第12話 動員0の女、湯楽々結良
路上シンガーの女の子を大道芸人カイザル・トリイから助け出した後。
いつの間にか取り囲まれていた人垣から逃れるように、オレたちは町外れの川岸へと移動してきていた。
「大丈夫? 落ち着いた?」
土手に座った野見山愛が、少女にペットボトルを手渡しながら声をかける。
「はい、おかげさまで……あの、ほんとすみません色々と……私が悪いのに……」
少女はペットボトルを受け取ると、平身低頭でぺこぺこと頭を下げた。
彼女のウェーブしたボブカットがゆらりと揺れる。
少女は背が低く、痩せていて、なで肩。
目と眉毛も垂れている。
全体的になんだか気弱そうな印象。
(こりゃあ、たしかに絡まれやすそうだなぁ……)
今も少女は、オドオドキョロキョロとしてる。
ただ、地下アイドルオタクのオレはそんな彼女の優れた特性を一つ見抜いていた。
ババーン!
それは、肌のきれいさ!
地下アイドルはオタクと密接してチェキを撮る。
その際に肌がきれいだと、なんというか「すぐ壊れちゃいそうな宝物」と接してるような気がしてドキドキする。
そして、そのチェキの歴史的価値も数倍に跳ね上がるような気持ちになるのだ。
あぁ……それがオタク心理。
かつて「霧ヶ峰リリを倒すのではないか」と期待されていたものの、光の速さでアイドルを辞めてしまったアロープロジェクトの伝説的アイドル「ゆんかりん」。
彼女もまた、
とにかく「肌がきれい」というのは、アイドルとして圧倒的なアドバンテージを得ることができるのだ!
(でも……)
彼女の頭の上を見る。
『0』
この子の動員、0人なんだよなぁ……。
「私は野見山愛。いずれアイドルとして五億人を動員する女よ。そしてこっちは私のクラスメイトで運営の白井くん」
「あ、白井です、どうも……」
ぺこりと頭を下げる。
「ふぇ、五億人……。すごいですね……」
少女は素直にびっくりといった様子で、ぽかんと口を開けている。
まぁ、そりゃそうだよな。
いきなり「私は五億人を動員する女」だなんて言われても、そりゃ口を開けるくらいしか反応しようがないわな。
「あ、私は
「ゆらちゃん。可愛い名前ね。同じ学校で、おまけに同じ年」
そう言って、チラリとオレにアイコンタクトを送る野見山。
(……ん? もしかして野見山……この子をグループに誘おうとしてる?)
「はぁ~、同級生だったんですね~、気づきませんでしたぁ。あ、でもまだ入学したばっかりですし、生徒数も多いですからね~、うちの学校」
少し緊張も解けてきたのか、湯楽々はペットボトルをプシュッと開けて微笑む。
「あなた、昨日もあそこで歌ってたわよね? 前からやってるの?」
「いえ、昨日が初めてです! だから許可がいるとか、そういうの何も知らなくて……」
「あら、気にするようなことなんてないわよ。あいつは、あなたが弱そうだからイチャモンつけていただけでしょうし」
「ふぇ……やっぱ私、弱そうですかね……」
湯楽々は、ふにゃふにゃと揺れながらオレたちの顔を見る。
「ええ、弱そうね」
「うん、弱そう」
オレたちの声がハモった。
「ふぇぇ……! やっぱ、私なんかが人前で歌うなんて無理だったんだぁ~!」
半泣きで頭を抱える湯楽々。
「でも、何かを伝えたい。何を変えたい。そう思ったからあなたは路上に立ったんでしょ?」
「え、ええ……そうです。あ、うちって銭湯やってるんですよ。二丁目にある『銭湯ゆらら』って小さいとこなんですけど」
「あ、知ってる。行ったことはないけど」
たしか、かなり古くからある銭湯だったはずだ。
「うち、お父さんとお母さんが高齢なんです。だから重労働の掃除を私がやってて。その時に、いつも歌いながら掃除するんです。お風呂の壁で跳ね返ってくる自分の声が楽しくて。なんか、ちっちゃい頃から自然と歌ってたみたいで、私」
湯楽々は昔を懐かしむような、柔らかい笑みを見せる。
「で、もしかしたら私、歌上手いんじゃないかな~? なんて勘違いしちゃって……。アコギを買って簡単なコードだけ覚えて路上に立ってみたんですけど、誰にも聞いてもらえなくて……。あぁ、やっぱり私なんかが誰かに歌を聴いてもらおうだなんて身の程をわきまえてなかったんだなって気づいて……。で、今です」
湯楽々は自虐気味にそう言うと、ガックシと肩をうなだれた。
「へぇ、身の程。身の程……ねぇ」
野見山愛は、押し出されたシャーペンの芯のようにカチッと立ち上がると、口に手を当て──叫びだした。
「私はぁぁぁぁぁぁ! 五億人をぉぉぉぉ! 動員するっ! 女だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」
「ねぇ、ゆらちゃん! 私、身の程をわきまえてると思う!?」
「ふぇ!? え、いや、あの、五億人? ですよね……? それはちょっと、さすがにわきまえてない、かも……? あはは……」
