第6話 再会


 女給メイド姿の女は、後ろに手を回し、瑞香みづかをにこにこと見上げている。

 そう背が高くない。瑞香もおおきい方ではないが、目線は相手の額あたりだ。


 歳の頃は、瑞香より二つ三つ、上か。

 御納戸おなんど色の格子の着物に白い前掛け。

 やや茶を帯びた髪を三つ編みにして、輪をつくって頭の後ろに置いている。薄い桃の、長めの髪帯リボン。身のなりに構う生活をしてこなかった瑞香にも、その格好が当世流行のものであることはわかっている。


 「……あの……」


 瑞香が戸惑うように声を出すと、女は、あ、と手のひらを口にあてた。


 「御免なさい、名乗りもしないで。牡丹ぼたんです。あそこのカフェで働いています」


 云いながら、先ほど出てきた戸口を指差す。

 よく見れば戸口の横に小さな看板があがっていた。

 鬼灯ほおずき亭、と読めた。


 「……ほおずき……」


 瑞香が呟くと、牡丹は嬉しそうに頷いた。


 「はい、鬼灯。先生のところの御本とおんなじです」

 「……先生、って」

 「もちろん、綺燐堂きりんどう 遊楽ゆうら先生ですよ。今日は先生をお訪ねですよね」

 「あ、はい……」

 「でしたら、こちらで間違いありません。先生から、今日あたりこういう年恰好の方が見えられるから、来られたらお通ししておいてくれ、って指示われてたんです」


 牡丹は瑞香の鞄に手を伸ばし、取り上げた。こちらへ、というように手を示す。


 「ご案内します。お店にどうぞ」

 「……あ、遊楽先生、こちらのお店に、見えられるんですか……」


 牡丹はそれを聴いて、いっとき、え、という顔をつくり、それからふふと笑った。


 「はい。いちにち一度は、降りてこられます」

 「……降りて、こられる……」

 「ここ、先生のご自宅なんです。お店が一階を間借りしてまして。先生は二階に暮らしておられます」


 瑞香はひゅうと息を吸い、改めて建物を見上げた。

 薄い鼠色の、明るい色の石を組み上げた三階建。凝った彫刻がところどころに施されている。木製の洒落た飾り窓。硝子の内側には瀟洒な窓掛カーテンが見えている。

 いかにも近世風の、最新のつくりだった。

 呆然としている瑞香の横で、牡丹はうんうんと頷いている。


 「わたしも初めて先生を訪ねて来たときには吃驚びっくりしました。まさか、ですよねえ。あのお話を書かれる先生が、って」

 「……本を書くのって、そんなに、お金が好いのでしょうか」


 つい本音を漏らしてしまった瑞香の言葉に、牡丹は可笑しそうに背中を揺らして見せた。

 戸口に立つ。小さな硝子の嵌め込まれた、重厚な木製の扉だった。

 牡丹が手をかけ、引きあける。からん、という音がした。扉に鈴がついていた。


 瑞香はカフェというものを知らない。生まれ在所になかったためだ。本で読んだ知識はある。昼は茶を、夜は酒を呑ませる場所だという。その印象から、提灯なり洋燈ランプで派手派手しく飾り立てたつくりを想像していた。

