第5話 不安なの?

 シンと静まり返った部屋の中。

 オレと野見山愛は無言で向かい合っている。

 五畳程度の狭い部屋。

 ベッドと勉強机、本棚に囲まれた、ちょろっとだけ見えた床に座って。

 座布団なんて気の利いたものはない。

 床にダイレクト。

 オレはあぐらで、野見山は正座。

 野見山愛のワンピースからは白い膝小僧がチラリと覗いている。

 オレは、そこからぎこちなく目をそらす。


 カランっ。


 麦茶の入ったグラスから溶けた氷の音が聞こえた。

 と、同時に。


「妹さん、可愛かったわね」


 野見山が口を開いた。


「え、あぁ、さららっていうんだ。十四才。友達のうるるって子が地下アイドルやっててさ、そこのグループのチェキスタッフのバイトやってるらしい。今日もそれに行ったみたい」


「チェキスタッフ……。たしか地下アイドルって、ライブの後に有料でファンとチェキを撮って生計を立ててるのよね? 私たちもその地下アイドルから始めるってことでよかったのかしら?」


 口元に人差し指を当てる野見山。

 本当に学校で見る彼女とは別人過ぎる。

 直視できない。

 なんか気まずい。


「あ、あぁ、そうだね。色んなアイドルが出てる『対バンイベント』に出て、大体一回十五分から二十分程度のステージをこなす。で、その後に一時間程度の特典会をやるんだ。そこでお金を払ったファンとチェキを撮って、それがアイドルのお給料や運営資金になる。オレたちもそこからのスタートってことになるかな、うん」


「へぇ、詳しいのね。地下アイドルのこと」


 うぅ……なんか妙に値踏みされてるかのような視線……。


「うん、もう三年くらい地下アイドル現場に通ってるからね。大体のことは、なんとなくわかるかな」


「だから私をアイドルに誘ったの? アイドルオタクをしてるだけじゃ物足りなくなって、じゃあこいつを利用して運営の側に立ってやろうかって? こいつなら地味で大人しそうし、どうせ誘ったらホイホイついてくるような尻軽女だろうって? イケメンのオレが話しかければ、舞い上がってヨダレ垂らしながらついてくるだろうって? そう思ったってわけなのかしら?」


 野見山愛は背筋をピンと伸ばしたまま、まるで女子アナウンサーかのように滑舌良くマシンガントークを繰り出す。


「……はっ!? いやいや……! 別にオレイケメンじゃ……」


「最初に否定するのがそこなのね?」


「うっ……いや、他のも全部否定だよ! そりゃ、いつかアイドルグループを作ってみたいなとはボンヤリと思ってたさ! でも、それはアイドルオタクなら誰しもが思い浮かべる夢、ドリームみたいなもんだよ! オレが野見山さんをアイドルに誘ったのは……」


「誘ったのは?」


 誘導するかのような、艶めかしい野見山の口調。

 まるで大蛇にでも睨まれてるみたいだ。


「その……」


 野見山と目が合う。

 ぱっちりまつ毛。

 ガラス細工のような綺麗な瞳。

 その奥に。

 エキセントリックな言動を繰り返す彼女の感情の揺れを微かに感じたような気がした。


(あっ……もしかして野見山、不安……なのか?)


 男にいきなり壁ドンする。

 いきなり男の家に上がり込む。

 攻撃的な言動をする。

 なのに、今度はわざわざ自分を卑下するようなことを言ってみる。


(これ……全部自分がイニシアチブを握ろうとしての言動なんじゃないか……?)


 イニシアチブ──主導権。

 なぜ主導権を握ろうとするのか。

 まず考えられるのは営利目的。

 次に考えられるのは──。


 相手が信用できないから。


 そうだ。

 オレが彼女を意味不明な言動をする妙な女だと思ってるように、彼女の目にもオレのことは妙な男と映ってるんじゃないか?


『アイドルグループを作らないか?』

『五億人を動員出来る』


 喋ったこともない隣の席の男が、いきなりそんなことを言ってくる。

 うん、怪しい……よな、冷静に考えると。

 そりゃ信用もできないし不安だろう。

 じゃあ、オレの今するべきことは──。


「全部──ちゃんと話すよ。なんでオレがキミをアイドルグループに誘ったかを」


 正直に全部話して、彼女の信頼を得ることだ。



 ◇



「なるほど……。急に【動員力】が見えるようになったと。で、私の動員力が五億だったから、思わず声をかけてしまったと。そういうことね?」


「うん、端的に言えばそう。いきなり腕掴んだりしちゃってごめんね。びっくりしたよね? あの時、マジでオレ頭が真っ白になっててさ。あそこで声をかけなかったら一生後悔するような気がして……」


「ええ、びっくりした。びっくりしたわ。この私をびっくりさせたのだから大したものよ、あなた。あの退屈な学園生活で驚かされるようなことがあるだなんて思いもしなかったもの」


 相変わらずの傲慢ごうまんな物言いだけど、ピシッと正座してた野見山愛の足も徐々に崩れてきている。

 もしかしたら、オレの話を聞いて少しは安心したのかもしれない。

 

「それでさ、昨日野見山さんは『やる』って言ったけど、もし『やっぱりやりたくない』ってなってたら……」


「やるわよ」


「へ?」


「やるって言ってるの。だって、五億人動員できるんでしょ、私?」


「う、うん……今もキラキラ頭の上で光ってるし……」


 心なしか輝きも増してるような気がする。


「ゴールが決まってれば、おのずとやるべきことは定まるわ。ってことで……」


 グイッ!


 まるでシャーペンの芯を押し出すかのようにカチッと立ち上がった野見山が、オレの腕を掴む。


「行くわよ!」


「い、行くって、どこに……?」


「決まってるでしょ?」


 オレのクラスメイト野見山愛が、初めて無邪気な笑顔を見せた。


「メンバーのスカウトよ!」

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