「そう! わきまえてないのっ、私! だから走れるの! どうせ短い人生で『自分なんかこんなもんだ』ってわきまえてどうすんの!? ずっと膝抱えたまま、うずくまって生きてくの!? 湯楽々結良! わきまえなくなさいっ! わきまえるのなんて大人になってからで十分! このままじゃあなた、あの大道芸人みたいなつまらない大人になるわよ!? それでいいの!? 湯楽々結良!」
「わきまえ……なく……? つまらない大人に……なる? そんなの、イヤ……かも……。イヤ、です……。私、ほんとは……もっともっと、いっぱいの人に歌を聴いてほしい、です……」
「なら叫びなさい、湯楽々結良! あなたが何をしたいのか、これからどうなりたいのか!」
「は……はいっ!」
湯楽々はふらふらと立ち上がると、口に手を当てて叫んだ。
「わ……私はぁ~、もっと、いっぱいの人にぃ~、う……歌を、聴いてもらいたいんでぇぇぇぇぇぇす!」
「ゆらちゃん!」
「は、はいぃ……!?」
「いっぱいってどのくらい!?」
「と……東京ドーム、満員くらいでぇぇぇぇぇす!」
満足そうな顔で微笑む野見山。
ハァハァと頬を上気させ、息を切らしている湯楽々。
オレは、後ろからそんな二人を見守っている。
「ゆらちゃん。なんであなたの路上ライブに誰も足を止めなかったのか、教えてあげるわ」
「はぇ……?」
「それはね、声が小さいからよ」
「へ? 声?」
「そう、あなたの声が小さいから、誰の耳にも届いてなかった。歌がいいとか悪いとか以前に、聞こえてなかったのよ。誰にも」
「え、そんな……あっ、いや……でもたしかに小さかったかも……です、はい……」
言われてみれば。
昨日、湯楽々を見かけた時も「なんか歌ってるな~」と思いはしたものの、その歌声がどうとかまでは感じなかった。
たしかに聞こえてなかったんだ。
にしても、今の湯楽々の叫び声は……。
「白井くん、どうかしら彼女の声?」
「うん、聞いてみてびっくりした。いい……すごくいい声質をしてると思う。お腹から声が出てたし、澄んでて、とてもきれいな声だ。これを全部独学で身につけたものだったとしたら……もしかしたら彼女は、ものすごい逸材なのかもしれない」
「ふぇ!? い、逸材!? わ、私がですか……!?」
「ああ、俗に言う『売れる声』ってやつだ。それに肌もきれいで『売れる肌』をしてるし、ちょっと逸材度は傑出してるかも……」
「ひぇっ!? 肌が、きれ……!? えぇぇ……!? そんな、やめてください、恥ずかし……!」
「さすが白井くん、気持ち悪いくらいによく見てるわね。で、彼女は『いくつ』なの?」
「ふぇ? いくつ、ですか? 年は十五さ……」
年齢を答えようとする湯楽々を片手を上げて制止する。
野見山が聞いてるのは年齢ではなく──。
動員力。
うん。
彼女は、たしかに逸材なのかもしれない。
そんな彼女を、野見山愛はスカウトしようとしてるのかもしれない。
でも。
でもだ。
彼女の【動員力】は……。
「ゼ……」
そう言おうと思って湯楽々の頭の上を見ると。
『2』
「ゼ……あ、いや……えっ!? 2っ!?」
数字が『2』に変わっていた。
さっきまでは確かに『0』だったはずなのに。
「え、なんで? さっきまで0だったのに……」
オレの口にした疑問。
それに野見山が自信満々に答える。
「つまり、増えたってことね!」
「ふ、増えた……?」
「そう! 増えたのよ! ゆらちゃんのファンが! つまり、私と白井くん! 二人が、今の彼女の声を聴いて魅了されたってことよ!」
「動員が増えた……? オレたちの分……?」
あるのか……そんなこと?
「ふぇ? どう、いん?」
話についていけず、不安そうにキョロキョロと顔を動かす湯楽々。
そんな湯楽々に、野見山が優しく手を差し伸べる。
「さぁ、私達と一緒に来なさい、湯楽々結良! この五億の女と白井くんが、あなたをもっともっと高みに引き上げてあげるわ! アイドルグループ『Jang Color』として!」
「ふぇぇぇぇ!? アイドルグループ!? 『Jang Color』!?」
目を白黒させる湯楽々。
まったく……野見山は強引すぎるな……。
にしても……この子は悪くない。
いや、悪くないどころか、ぜひお願いしてでも入ってもらいたい逸材だ。
オールマイティーになんでもこなせそうな野見山。
歌と肌に特徴のある湯楽々。
この二人がいれば……。
頭の中に、どんどんと妄想が広がっていく。
と、その時。
ポコンっ。
と音が鳴って。
湯楽々の顔の横に。
「あっ……」
吹き出しが現れた。
そこには、こう書かれていた。
『隠しステータス:成長度S』
かかか、隠しステータス……成長度Sぅ!?
こ、この子……!
これからめっちゃ成長する子だ……!
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