官にダイレクトに植え付ける特殊なデバイスのことだ。

 トバが地球に潜入する際に使用の許可が下りたのは、地球で最も利用人口が多い一種類の言語キットだけだった。


 それをトバは、このわずか0.01リブラ周期ほどの任務期間で二五六種類作ったと言ったのだ。

 観察保護員が目を剥いたのが、トバには手に取るようにわかった。


《地球ってそんなに言語あるのかよ! 地球人の頭脳ってどうなってるんだ?》

〈いや、言語自体は六千から八千個ほどあるようだが、話者が千人もいないようなマイナーな言語も多くてな。そういうのは中々キッティングも難しい〉

《絶対、任務に必要ないやつだな、それ》

〈ああ。さみしい地球生活での数少ない趣味の一つさ〉


 呆れたように言う観察保護員に対し、トバは笑みを浮かべて応えた。


 トバは任務の傍ら、暇を見つけては地球文化の研究を行い、個人的なレポートを書き溜めていた。

 その過程で多くの現地の言葉を学ぶことになったトバは、効率化のためにコンピュータ上で言語の学習に特化した自律式のプログラムを作成した。そしてそれをいくつか複製し、地球人が築いた国際通信ネットワーク上に目立たない程度にばらまいていた。

 トバはそうやって二五六種類のインストールキットを作っていったのだ。


 現在のトバにとって特に興味深いのは、極東にあるニホンという島国の言葉だ。トバがその国の言語圏でプログラムを走らせるたびに、新たな発見があった。


(――ジョシコウセイという人種は、非常に創造性に優れているな。よくもまあ、ポンポンと新たな単語を生み出せるものだ。できれば、直接接触して交流を図ってみたい。今の肩書きなら、取材と称して訪問すれば行けるか――?)


 ときに、ジャムザの監視という本業をそっちのけで、そんな思考に没頭してしまうトバであった。


《満喫しやがって……おっと。そろそろ時間だ。――じゃあ、せいぜい楽しむといい》

〈うん。またな〉


 そんなやりとりを最後に、トバは遥か空の彼方の宇宙船で暮らす同胞との定期通信を終えた。


「…………」


 その後、トバは妻の姿をした異星人が出て行ったドアを無言でしばらく見つめていた。


 もしも、先ほど寝室に侵入したジャムザがトバを攻撃していたならば、トバが事前に仕掛けておいた強力な攻性防壁が発動し、瞬く間に彼の異星人を無力化していたことだろう。

 その瞬間に、トバのわずか0.01リブラ周期ほどの地球生活は終わりを告げることになっていた。


(頼むから、このままずっと円満な人間の夫婦でいさせてくれよ……)


 トバは、この広い宇宙の何処にいるとも知れない神と、自らが擬態した人間の妻の振りを続ける凶悪なはずの異星人に対して、そう強く祈った。

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地球に潜伏した宇宙人との奇妙な関係 卯月 幾哉 @uduki-ikuya

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