 が、いま立つ店内は薄暗い。といって重苦しい空気もない。目が慣れれば、窓から指す日差しが木の床に反射して室内を穏やかに照らしていることが見てとれた。


 客はいない。奥に見える厨房も、灯りが落ちている。椅子がすべて卓の上に上げられているから、おそらく営業の合間の準備時間だったのだろう。

 その卓も椅子も、佳い品物だった。舶来だろう。瑞香にはそうした知識は少しも備わっていないが、それでも容易に理解した。


 と、牡丹が改めて瑞香に向き合い、美しい所作で頭を下げた。桃色の髪帯が揺れる。


 「いらっしゃいませ。ようこそ、鬼灯亭へ」


 それから手近の椅子を下ろし、卓をさっと拭いて瑞香を座らせた。

 鞄をその横に置く。置いて、ついと、瑞香の横に立つ。


 「……?」

 「失礼、いたします」


 不思議そうに見上げる瑞香の頸元くびもとに、牡丹は顔を近づけた。頬と頬が触れる。すん、と、鼻が鳴る。


 「ひゃ」


 瑞香は驚き、身をすくめた。


 「……ん」


 牡丹はすぐに身を起こした。恍惚、というに近い表情。目を細めている。愛らしい唇に似合わぬ意味ありげの笑みを浮かべて、満足そうに頷いてみせた。

 瑞香はおもわず着物の前をきゅっと合わせた。袖を持ち上げ、匂いを嗅ぐ。


 「……く、臭かった……でしょうか」


 瑞香の不安そうな顔に、牡丹はあははと声をあげて手を振った。


 「とんでもないことです。御免なさい。念の為、です」

 「……念の、為……」

 「当世、いろいろありますから。でも、そうかあ。一寸ちょっと、感動しました」

 「え……」

 「先生の仰るとおりでした。なんて綺麗なんだろうって」


 瑞香は返答に窮した。困った顔の瑞香に、牡丹はどうしたことか、嬉しそうな表情を作って見せた。ぴょんと、頭を下げる。


 「それじゃ、先生、お呼びしますね」


 そう云い、奥へ向かった。ぱたぱたと階段を上がるような音。

 牡丹は、遊楽が二階にいる、と云っていた。その遊楽の部屋に、店から通じているのだなと、瑞香は妙な感想を持った。


 薄暗く、穏やかな空気に満たされた店内。どこからか、こつこつという小さな音が響く。瑞香の聞き慣れぬそれは、舶来の大時計が時間を刻む音だった。

 静かに待っていると、ふたたび、胸におおきな不安が降りてきた。


 予想に外れた住処いえだったが、ここが、自分の檻になる。

 閉じ込められるのだろうか。食餌は、与えられるのだろうか。

 飼う。首輪、鎖、かせ。繋がれるのだろうか。傷がつけば、薬は貰えるのだろうか。

 階下で客が酒を交わす夜に、自分は、どのようなさいなめを受けるのだろうか。


 父、利蔵りぞうは云った。

 瑞香は、ひとよりもつよ存在ものになったんだよ、と。

 勁いのだから、制限も受ける。誰かに見ていて貰わなければならない。遊楽先生がおっしゃったのは、屹度きっと、その意味だよ。

 勁い。どう、なにが、勁いのだろう。

 確かに身体は軽くなった。腕も、脚も、く動く。いまなら、走れと云われれば走れるかもしれない。

 だけど、わたしは、わたしだ。なにも変わらない。


 瑞香は、あの夜に起きた出来事の大半を憶えていない。無論、自分の変貌も知覚していない。ただ、遊楽に与えられた、世界をつくれ、という言葉だけが微かに胸のなかに残っている。


 俯き、指を弄ぶ。

 どうなるのだろう。

 張っていた気が落ちるとともに、涙も浮いてきた。


 と、足元になにかが触れる気配。

 卓の下を見ると、白いなにかが動いている。

 瑞香の右の足首に、手先ほどの大きさの毛玉が触れていた。


 「え」


 思わず屈み、右手を伸ばす。

 手のひらを平らにすると、毛玉は自分から載ってきた。

 持ち上げ、両の手で包むようにして卓に下ろした。

 

 「……ねずみ? うさ、ぎ?」


 大きさでいえば、鼠。が、耳が長い。瑞香の小指ほどもあろうか。

 ふわふわした白い綿毛で覆われている。

 すんすん、と、卓の匂いを嗅いでいる。動くと時折、桃色のちいさな鼻と、その奥の黒い目が覗いた。

 

 「……どこから来たの」


 この店の飼育動物だろうか。だが、飲食店だ。許されないだろう。であれば、さきほど瑞香たちと一緒に外から這入はいってしまったのだろうか。 


 どうしたものかと迷っていると、やがてどたどたと、大きな足音が聞こえてきた。

 牡丹だった。後ろを振り返りながら、慌てた様子でやってくる。


 「おまたせしま……あっ、轟天丸ごうてんまる!」


 瑞香に声をかけようとして、卓上のふわふわを発見し、小さく叫んだ。叫んでから瑞香の方を見て、口を抑えた。

 瑞香は、ん、と首をかしげた。

 牡丹は小さく頭をさげ、卓に走り寄り、膝をついた。ふわふわと同じ目線で手を伸ばす。囁くような声を出す。


 「なんで出てきたの……! ほら、だめ、こっちおいで」


 牡丹が手のひらを出すと、ふわふわ、轟天丸はぽてぽてとそこに載った。牡丹が別の手を被せる。開けると、そこにはなにも居なかった。

 牡丹は、目をまるくしている瑞香に、へへ、という表情をつくってみせた。立ち上がり、頭を掻く。


 「……見ました?」


 瑞香はうんうんと頷いた。

 牡丹は苦笑いを浮かべ、しい、と、唇に指を立てて見せた。


 「内緒、で」

 「……あ、はい……」

 「だけど、見えちゃったかあ。流石、ですね。しんじゅうを……」


 しんじゅう、と云う言葉と同時に、奥から再びのけたたましい足音。

 牡丹は振り返り、ああ、と声をあげた。瑞香に向き直る。形の良い眉尻があげられている。


 「……瑞香さん、いいですか」

 「は、はい」

 「いまから云うことをく聴いてください」

 「……」

 「先生が見えられます。すぐにきます。ですが……」


 牡丹の目が光ったように見えた。


 「わたしが良いと云うまで、決して、先生の指示に従わないでください」

 「……え」

 「なにをしろと云われても、従ってはいけません」

 「……」

 「いいですね」


 その言葉と同時に、男が、店内に立った。

 黒い装束。が、寝巻き、と見えた。だらしなく襟元を広げている。

 薄明かりの下に踏み出した。それでようやく、顔がはっきり見えた。

 遊楽の髪は、火に焚べられたようにちりぢりに乱れている。

 

 「……瑞香、くん」

 

 遊楽は伏せていた瞳を、瑞香に向けた。

 陰惨という表現の相応しい表情。

 が、わずかに口角をあげて見せた。

 その目の昏さに、瑞香は、怯えた。


 「来給きたまえ。再会してぐで恐縮だが、初仕事だ」


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る